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TopMain酒は飲んだら呑まれたい
察しが良すぎるこの人の下で働いていることを恨めばいいのか、喜べばいいのか。少なくとも私は手放しで喜べるほど素直でも、器用な女でもなかった。

「名前ちゃん、今日ご飯行かねェ?」
「…急にどうしたんですか。別にいいですけど…」
「や〜、たまには名前ちゃんとゆっくり語り合うことがあってもいいかなって」
「こわ……」
「怖くない怖くない。あ、スモーカーも誘っておいたから」
「え、…はっ!?ちょっと!クザンさん最初からそれが目的ですね!?」

私はかなり分かりやすい態度をとる方なのだろう。スモーカー大佐との会話を終えて、熱くなった頬を冷まそうと一息ついた私の後ろで「ふ〜〜ん……」と意味深にクザンさんが呟いたときから嫌な予感はしていた。
しかしこのことに関すると冷静な思考がすっぽ抜けてしまうので、唐突に謀られたことに対してクザンさんに文句の一つも言うことができない。この場合、むしろお礼を言ったほうが良いのだろうか。いやしかしそこでお礼を言えるほど私に余裕なんてないのだ。
まだ終業まで時間はあったが、私の頭は今夜のことで埋め尽くされて目の前の書類の文字がまったく飲み込めないのだった。

こんな日に限ってクザンさんは定時通りに仕事を終わらせて、足取りが軽い様子で私と共に本部を出た。ナーバスになってる私の背を撫でながら「大丈夫だって、そんな緊張しないの」と言っていたが、何が大丈夫なのか分からないし、そもそもこんなになってるのはあなたのせいなんですが!という文句を返す気力は私にはなかった。

クザンさんの馴染みの店に到着し、店内に入るとスモーカー大佐は既に席についていた。正直席に着いたその後のことはあまり詳細には覚えていない。ただクザンさんの横で当たり障りのない返事ばかりして、延々と料理とお酒を口に運び続けた気がする。

ひたすら食べ続けた私のお腹も満たされ、いい時間になったところで店を出る。スモーカー大佐との距離は全く縮められなかったが、ようやく地獄のような時間が終わる、とほっとしていると、クザンさんが私の肩をがしりと掴んだ。

「じゃあおれは用事があるから帰るけど、名前ちゃんはまだ飲み足りねェよな?」
「え、」
「この子いつも一軒目じゃ満足しねェのよ〜。いい機会だし、二人で飲みに行ってきなさいよ」
「ちょ、」
「はいこれ、先に帰っちゃうからお詫びね。んじゃ」

クザンさんは私の手にいくらか握らせると、返答も聞かずに颯爽と去っていった。まるで嵐のような一連の流れに、思わずお金を握りしめたまま呆けてしまう。スモーカー大佐も不自然なクザンさんの様子に顔を顰めながら「なんだアイツ…」とその背中を見送っていたが、やがて私の方に体を向けた。

「二軒目行くか」
「えっ!」

スモーカー大佐の言葉が私に向けられているという事実にすら顔に熱が集まってくるというのに、まさかのお誘いに私は大きく驚いてしまう。いくら私がへたれで臆病だからと言ってここで断るなんて、それはもう女として終わってる気がする。クザンさんから受け取ったお金をこのまま着服するわけにもいかないため、私はおずおずとその誘いを受けた。

適当に入ったバーでカウンターに並んで注文を済ませる。この時点で私は既に帰りたかった。なぜ横並びに座るバーなんてものにしてしまったのだろう。体格の良いスモーカー大佐の肩が私にあたりそうになるたびに呼吸を忘れる。しばらく会話がない空間が広がったが、何か話をしなければと必死に頭を回転させて半ばパニックのまま口を開いた。

「す、すみません、なんだか無理に付き合わせてしまって…」
「おれも飲み足りなかったところだ。気にするな」

恐らくそれは本音なのだろうが、スモーカー大佐に気を使われてしまったというだけで嬉しさやら恐縮やらで死にそうになる。緊張で喉が狭まり言葉がつかえて仕方なかったが、この二人きりの状況で口を閉じ続けるわけにはいかないと私は腹を括った。

「スモーカー大佐は、その、」
「その堅苦しい呼び方やめろ。仕事中じゃあるめェし」
「えっ!……あ、えと…スモーカー、さんは…」

スモーカー大佐に何ら他意がないのは重々分かっている。分かっているが、距離が縮まった感覚を自分の中で噛みしめる。まさか、スモーカー大佐のことをスモーカーさんだなんて呼ぶ日が来るとは夢にも思っていなかったのだ。慣れない呼び方でぎこちなく会話を投げかけると、スモーカーさんは短いなりにもちゃんと返事をしてくれた。
今までクザンさんの影に隠れて、仕事以外のまともな会話なんてしたことなかったというのに、今こうして何気ない会話がスモーカーさんとできていることに私は感動していた。しょうもないことで先ほどから感動している気もしなくもないが、私にとってはどれも重大事件なのだ。

