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TopMain胸花と後悔
私と彼を繋いでいた細い糸は、冷えた空気にさらわれて音もなくほどけた。

卒業式に泣いてる自分が想像できなかった私は案の定、式が終わっても泣けずにいた。
形式のように仲の良い友達らと写真を撮り、卒業アルバムの後ろに一言を書いてもらう作業の繰り返し。何を書こう、と私の卒業アルバムとにらめっこをしている友達を待ちながら、手持ち無沙汰になった私は人がまばらな教室を見渡した。彼の姿は見えなかった。

やがてこの教室にいる子たちはコンプリートしたらしい友達が「他クラスに行こうよ!」と私の腕を引く。引かれるがまま他クラス巡りに付き合っている中、ドアをくぐっては教室に彼の姿を探している自分がいた。
もう帰ってしまったのだろうかと思い始めたときに、三つか四つ目の他クラスでようやく彼を見つけた。
彼は、彼とよく話しているのを見かける、いつもの仲の良い友達らと雑談しているようだった。

「あ、ロロノアじゃ〜ん!これ書いて!」

もはや卒業アルバムに書いてもらうコメントをスタンプラリーか何かだと思っている友達が、ずかずかと乗り込んでいく。大して仲が良くなかった人たちにも恐れることなく声をかけれる性分は、今の私には羨ましく思えた。臆病な私は友達に乗じて、そっと輪に歩み寄る。

「あ?書けって何をだよ」
「なんかあるでしょ、なんでもいいよ」
「なんもねェよ」
「ひっど〜い!じゃあいいよ、名前だけでもいいから書いといて」

渡されたペンを受け取り、至極めんどくさそうに自分の名前を書いていく彼。落ち着かない気持ちでそれを見つめてると、やがて書き終わった彼が顔を上げて私の方をちらりと見やる。

「お前もか?」

ドキリ、と心臓が跳ねて上手く思考がまとまらない。本当に臆病でバカな私はそこでも自分の気持ちに素直になることができずに、曖昧な言葉を吐き出していた。

「あ、うん、じゃあせっかくだし書いてもらおうかな」

アルバムを開いて渡すと、彼は眉一つ動かさずに私のアルバムに名前を書き込んだ。多分、アルバムを持つ私の手が小さく震えていたことなんて、気づいていないんだろう。

「ん、」と彼から差し出された私のアルバムをまたもや微妙な笑顔で受け取って、私は友達に腕を引かれるがままに教室を去った。

それからしばらくして、長らく学校に居座っていた私たちはようやく校舎を後にした。
ご飯はどこに食べに行こうか、なんて話している友達らの声を聞き流しながら、来た道を振り返る。既に見えなくなった校舎に、ふっとこみあげた喪失感がじわじわと心に広がっていく。

もう、あの教室にこの制服を着て戻ることはないのだと思い知らされる。私が彼の姿を見ることも、恐らくないのだろう。

彼と隣の席になったのは高校生活の中で一度きりだった。隣といっても、かなり間の空いた隣の席の彼とはそんなに頻繁に言葉を交わすことはなく、授業中に必要になったときだけ話していたぐらいだった。

だけど、好きだった。どうしてとかどこがとか、理由付けができるほど私と彼の関係は深いものでなかったが、好きであったことは確かだった。
もう彼の寝息を聞くことも、遠目から彼を探すことも、彼の名前を見つけて小さな喜びを感じることも、叶わないのかと思うと息がしづらくなる。
彼と無条件に同じ空間にいられるあの小さな教室に甘えて、何もしなかった愚かな私が泣いていいわけがない。それなのに、弱い私の瞳からは涙が落ちた。

「…えっ、あれ!?泣いてる!?」
「どうしたどうした!急に卒業が嫌になっちゃった?」

顔を覆って泣きだした私を友達らが励ましてくれたが、余計に情けなくなって涙が溢れる。

彼に私から話しかけられていたら、私の想いを告げていたら、もしかしたら私の卒業アルバムには彼の連絡先が書かれていたかもしれないのに。
もしも話ばかりが尽きなくて、後悔しか溢れなくて、それでも私はあの校舎にさよならをしたのだから、胸に付けた花を抱えて前を見なければならないなんて。随分と世界は容赦なく残酷なものらしい。

桜もまだ咲かない肌寒い季節に、私は永遠なんてないと思い知るのだった。


胸花と後悔


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