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私が物心ついた頃には、既にこの城に勤めていたように思う。一番古い記憶だと、木登り中に転落した私を受け止めた力強い腕。さっぱりした笑顔で「たんこぶでは済まなかったかもしれないな!」と告げられたのは今でもはっきりと覚えている。小平太は昔から、そういう男だった。

「あ、そういえば」

ぽんと手を打った乳母が立ち上がると、どこからか小包をもってきて私の目の前へと置く。言葉の先を聞く前に私が包みを広げると、何度となく口にしたお気に入りの饅頭が顔を出した。

「七松殿からの土産です」

乳母の言葉を聞き終えるまでもなく、私は走り出していた。後ろから甲高い怒鳴り声が響いていた気がするが、そんなものは無視だ。歌の勉強なんかより、私には知りたいことがたくさんある。
帰ってきているということは父の所だろうか。ドタバタとまた乳母に叱られそうな足音を立てて城内を駆け回る。目的の場所の前で「失礼します!」と形式的に声をかけて襖を開ければ、久しぶりに見る顔がそこにあった。

「またお前は……」
「すみません父上!小平太に土産の礼を言いたく」
「相変わらずだなー」

見るからに呆れ返っている父を横に、小平太がからりとした声で笑う。父は深いため息をつくと、投げやりに「もういい」と小平太に向き直った。

「大体は把握した。詳細は後で聞こう。今はこのかしましい娘の相手をするのがお前の仕事だ小平太」
「殿の眉間の皺はしばらく消えそうにないな!」
「父上の皺はもう刻まれているもの。きっと消えることはないわ」
「いいから早く出て行きなさい!」

怒号と共に部屋を追い出され、小平太と二人で廊下を歩く。ちらりと見上げた横顔はしばらくぶりだというのにそんなに変わっていなかった。その快活さからだろうか、小平太は歳の重なりをあまり感じさせない男だった。

「任務だったの?」
「ああ」
「どんな任務?今回は遠くまで行ってたの?」

この問いを今まで何度したか分からない。今回こそは答えてくれるのでは、と根拠のない自信を携えて意気揚々と訊いたが、返ってくる答えはいつも通りのものだった。

「秘密だ」
「その秘密はいつになったら解禁されるの!」

溢れる不満をそのまま乗せて声を張り上げてしまう。だがそんな訴えなど、まったく響いていない小平太はきょとんとしながら私を見下ろした。

「ずっとに決まっているだろう。忍者が易々と情報を漏らしていては務まらんからな」

悪意のない、しかし付け込む隙もない。ぴしゃりと私をはじくような台詞に、口の端がぐっと下がるのが分かる。小平太がこうと言ったらこうなのだ。特に、仕事のことに関しては。
どれだけ知りたいと願っても、怒っても、猫なで声を出してみても。私が欲する答えが返ってきたためしがない。積年の不満は、そろそろ限界を迎えようとしていた。

「父上だけずるいわ…」
「少なくとも姫様には必要のない情報だから聞く意味もないと思うぞ」
「でも隠されると気になるじゃない!」

唇を尖らせて見上げてみても、まあるい小平太の瞳はぴくりとも揺らがない。しばらくその無意味なにらみ合いを続けていたが、小平太が本当に無反応なものだから、やがて私も諦めてそっぽを向いた。

「これだけ秘密にされていると、小平太が本当に忍者なのかどうか分からないわ」
「手の内を明かす忍者はそうそういないと思うけどなー」
「忍者ってケチね」

ちょっとくらい教えてくれたっていいのに。頑なに教えてくれない生き物が忍者だというのならば、忍者なんてきらいだ。小平太も、きらいだ。

「ほらついたぞ」

ふてくされて今にもがなりたてそうになる気持ちを抑えていると、小平太の歩が止まる。ついたぞ、って私は今どこかに向かっていただろうか。小平太に付きまとっていただけだから、目的地がどこかは知らなかった。
しかし、落としている視線が捉える風景は、床なれど見慣れた風景で。

「姫様!」
「小平太!売ったわね!」
「どうせまた稽古事すっぽかして来てたんだろー」

きりりと目を吊り上げた乳母が私の腕を掴む。逃げようとしても時遅し。ずるずると部屋に引きずられる中、罪悪感の欠片もなさそうな顔で小平太は私に手を振った。いつものように何も残さず去っていく背に、ちょっとだけ泣きそうになった。絶対に、懲りてやるものか。

***

攻めても攻めても落ちてくれなさそうなのはもう私とて十分に分かった。今まで通り正攻法で知ろうとするのは無駄だろう。ならば、私が思いつく限りで有効な手段は一つ。小平太ではない忍者を取っ捕まえることだ。
しかし、うちの忍者衆の者の顔を改めて思いだしてみろ、と言われると小平太しか目に入っていなかった私は誰一人思いだすことができなかった。見かけることがあれば判断もできるかもしれないが。

