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おしゃれをする女の子は等しくかわいいものだと、タカ丸は思っている。自分の為、恋の為。その目的がなんであろうと、かわいくあろうとする女の子はかわいいものだ。髪結いであった時から、そんな女の子の力になれることがタカ丸は好きだった。

「タカ丸さんっ、こんにちは!」

嬉しそうに弾んだ声に呼び止められて振り返ると、見慣れた女の子がタカ丸を覗き込んでいた。

「名前ちゃん。こんにちは〜」
「これから委員会ですか?」
「うん。名前ちゃんは?」

そう尋ねると、名前は僅かにはにかむ。予測していなかった反応にタカ丸が首を傾げると、名前は遠慮がちにこちらを見つめて、髪の先をくるくると弄りだした。

「そ、の…これから潮江先輩の所に行くんですけど…、変じゃないですか?」

なるほど、そういうことか。と、名前の姿を改めて見つめて腑に落ちる。彼女は根からおしゃれ好きのため普段からかわいらしく身なりを整えているが、今日は少し気合が入っているように見える。それが分かるくらいには、タカ丸と名前の付き合いは長かった。

名前はタカ丸の髪結い時代の常連客だ。おしゃべり好きでおしゃれ好きな彼女とは、店員と客という仲だったがかなり気の合うもの同士で、二人で話しているときりがないくらいだった。
それも、タカ丸が忍者を目指して忍術学園に入学すればほとんど会うことは無くなるだろう。そう残念に思いながら忍術学園の敷地内に足を踏み入れたのだが、驚いたことに名前はくのたまであった。

思いがけず再会を果たしたタカ丸と名前は、店員と客から、学友というものに少しばかり形を変えた。話す内容や接し方こそ、全く変化はなかったが。

「変じゃないよ。今日もすごくかわいいと思う」
「えへへ、やっぱりタカ丸さんに言ってもらえると心強い」

ふう、と胸を撫で下ろした名前の目尻が、ほんのりと赤い。名前も他のくのたま同様、忍たま(特に同学年)に対しては隙を見せない恐いくのたまをしている所をタカ丸もよく目撃するが、やはり好きな人のことを考えている姿はどう見ても年頃の女の子だ。
文次郎への片想いは、本人曰くかなり年季の入ったものらしい。叶うなんて到底思っていないが、文次郎が卒業するまでの間は全力で想っていたいのだと、そう言っていた。相談も何度となく受けているタカ丸は純粋に応援したいと思っていたし、恋をする名前の姿はいじらしく、タカ丸の目には愛らしく映った。

「あ、少しだけ髪触ってもいい〜?」

僅かな崩れを見つけて声をかけると、名前は言われたままに体を返してタカ丸にうなじを見せる。
「一旦ほどくね」を声をかけてから簪を抜いて、落ちた髪の毛を丁寧に束ねていく。そうして結い上げた髪に再び簪を挿し、タカ丸はうんとひとつ頷いた。

「はい、どうかな〜」
「わあっ、ありがとうございますタカ丸さん」

胸元から取り出した小さな鏡で確認しながら、ぺたぺたと結われた髪を触る名前。その嬉しそうな表情に、ついタカ丸もくすぐったくなる。これだから髪結いの仕事は好きだ。鏡の中の自分が、想像より素敵で驚く瞬間。それを見るたび、得も言われぬ満足感があった。

「あ、そうだタカ丸さん。今度のお休み、お時間あったら一緒にお買い物に行きませんか?」
「お買い物?」
「新作の簪を見に行きたくて。タカ丸さんと一緒に選べたらなあって思ったんですけど…」

遠慮がちに見上げてきた名前に、タカ丸の胸中はふわりと熱を持つ。作らずとも、ふにゃりとしたタカ丸からこぼれた。

「ぼくもちょうど見に行きたかったんだ〜。今度、女装の授業があって」
「そうなんですか?じゃあ化粧道具も一緒に見ましょうね!」

ぱあっと顔を輝かせた名前はタカ丸の手を取って大袈裟にはしゃいで見せる。

「今日の紅、この前買ったものなんですけど、すっごく良かったのでそこのお店、行きましょう!」
「いいの〜?今日、すごくかわいい色差してるなって思ってたんだ」
「かわいいですよねこの色〜!」

