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TopMain燃ゆる名
澄んだ空気が冷たく肌を包む、空が高い、秋。

煉獄さんは鍛錬を終えて一息つく私をじっと見下ろす。何か変なところでもあっただろうか。訓練は、いつも通り行ったはずだけれど。相変わらず考えの読めない瞳。こういう時は変に先走ると勘違いの連鎖が発生すると身をもって経験したことがあるので、煉獄さんが何か言うまで辛抱強く待った。

「名前、身丈を測ろう」
「…へっ?身丈?」

あまりにも予想外の話題に、呆けた顔をしてしまう。身丈なんて何のために。空っぽの頭の中をくるくると疑問符が回る。すると、煉獄さんがふっと笑って私の肩に大きな手を置いた。

「羽織を仕立てよう、お前の」
「羽織…、えっ!私のですか!?」
「そうだ」

煉獄さんはにこやかに頷く。羽織って、煉獄さんと同じもの!?一瞬にして跳ね上がりそうなくらい嬉しくなってしまったが、まだそうと決まった訳では無い。自身に言い聞かせながら気持ちを落ち着けて、緩みそうになる口元を押さえた。

「訓練後の体を冷やすのもよくない。中に入るぞ」
「あっ、はい!」

一旦話を切り上げて屋敷の中へと入る煉獄さんの背を、慌てて追いかける。別に部屋に入ってからゆっくり尋ねてもよかったのだが、我慢のきかない私はじれったくて「あの!」と歩きながら煉獄さんの背中に問う。

「なんで羽織を?随分と、突然のようでしたけど」
「うむ。これからどんどん寒くなると思ってな」
「…それだけですか?」

なんか納得がいかなくて首を傾げると、煉獄さんも同じように首を捻る。

「た、例えば!私を一人前として認めてくれたからなのかなーとか、思ったり…」
「名前のことはとうに一人前の剣士だと思っている」
「うっ……」

思わぬ不意打ちで思わず胸を押さえる。誰でもない、煉獄さんの言葉だ。何よりも私を揺さぶる威力を持っているのだが、本人は全く自覚する様子がない。

「そう身構えるな。ただの俺からの贈り物だ、普通に受け取ってくれ」
「…はい、そりゃあもう、喜んで」

恥ずかしさをひた隠しにしたせいで、少し答える声が小さくなってしまった。贈り物、なんて言われるともう浮かれ具合が頂に達する。受け取ったとき、私ったら泣きやしないか心配だ。一生大事にしよう、とまだ作ってもらってすらいないのに心に決めた。
部屋に入ると、煉獄さんが物差しを持ってきて、私の身丈を測り始める。

「特に要望が無ければ俺と同じようなものにするが…、何かあるか?」
「……ひとつだけ、いいですか?」
「ああ」

作ってもらうのに注文をつけるなんて恐れ多いとは思ったが、どうしてもお願いしたいことが、ひとつだけあった。

「羽織の内側に、煉獄さんの御名前入れたいです」
「俺の名前?名前のではなくてか」
「はい。……やっぱり、駄目…ですかね」

不安になって畳に視線を落とすと、煉獄さんの手が私の背をぽんぽんと優しく撫でる。顔を上げると、煉獄さんの柔らかい瞳と目が合った。

「別に俺は構わない。俺の名前だな、承知した」
「ありがとうございます!」

勢いよく頭を下げると「こら、測っている最中だ」と怒られたので、慌てて背筋を伸ばす。

「しかし…羽織の裏に俺の名前が入っていると俺のと間違えられるやもしれんな」
「大きさでわかりますよ。煉獄さんこんなに小さくないし」

それもそうだ、と溌溂と笑う煉獄さんにつられて私も笑ってしまう。やがて私の丈を一通り測り終えた煉獄さんは適当な紙に書き留めると、物差しを片付けに行った。
気が早すぎるにもほどがあるが、今から仕立て上がるのが楽しみで仕方ない。変にそわそわしていると、戻ってきた煉獄さんが私の隣に腰を下ろす。他に改まった話でもあるのだろうか、と姿勢を正すと煉獄さんが静かに切り出した。