「姫様、また上の空でございますね」

ぴんと張り詰めた乳母の声に、反射的に背筋が伸びる。お茶の稽古事の最中だったが、乳母が柄杓を置いて私と体を向き合わせたところで、お説教が始まるのだと嫌でも分かった。

「…七松殿のご迷惑になるようなことは、いい加減おやめくださいませ」
「……小平太が悪いのよ。私を除け者にするんだもの」
「姫様が姫様である以上、当たり前でございましょう」
「…私が忍者じゃないからってこと?」

乳母は淡々と「左様でございます」と頷く。そんなの、どうしようもないではないか。生きる世界が違うのだから知ることができないだなんて。

「それならば、私は忍者に生まれたかった」

吐き捨てた台詞は思ったよりも声が震えた。反射的にぐっと喉が狭まって目頭が熱くなる。こんなことで泣くなんて、みっともない。そう思うにも関わらず、感情の制御が上手くいかなかった。
部屋を飛び出すと、いつもの怒鳴り声ではなく少し焦ったような乳母の呼び止める声。乳母は、厳しいけど優しい人だから。今の私は慰められてしまうのでないかと思った。そんなの、耐えきれない。

目に溜まった涙を乾かしたくて、人気のない方向へしばらく歩いていると、どこかで見たことのある横顔に足を止めた。あれは、もしかして。僅かに残った涙を乱雑に拭い取ってから、勢いよくその手を引いて呼び止める。振り返った青年は、私を見てひどく驚いた表情を浮かべた。

「ひ、姫様…!?」
「ねえ、あなた小平太の部下よね」
「え、はい。そうですが…」

思考が追い付いてなさげだったか、私相手に質問に答えないわけにはいかない青年はおずおずと頷く。

「じゃああなたも忍者?」
「まあ…」

曖昧な返事に、はぐらかされる気配を感じて、逃がさないと言わんばかりに両手で腕を掴む。ずずいと距離を詰めると、青年は反射的に背を逸らして距離をとった。

「私の話し相手に、なってくれる?」
「え、っと…話し相手、でございますか」
「ええ。色々と、訊きたいことがあるの」

私が小平太に引っ付いているのを知っていたのだろうか。…知らない方が可笑しいかもしれないが。なんとなく私の気迫に察するものがあったらしい青年は、簡単には首を縦に振ってくれそうになかった。
そう易々と離してやるものか、と本腰入れて詰問しようとしたところで、「見つけた」と聞き馴染んだ声。私が拗ねて城内のどこかに隠れると、決まってこの声が迎えにくるのだ。もう誰かは分かりきっていた。

「姫様、そこら辺で勘弁してやってくれ」

後ろから伸びてきた大きな手が頭に乗り、よろけた私は小平太に体を預ける形になってしまう。私が腕を離してしまった青年は、ぱっと距離を取って小平太に対して姿勢を低くした。

「悪いな、もう行っていいぞ」

指示を聞くなり、青年は気まずそうに一礼をして脱兎のごとく去っていく。小平太の体温に安心して大人しくしてしまっていたが、自分の目的が妨害によって失敗したことに気が付いて慌てて離れる。小平太が捕まえに来た上に、悪知恵を働かせた現場まで捉えられてしまうとはなんとも運がない。
相変わらずその顔が湛えているのは何も考えていなさそうな笑みだけで、鬱憤がぐらぐらと腹の底で煮えた。

「…小平太が教えてくれないから他の人から聞こうと思ったのに」
「こればかりは訊かれて答えられるものじゃないからなあ」

ぽん、と頭を軽く撫でられる感触。その大雑把な手つきにいつもは黙ってしまうが、今回ばかりはと負けじと振り払おうとすると、ぱちりと小平太が目を瞬かせる。有無を言わさない(と私は感じる)その眼力に一瞬怯むと、小平太は膝を折って私を覗き込んだ。

「身のほど知らずな好奇心はいつか自分を殺しかねないぞ、姫様」

珍しく同じ高さで目線が合うと思えば、告げられた言葉はどんな名刀よりも切れ味抜群で。くすぶっている私を一刀両断するには十分だった。その後のことは正直あまり覚えていない。暴れ狂いそうな感情を抑えつけて、地蔵のように動かない時間を過ごした気がする。戻っても乳母のお説教がなかったことだけが、唯一の救いだった。


その晩、寝ようにも寝付けない夜を過ごしていた。暗闇の中にいると、否が応でも昼の小平太の台詞が頭の中を反響して、とてもじゃないが寝れそうになかった。
小平太は踏み込ませない態度を取ったとしても、突き放すようなことはしないと心のどこかで思っていたのだ。それも最近になっては薄皮一枚、ぎりぎりの期待だったが。いつまでたっても頭の中を暴れまわる衝動は収まる気配がなく、寝転んでいられなくなった私はそろりと廊下に出た。
夜風にあたればこの混沌とした思考もましになるだろう。行く当てもなく、皆が寝静まった気配の中歩いていると、かたりと人の気配を感じた。

