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TopMain貴方に心づく
「ね、名前!時間ある?あるよね?ちょっと付き合って!」
「えっ、ええっ?」

顔を合わせた直後、満面の笑みで飛びついてきたかと思えば、鮑三娘は要件も告げずにその場から名前を掻っ攫った。ぐいぐいと細身の腕に引っ張られてされるがまま付いて行くと、鮑三娘の部屋へと辿り着く。一体何の用事なのか考える暇もなく、名前はあっという間に鮑三娘の部屋に招き入れられていた。
足を踏み入れて最初に目に入ったのは、部屋の一角で小さな山を作り上げている大量の衣服だった。山になっているため、一つ一つどんな服かはあまり分からなかったが、そういえば鮑三娘が着ていたような、というものがちらほらと混じっている気がする。

「今日さ、さすがにヤバいかなと思って服の整理してたんだよね」
「確かにこの量は…凄いですね」
「だから、あげる!」
「えっ?」
「名前に好きなのあげるから持ってって!」

唐突な申し出に驚いて、大量の服をもう一度見上げて放心する。鮑三娘はそんな名前もお構いなしに、がさがさと衣服をかき分けながら「これとかこれとか!似合うと思うんだよねー」と名前に放り投げるので、慌てて受け止めた。

「こ、こんな素敵なもの貰えませんよ…!」
「え〜、でも捨てる方が勿体ないし」
「う…まあ、確かに…。でも鮑三娘殿の服、私には似合わない気が…」
「何言ってんの、似合うって!あたし、名前がかわいい服着てるとこ、もっと見たいし!」

真剣そのものの表情で迫られて、名前は思わず一歩後ずさる。鮑三娘にそう言われて悪い気はしないが、手元にある煌びやかな衣装に目を落として、やっぱり…と頭が痛くなる。かわいい人がかわいくて煌びやかな衣装を着ているのはとても素敵だ。素直にそう思う。だが、自分に似合うかと言われれば話は別なのであって。
そう言いたかったが、鮑三娘の言う通り捨てるにしてはあまりにも勿体ない。でも頂いても着れないし、とまごついていると、鮑三娘が嬉しそうに手を打った。

「そうだ!ちょっと色々試しに着てみてよ!」
「え、」
「見てるよりそっちのほうが早いし。じゃあ早速これ!」
「えっ!あの、鮑三娘殿っ、ちょ…」
「一度名前のこと化粧したかったんだよねー。やば、超楽しくなってきたかも!」

鮑三娘のどこからみなぎるのか分からない活力に押し負けて、着せ替え人形になることは必然だった気がした。


どれくらい時間が経ったか分からないが、名前が試着に及んだ衣類は新たに小さな山を作り始めていた。疲労感は正直凄かったが、着飾ってくれる鮑三娘の腕が良いのか、危惧していたちんちくりんは目の前の鏡にはいなかった。

「あたしの見立てに間違いないじゃん!やっぱり名前、超似合う!」
「ありがとうございます…。こんな服着たの、本当に久しぶりです」
「えー、もっと着たらいいのに。かわいい服着てると、あたし今日絶好調かも!って気分になるし」
「鮑三娘殿が常に元気でかわいらしい所以はそこですかね」
「やっぱやっぱ?あたしって最高?」

くふふ、と無邪気に笑う鮑三娘の愛らしさに目を細めていると、「入ってもいいかしら」と凛とした声が部屋に響く。身構えていなかった来客に少々驚きつつ、どうぞ、と鮑三娘が応えると、星彩が顔を覗かせた。

「星彩殿!」
「名前殿、ここにいたの。…随分と見慣れない格好をしているのね」

ぐるりと頭からつま先まで名前を見渡した星彩が呟く。それに居た堪れなくなって、反射的に柱の陰に身を隠すと、焦ったように星彩が声を上げた。

「ごめんなさい、そういうつもりじゃなかったのだけれど」
「だ、大丈夫です。似合わないって私が一番思っているので…!」
「そんなこと思ってない。…とても素敵だと、言おうとしたの」