「たしぎさんって普段からあんな感じなんですね」
「あァ。仕事中もあいつはドジしか踏まねェ」

段々と慣れてきた雑談に心を躍らせていると、先ほどマスターにお任せで頼んだカクテルがすっと差し出される。私はわずかに残った緊張を流し込むように、カクテルに口をつけた。少し勢いよくグラスを傾けたせいか思ったより一気に飲んでしまったが、カッと熱くなる喉が今は心地よかった。

「おい、大丈夫か。それウォッカギブソンだろ」

スモーカーさんが心配げに声をかけてくれて、思わずカクテルに視線を戻す。あまり気が付かなかったが、言われてみれば結構度数が高い気がする。だが、私はかわいくないことにお酒に対してはそれなりに耐性があった。クザンさんと飲み明かした夜も顔色が全く変わらず、あのクザンさんを若干引かせた過去があるくらいだ。
今はそれが、恨めしくも思えた。もし私が酔っぱらえたなら、それを言い訳にかわいい女を演じられたかもしれないのに、こんな素面では誘惑もくそもない。

そこまで考えてふと、酔っぱらったふりをすればいいのではないだろうか、という浅はかな考えが頭をよぎる。緊張がそれなりにほぐれてきたとはいえ、相変わらずスモーカーさんに突っ込んだ話は聞けずにいる。恋人はいるのか、どういう女性がタイプなのか、聞けるものなら聞きたい。冷静になって考えてみると、バカらしいことこの上なかったが、今の舞い上がってる気分がその方向へ思考を傾けさせた。

「あー…だ、大丈夫です」

だがしかしそこで「酔ってきちゃったあ〜」と甘えた声を出せるほど器用でもないので、曖昧な返事で濁してみる。スモーカーさんからの微妙に心配されているような視線を感じながら、意を決して私はもう一度カクテルを流し込んだ。

「スモーカーさんは、こ……恋人とかいるんですか?」
「いねェな」
「そ…うなんですか、意外です。スモーカーさんかっこいいから、いるかと思ってました」

この質問はさすがに直球過ぎただろうか。いやでも恋人の話題なんて飲みの場では定番だ。一ミリも酔ってない頭では余計なことばかり考えたが、スモーカーさんは特に大きなリアクションも見せずにウイスキーをあおる。

「不愛想だとか怖ェとか言われるのが大概なんだがな」
「それはあまりスモーカーさんのことが分かってないからです!す、スモーカーさんは、部下思いだし、頭もきれるし、それに自分の正義を貫いていて……とても、かっこいいと思います」

自分の赴くままにまくし立ててしまい、あとからどうしようもない恥ずかしさがこみ上げたが、私は今酔っぱらっているのだ。気にすることじゃない。それに自身の口から零れでたそれは紛れもなく本音だった。

クザンさんの下にいるとよく分かる。自分の正義を貫くのがどれだけ大変なことか。それでも周りのプレッシャーも何もかもを跳ねのけて、我を突き通すスモーカーさんは私にとってはすごく魅力的に映った。
酔っ払いだから今までの積年の想いを漏らしてしまっても仕方ない、そう自分に言い聞かせてちらりと視線を向けると、スモーカーさんは少し驚いた顔をしていた。

「…随分と熱烈なこった」

口を噤む私の赤らんだ顔を見て、スモーカーさんはいたずらにふっと笑う。その表情はおそらく仕事中には見せないもので、スモーカーさんのプライベートな瞬間を共有できた気がして、私は泣きそうなくらいドキドキしてしまう。
なんか、いい感じかもしれない。私酔っ払いのふりをして凄いアタックできているのではないだろうか。まるで大義名分を得たかのように急に自信が付き始めた私はほんの少しだけ、スモーカーさんとの距離を縮めるために座る位置をずらす。本当に小さな面積だったがスモーカーさんと触れ合った肩に、世界の誰よりも大胆な女になれた気がした。

今までにないほどふわふわとした幸せな心地で、スモーカーさんの方に体を傾けながら、先ほどより幾分かスムーズに会話をする。グラスに口をつけながら何でもない話をしていると、ふと手を止めてスモーカーさんがじっと私を見つめる。居心地が良いとは言えないその視線に「な、なんでしょう」と問えば、スモーカーさんは何かを考え込みながら「いや…、」と呟いた。

「強ェもんだと思って」
「え?」
「酒。全然酔ってねェだろ」

さーっと血の気が引いて、足先から体が硬直する。スモーカーさんはただの雑談の一つとしてその話題をふったのかもしれないが、私にとってその指摘事項は大問題だ。

「な、なんで……私が酔ってないって…、」
「?、見りゃわかるだろ」

しれっと言い放たれた台詞にがつんという衝撃が走った後、背筋に発狂したくなるような嫌な感覚がぞわぞわと這い上がる。元々酔ってなどいない私の頭は瞬時に冷え切って、幸せ絶頂から叩き落された現状に泣きそうになった。
恥ずかしい、情けない、何をやってたんだろう、という自分を責める言葉ばかりが頭の中を占める。落ち着いて考えれば、そもそもスモーカーさんには酔ったふりをしてることすら伝わってなかったようだったが、その時の私の思考は混沌を極めていた。

