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TopMainとある朝の応酬
体に染みついた、忌々しいアラームの音。私がセットしたものではないので、止めるとなると彼の携帯が置いてあるサイドテーブルへと体を起こさなければならない。体を起こす気力もなく、意味をなさないとは分かっているもののアラーム音が止むように念を送り続ける。しばらくすると、隣から衣擦れ音がしてアラーム音が止んだ。
体を起こしたらしい隣の人物のせいで生まれた隙間から、ひんやりとした空気が入り込んでくる。もう半分くらいは起きていたが、それでも身を縮こまらせて頑なに意識を沈めようとしていると、ぺちぺちと軽く頬を叩かれる。起こしてと駄々をこねたのは私、そう、分かってはいるのだ。起きなければ。

自身の眠気と戦っていると、彼は何も言わずにベッドを出て行く。ぱちぱちとスリッパがフローリングを叩く音が響いて、大分意識が引きずりあげられる。あとは目を開けて体を起こすだけ。なのにも関わらず、その最後の砦が越えられずにうだうだしていると、しばらくして寝室に戻ってきた彼がもう一度私の頬触れる。

「…冷めんぞ」

響く低い声にようやく観念した私は、薄く目を開けて彼の顔を見上げる。

「……ココア?」
「ココア」

隼人は寝起きの抑揚のない声で端的に答えると、私が伸ばした腕を引いて私の体を起こした。私がのろのろとスリッパを履いてる間に、隼人は部屋のカーテンを開ける。

「さむい…ねむい…」
「早くリビング行け。暖房ついてんぞ」
「うう…」

そう言われてようやく立ち上がった私は、冷気で固まりそうな身を抱えてリビングへと向かう。リビングのドアを開けると、隼人の言う通り温かい空気が私を出迎えた。

「は〜…、」

ほっと息を吐きつつ、テーブルに着く。私がいつも座る席には、隼人が入れてくれたココアが置かれていた。お気に入りのマグカップを抱えながらぼーっとしていると、ベッドメイキングを終わらせてきた隼人がリビングに戻ってくる。

「今日すごいさむいんだけど…」
「今週末は冷え込むってニュースで言ってただろ」
「…いってたかも……」

思考の半分を眠気と寒気に支配されながら、内容のない会話をぽつぽつと落とす。意味のない会話でも続けていると次第に目が覚めていき、ココアを飲み干すころには重たかった瞳もぱっちり開くようになっていた。

「…なんかあるかな、」

隼人の出る時間もあるので、目が覚めたのならあんまりゆっくりもしていられない。冷蔵庫の中身を思い出しながら、キッチンへと向かう。残り物も何もないような気がして不安になりながら確認すると、案の定がらんとした殺風景な中身が広がっていた。

「他になにかあったっけ…」
「山本からもらったハム」
「それだ」

お土産なのな、と山本がくれたどこかの良いハムを冷蔵庫の奥底にしまっていたことを、隼人の言葉で思い出す。ぱっと目に入らない野菜室の奥にはあまりしまい込むものではないな、と反省。

引っ張り出したハムを焼きながら、具のないスープやらトーストやらスクランブルエッグやらを適当に用意する。いつのまにか食器などは隼人が用意してくれていたので、手抜き朝食の完成までそう時間はかからなかった。

テーブルに朝食を並べ始めると、隼人がコーヒー片手に目を通していたノートパソコンを閉じる。私が席に着くまで待っていた隼人と手を合わせて、美味しそうに焼けたハムにフォークを突き刺した。

「おいしい〜。どこのお土産だっけ」
「九州かどっかだろ」
「山本にお礼言っておいて」
「今日会わねー」
「…隼人君は伝言もできないんですかあ?」

今日会わなくても次会ったとき言ってくれればいいものを。恐らく、山本相手に変な意地を張り続けるのは一生だろうから、半ば諦めてはいるが。曖昧な返事をして目線を逸らす隼人に、小さく息をつく。

「今日から本部かあ」
「ああ。一週間」
「今回は短いね」

隼人が普段から世界中飛び回る身であるのは重々承知の上だが、寂しいものは寂しい。最近は日本に長くいたのも相まって、一週間という短い期間ですら少し気落ちしてしまう。そんな様子も見透かされてしまったのか、隼人が「土産」と呟く。