見回りの者だろうか。不思議に思って物音のするほうを辿ると、視界の端に人影が映る。本能的に息をひそめて後を追うと、捉えたのは見覚えのある女中の姿だった。

「(あれは三月ほど前に入ってきた…)」

何を、しているのだろうか。もしかして、間者…そう考えた瞬間、爪先までさっと血の気が引く。しかし、勘違いかもしれない。気が付いたときには、女中が入っていった部屋の外で聞こえてくる物音を窺っていた。
このまま出てきたらどうしよう。今のうちに逃げたほうがよいのではないか、誰かを呼ぶべきでは。ドクドクと心臓は嫌な音ばかりを立てて、呼吸が浅くなっていく。見つかったら、殺されるかも。頭が真っ白になった瞬間、からりと部屋の戸が開いた。

「!、姫様…!?」
「っ…!」

もたもたしているうちに最悪の展開になってしまい、私はただその場にしゃがみこむことしかできなかった。女中は一瞬焦りの表情を浮かべたが、すぐさま状況を飲み込むと私に覆いかぶさってくる。声も出せずに死んでいくのだろうか。やっぱりあの時引き返せばよかった。ぐるぐると途方もないことを考えて、混乱と息苦しさで涙が滲んだ瞬間、ごっと鈍い音が響いた。

どさりと目の前の女中が脱力した状態で私に被さる。ろくに体も起こせない状態で、何とか周りを把握しようと視線を動かすと、丸い瞳とかち合った。

「忠告した筈だぞ」

聞き馴染んだ声であるはずなのに、闇の中、淡々と響いたそれはまるで違うものにも思えた。しかし、反射的に伸ばした手は厚い皮をした大きな手に掴まれる。いつも、私の頭を乱雑に撫でるその手だった。

「こ、へ…いた…」
「自分を殺しかねないって、言っただろ」

怒っても呆れてもいない、いつも通りの声音。私の体を抱き上げて起こすと、怪我がないのを確認され、肩の汚れを落とすように軽く叩かれる。

「やっぱり危険な目にあったじゃないか」
「……」
「私を呼べばよかったんだ」
「っ……う…」

死ぬほど怖かったとか、小平太の何も変わらない態度だとか、様々な安堵が溢れ出して嗚咽が漏れる。たまらず小平太の首にしがみつくと、あやすようにぽんぽんと背中を撫でられるものだから、更に涙が溢れた。

いつの間にか傍に控えていた他の忍びに、小平太が「後は頼んだ」と言いつける。そして私を連れてそのままその場を去ろうとするので、ぴくりとも動かない女中を一瞥して思わず口を開いた。

「その人、どうするの…」
「とりあえずどこの忍びか吐かせるところからだな。まあ、検討はついてるが」

それ以上は口を挟めなかった。さすがに私だってこんなことが起これば猛省する。小平太の首筋に顔を埋めて呼吸を落ち着かせながら、私は黙って部屋まで運ばれた。

部屋に着いて布団に降ろされると、改めて小平太と目が合う。いたたまれなさに視線を逸らすと、その自分の行いに更に情けなくなった。忠告も聞かずに腹をたてるばかりで、向う見ずに首を突っ込んで最終的に迷惑をかけて、その根本は拙い自分勝手な想いから来てるものだと思うと、恥ずかしくて悔しくてどうしようもなかった。
恐怖の涙が治まったばかりだというのに、立て続けに悔恨の涙が滲む。ああもう、みっともない。それでも止める術を知らず、ぼろぼろと涙を零すと、小平太がちょっと困ったように首を傾げる。

「そんなに怖かったか?」
「こ、怖かったけど、そうじゃなくて……っ、情けないの!小平太に言われたのに、こんなことになって、私…」

懺悔をするならきっと今しかない。私は心の奥底にしまっていた想いを取り出して、たどたどしく口を開いた。

「小平太のこと、知りたかったの。ずっとずっと」
「……」
「す…好きな人のことなら、知りたくなるじゃない。小平太は……、ずっと私の憧れで、強くて、かっこよくて…。だから…っ、」

しゃくりあげながら紡ぐ言葉はひどく不安定で、

「嫌いにならないで…」

それでも黙って聞いてくれている小平太に縋るように、幼子のようなわがままを零した。

「なんだ、そんなことを気にしていたのか」

からりとした声に顔を上げると、夜にふさわしくない明るい笑顔がそこにあった。私の悩みも全て晴らしてしまいそうな、そんな力が小平太の笑顔にはあると思うのだ。昔からどれだけへそを曲げても、迎えに来た小平太が笑いかけるだけで、どうでもよくなってしまっていた私が言うのだから間違いない。