「…か、帰ります」

居ても立っても居られなくて、手元のカバンを掴んで代金をカウンターに置いてから椅子を飛び降りる。スモーカーさんの慌てた声の制止も振り切って、私は店から飛び出た。

ヒールなのにも関わらず夜道を猛ダッシュする。とにかく店から離れられるならなんでもよくて、大通りを駆け抜けた。夜風を顔に浴びながら、自分とクザンさんへの罵倒ばかりが脳内をこだまする。クザンさんは完全にとばっちりだったが、混乱した頭ではそんなの知ったこっちゃなかった。
さして体力もない私は数分の全力ダッシュの後、やがて足を止めて上がった息を整えるために肩で浅く呼吸を繰り返す。冷たい空気が酸素不足の肺を刺すのが痛くて、さらに情けなくなった。

実に滑稽でみじめだ。酔っぱらったふりをして、無敵な気分になって。本当に酔っぱらえていたなら、どんな良いか。こんな私はお酒の力でも借りないと素直になれないというのに、神様はお酒の力すら貸してくれないらしい。
周りに誰もいないのをいいことに、大通りの真ん中にしゃがみ込んで自分の情けなさや恥ずかしさで静かに泣いていると、ぶおぉっと何かが夜風を切る音が聞こえた。

「おいっ、」

白煙は一瞬のうちに私の背後にスモーカーさんを現す。能力で追ってくるなんてずるい、と頭の片隅で思いながら、私の腕を掴む焦った顔のスモーカーさんにぎゅっと胸が締め付けられた。

「な、なんで追ってくるんですか…!」
「急に出てくからだろうが!」
「〜っ、も…、みじめになるからやめてください…!!」
「あァ?」

心底意味が分からないと言いたげにスモーカーさんは眉を顰めていたが、私はスモーカーさんの顔なんて見れるはずもなく、泣いている顔を見られないために、これ以上心を乱さないために足元へと視線を落とす。ここまで来たらもうどうにでもなれ状態で、私は自身の言葉を冷静さというふるいにかける前にぼろぼろと口に出し始める。

「どうせ私は!酔っぱらったふりでもしないと好きな人にアタックできない、情けない女ですよ!うぅ…っ」

スモーカーさんがどんな反応をするかなんて考えていなかった私は、すべて言い切った後にまたこの場から全力で去りたくなる。だが、スモーカーさんがそれを許してくれるわけもないわけで、私は死刑宣告を待つかのようにぎゅっと瞳をつむった。
早くとどめをさしてくれ、と思っていると、伸ばされた手が私の顔を包んで強制的にスモーカーさんの方へと向かされる。交わる鋭い瞳に呼吸を忘れて動けずにいると、私の体にスモーカーさんの腕が回って、二人の距離がゼロになる。何が起こったのか考えようとする前に、私の唇はスモーカーさんに塞がれていた。

触れているのがスモーカーさんの唇だと気づいた頃には、がっちり抱きしめられ身動きが全く取れない状態で、スモーカーさんになされるがまま呼吸を奪われる。与えられる熱に惚けて少し開いた私の口に、容赦なくねじ込まれた舌に思わず声を上げたが、やめてくれる気配は全くない。葉巻とウイスキーが混ざり合った甘いとは言えないキスの味は、交われば交わるほど薄れていった。

「…っは…ま、まって…!」
「ちょっと黙っとけ」

スモーカーさんの体を押して制止しようとするも、止まってくれるはずもなくまた深く口づけられる。頭で理解するよりも早く体の方が今の状況をよく分かっているようで、じわじわと多幸感が溢れ出して脳内を侵略していく。遠慮なんて欠片もないキスに本能がずるずると引きずり出されて、やがて私は恍惚とした意識で唇の感触だけを追っていた。
ちゅ、と音をたてて離れていった唇にぼんやりと名残惜しさを感じていると、スモーカーさんの低い声が間近で響く。

「選べ」
「え…」
「バーで飲み明かすか、おれの部屋に来るか」

キスで溶けていた思考が、瞬時に一部冷静さを取り戻す。スモーカーさんに何を問われてるのか理解した私はまた息を詰めた。

再三言い続けている通り、私は素面で大胆になれるような女では断じてない。目の前に差し出されたのは絞られた二択といえど、私の口からそれを選ぶのはあまりにも勇気が必要すぎて。
その選択お願いだから酔ったふりをしてるときにさせてくれ、と私はまたべそをかいたのだった。


酒は飲んだら呑まれたい


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