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ベルフェゴール様、16歳の時。一番奔放だったように思う。もちろん、悪い意味で。

とにかくメイドを食い荒らしている時期だった。気分や機嫌によって手を出すメイドも、抱き方も違っていたようで、被害者は増えていくばかりだった。顔を覆って部屋を出てくるメイド、退職を願い出てくるメイド、逆に入れ込んで痛い目を見たメイド、一度限りでも抱かれたことを誇るメイド。私は同僚たちを横目に自分だけは手を出されないことを本気で祈っていた。

私のみ奇跡的回避、なんてことも起こるわけがなく、祈り虚しく私も例にもれず手をつけられた。始終半泣きだったことを私は多分一生忘れない。過度な暴力や暴言を振るわれたわけではなかったが、思いやりがなかったのも事実だ。別に、私はベルフェゴール様を想っていたわけでもない。これだったらスクアーロ様に手を出されたかったとぼんやりと頭の片隅で思っていた気がする。

一度抱いたことによって、きっとベルフェゴール様の興味は失せるだろう。もうあのような思いをせずとも済む。とか考えていた私が馬鹿だった。これこそが悪夢の始まりだったのだ。

何の因果か分からないが、私は何故か、何故かベルフェゴール様に気に入られてしまった。二度目を呼びつけられたときの私の絶望っぷりと言ったらない。
ベルフェゴール様が他のメイドにも手を出し続けているのは相変わらずだったのだが、私のみ不定期で複数回呼びつけられる。もちろん、一度で済まなかったものは他にもいた。しかし、私ほど長続きしているのは初めてだった。
もしかして、気に入られてるのでは。そんな予測が立った時、同僚たちから哀れみの視線を向けられた。やめてくれ、私が一番この事実に嘆いているのだ。


ベルフェゴール様、18歳の時。

相変わらず私は不定期に呼ばれていた。数か月呼ばれないときもあれば、数週間で呼ばれることもあった。他のメイドが被害にあう機会は反比例するように減っていたように思える。

ベルフェゴール様の部屋にいると、たまに話しかけられることがある。たわいもないことだ。「明日の朝食なに」とか「スクアーロ今日キレてた?」とか。私が返答すると大抵「ふーん」としか返ってこないので、別に話が弾むわけでもない。それでもちょっと懐かれているのかもしれない、という自覚は芽生え始めてきていた。

そのころ、あるヴァリアーの隊員と少し距離が近くなったことがあった。たまたま話しかけられて、たまたま話が弾んで。それから私を見かけると声をかけてくれて。普通にかっこよくて、普通に優しくて面白い人だった。私もその気になってもいいかも、ぐらいには思っていた。だが、嵐とは突然にやってくるものなのだ。

私と隊員が仲良さげにいしているところ見ていたらしいベルフェゴール様がその隊員を半殺しにするという事件が起きた。ショックなんてものではない。目の前が真っ暗になった。
その場に居合わせたスクアーロ様が止めたから半殺しでは済んだものの、止められていなければ多分殺していただろう。ああもうほんとうに、なんなんだ一体。

最終的に湧いてきたのは怒りだった。ベルフェゴール様に荒々しく腕を引かれたときに、その怒りは大爆発した。

「私ベルフェゴール様の恋人でもなんでもないじゃないですか!!」

みっともなく大号泣しながら叫ぶと、ベルフェゴール様が驚いた気配がした。髪で隠れているせいでよくわからないが、急に目の前で成人女性がわんわん泣き始めたのだから多分驚いていただろう。
私は、叫んだあとで思いだしたのだ。目の前のこの人が暗殺者であることを。こんな、大声出して、歯向かうようなこと言って。…殺される。背筋がすぅっと冷えていくのを、まざまざと感じた。

流れる沈黙に震えてると、ベルフェゴール様が私の顔を覗き込んだ。

「恋人ならいーわけ?」
「え……」
「恋人なら王子が独占しても、泣かない?」

ベルフェゴール様の声音は怒っているわけでも、楽しんでいるわけでもなく。淡々と私に問いかける。

「だ…だって、それは…恋人ですし……。でもこんなことされたらさすがに恋人でも泣くとは思います…」
「ふーん。じゃあ王子の恋人になって」
「ええっ!?や、でも、あの、恋人って双方の合意があってですね、」
「王子の恋人、嫌?」