にこにこと満面の笑みを浮かべる名前の口元は、淡い桃色が艶々と輝いている。相変わらず自分を引き立たせることが上手いその化粧技術に、観察の意を込めて見つめてしまったことは確かだったが、何故だかそれとは別に、名前の長い睫毛から目を離せないでいる自分がいた。

***

土井先生からの言伝を兵助に伝えそびれていることに気が付いたのは夜だった。明日の委員会活動に関わることのため、明日伝えるよりかは今日伝えてしまったほうがいい。夜訪ねるのは少し忍びなかったが、迷惑をかけてしまうほうがよっぽど嫌だったためタカ丸は部屋を出た。
月明かりが照らす廊下を進んで、兵助の部屋へと向かう。どうか不在ではありませんように、と思いながら歩を進めていると、目的地の部屋から明かりが漏れていることに気が付いた。心なしか楽しげな声も聞こえてくる。そっと部屋の前まで歩み寄ると、気配を悟られたのか、タイミングが良かったのか戸がスパンと開いた。

「あれ、タカ丸さん」
「わあっ、尾浜くん」

外に出ようとしていた勘右衛門が丸い目をぱちくりとさせてタカ丸を見上げる。タカ丸の名に、部屋の中にいるらしい兵助の「タカ丸さん?」と反応する声が聞こえた。そろり、と部屋の中を覗き込むと、五年生の面々が勢ぞろいしており、今度はタカ丸が目を瞬かせる。

「もしかしておれに用ですか?」

素早く兵助が立ち上がってタカ丸に歩み寄ってくる。入り口にいた勘右衛門は、兵助の邪魔にならないように端に身を寄せた。

「うん。ごめんねえ、夜遅くに。委員会のことで土井先生から伝言があって」
「そうだったんですね。すみません、わざわざ」
「ぼくの方こそ、お昼に伝え忘れちゃって」

なんて部屋の入り口で遠慮合戦を繰り広げていると、すぐ近くで聞いていた勘右衛門が口を開く。

「そんな話突っ立ってしてないでさあ、中に入りなよ二人とも」
「え?」
「今、五年生のみんなで呑んでたんです。タカ丸さんも一緒にどうですか?」

突然の誘いに真っ先に湧き出たのは罪悪感で、思わず中にいた他の三人に目を向ける。しかし、いい感じに出来上がってご機嫌らしい三人は、もうすでにタカ丸分の席を空けて手招きしていた。

「ええっと…、じゃあご一緒させてもらおうかな」
「ぜひぜひ!兵助もいいよね?」
「おれは構わないけど…、タカ丸さんが迷惑じゃなければ」
「迷惑だなんて全然!」

慌てて顔の前で手を振ると、兵助の表情が幾分か和らぐ。じゃあ、と部屋の中に招き入れられて、タカ丸は五年生の輪の中に腰を下ろした。そこまで広い部屋ではないため、この人数入ると手狭なところはあったがこれも一つの醍醐味みたいなものだろう。
いい感じに出来上がっている面々に囲まれれば、タカ丸が輪に馴染むのもそう遅くはなかった。先輩らの愚痴から、後輩らの自慢。あらゆる話題が飛び交う中、年頃の男子らしい話題も当然あるわけで。今、五年生の中で熱いのは、どうやら八左ヱ門の片想い話のようだ。

何度か通っているうちに、甘味屋の店員に恋をしてしまったらしい八左ヱ門は、想いを告げることができずにいるのだとか。伝えてしまえ、もっと積極的に行け、だのと周りに囃し立てられて、八左ヱ門はむしゃくしゃと頭を掻く。

「まあでも、見てるだけってのも、きついんだよな…」
「ただの常連客からいつまでも脱却できないしね」
「そうなんだよ!しかも、他の客と結構仲良さそうに喋ってるところ見ちまうと…、」

