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TopMainどうにもこうにも
まさか年下の男の子に転がされて、天井を見上げる羽目になるとは。この子が来ていなかったらきっと体験することもなかっただろう。

目の前の鉢屋くんは苦しそうな顔を崩さず、私のことをじっと見つめている。そんな鉢屋くんに、やめてと押し退けることもできなかった。物理的にもそうだが、気持ち的に。掴まれた手首が少し、痛かった。

「多分私は、もう少ししたら帰る」
「…そう…なんだ」

知っていたわけではないが、なんとなく鉢屋くんの様子がおかしいから、もしかしたらとは思っていた。こちらに来たのも突発的だと言っていたし、帰る時もきっとそうなのだろう。私は、なんと返したらいいか分からずにいた。

私に引き留める権利なんてあるわけがないし、だからといって「早く帰れるといいね」とは言えなかった。来たばかりの頃は同じ台詞を言った記憶があるが、あの頃とは私たちの距離が違う。
私が軽率に口を開けない心情を、鉢屋くんとて分かっているのだろう。鉢屋くんは歯がゆそうに顔を歪めると、私の首筋にゆっくりと触れた。

「(あ、どうしよう)」

さすがに、これは。ストップをかけるべきか否か、ぐるぐると混乱した思考が目まぐるしく回る。最終的に鉢屋くんが悲しむことになるのならば、受け入れちゃだめだ。名前を呼ぼうとして、口を開きかけたところで鉢屋くんの顔が首筋に埋まる。艶めいた仕草というよりかは、小さい子がすり寄ってくるかのような雰囲気を感じて肩を押そうとした手が止まる。

「本気で嫌なら蹴飛ばしてくれ。そうじゃないなら…」
「でも、」
「…頼む」

鉢屋くんは気丈な子だった。正しくは、気丈に振る舞うのが比較的上手な子だった。こちらの世界に来てから涙ひとつ見せたことはない。だからこそ、鉢屋くんの縋るような弱々しい声に、もうどうにでもなれと思ってしまった。

ふわふわな頭を撫でると、鉢屋くんが顔を上げる。先ほどよりかは眉間の皺が薄くなっただろうか。残った皺をいつものように伸ばそうとすると、阻止されてしまった。

「重症だ」
「え?私が?」
「いや……、おれが」

ちゅ、と取られた手に軽くキスを落とされて、思わず固まる。鉢屋くんってこんな子だっただろうか。あまりにも予想外すぎる行動にじわじわと顔が熱を持つのが分かる。間抜けな表情のまま鉢屋くんを見上げていると、鼻先が近づいた。
鉢屋くんって本当に綺麗な顔をしてる、と思ったけれど、これは鉢屋くんの顔じゃないんだっけ。いつも忘れてしまう。確か…そう、同級生の不破くんの顔だ。そんなこと考えながら鉢屋くんの瞳を覗き込んでいると、不満げにむっとされたので慌てて目を閉じた。

優しいキスに、温かな気持ちが満ちる。手放したくない、無意識にそう思ってしまうような。熱を感じれば感じるほど、失った時のことを思い浮かべてしまう。きっと、鉢屋くんもそうだと思うのだ。だって、そうじゃないならきっとこんな顔はしていない。

「私のせいにしていいからね」

そう言うと、鉢屋くんは目をぱちりと瞬かせた後、あからさまに顔を顰める。

「それを傲慢と言うんだ」
「…怒らないでよ」

素直に首を縦に振るとは思っていなかったけれど、どうしたって心の整理はつけなくちゃいけない。鉢屋くんは自分を許すことが下手だから、少しでも助けになればと思ったのだが…中々に難しい。困ったように笑うと、鉢屋くんは真っ直ぐな視線で私を射抜く。

「見くびるな。…自分の責任くらい、自分でとる」
「使えるものは使った方がいいって、忍者なら習いそうだけど」
「…うるさい」

普段ならぴりっとした声で怒ってくるところだが、返ってきたのは随分と頼りなさげで、つい小さく微笑む。顔を見られたくなかったらしい鉢屋くんは、また首筋に顔を埋めてぎゅっと私を抱きしめた。

「あなたを選んだのは、誰でもないおれだ」

情けないことに、目尻が熱くなった。か細い愛の告白は、これ以上にないほど私の胸を締め付ける。鉢屋くんのためなら、ひどいこと言う用意だってできていた。これはきっと、雛鳥への刷り込みのようなものだとか、すぐ忘れてしまう勘違いだよ、とか。

そんなこと言える余裕、なくなってしまった。いやだな、大人失格だ。
せめて最後はそつがなく送れるように、笑顔の練習しなくちゃな、なんて。不毛なことを考えながら、重ねられた鉢屋くんの手を握り返した。


どうにもこうにも


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