目の前のこの人は私をいつも好き勝手に抱くのに、人を殺して快楽を得るような人なのに。その時ばかりは無垢な子供のように思えてしまって、どうしても嫌と言い切ることが私にはできなかった。
嫌と言ったら殺されるかも、という考えがなかったわけではない。だがそれよりも、利己的なものではない何かに動かされて、私はからからに乾いた喉から「嫌じゃ…ない、です…」と絞り出していた。


ベルフェゴール様、19歳の時。

恋人、というものになってからも、びくびくしながら抱かれるのは別に変わっていなかった。変わったことと言えば、話す時間がほんの少し増えたことだろうか。

「それ、やだ」
「え?な、何がですか」
「敬語。あと呼び方」
「いや、メイドの身ですし…」
「でも王子の恋人なんじゃねーの」

そんな無礼千万な口きいたらメイド長に殺される。でもやらないとベルフェゴール様に殺される。だったらまずは目前の命の確保だ。

「ベ…ベル……」
「お、いーじゃん」
「…ベ、ル。お願いがありま、…あるんだけど」
「なに」
「二人の時だけでも、いい?」

ベルフェゴール様はうーんと唸ったが、やがて納得したのか「いーよ」と頷いた。なんとかメイド長にも殺されずに済みそうだ。くるくると、ベルフェゴール様の指先が私の髪の毛を弄る。

「な、もっかい呼んで」
「え?……ベル、」

満足そうに笑ったベルが、ちょっとかわいいかもなんて。もしかして私、ほだされている?


ベル、22歳の時。

ベルの態度が緩やかに、柔らかいものになっていってるのを感じていた。それに合わせて、私も身を強張らせることが少なくなった。
部屋に行った時も雑談が多くなった。「今日はレヴィがうるさかった」とか「ボスが珍しく褒めてくれた」とか。私がベルの話に笑うと、ベルも笑い返してくれたりするのだ。ベルと部屋で過ごす時間が、私はそこまで苦にならなくなってきていた。

同僚たちもベルが落ち着いてくれたのと同時に、私が憂鬱そうな顔を見せなくなったことを、素直に喜んでくれた。メイド長にどうやって懐柔したのか、と至極不思議そうに問われたが、そんなの私が知りたかった。

スクアーロ様には問題の一件以来、何かと気にかけてもらっていたのだが「最近大丈夫か」と訊かれた時も素直に頷くことができている。だって本当に、大丈夫なのだ。


ベル、24歳の時。

甘い。ベルの態度も、台詞も。それに対する私の胸の高鳴りも。甘いのだ、何もかも。今更ながらベルに恋してるような感覚を覚えて、私はかなり戸惑っている。

この前も任務に行く前に「いー子にしてろよ」と額にキスをくらったときには、耐えがたい胸の疼きに思わずその場でうずくまった。任務から帰ってきて「いー子にしてた?」と聞かれたときには、久しぶりに会えた嬉しさや胸の高鳴りで思考が鈍り「た、たぶん」と震える声で返事をした。

もはや同僚やスクアーロ様たち幹部にもただのカップルとして扱われている現状。経緯があるだけに、こそばゆくて仕方なかった。舞い上がりそうなほど嬉しいのも確かで、どうしたらいいのか本当に分からない。

だってベルが、私に対して優しく触れるのだ。優しく、愛おしそうに触れられてしまったら、そんなの感化されてしまうに決まっている。やけに「かわいい」って言ってくれるし、抱きしめてくれるし、手握ってくれるし。
ここまでくるともう認めざるを得なくて、ある時「好き」と呟いたら「オレも」とキスされてしまった。こ、こんなことがあっていいのか。幸せすぎて、どうにかなってしまいそうだった。