「私がそんなくだらないことで姫様を嫌いになるわけないだろう」

嫌いになるわけない。好きだと言われたわけでもないが、小平太の言葉ならそれだけで充分だった。小平太の気持ちを受け取ったことを伝えたくて、必死にこくこくと頷くと、いつも通りの雑な手つきで頭を撫でられる。

「しかし、忍びの世界はあまり教えたいものではない」
「…うん」
「殿だって、私たちの全てを知っているわけではないんだぞ」
「そう、なんだ…」

小平太たちを従えている父でさえ、忍者の全てを知っているわけではないというのは衝撃的だった。私だけ除け者にされているかのように思えていたが、それもただの思い込みというわけだ。

「忍者は、たくさんの秘密を抱えて死んでいくものだからな」

今の私にはその台詞は重くのしかかった。闇夜に見えた小平太の姿は、それを納得させるだけの暗い部分が垣間見えた気がしたから。もし、小平太が私のことを姫として大切に思ってくれているのであれば、触れさせたい部分ではないだろう。
それ以上は何も言えずに重く俯いていると、小平太がううんと唸る。

「だが、そうだな…代わりに私の初仕事を教えてやろう」
「初仕事?」

目を丸くさせた私に、小平太は懐かしむように笑った。

「私が一番最初に任された仕事は姫様の護衛だった」
「えっ」
「姫様は昔からおてんばだったからな、さすがの私も骨が折れたぞ。少しでも目を離した結果がこれだし」
「うっ…」

別に責めているつもりはないのだろう、ただ事実として述べただけで。しかし、私が周りの者をはらはらさせるほどおてんばだったのは、小平太の影響が無きにしも非ずだったことは、とりあえず黙っておこう。
私が肩身を狭くしていると、小平太はやや黙りこくったあとに胡坐を組みなおしてバツが悪そうに頭をかいた。

「まあ、だから今回は私が職務を怠ったのが原因だ、怖い思いさせて悪かった」

頭を下げた小平太の後頭部、いつだかに同じ光景を見た気がした。…そうだ、あれはわがままを言って城下町に下りたときだ。

どうしても遊びに行きたいと駄々をこねて小平太と数人の侍女を連れて外に出たことがあった。自分で言うのもなんだが、トラブルメーカーだった私は例にもれず迷子になり、散々皆に心配をかけた。あの時、私を探し出した小平太が、同じように謝っていた。

私はずっと、私が知らない小平太を知りたかった。忍者だと言われている小平太が、どんなふうにかっこよく仕事をしているのだろうと、幼子の頃から気になってしょうがなかった。段々と教えてもらえないことに意地になって、躍起になって訊こうとまでしていたが。…ばからしい、既に知っていたというのに。

私をいつだって守ってくれる、守ってくれようとする目の前の小平太が、忍者の小平太だ。
私の、大好きな小平太だ。

「…私って本当に馬鹿だったのね」
「何の話だ?」
「なんでもない、もう寝る!」

勢いよく寝転がると、小平太が不思議そうな顔をして覗き込んでくる。

「寝れるのか?」
「…どういう意味」
「姫様、怖いことがあると夜寝れない!っていつも騒いでただろう」

確かに毎度のごとく小平太に「傍にいて!」と駄々をこねていたのは事実だ。これからはもう少し大人になろうと決意したところで、恥ずかしい過去話をほじくり返されて思わず顔をしかめる。

「…じゃあ、傍にいてくれるの?」

傍にいてほしい、と思わなかったわけではない。しかし、小平太だってこの後仕事があるかと思ったのだ。そんな拗ねた感情が顔を出してあまりかわいくない訊き方をすると、小平太は、ぱっと破顔した。

「もちろんだ。私の仕事だからな」

布団にもぐりこんだ私の傍に、小平太がどかりと座りこむ。こうして傍にいてもらうだけで、すごく安心して眠りに落ちていた昔が懐かしくよみがえった。だって、小平太なら幽霊や妖怪相手でも負けないと思っていたから。

まるでまじないみたいに安心感で重くなっていくまぶた。ふわふわと手放しかけた意識の中、不明瞭な思い出が浮かんでは消えていく。小平太の声が、静かに響いた。

「姫様は、きっといい姫様になるぞ」

いい姫様って、なんだろう。母上のような人のことだろうか。だとしたら、嬉しいかもしれない。小平太も「さすが奥方様だな」って感心していることが多かったから。そんな風に言われるほど、賢くて、素敵な女性になれたら。…なれるかな。

「なれる」

迷いなく言い切った小平太の声が背を押すようで、頬を濡らしてしまった気がした。


やがて少女は


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