「え?」
「土産、何がいい」
「お土産…う〜〜ん…」

隼人は意外とお土産を買ってきてくれることが多い。それも私が好みそうな食べ物を。お土産自体も勿論嬉しいが、ぶっきらぼうに渡してくる隼人の姿を見ることの方が嬉しいと言ったら「うるせえ」と一蹴されそうだ。なので黙っておく。

ここ最近で美味しかったお土産は何だっただろうか。本部があるイタリアに関しては行く回数が多すぎて、もはや買ってきてくれたお土産も覚えきれない。
食べ終えた朝食の食器を重ねながら悩んでいると、隼人が私の食器をひょいと持ち上げる。流れるように隼人のと一緒に片付けられてしまい、キッチンに入っていったその背を慌てて追う。

「片づけ私やるからいいよ。時間あるでしょ」
「お前みたいにギリギリに起きたりしねーんだよ俺は」
「なっ、でも私遅刻はしないタイプだもん!」

なんて雑談に乗せられている時点で多分隼人の手のひらの上だ。しょうがない、と諦めて隼人が洗ってくれたお皿を横で拭く。
布巾をお皿に滑らせながら、お土産のことを蒸し返して考えていると、ひとつ思いだせたものがあった。

「あ、この前買ってきてくれたチョコ。あれ美味しかった」
「…あー、あれか」

洗い物の手を少し止めた隼人が、どこを見るわけでもなく顔を上げて思案している。二つ返事で了承できないということは、何か事情があるのだろうか。そこまで熱望しているわけではないので、迷惑にならないように先手を打つ。

「えーっと、無理なら大丈夫だけど」
「いや…、無理ではねえ」
「何その返事ー!手間かけさせるのもやだからいいよ」
「だあっ、別に大したことじゃねーよ。若干遠いだけだ」
「ならいいって」
「別にそんくらいの時間作れる」

しばらくお互い不満げな目で見つめあってたが、先に折れたのは私だった。そこで頑なに「買ってこなくていい!」って騒ぐのも、変だし。隼人がいいっていうのならいいのだろう。「じゃあ、待ってる」と呟くと隼人も小さく応えた。

「有名な店なの?」
「そこそこ。姉貴もあそこ好きなんだよ」
「あ、そうなんだ。ビアンキさんには買ってこないの?」
「……お前が渡すなら買ってきてもいい」
「いい加減そういうの自分で渡しなよ…」

隼人もビアンキさんのことを悪く思ってないのは知っている。昔はビアンキさんと会うたびに卒倒していたが、大分ましになって今ではちょっと具合が悪くなる程度だ。それでも苦手意識がきれいさっぱり消え去るというのは無理なようで、できれば会いたくないらしい。

トラウマじみた隼人のそれを無理に矯正するのも違う気がして、私から強く何か言うことはしない。けれど、ビアンキさんがちょっと寂しそうな顔するのは、毎回こっちまでしゅんとしてしまう。本人は「隼人が元気ならいいわ」って言ってくれるから、私はいつも自身の携帯に収めてある隼人の色々な写真を見せてビアンキさんの笑いをとっている。これぐらいは、許してほしい。

洗い物が終わると、隼人は「シャワー浴びる」と浴室に消えていく。隼人のおかげで、随分と片付けが早く済んでしまった。ほっと一息ついて座りかけたところで、いや隼人のスーツ出さなければ、と立ち上がる。

クローゼットを開けて、隼人のスーツとシャツを取り出し、ネクタイは柄物を手に取った。本部に行くんだからかっこよく決めてもらわないと。几帳面の隼人らしく、昨日のうちに準備されているキャリーも出しておく。
一通り準備を終えてから、私はソファーに体を沈めてぼんやりとテレビを眺めた。別に見たい番組があったわけでもないが、こうでもしていないと隼人がお風呂から出るまでに寝てしまいそうだ。