ベルは今年で26歳になった。

任務から帰還したベルは早々に私を部屋に呼んだ。乱雑にコートを脱ぎすてて大きなため息をつきながら、ベッドに腰かけていた私の膝に頭をのせてくる。

「は〜、つっかれた」
「おつかれ。今回は…フラン様と一緒だっけ」
「そー。あいつの尻拭いマジでもうやめてえんだけど。あのクソガエル…」

ぶつぶつとフラン様に対する不満を呟きながら私の腰に手を回して抱きついてくるベル。幼子のようなそれがかわいくて、ついふわふわと揺れるブロンドを優しく撫でる。ベルは特に何も言わずに私の手を受け入れた。

「フラン様、ベルにだけよく甘えるよね。懐かれてるんじゃない?」
「甘え〜?ざっけんな、クソガエルに甘えられて嬉しいことなんてひとつもあるかよ」

嬉しいことはないが嫌でもないんじゃなかろうか。ベルはそこそこフラン様のことは気に入っているようだったし。それを口に出しても素直に認めるとも思えないので黙っておくことにする。
ふと、私のお腹に顔を埋めていたベルがごろんと顔をこちらに向けてきたかと思うと、不機嫌そうな声音。

「つか、なんか名前がフランのこと様付けで呼ぶの腹立つ」
「ベルのこともベルフェゴール様って呼ぼうか?」

からかうように言うと、ベルの口の端が案の定面白くなさげに下がる。

「ぜってーやだ」
「じゃあフラン様のお許しが出たらフランって呼ぶ?」
「呼び捨ては呼び捨てでムカつく」
「わがまま」
「王子だもん」

なんて二人で冗談を転がして遊んでいると、不意にベルの手が私に伸びる。何かと思えば、ベルの指先は私の首にかかるネックレスを捉えた。

「似合うじゃん」

それはベルがこの前なんの前触れもなく贈ってくれたものだった。驚いたもののベルの気まぐれは今に始まったことではない。輝く石に値段のことを考えて気が遠くなったが、そういうこと言うとベルは機嫌を損ねる。素直にお礼だけ言って受け取ったのがついこの間。
センスの良さは抜群のベルが選んだネックレスは気に入らないわけがない。つけないとむすっとするしな、なんて言い聞かせて浮かれ気分でつけてしまったのが今日の朝。そんなこと知る由もないのに、ベルの一言はすべて見透かしてくるようで耳の淵まで熱くなる。

ネックレスを指先で弄ぶベルに恥ずかしくなって何も返せずにいると、当然のようにその口元には意地の悪い笑みが浮かぶ。
思わず前倒しに折っていた体を元に戻して視線を天井に向けると、膝の上でごろごろしていたベルが素早く身を起こして私の肩を掴む。抵抗する間もなく唇を奪われて、思わずベルの服を掴んだ。

「かわいー」

ししっと愉しげに笑ったベルの手の甲が、私の頬を撫でる。逃げ場のない甘ったるい空間に耐えきれず、どうしたものかと思っていると自然な流れでベッドに押し倒される。
事が進むのかと思って身構えると、そんなことは無くただ抱きしめられて二人身を寄せる形になった。最近のベルは、こうしてるだけなのも結構好きらしい。それは私も一緒だった。
私を包む穏やかな熱とベルの匂い。あまりにも幸せだと、不意にこの瞬間が非現実的なものに思えてしまうのは、防衛本能だろうか。瞳を閉じると、先程の「ベルフェゴール様」という響きが頭の中にこだました。

昔はベルに対して冗談なんて死んでも言えなかった。文字通り、死ぬと思っていたし。
ベルフェゴール様、と呼んでいたのはまだ私たちの関係がぎこちなかった頃だ。口に出してみると、昔の記憶が鮮明によみがえる。様付けの響きのほうが懐かしく思うなんて、多分あの頃は想像もつかなかった。

本当に、ベルは優しくなった。びっくりするくらい。誰に対してもと言われるとそういうわけじゃなくて、私に対して、優しくなった。たまに、いや、最近幸せを感じるたび頻繁に、疑問に思うことがある。なぜ私だったのか。今ならそれを訊いてもいい気がした。