はあ、と大きくため息をついた八左ヱ門は、微妙な表情を隠すように口元に手をやる。

「おれだけ見てほしいとか思っちゃったり、さ……するだろ」
「あま〜〜い!」
「あまくなんかねえよ!もっと、汚くて、器が小さい自分が嫌になるんだ…」

甲高い声で茶化した勘右衛門に八左ヱ門は怒鳴ってから、自己嫌悪にがっくしと項垂れる。本人は汚いというが、それほどまでに真っすぐ想っている様はタカ丸には輝いて見えた。

「でも、そういうものなんじゃないのかな。心のバランスが取れなくなるから、心奪われるっていうんだよ」

今まで余計な口を挟まずにうんうんと聞いていた雷蔵が、柔らかく紡いだ。その言葉につむじを見せていた八左ヱ門も顔を上げる。荒れていた心が少し雷蔵の言葉で落ち着いたのか、八左ヱ門は「確かに…」と噛みしめてから体を起こした。

「雷蔵いいこと言うじゃん」
「受け売りだよ、本のね」
「雷蔵はいつもいいことしか言わないぞ」
「三郎は黙ってて」

的を射たことを言ったばかりにやり玉に上げられて肩身が狭くなった雷蔵は、ごほんと咳ばらいを一つして「ぼくのアドバイスなんかより」と声上げる。

「タカ丸さんとかの意見を聞いたほうがいいんじゃないかな」
「え、ぼく?」
「あ〜、まあタカ丸さんモテるしなあ」

突然渡されたバトンにうっすらとあった眠気が吹き飛ぶ。他の皆も納得したように頷いていて、大げさな否定は許されない空気だった。それでも真実と異なるのだから肯定するわけにはいかない。眉を下げてタカ丸は苦笑いを浮かべた。

「ぼくは女の子と仲がいいだけだよ。恋愛とか、そういうのはみんなが思うほどないと思うけど…」
「そうなんですか?」
「うん、本当に仲良くなるだけ、というか。竹谷くんみたいな体験、あんまりしたことないなあ」

思いつく限り、本当のことだった。竹谷や、よく女の子が言うような惚れた腫れたの体験は、タカ丸には思うほどない。人を好きになったことは勿論あるが、それすらも遠い記憶のことで。胸が焦がれるような気持ちなんて抱いたことがない。ましてや、汚いと思うほど心乱されるなんて想像にすら及ばなかった。
女の子の恋愛相談を受けたことは数知れずだが、案外タカ丸は本気で恋をしたことがないらしいと改めて気づく。自分はそれなりに人を好きになってきたと思っていたのだが。

そういうものか、と八左ヱ門たちが頷いている中、勘右衛門はうーんと首を捻って、タカ丸と視線がかち合うとすっと目を細めた。

「でも、きっと一歩踏み外したら…分からない気がするなあ、おれは」
「うん…?」
「仲がいいってことは情が既にあるってことでしょ?その情がいつ恋情や艶情になっても、不思議じゃないですよ」

勘右衛門の瞳に、ざわりと胸が騒いだ。何かが本能的に引きずり出されるような、そんな感覚が一瞬タカ丸を襲う。無意識に勘右衛門から視線を逸らすと、胸のざわめきが静かになっていった。冷や汗、だろうか。じっとりと背中が濡れていて気持ち悪い。
勘右衛門は「ま、分かんないですけどね!」とあっけらかんに笑って、話題は別のものに移り変わっていく。タカ丸はしばらく自分の中に渦巻く予感のようなものに戸惑っていた。心当たりがないのが逆に恐ろしかった。不意に、今度の休みの約束が頭をよぎった気がした。

***

よく晴れた日だった。外出届は無事に取ってあるし、買わなければいけないもののメモもばっちりだ。タカ丸は身だしなみをきちんと整えてから、正門へと向かった。
名前はまだ来ていないようで、出かける様子のタカ丸に気づいた小松田がにこっと笑顔を浮かべる。

