思い返してみれば、お姫様に憧れたことなんて一度もなかったような気がする。
買い出しは昨日のうちに済ませてしまったから、観光も盛んなこの島を散歩でもしたいなと思い、ふらりと船を降りてみた今日この頃。観光土産を見つつ、綺麗な街並みを気の赴くままに散策して、昼過ぎぐらいに美味しそうなサンドイッチ屋で昼食を買った。
昼食の紙袋を片手にどこかで休憩をしようと辺りを見渡すと、公園のベンチが目に入る。一つしかないベンチには先客がいたようで、そのかわいらしい姿に歩み寄って声をかけた。
「お隣、座ってもいいかしら」
絵本に夢中になっていた少女は私の声にぱっと顔を上げてこちらを見ると、にこりと花のような笑顔を返してくれる。
「うん!いいよ!」
「ふふ、ありがとう」
少女の隣に腰かけて紙袋からサンドイッチを取り出すと、随分ときらきらした瞳で見つめられてしまって、思わず「一緒に食べる?」と尋ねる。少女は最初は少し遠慮していたようだったが、サンドイッチを差し出すと「ありがとうー!」と弾けるように笑った。
二人で柔らかい太陽の日差しを浴びながらサンドイッチを頬張って談笑している中、少女が先ほどまで読んでいた絵本が視界の端に映る。
「何読んでいたの?」
「おひめさま!」
「お姫様…」
それだけの情報では該当する童話がありすぎて、思わず絵本を覗き込む。ぱらぱらとめくって読んでみたが、知っている作品ではないようだった。しかしストーリー的には王道で、不幸せだった姫が最終的に王子と幸せになり、ハッピーエンドというもの。
少女はよほどこの話が好きなのか、こちらが絵本に興味があると分かるや否や、あのねあのねと小さな頬を桃色に染めて語り始める。
「わたしもね、おひめさまになりたいの!」
「お姫様になりたいんだ」
「うん!ドレスきて、おうじさまとおどって、おうじさまにだっこされたいなあ〜」
小さい子らしい夢に微笑ましくなってゆるゆると笑っていると、最後のページを開いて見せてくる少女。最後のページには、王子に横抱きにされて幸せそうな姫の絵が描いてあった。
「おねえさんは、おひめさまだっこされたことある?」
「お姫様抱っこ?どうだったかしら…」
彼との想い出を辿ってみるが、それらしき記憶は見当たらない。そもそも、今や片腕となってしまった彼にお姫様抱っこをしてもらうのは無理だった。
「うーん、ないかも」
「そっかあ〜…。わたしはね、パパにやってもらったんだけど、おうじさまじゃないからぜんぜんうれしくなかった」
「王子様じゃないといやなのね」
心の中でパパどんまいと思ったが、子供の純粋な夢を説き伏せるのも違う気がして口を噤む。浮いた足をぷらぷらさせながら「おうじさまいないかなあ〜」とぼやく少女に「きっといつかあなただけの王子様がくると思うわ」と諭して、残りのサンドイッチを口に放り込んだ。律儀にごちそうさまでしたと手を合わせる少女に続いて、自分も手を合わせる。
小さな口の周りについたマヨネーズをハンカチで拭ってあげていると、不意に女性の声が響いた。その声が呼んだのは少女の名前だったようで、声がする方に視線を向けた少女は「ママだ!」と明るい声をあげる。
「おねえさん、サンドイッチありがとう!」
「どういたしまして。こちらこそ、お話してくれてありがとう」
ベンチを降りて絵本を抱えた少女が、ぺこりとお辞儀をする。少女の母親に視線を向けると、同じように頭を下げられて軽く応える。少女は母親の元まで駆け寄ると、もう一度こちらを振り返って大きく手を振った。
「おねえさんも!おうじさまにあえるといいね!」
きらきらとした送り言葉に手を振って応える。母親と帰っていく後ろ姿を見つめて、少女の姿が見えなくなったところで、彼の姿を思い浮かべてつい苦笑した。
「王子って柄じゃないのよね…」
身なりを整えて立ち上がり、そろそろ自分も船に戻ろうかと公園を出る。港の方角を確認したところで、遠くから聞こえてくる喧騒に思わず足を止めた。
よく聞いてみると喧騒が段々と近づいてくるようで、その方角に体を向ける。目をこらしていると、曲がり角から飛び出してきたのはよく知る人物らで。
「シャンクス!?」
「お、名前!」
後ろにいるのは紛れもなく海兵たちだ。どうやら面倒ごとを引っ提げてきたらしい。思わずめまいがしてどうしたものかと思っていると、近くに迫ってきていた彼が大きく笑う。
「逃げるぞ!」
「えっ!?」
走る準備はできていたのだが、伸ばされた腕にひょいと抱えられて、慌てて彼の首にしがみつく。最初こそ驚いたが、すぐ揺れる感覚には慣れて、のんびりと後ろの風景を見渡した。呆れたように眉を上げた右腕と目が合って、その心労を察する。片手間に海兵の相手をしている右腕を見ながら、その海兵の多さに思わずこちらもため息が出た。
「随分と大漁ねえ…」
「そーなんだ。結構釣れちまった!」
だっはっはっはっと豪快に笑う彼に、ついつられて笑ってしまう。先ほどまでの穏やかな時間は一体何だったんだろうか。ふと、絵本の王子様とお姫様がよみがえって、私は彼の首に強く抱き着く。
お姫様抱っこはもうしてもらえそうにないが、別に私はお姫様ではないし、彼も王子様ではないのだから、海賊の私たちはきっとこれで充分だ。
「シャンクス、落とさないでね」
「おれが落としたことあったか?」
「あら、投げられたことはあったわ」
なんて昔話をしながら、私たちは港へと全力で逃げるのだった。後で副船長様のお説教が待っていそうだと思ったが、目の前の彼はすごく楽しそうだから水を差さないでおいてあげるとしよう。
*捧げ物
ガラスの靴は走りにくい
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