星彩は無表情だと思われがちだが、その実そんなことはないと名前は思っている。確かに表情はあまり動いていないのかもしれないが、醸し出す雰囲気や声音が何よりも顕著だと思うのだ。申し訳なさそうに落ち込んだ声音に、柱の陰からそっと出ると星彩が微笑んだ。

「その姿、黄忠殿が見たら大泣きしそう」
「はは…想像できてしまうのがなんとも…」

こんなに着飾った姿を見ようものなら、孫娘の晴れ舞台だと言わんばかりに涙しそうなのが容易に想像できて、名前は苦笑いを浮かべた。

「そういえば、星彩殿は私に用が?」
「馬超殿が探していたから、それを伝えに来たの」
「馬超殿が?」

別に大した用ではないのだろうが、その名前を聞くだけでいやに心臓が音を立てるものだから、必死に動揺を隠そうとする。しかし、名前の馬超への恋情は、一部の人間にはもはや公の事実であり、ちょっと後ろを振り返れば鮑三娘が満面の笑みを浮かべていた。

「見せに行くしかなくない?」
「なくないです!」
「馬超殿がどんな反応をするのか、見物ね」
「星彩殿まで!?」

必死に抵抗する名前だったが、二人がかりでは到底かなうわけもなく、ずるずると部屋から引っ張り出されて廊下を引きずられる。道行く将たちに異様な光景として見られていたが、今はそんなことより待ち受けている地獄の方が嫌だった。

「馬超殿は稽古場の方にいるはずだけれど…」
「名前いつまで嫌がってんの!超かわいいんだから見てもらいなって!」
「結構です!大丈夫です!遠慮します〜〜っ!!」
「こんなに必死になっている名前殿、初めて見た」

大騒ぎしながら進軍していると、無慈悲に稽古場のすぐ目の前になっていたようで、騒ぎに気が付いた馬岱がひょっこりと出てくる。女子三人がわあわあと騒いでいる様子に目を瞬かせていたが、中心にいる名前を見ると馬岱は「わあ」と顔を明るくした。

「名前ちゃんがおめかししてる!」
「ば、馬岱殿!」
「何もそんなこの世の終わりみたいな顔しなくても…すっごい似合ってるよお!」
「きょ……恐縮です…」

馬岱の褒め言葉を持て余して石になっていると、名前が呼ばれたくないと絶対分かっているであろうに馬岱が「若〜」と無邪気に呼びかける。この時ばかりは、馬岱のことが悪鬼か何かに見えた。今更逃げることも許されずに、鮑三娘と星彩に張り付けのようにされていると、馬超が現れた。

「なんだ?…おお、名前殿!稽古場に名前殿の姿が見当たらないので、何かあったのかと思ってな!馬岱もへばってきたところだ、俺と手合わせを…」
「ちょ、ちょっと若」
「ん?」

馬岱の制止に首を傾げる馬超。馬岱もその悪気が一切見えない様子になんといえばいいのか頭を悩ませていると、背後でむすっとしていた鮑三娘が馬超に詰め寄った。

「ちょっと!女の子がおしゃれしてるのに褒めないってどういうこと!?開口一番、手合わせのお願いとかありえないんですけど!」
「おしゃれ…?」
「こっち!名前のこと!」

びしっと鮑三娘が指さす方向を辿り、ようやく名前の姿全体に目が行き渡ったのか、普段とは違うその姿に馬超は面食らったようだった。しばらくの沈黙の後、合点がいったらしい馬超が気まずそうに頭を掻く。

「す、すまない、稽古のことばかり考えていた」
「い、いえ…!そんな、」
「その…綺麗だ。とてもよく似合っている」

馬超は世辞の類が言えない人間だと思っている。少なくとも、名前はそう考えている。嘘をつくと目にも顔にも声にも出てしまうのだ、馬超という人は。
だからこそ、不器用なりにも真っすぐに紡がれたそれは、嘘偽りない言葉であることを、何よりも分かってしまった。声高らかに名乗りをあげるその声が、僅かに照れを滲ませて「綺麗だ」と告げてくれた。じわじわと耳から侵食してくる事実に、頭の中が煮立っていく。
無意識に止めていた呼吸を再開すると、くらりと眩暈がして、脳が退避の命令を出し始める。そう、退避だ。退避をしなければ。