「こんにちは〜、お出かけですかあ?」
「はい。これ外出届です」
「…うん、確かに受け取りました!もしかして誰かと待ち合わせ?」
「そうです、えっと…」

そろそろ来るんじゃないかと振り返ると、タイミングよく淡い色の着物姿が目に入る。あっとタカ丸が声をあげる前に、名前は小走りでぱたぱたと駆け寄ってきた。

「すみません、お待たせしました…!」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ、はい」

肩を上下させる名前に手拭いを差し出すと、ありがとうございます、とはにかんで受け取られる。化粧によって薄く彩られた肌は幾つか汗の珠が浮かんでいたが、とても綺麗だった。相変わらず自分を着飾るセンスの良さに、ぐるりと頭からつま先にかけて見渡してしまう。色の重ね方も、小物も、化粧も、どれ一つ突出することなく調和のとれた姿に、純粋な賛美の気持ちと、趣味が合致していて湧き出る好きという気持ち。
今すぐにでもその一つ一つを褒めたいくらいだったが、とりあえずこの門を出てからだ。名前も用意をしていた外出届を小松田に提出して、二人で出門表へサインをする。にこにこ顔の小松田に送られて門をくぐると、名前がふうと一息ついた。

「ギリギリまで鏡の前でにらめっこしちゃって、お待たせしてすみませんでした」
「ううん、全然待ってなかったから平気だよ〜」
「お詫びにタカ丸さんの化粧品選び、尽力いたしますので!」

拳を作って意気込む名前に、吹き出してしまう。本当にそこまで待ってなどいなかったし、これだけ身綺麗にするなら時間もかかって当然だろう。朝からその苦労をこなしてきたことに、感謝こそすれ怒りの気持ちなど毛頭ない。

「この着物、見たことないけど新しく買ったもの?」
「いえ、これは母に譲ってもらったものなんです。かわいくて、お気に入りなんですよ」
「うん、名前ちゃんにすごく似合ってる。お化粧もばっちりだね」

そう褒めると、名前は照れくさそうに笑った。

「よかった。今日はタカ丸さんのためにおしゃれ頑張ったので、そう言ってもらえて一安心です」
「え、ぼくのため?」
「はい!だってかっこいいタカ丸さんの隣を歩くんだもの、ちゃんとしなきゃ〜って思って。それに、タカ丸さんいつも褒めてくれるから、好きそうな色とか小物とか、考えてたら止まらなくなっちゃって…」

楽しげに話す名前の横顔に、息が詰まった気がした。差された紅も、首元の重ねた色も、結われた髪も。全て自分を思って形作られたものだと思うと、せぐりあげる何かがあった。
自分のために鏡と睨めっこしていたのだと、自分のために色を選んだのだと。理解しようとすればするほど、脳裏がチリチリと焦げ付く。

気が付けば、その細く白い手を握ろうとしていた。本能的に手を伸ばしていた自分が怖くなって、慌てて引っ込めてぎゅっと固く拳を握る。

欲深い思いが、タカ丸を占拠していた。喉に張り付く、どろどろとして飲み込むことができない、熱い、……激情だった。数日前の勘右衛門の台詞が耳奥でこだまする。

…そうか、自分は、転がり落ちてしまったというのか。

汚くて、器が小さい自分。まさに八左ヱ門が語るそれだった。手放したくない、自分だけを見てほしい。こんなにも、浅ましい。呆然とするタカ丸に、名前が微笑いかける。

「お買い物、楽しみですね!」

無邪気に弧を作った口元は、少女らしい赤が色取られていた。今日を終えてしまったら、きっとまた彼女は想い人のために紅を選ぶのだろう、着物を合わせるのだろう、髪を結うのだろう。考えただけで、どうにかなってしまいそうだった。人間とはこんなにも欲深くなれるものなのか。

こんなことならば、知りたくなかった。そう思っても遅いもので。目の前の彼女はこれ以上にないほど愛おしくて、笑顔を見るだけで泣きそうになるくらい好きだった。
もう一度忍術学園の門をくぐったとき、自分は笑顔を浮かべていられるのだろうか。彼女に、また明日ねと何でもない顔で手を振れるのだろうか。

考えても仕方がない。今は彼女の隣にもっといたいとそう思ってしまっているのだから、タカ丸はへたくそな笑みを返すしかなかった。


情火を飲む


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