a/hanagokoro/novel/1/?index=1
TopMain青天に映す憧憬
久々の非番。だというのに惰眠を貪ることなくいつも通りに起きる体はもうどうしようもない気がする。非番だし、朝早く起きてしまったし、何でもし放題だとわくわくしたのもつかの間。何かをする前に体を動かしたい欲求が湧き上がってきてしまった私の足は、トレーニングルームへと向かっていた。

「(普段と変わらない朝を過ごしているような…)」

窓から差し込む健康的な朝陽にすっきりした気持ちになりながら、渡り廊下を歩いていく。見知った顔とすれ違うと、非番ではなかったのかと不思議そうに問われるので「いつも通り起きてしまったので」と返す。同僚は真面目だな、と苦笑してから自分の業務へと戻っていった。
訓練なら普段死ぬほど行っているが、自己鍛錬となるとまた話は別で。好き勝手に体を動かせると思うと心持ちが全く違う。うきうきとしながらトレーニングルームの扉に手をかけると、中から物音がすることに気が付く。私以外にも来てる人いるんだなあとぼんやり思いながら扉を開けると、予想していなかった先客で思わず飛び上がった。

目の前で繰り広げられる素早い組手に釘付けになる。後ろ手に扉を閉めて、物音を立てないように入口で突っ立ったまま観戦していると、案外早く決着がついた。ダンッ、と大きな音と共に床に叩きつけられた少佐が「だあっ!」と悔しさが滲んだ声を漏らす。勝負の決着につい喉奥で止めていた息を吐きだせば、大佐がぱっと顔を上げた。

「あれ、名前さん」
「お、おはようございます!」
「おはようございます」

あんなに激しく動いていたというのに、浮かべる笑顔の清涼さに尊敬の念を抱く。あの程度では息も上がらないなんて。先ほど浴びた朝陽のように眩しいその笑顔に思わず顔を逸らすと、床に転がっている少佐と目が合った。

「さすが…お見事ですね大佐」
「おい、ニヤニヤすんじゃねェ」

改めて少佐を床に転がす大佐の鮮やかな体術に感嘆の声を漏らせば、少佐から不満の声が飛んできた。私にバカにされても起き上がる気力がないのか、少佐はごろごろ転がりながら「あ〜負けた〜」と呻いている。ちょっと面白い。大佐も少佐の様子を横目に笑みを零しながら時計を一瞥すると、何か用があるのか身支度をし始める。

「付き合ってくれてありがとうございましたヘルメッポさん」
「おー」
「名前さんもこれから鍛錬ですか?」
「は、はい」
「明日から遠征ですし、無理は禁物でお願いします」
「承知です」

大佐は「じゃあ、お先に失礼します」と一礼して足早にトレーニングルームを出て行く。少ししか話できなかった、という欲深さが僅かに顔を覗かせたが、非番の朝に少し話ができただけでも凄いことなのだ。あの様子だとこれから会議か何かだろう。残念に思う気持ちを押さえつけていると、ようやく体を起こした少佐が気怠そうに頭を掻く。

「少佐はこの後大丈夫なんですか」
「おれは昼の演習まで休みなんだよ。二度寝しようとしたところコビーに捕まっちまった」
「あ、そうだったんですか」

なんだかんだ断らずに付き合ってあげるところが少佐らしい。大佐が気兼ねなく鍛錬に誘うのも少佐だからなんだろうな、とほんのり羨ましい気持ちも芽生えた。分不相応の望みであるため、決して口には出さないけれど。大佐が去っていった扉を見つめてそんなことを考えていると、よっこいしょ、と立ち上がった少佐が何故か呆れ顔で私を見下ろす。

「お前非番じゃなかったか?」
「非番ですけど…早く目が覚めたので」
「ここにも鍛錬バカがいやがったか…」
「バカで悪かったですね」

少佐も大佐ほどではないが、人と比べたら鍛錬バカの部類に入るだろうに。無自覚なのだろうか。いてて、と呟きながら体を解していた少佐が深いため息をつく。

「ったく…コビーのやつ、手加減しねェからな…」
「手加減されたら少佐怒りますよね?」
「怒るな」
「じゃあよかったですね」
「お前さっきから楽しんでるだろ」

堪えきれずに笑うと、軽く頭を叩かれた。本気で二人が組み合っているのも貴重であるし、負けて転がっている少佐も見るのも中々に貴重で、大変良いものが見られたと思っている。先ほどから二人の仲の良さも節々に感じて、意図せず見せつけられている気持ちにすらなった。

「それにしてもやっぱり大佐はお強いですね」
「まあ〜、な。すっかり見惚れてたもんな、お前」
「なっ…!」

確かに素早い身のこなしに惚れ惚れしてしまったが、少佐の揶揄には思わず否定したい気持ちになる。決してそんなやましい目で見ていたわけではない。…私に挨拶してくれた大佐の笑顔にはくらっときてしまったけれど。動揺する私を少佐は鼻で笑うと、私の額を軽く小突いた。

「お前戦闘中にも見惚れてるんじゃねェだろうな。そんなんで怪我しても知らねェぞ」
「し、しません!」

正直に言うと、戦闘中に見惚れたことは、ある。見惚れた、というより目を奪われたの方が正しい気がするが。

油断をしていたわけではなかった。ただ目の前の相手に精一杯で視界の端から来る攻撃まで意識が行き届いていなかった。ガッ、という鈍い音と、コートが風に靡く音。振り返ると、大佐の姿で視界がいっぱいになった。
空の青と、正義の二文字。陽の光に透かされて透明感を帯びた大佐の柔らかい桃色の髪は、まるで宝石のようだった。
鮮やかに敵をなぎ倒して見せたその背中に湧き上がるのは、鮮烈な憧れ。

強い。強くなりたい。

焦がれるほどに湧き上がる気持ちに奥歯を噛みしめる。大丈夫でしたか、と心配する大佐の声すら遠くに聞こえるほど頭が熱くなった。

戦場で大佐の活躍を目の当たりにするたびに、いつも同じ感覚に陥る。強くなりたい。私も、強く。青に映えたあの背中を思いだすたびに、自分の中の何かが震えた。

「……私も、頑張らなきゃ、とは思います」
「んあ?」

急に低くなった私の声を上手く聞き取れなかった少佐は間抜けな顔をしていたが、私の表情に気が付いて目を瞬かせる。

「置いて行かれたくは、ないので」
「……」
「足手まといには絶対なりたくないです」

タオルを握る手に力が入る。望んだところで一足飛びに強くなるわけじゃない。今はただ積み重ねるしかないのだ。俯いて決意を新たにしていると、急にばちんと背中を叩かれてつんのめる。急に何を、と叩いた張本人に文句を言ってやろうと振り返れば、少佐が憎たらしい笑みを浮かべていた。

「じゃあこれまで以上にビシバシやってかなきゃだな」
「そーですね!もちろん、少佐が相手してくれるんですよね」
「泣きっ面かくなよ」
「少佐こそ!」

大佐の夢を支えたいとか、隣に立ちたいとかそんな大層なことは望んでなくて。ただ、大佐の夢が叶った瞬間を近くで見ていたいから。せめて振り落とされないように、置いて行かれないように。瞼の裏に焼き付いた憧れを抱いて、少佐に掴みかかった。

*捧げ物


青天に映す憧憬


prev │ main │ next