「ずっと思ってたんだけど、訊いてもいい?」
「ん?なに」
「優しく…なったよね、ベル。昔からは考えられないくらい」

私の髪を梳いていたベルの手が止まる。ややあってからベルのなんとも言えない声。

「あー……オレも大人になったんじゃね?」
「なんで他人事…」
「だって分かんねーもん」

嘘をついているとかそういう感じではないので、どうやら本音らしい。くるくると私の髪先を弄んでるベルの手をそっと握ると、ベルがぱちんと目を瞬かせた気配。なんか、そういうのもよく分かるようになってしまった。

「なんで私だったの?」
「……顔?」
「ええ…美人なら他にもいくらでもいるでしょ……」
「他にもあんだよ、多分」
「他って?」

図々しいとは思いつつ追及すると、ベルは特段嫌そうなそぶりは見せずに真面目に考えてくれているようだった。

「…声がキンキンしねーとこ。ウザくないとこ。表情がころっころ変わるとこ、」
「い、意外とある」
「あとあれ、オレにキレたとき」

キレた、と言われて思い当たるのは忘れもしないあの事件しかない。

「泣いた顔もかわいー、って思ってたんだよな、確か」
「あ、悪趣味…!」

全然悪びれてなさそうなベルを見ると、やはりあの頃と性根は全く変わっていないことを感じる。恨みがましく見つめると、ベルは「あー、でも」と首をひねった。

「そん時は泣き顔かわいーって思ってたけど、今はあんま見たくねー…かも?」

本当に大真面目にそんなことを言うから、唐突に胸が締め付けられてしまった。ベルは何の他意もなく言ったんだろうけど、それって、それって。

「あい、みたい……」

口にした途端とんでもない羞恥が襲ってきたのでやっぱり言わなければよかった、と激しく後悔した。ベルはと言えば、まばたきみっつほど、何も言わなかった。
あまりにも気まずさに部屋出ていこうかな、と現実逃避した瞬間、ベルがばっと体を起こして私に覆いかぶさってくる。驚いて見上げると、それはそれはご機嫌そうな笑顔が目に入った。

「さっきの答え出たな」
「へっ?」
「オレが名前に優しくなった理由」

今度は私が目を瞬かせる番。ぽかん、としてるとベルの手が私の頬を包む。

「愛しちゃったからだろ」

次の瞬間には私の目元をブロンドがくすぐり、唇は重ねられていた。やっぱり、幸せすぎるから夢なんじゃないだろうか。本当は、この手に怯えきっていたあの頃のままなのかもしれない。目を開けたら、幼い王子が不愛想に私を組み敷いてるのかも。

そうだとしても、構わない。だって、どうせ愛してしまうんだから。

「そーなると次は指輪だな」
「……えっっ」
「今のうちにサイズ測っとくか」
「ちょ、まって…!」

慌てて体を起こすと、さっそく私の指の付け根を撫でていたベルがこてんと首をかしげた。

「嫌?」
「嫌、じゃない、けど…」

なんか既視感。こんなやりとり前にも。

「じゃあ嬉しい?」

声にならなくて、必死に頷いた。過去に、同じ問答をした時には嬉しいなんて、無縁の感情だったのに。ぽろぽろと流れる涙をどうしたらいいかわからず、うろたえる私の目尻にベルがキスを落とす。

「ん〜…前言撤回」
「え…?」
「やっぱ泣き顔もかわい」
「…これは、嬉し涙」
「どーりで」

かわいいわけだ、とご機嫌そうなベルにまた唇を奪われてそのままベッドに倒れこむ。このままどこまでも落ちていけそう。なんて馬鹿らしいことを考えるくらいには、浮かれてる。
ルッスーリア様がいつだったか言ってたかも。「愛のパワーは無敵よ〜」って。ルッスーリア様ってなんだかんだいつも真理つくんだよなあ、ってブロンドのこそばゆさを感じながら頭の隅で思ったのだった。


塵も積もれば愛となる


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