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TopMainどんな花を以てしても
「凌統ってなんであんな…、」

言いかけて、名前はその先の言葉を紡ぐのをやめた。何だか虚しくなりそうだったからだ。それに気づいた陸遜が「名前殿?」と不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「大丈夫ですか?」
「……大丈夫」

ふぅ、と自身を落ち着けるように息を吐きだして、それでも晴れない胸中に名前は顔を顰めた。

「凌統、連れ去らわれたりして」
「…どなたに…?」
「阿国さんとか、三蔵法師様に」

そこでようやく陸遜は少し離れたところで阿国と話している凌統のことを指しているのだと理解する。そして名前の思うところも察した。

「凌統ってばこの世界に来てから美女にばっかり好かれて…羨ましいったらありゃしないよ」
「あ、羨ましいんですね…」
「そりゃそうでしょう。私が凌統と替わりたいくらいだよ」

名前のその台詞が嘘だとは陸遜は思わなかったが、別に思っていることもあるのだろうと分かっていた。だがどこまで自分が口を出したものかと悩んでいると、話題の人物である凌統がこちらへ戻って来る。名前はそんな凌統をじとりと恨みがましそうな目で見上げた。

「色男は大変だね」
「え?」
「あらゆる美女に引っ張りだこで」
「別にそんなこと…」

凌統は否定しようとしたが、名前の様子がおかしい事にすぐ気がついたようで言葉を切って陸遜に視線を送ってくる。何かあったの、と目で尋ねてくる凌統に、陸遜は小さく頷いた。
凌統は名前の機嫌を窺うように一旦様子見をしていると、名前がぽそりと呟く。

「この前は三蔵法師様に温泉に誘われてたじゃん?」
「えっっ」
「いや行ってないって」

思わず陸遜が驚きの声をあげると、慌てて凌統が否定した。あの誘いはそもそも冗談であるからして、凌統が一緒に行くわけなどないのだ。……いや、もしかしたら三蔵法師はあのような人物なので一緒に行くと言っていたら快諾していたのかもしれないが。少なくとも凌統にそんな気はなかった。

「美女の誘惑は魅力的だよね……」

名前はどこか諦めたように項垂れる。だが、次の瞬間ぱっと顔を上げて至極不安そうに凌統を見つめた。

「でも……い、行かないよね?日ノ本とか、仙界に…着いて行っちゃったりしないよね…?」

恐る恐る尋ねてくる名前に、凌統は目をぱちくりと瞬かせた。まさかそんなことを心配していたとは露にも思わなかったからだ。

「行かないっての。当たり前だろ」

凌統は即答で言い切った。名前を安心させるために力強く言った。阿国とは確かにこの世界が出来た当初から懇意にはさせてもらっていたが、全てを投げ打って阿国を追いたい、なんて類の感情を抱いているわけじゃない。阿国もそれを承知して駆け引きのような会話を楽しんでいただけなのだが、名前の目には本気かもしれないという風に映ったようだ。

「本当…?」
「本当だっつの。俺が国を捨てて駆け落ちするような男に見えるわけ?」
「見えるよねえ…?」
「…まあその…少し……」

名前が当たり前のように陸遜に同意を求め、否定しきれなかった陸遜は気まずそうに頷いた。凌統は思わず「しないって!」と声を荒らげた。凌統が色男ゆえ、そういう風に見えてしまうのだ。決して悪い印象として捉えている訳ではなかった。

「とにかく、絶対にないから。分かった?」

凌統は名前の頬をむにっと摘んで瞳を覗き込み言い聞かせる。その圧に名前は「ふぁい」と間抜けな返事をするしかなく、横にいた陸遜は小さく吹き出すのであった。


後日、凌統は阿国と次の出陣について話していた。そしてそんな凌統の背中に、いつの間にか名前がくっついていた。

「あら、名前様。どないしはったんどす?」

阿国がくすくすと微笑みながら、名前に話しかける。名前は滅法美人に弱いので少々照れくさそうにしながら「えっと……」と口ごもった。

「…阿国さんに凌統のこと日ノ本には連れてかないでねって、お願いに…きました…」

阿国は唐突な名前のお願いにきょとんと面食らったかと思うと、花が綻ぶように笑った。

「やあ、かいらしこと。そんなん言われたら、うち、キュンってなります〜」

名前のかわいげある台詞が阿国に刺さったようで、頬に手を当てきゃあきゃあと悶えている。予想していなかった反応に名前がどうしたらいいか分からず佇んでいると、にこりとその笑みを深めた阿国が名前の顔に手を添えた。

「かいらしから、出雲に連れて住んでしまお」

その声音は凌統と談笑していた時よりずっと真剣みを帯びていて、一瞬で凌統の心に恐怖を植え付けた。このままでは連れ去られてしまう、と本能的に思ってしまうほどの覇気があったのだ。
阿国と名前の鼻先が触れそうになるくらい顔が近くなったところで、凌統は慌てて名前を引き剥がした。

「ちょちょ!阿国さん!さすがにそれはなしだって!」
「やあん、凌統様のいけず。野暮な男は嫌われますえ?」
「いや野暮もするでしょう今のは…」

名前を覆い隠すように凌統の背にしまい込むと、阿国は潔く身を引いて大袈裟にため息をつく。

「残念どす」

長いまつ毛を伏せて憂う阿国は、油断をしていると誘い込まれてしまいそうな美しさがあったが、凌統は絆されはしなかった。凌統がいまだに緊張感を纏ったままでいると、阿国はくすりと笑う。

「名前様がかいらしからつい本気になってしもたわ。堪忍しとくれやす〜」

そう言って踵を返してひらりと蝶のように立ち去って行った阿国を、凌統と名前は呆然と見送った。
凌統がはっとして名前の様子を振り返ると、夢心地といったようにどこかぽーっとしていて、思わず肩を掴んで揺さぶる。

「俺なんかより名前の方がよっぽど連れ去られそうだったけど!?」
「ご、ごめん。なんか阿国さんの美しさを前にしたら何も考えられなくなって」
「勘弁してくれよ……」

凌統は脱力して大きなため息をついた。

「俺だって、名前がいなくなるのなんてごめんだよ」
「……」

凌統が真剣に名前を見つめると、名前がぱちりと目を丸くした後、照れくさそうに目線を逸らした。

「じゃあ…お互い美女には気をつけましょうってことで…」
「あんたの場合は色男にもついていくなよ」
「善処します」

まったくこの世界には魅力的な人物が多すぎるのが困りものだ。凌統が朝から晩まで名前を見張っておく必要があるんじゃないかと真面目に検討していると、名前が凌統を不思議そうに見上げた。

「凌統ってなんで阿国さんの魅力に抗えるの?」
「……名前がいるからじゃない」

ちら、と名前を一瞥して凌統は答えた。だが凌統の分かりやすい返答を持ってしても名前は意味が飲み込めないようで阿呆面を晒している。このくらいの匂わせでは名前は察しないであろうという事は分かっていたが、やはり伝わらなかったことに凌統は嘆息して名前の額をペちりと叩いた。先は長いし苦労も多いが、今の関係もそんなに悪いものじゃないと思っている凌統に、焦る気持ちはなかった。


どんな花を以てしても


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