しばらくすると、お風呂場のドアが開く音が聞こえて、ぼうっとしていた意識が隼人の足音へと向く。相変わらずシャワー早いな、とぼんやり思っていると、半裸の隼人が戻ってきた。

「スーツ出しておいたよー」
「…ん、サンキュ」

部屋に引っ込んで、シャツとスラックス姿になって戻ってきたかと思うと、隼人がまた忙しなく洗面所へと消える。朝支度をする人を横目にダラダラしてるのって、ちょっとした贅沢感があるのは何故だろう。洗面所から聞こえるドライヤーやら電動歯ブラシやらの家電音に、若干テレビの音がかき消されたが、もともと興味はなかったので気にならなかった。

またリビングに戻ってきた隼人はもう完全に仕事モードだった。ばっちり髪もセットされている姿は、見慣れたとは言えど惚れ惚れする色男具合だ。ネクタイを締める様子をじっと眺めてると「…んだよ」とこちらに視線を流される。

「いやー?かっこいいなあって思って」
「……へえ?」

てっきり素っ気ない返事をされると思っていたから素直に返したのに、想像に反して隼人が艶っぽく笑うから心臓に悪い。誤魔化すようにテレビに視線を戻すと、支度を終えたらしい隼人が私の隣に腰を下ろした。

「…時間大丈夫なの?」
「30分には出る」
「りょうかい」

せっかく家を出るまでの猶予があって、隼人が隣にいるなら甘えたい気持ちが芽生えてしまう。欲望に任せて体を傾けて隼人にしなだれかかると、伸びてきた隼人の手が私の頭をぽんぽんと撫でた。しかし隼人の視線は携帯に向いたままで、その視線すらも奪いたくなってしまった私はそのまま隼人の膝の上に倒れこんで腰にしがみつく。

「なんだよ」

苛立った様子もなく隼人に軽く笑われて、甘えたい気持ちが増幅していく。ぎゅうっと腰に抱き着くと、また応えるように頭や首を撫でられた。あやされるように触れられるのが心地よくて、思わず重くなってきた瞼を下ろす。

「…おい、寝んな」

うとうとしていることも見抜かれて、起こす目的で優しく背を叩かれる。離れたくもないし、起きたくもない。呻きながら駄々をこねていると、いつの間にやらタイムリミットが来てしまったようで体を揺すられた。

「もう出んぞ」
「……ん」

さすがにこれ以上困らせるわけにはいかないので、渋々体を起こす。離れていく隼人の温もりが恋しいったらなかった。立ち上がる隼人に私も起こしてもらって、ジャケットを羽織ってキャリーを持った隼人を玄関まで見送る。

あーあ、と今更どうしようもないのに、落胆めいた気持ちで肩を落としながら隼人が靴を履く様子を見守る。顔に出さないでいるのもきつくなってきて眉を下げていると、靴を履き終えた隼人とばちりと目が合った。

妙な気配を感じたのもつかの間、伸ばされた隼人の手に顔を包まれて、まばたきする頃には口づけられていた。隼人の香水の匂いと熱に包まれて、安心感に浸っているはずなのに体はこれっぽっちも動かすことができない。身動きできずにいると、最後いたずらにちゅっと唇を吸われて、隼人の顔が離れていった。

「一週間だって言ってんだろ。んな顔すんな」
「う……」
「すぐ戻る」

愛おしげに私の頬を撫でてから、ドアに手をかける隼人。いくら混乱しているとは言え、見送りの言葉は、告げなくては。まだ温もりが残る唇を開いて、若干震える声を絞り出す。

「い、いってらっしゃい!」

隼人はふっと笑って目を細めると、「いってくる」とドアを潜っていった。バタン、と大きな音を立てて閉まるドアに、思わずその場にへたり込む。まだ残る隼人の香りに、耐えられなくなった私は両手で顔を覆った。

「あ〜〜もう……ゆるさない…」

悔しさが滲んだ私のくぐもった呻きは、隼人に届くことはない。だから、この屈辱は忘れない。必ず帰ってきたら仕返しをしてやる。覚悟してろよ!と脳内の隼人に宣戦布告すると、少しだけ鬱憤が晴れたような気がした。


とある朝の応酬


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