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TopMainきみがため心中
「一人で生きられなくなったら死にたいの、私」

私の独白は、静かに夜の闇に溶けていく。

「そんな風に、惨めに生にしがみつきたくないもの。美しいままで死にたいわ」

視界に映る自身の手が、いつかしわくちゃになるものだと思うと、腹の底に不快感と果てのない不安が渦巻いた。それにじっとしていられずに体の向きを変えると、ぱちりと彼と目が合う。

「おまえらしいな」

伸ばされた手が、私の頬を緩やかに撫でる。愛おしむようなその手つきに心が熱を持つ。しかし、それと同時に試したくなってしまうのも人間の性というものだろうか。

「死ぬときは、海に身を投げるわ」

決定事項のようにはっきり言い切ってやると、彼は目を瞬かせてから、艶っぽく笑みを深めた。

「おれも一緒に心中しちまおうかな」
「あら……珍しく優しいこと言うのね」
「いつもは優しくないみたいな言い方だな…」

苦笑いを浮かべる彼と目線を合わせないように、つんと顔を背ける。だって、目線を合わせたら緩んだ顔をしてしまいそうだった。必死にこらえているものの、喜んでしまっているのは事実。優越感が、満たされているのを感じていた。
彼は私の顔から手を離すと、布団の中で伸びをする。ふう、と息を吐いた後に、すっきりした面持ちで彼は天井を見上げた。

「おまえが一人で生きられなくなる頃にはきっとおれだってよぼよぼだ。海に出られない体になってるとしたら、生きてたって意味がないしな」

先ほどまで浮かれていた心が一気に地面に叩きつけられる。ええ、知っていた。知っていましたとも。胸中ぐらぐらと煮えたぎる激情を我慢しようとすると、怒りがこもった重苦しい息が私の口から漏れ出た。

「少しでも浮かれた私が馬鹿だった」
「い、いたい」

清々しい顔をしていた彼の頬を思い切り引っ張ってやる。抵抗したら余計に私を怒らせることを分かっているのか、彼は私の攻撃を甘んじて受けている。そういうところも、本当腹が立つ。

「私のためには死んでくれないのね」
「いや、もちろんおまえのためでも、」
「二番手は嫌」
「いででで」

彼の目尻に浮かぶ涙に免じて離してやると、彼はわざとらしく頬をさすって「ひどいな」とぼやく。何がひどいのだ。私はこの仕打ちをずっとずっと前から受けているというのに。
私は、聞き分けが良い女だから。こうやって文句は言うものの、我慢してあげているのだ。
私は一生かかっても、この人の一番になれない。

またごろりと寝返りをうって彼に背を向けてやる。こんな昂った状態で寝られるのかどうか甚だ疑問ではあったが、彼の顔をこれ以上見ていると否が応でも引っぱたきたくなる。頑固としてほだされないぞというオーラを背中越しに放っていると、後ろから彼の腕が伸びてきた。

「そうあからさまに拗ねられると参るんだが…」
「せいぜい機嫌をとってみたらどうなの」
「…そうさせてもらうよ」

彼の力強い腕になされるがまま体を転がされて、唇を奪われる。あやすように落とされる口づけに、しっかりと懐柔されてしまっているのが死ぬほど悔しい。機嫌を取るのだけは昔から上手いのだ、この男は。
私がだいぶ大人しくなったのを見計らってから、何かを考えていたのか、彼が唐突に「…なあ」と声を降らす。

「やっぱり海に身投げはやめようぜ。お頭たちが困る」
「……冗談よ、このばか」

海なんて嫌い、大嫌いだ。潮風でべたべたするし、髪はぱりぱりになるし、泳げないし、…いつだって私の大事な彼をさらっていく。それでも、さざめく音が今日も子守唄になるのだから、皮肉なものだと思いつつ彼の腕の中で目を閉じた。

こんな男、早くきらいになればよかった。


きみがため心中


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