「聞いても構わないか?何故、俺の名を?」
「えっっ……が、頑張れるからです」

何故、と言われると困るものがあった。答えた内容は嘘ではない。煉獄さんの名前が内に入っていたら頑張れる気がしたから、そう思ったのだ。しかし、正確に言葉にするのが難しい。
私がうんうん唸っている間、煉獄さんは何も言わずに黙って待ってくれた。曖昧で複雑な心の内、でも選ぶ言葉を間違えてはいけないと、私はゆっくりひとつずつ拾い上げていく。

「…煉獄さんはそれこそ、私にとって灯火みたいな人だから…。煉獄さんの御名前が傍にあるってだけで、きっと私の心を熱く燃やします!」
「…そうか」

受け止めてくれた煉獄さんの声音はひどく優しくて、後からじわじわと羞恥が押し寄せる。

「……ちょっと恥ずかしいこと言ったかもしれないです」
「だが、俺は嬉しいぞ」

素直に告げると、間髪入れずに返ってきた煉獄さんの言葉に耳まで顔が熱くなった。本当にこの人は羞恥という感情がないのではないだろうか。でも、私の言葉を、気持ちを受け止めて、嬉しいと言ってくれた煉獄さんの言葉に偽りはないだろうから。
そう考えるとばかみたいに嬉しくて。にやけそうになるのを必死で堪えていると、煉獄さんの唐突な「腹が減ったな!」という元気な申告に、顔の熱はすぐ吹っ飛んだのだった。

***


煉獄さんの訃報を聞いたとき、私は別の任務に赴いている最中だった。鬼を斬り終えて、一息をつかないときに聞かされたそれは、あまりにも現実味がなく、私はただただその場に立ち尽くした。
何かの、間違いかも。訃報の字面だけがふわふわと脳内に浮かぶ。そのまま煉獄邸に駆けつけて、動かなくなった煉獄さんを見て、初めて、初めてもう声を聞くことが二度とできないのだと分かった。

葬式も煉獄さんの遺品整理も手伝った。何もかもが灰色で、どうしようもなかったけど、手を動かさないではいられなかった。ひと段落する頃には次の指令が届いて、時の流れの残酷さに心が冷えた。死って、なんだか鉛みたいだ。

槇寿郎様と千寿郎くんに挨拶を終えて、旅立とうとすると千寿郎くんがわざわざ見送りに出てきてくれた。誰よりも悲しいだろうに、こんな時まで働いて休まないその姿は少々痛ましい。
千寿郎くんの切り火を受けて、背を向けたその時「あの、」とか細い声が私を呼びとめる。振り返ると、千寿郎くんは涙を零しながら笑った。

「羽織、似合っています。とても」

涙は、反射的にこぼれた。ぼろぼろと、いくつもの粒が落ちて、喉が熱くなる。

煉獄さんがこの羽織を仕立ててくれた時から、私はずっと誇りで、自慢で。これを着て貴方の隣に立てることが何よりも嬉しくて。貴方の名が入った、貴方と同じ、炎の羽織。
この羽織が似合うほど、私は成長できたのだろうか。少しでも、あの背に近づけたのだろうか。

あまり喋れそうな状態ではなかったが、伝えないと。千寿郎くんの小さな手を握り、思いが少しでも伝わるようにぼやける視界の中、真っすぐに千寿郎くんの瞳を見つめる。

「…〜っ、わたし、がんばりますっ!杏寿郎さんの分も、頑張って、頑張ります!炎を燃やし続けて、私は!生きます!!」
「……ありがとう、ございます……。はい、頑張ってください、頑張って…、お気をつけて…っ」

二人で手を繋いで、しばらく泣いた。
落ち着いた頃に、そんな顔では出発できないと千寿郎くんに顔を拭われて、泣きはらした目のまま私は煉獄邸を発った。


羽織の裏を見ると「煉獄杏寿郎」と、その名がしかと刻まれている。
墓石に刻まれる人の名は、冷たく、何も思わせないほど無機質なものだと思っていた。しかし「煉獄杏寿郎」の名は、熱い。
熱を持った名は、火の粉が燃え移るように私の心も熱くする。死してなお、この人はこんなにも…──燃え上がるのか。

私は、生きます。炎を胸に、心を燃やして、頑張って生きていきます。
私の心を熱くする偉大な人。どうか、安らかで。炎は私が、あなたを想う皆が、受け継ぎます。

さいごに、ひとつだけ。
貴方と、いくつもの時を共にできたこと、私はこれ以上にないほど、幸せでした。

ほんとうに、しあわせでした。

*捧げ物


燃ゆる名


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