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TopMainあじさいの浴衣が似合う頃に
細い足首をさらけ出しながら、彼女は石段を駆け上がった。からころとなる下駄の音に、転んでしまわないかと心配で足元を注視してしまう。が、逆に自分が僅かな段差に足を取られてつんのめってしまい、彼女が心配そうに振り返った。

「大丈夫?」
「うん、なんとか」
「まだかき氷持ってなくてよかったね」

そういえばいつだかにかき氷を持ったまま躓いて落としたんだっけ。よくそんなこと覚えているなと思いつつ「本当にね」と返して、伊作も石段を登りきった。
近くのスピーカーから流れる和楽器の、粗さが目立つ音源に懐かしさを覚える。子供のころには感じなかったチープさとノスタルジーを詰め込んだ雰囲気に、一足飛びに自身が成長したかのような気がした。隣に立っている人物があの頃と変わらず彼女なことは、意外だったような、そうでもないような。

「何から食べたい?」
「何でもいいよ」
「お腹空いてる?」
「…そこそこ?」

曖昧な応答に彼女は少し機嫌を悪くして歩き始める。いつも彼女の好きなものから回っていたから、伊作にこれといって希望はないのだ。だが、伊作の要望をまず訊くあたり、彼女も大人になったのかもしれない。手を引っ張られて回っていたあの頃が懐かしくて、金魚の浴衣とふわふわゆれていた兵児帯がうっすらと脳裏によみがえる。
彼女はお腹が空いていたのか、真っ先に焼きそばを買って伊作に荷物をよこした。なされるがまま小さな巾着を受け取って、焼きそばを頬張る彼女を見下ろす。

「その浴衣、なんか見たことあるね」
「お母さんの浴衣、譲ってもらったの」
「ああどうりで」
「よく覚えてたね」
「綺麗だなって思ってたから」
「…人の…母を口説かないでもらえます…?」
「幼心にってやつだよ」

複雑そうな顔をしながらもごもごと焼きそばを咀嚼する彼女。灯りに照らされてきらきらと瞼が光るので、ああ化粧をしているのかと気が付いた。女の子って、いつから化粧をし始めるものなのだろうと、ふと疑問に思う。気づかないうちに化粧をするようになって、すらりと線が細くなって、綺麗になっているのだから不思議なものだ。
こうして会うのは久しぶりだったせいか、変わったところばかり目に付く。このお祭りは彼女と訪れる事が殆どだったというのも、やけに昔を思い出す原因だろう。

「大学は?」
「え?」
「最近、どうなの」

食べ終えた焼きそばのパックを近くのごみ箱に捨てて、口元を拭いた彼女がぽつりと呟く。久々に会話した父のような話題の振り方に、少し可笑しくなった。

「普通だよ。課題で大忙し」
「彼女は?」
「いないよ。そんな暇なくて」
「へえ。モテそうなのに」
「ぼくが?」

中学まで一緒だったのだから、伊作がモテないことは彼女だって分かっているだろうに。からかわれているのだろうか、と返答に困っていると、彼女が投げやりに口を開く。

「伊作の写真見せると、みんなかっこいいって言うから」
「なんでぼくの写真見せてるの…」
「幼馴染がいるって言うと、必ず見せてって言われるの」

それはそうかもしれない。訊かれない限り幼馴染がいるなんてわざわざ言わないが、流れで言った時は伊作も必ずと言っていいほど写真を求められる。伊作の携帯にはそんなに写真があるわけでもないし、あまり映りがよくないものを見せると本人に怒られる気がしたため、見せたことはないが。

「でも、モテないよ。知ってるでしょ」

そう言うと、彼女はどこか不満そうに「まあ…」と返事を濁した。


昔の彼女はとにかくお祭りのようなイベント事が大好きだったので、こういう日は大はしゃぎだった。お祭りを楽しみつくしてやると意気込んでいた彼女の姿は今はなく、端から端まで屋台を回るなんてこともせずに滞在時間もそこそこで伊作らは祭りの喧騒を後にした。

家が隣同士のため、必然的に一緒に帰路につく。お祭りの最中も取るに足らない会話ばかりしていたが、お祭りを後にするとより一層会話が少なくなった。からからと、下駄がコンクリートを打ち付ける音だけが響く。
昔は、お祭りから帰ると家の前で花火をしていた。だからお祭りが終わって寂しくても、足取り軽く水風船を振り回しながら帰っていたことを思いだす。今日は花火なんてする予定はないが。

「伊作、どこまで行くつもり」

呼び止められてハッと立ち止まる。もうとっくに家の前に着いていたようで、伊作は慌てて引き返した。

「じゃ、おやすみ。来年とかも、暇があったらね」
「あ、まって」

彼女の言葉に思わず引き止める。家の敷地に入ろうとしていた彼女は、伊作を訝し気に見つめた。

「留学するんだ。だから来年は行けない」
「は……、留学…?」
「うん。今年の秋から、一年間。もしかしたら伸びるかもだけど」

別に隠していたわけではないが、伝えるタイミングもなく今言う羽目になったことを僅かに後悔した。恐らく伝えるには最悪のタイミング、だったのだろう。あまり伊作はこういうのに聡いほうではなかったが、流れる空気で自覚した。
気まずさに逸らしていた目線を恐る恐る彼女に戻す。目に飛び込んできたその表情に、伊作は秋の匂いを感じた。

受験する高校を伝えたときも、こんな顔をしていたっけ。足元でかさかさと落ち葉が音を立てていたから、あれは秋の帰り道。あの時も、今と同じように鉛みたいな気持ちを飲み込んだのを覚えている。

「……そう…、大変だろうけど、頑張って」

彼女から同じような言葉が紡がれて、背を向けられる。ここで見送ったら終わる気がした。何が終わるのかは分からないが、きっと大事な何かが。思わず手を伸ばして、その細い手首をつかむ。
振り返った彼女は瞳をきらきらさせていた。化粧のそれではなく、潤んだ瞳が灯りに照らされて、きらきらしていた。ぽろり、と珠が零れて、伊作はどうしたらいいか分からず立ち尽くす。

「ごめん……」
「なに、が…」
「いや…」
「何も、悪くないじゃん。伊作が留学しようと、どうしようと、私は関係なっ、」

二人とも幼稚すぎたのか、大人になりすぎたのか。ぼくも君も、この関係の終わり方を知らない。


あじさいの浴衣が似合う頃に


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