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TopMain同族嫌悪、のち
今日も彼女は、包帯を巻かれながらへらりと笑う。
事務的に訊いた痛くないかという問いに、「全然平気です」と答える間延びした声。何が平気なんだ、と伊作は思わず包帯を巻く手つきに力がこもった。

「ぼく、学習能力のない人は嫌いだよ」

思ったより低い声が出た。先ほどまでへらへらとしていた彼女が、伊作の声にぱちりと目を瞬かせる。伊作に威圧されるわけでもなく、反省しているわけでもない。ただ、彼女はきょとんと眼をまるくしてすっとぼけた表情で伊作を見つめていた。

「こういうのは、もうやらないようにって何度も言っているよね」
「いやあ…でも、鍛錬ですし」
「君のそれは鍛錬ではなくただの自傷行為だ」

抑えきれない感情が声に滲みだす。何故、今自分はこの細くて白い、傷だらけの腕を手当てしているのだろうという気分にすらなってきた。もう、こんなことは辞めてしまいたいのに。

この悪びれない様子の彼女は、高学年くらいからとある悪癖が目立つようになってきた問題児だ。一つ下の学年であり、くのたまである彼女とは本来接点などそこまで生まれるものではない。だというのに、なぜ伊作がその悪癖を把握しているかと言うと、そのとある悪癖のせいで彼女が保健室の常連になっているからだ。

彼女は、どう見ても過度で過激な鍛錬をしょっちゅう行うという悪癖があった。

鍛錬バカなら伊作の周りにもいるが、彼らはあくまで自分の体を壊すような鍛錬は行わない。そんなもの、本末転倒だからだ。しかし彼女は明らかに限度を超えた、下手すれば死にかねないような鍛錬をしょっちゅう行っては、大きな怪我を携えて保健室にやってくるのだ。…厳密にはやってくるのではなく、引きずられてくるのだが。

「自傷行為……」
「そうじゃないとでも?ぼくにはそうにしか見えないよ」
「いや…、言われてみるとそうかもしれないなあって」
「は、」

彼女の言葉や仕草は、驚くほど乾いているといつも思う。何の含みもなく、からからと空虚で、それでいて純粋だ。伊作の言葉はいつも彼女をすり抜けていく。ひどく、腹立たしかった。

「君は…死にたいの?」
「いえ、そんなつもりは。でも傍から見ると自傷行為なんだろうなって思いました」
「……」
「ずっと息を止めてたらどうなるんだろうって、子供のころとか思いませんでした?やっちゃうんですよね、私。他の人より好奇心強いのかな…、鍛錬の時とかつい癖で。あはは…」

ずっしりと胸を占める重たい怒りに伊作は思わず口を噤む。怒りの感情が渦巻きすぎてもはや言葉が出てこない。なんと言いたいのか、言えばいいのか、それすらもわからなくなり黙り込んでいると、彼女が「あのー」と能天気な表情で覗き込んでくる。

「なんか…伊作先輩っていつも怒って、ます?」
「……誰のせいだと思っているんだい」
「えっ!…じ、実は私のこと嫌い、とか…?あ、いや、こんなに保健室にお世話になってるのは普通に迷惑ですもんね…」
「そうじゃない!」

いつの間にか肩で息をしていた。何を言っても彼女には届かない。けれど、伊作は何としてでも彼女を捉えたかった。ふと、頭の片隅で仙蔵の声がこだました。


「泣き落としでもしてみたらどうだ」

瞬時に言われている内容が理解できず、伊作の口から不躾な反応が転がり出る。しかし、珍しく眉も顰めずに、仙蔵はそんな伊作の反応さえも愉しげに受け止めていた。

「泣き落としって…、ぼくがやって効果が見込めるものじゃないだろう」
「そうか?私は案外効くと思うがな」
「……本気で言ってる?」
「もちろん本気だ」

伊作が女で、彼女が男ならばそういう手もあるかもしれないが、現状伊作が涙を落としたとして解決する未来は全く見えない。仙蔵のことだからただ揶揄しているだけかと思ったが、半分くらいは本気らしい。

「悲しむ人がいるなんて、彼女は恐らく思っていないのではないか。だから伊作が涙ながらに訴えれば…、案外ころりとやられてしまうかもしれんぞ」
「ぼくが悲しんでるって?」
「ああ、同族嫌悪の間違いだったな」

どうやら今日の仙蔵はとても機嫌がいいようだ。伊作の気が立っている様子が珍しくて面白いのか、やけにからかう口が止まらない。思わず沈黙を返すと追撃のチャンスありとされたのか、にこりと性格が悪そうな笑顔を向けてきた。

「彼女のこと、留三郎に相談したことは?」
「…ないよ。今ここで仙蔵にうっかり漏らしてしまったのが初めてだからね」
「ならば、これからもやめておけ。どの口が言う、とお前が怒鳴られるだろうからな」
「……別に留三郎にわざわざ相談する予定もないから」

睨みつけている自覚はなかったのだが、仙蔵が肩を竦めたところで眉間にしわを寄せていたことに気が付いた。息を吐きつつ波立つ心を鎮めていると、「検証の結果、待っているぞ」と艶やかな髪を翻して仙蔵が自室へと戻っていく。
普段は気にもならない虫たちの声がやけに気に障って、中々眠れない夜だった。


気が付いたときには、涙を落としていた。一度箍を取っ払ってしまうと、ぽたぽたと続いて雫が溢れ出す。それしか、手段が思いつかなかった。
自分でも感情的になっているのはわかっていた。それでも忍者としての性か、すぐそばに控えている冷静な思考が、やはり自分が泣いたところで、と呆れていた。

彼女の白い手の甲に涙を落としてしまい、反射的に顔を上げると、彼女の丸い瞳と目が合う。あまり感情を映し出さない彼女の瞳が揺れていたことに、僅かに動揺した。

「……ぼくは、君が無茶をするから怒っているんだ」
「め、迷惑だから…、」
「違う」

その先の言葉を紡ぐのは…癪だった。せいぜい、困ればいいとさえ思った。子供のようにむっつりと黙り込んでいると、彼女が渇いた声を絞り出す。

「…あ、の……」
「…うん」
「ごめんなさい……」

泣きそうな彼女の声音は思っていたより衝撃的で。後頭部を急に殴られたかのような、目の覚める感覚。

「…伊作先輩の泣いているの、なんか、嫌です…すごく。その原因に腹が立つくらい」
「……」
「……だから、怒っていたんですね」

ぼろっと、彼女の瞳から涙が珠のように零れる。どんな大怪我をしても、染みる薬を塗りたくられても、涙一つ見せなかった彼女が、目の前で泣いている。巻かれた包帯や、所々に残る生々しい傷が、いやに視界に入った。

「…違う。僕は…、馬鹿な君に腹がたっていただけだよ」
「私…ちゃんと気を付けます」
「君は本当に話を聞かないね」

細い腕を引けば、あっさりと彼女は腕の中に納まった。強く抱けば華奢な体の感触が際立って、やはり怒りや虚しさが伊作の胸中に渦巻く。腕の中で彼女が、すう…と深呼吸をしたのが分かった。

「伊作先輩は、私が死んだら泣いてくれるんですか」
「さあ…、怒りでどうにかなりそうな気はするけれど」
「もう、しないです」

嬉しそうに笑う彼女の頬を撫でて口を吸ったことに、別に意味はなかった。


同族嫌悪、のち


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