「て……」
「て?」
「手合わせでしたよね!この格好ではさすがに無理なので着替えてきます!失礼します!!」
「あっ、名前!」

緩んでいた拘束を解いて、脱兎のごとく物凄い逃げ足を発揮する。鮑三娘たちが追い付く隙も与えず、逃げ出した名前はそのまま廊下を走り抜けた。
泣くようなことではないはずだったが、あまりの顔の熱さに目頭も熱くなってくる。馬超から女性として褒められたのは恐らく初めてことで、完全に許容量を超えていた。許容量を超えたがゆえに、体の色んな所が故障し始めている気がした。涙も、そのうちの一つだ。

自室に飛び込んだ名前は、その場にずるずると座り込んだ。しゃらり、と服の装飾が音を立てて、自分の姿を改めて見つめてみる。綺麗だ、油断すればあの声がすぐ反響してまた泣きそうになったが、何とか堪えてみせた。戦が終わったときなんかより、よっぽど死線を潜り抜けた感がするのは何故なのだろう。
着替えて戻ると言ったのだから戻らなければ。そう思うものの、名前はまだ馬超の言葉を胸に抱えて離せないでいた。

***

「俺は言葉を間違えただろうか…」
「いや〜…大丈夫だったと思うよ、多分。若にしては」

鮑三娘と星彩も立ち去り沈黙が広がる中、立ち尽くす馬超に、馬岱が曖昧な慰めをかける。着替えにはしばらく時間がかかるだろうと踏んで、馬岱はそのまま稽古に戻ろうとしたが、馬超は名前が立ち去った方向をぼうっと眺めていた。

「…若?大丈夫?」

泣かせたわけではないのだからそんなに気に病まずとも、そう声をかけようとしたが、馬超は落ち込んでいるわけではないようだった。遠くを見つめる馬超の瞳は美しい風景を愛でるかのように穏やかで、それでいて静かにきらきらとしていた。

「…名前殿は、俺たちの背中を預けられる、勇ましく、聡明で、女性なれど立派な武人だと思っていた。今もそう思っている」
「え、うん…そうだね」
「だが……綺麗だったのだな、名前殿は」

馬岱は、その時人生で一番と言っても過言ではないくらいに驚いていた。馬超はうわごとの様に呟いたかと思うと、ハッと我に返って僅かに頬を染めた。

「変なことを言った。忘れろ、馬岱」
「え〜、承服しかねるなあ」
「馬岱!」

満面の笑みになってしまうのも仕方のないことだと言えるだろう。そう、確かに馬超の言う通り名前は勇敢な武人だ。だが、それと同時に女性だ。そんな当たり前で普通なことに、目の前の馬超はやっと気づいたようだった。馬岱があれほど口を酸っぱくして言い聞かせても、理解しなかった馬超がだ。口で言うより、実力行使の方が早かったというだけかもしれないが。

「その綺麗な名前ちゃんを毎回手加減なしで吹っ飛ばしてるの誰だか分かってる?」
「う……だが、手加減は名前殿に失礼だ。それは変わらんだろう」
「まあね〜。若がもっと器用になってくれればいいとも思うけどね」
「ぜ…善処する」

いつもより小言を聞き入れる姿勢が素直なことに、馬岱はにっこりと笑った。これは、思ったより。馬岱が機嫌を良くしていると、ぱたぱたと駆ける音が聞こえて顔を上げる。

「お待たせしてすみません!」

いつもの動きやすい服を身にまとった名前が、稽古場へと駆け込んでくる。先ほどまでの煌びやかな衣装とは違い、普段通りの名前だ。しかし、馬超の目にはもうすでにいつもと同じようには見えていないはず。横顔を見れば、それは明らかだった。
純粋に二人を応援する気持ちとは別に、揶揄したい悪戯心が騒ぎ始めた馬岱はひっそりと笑みを隠した。

*捧げ物


貴方に心づく


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