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TopMain蛍光灯の色男
常連の私が初めて見る客だった。いつものように誰を連れ添うわけでもなく一人で呑んで、店主や近くの知らないおじさん達と駄弁っていると「いい飲みっぷりだなァ!」と陽気な声。私もほどよく酔っぱらって気が良くなっていたもので「ありがとうございま〜す!」と笑顔で振り返ると、物凄く楽しそうにしている赤髪の男と目が合った。
傍にはその男の連れらしき男が数人。少人数で呑んでいるおじさんに声をかけられることはしょっちゅうあるが、団体で飲んでいる人が声をかけてくるのは珍しかった。

「お頭、珍しくナンパか〜?」
「そうじゃねェけどよ、あまりにもお嬢ちゃんが気持ちよく飲んでるもんだから、な!」

な、と同意を求められて思わず目を瞬かせる。随分とフレンドリーな人だ。呑みの場で馴れ馴れしく話しかけてくる人は多いが、この人はなんていうか、嫌じゃない。そう思わせる人懐っこさがあった。

「おにいさんも気持ちよさそうに酔ってますね〜」
「そりゃそうだ!楽しく飲まねえと意味がねェからな」
「あー、相当な酒飲みですねおにいさん」

その言葉にはポリシーのようなものも感じて、一瞬にして悟る。居酒屋を交流の場としている私には、根っからの酒飲みかそうではないかの区別はすぐつくようになってしまった。私がにこにこと応対していると、赤髪の男の隣にいた渋めの人に目線を送られていることに気が付く。
ぱっとそちらに視線を向けると、申し訳なさそうに軽く頭を下げられた。うちのが迷惑かけてすまない、って感じだろうか。別に嫌な思いをしていなかったため、慌てて笑顔とジェスチャーを返すと随分と大人っぽい笑みを返された。ちょっと、かっこいい。

「おにいさんたちは友達?で呑んでるんですか」
「おう!友達だし、仲間だな」
「仲間?お仕事が一緒なんですか?」
「そんなとこだ!」

曖昧な答えだったが、不思議としっくりきた。仲のよさそうな雰囲気を見ていると、友達だけでは済ませられない何かがあって、仲間と呼べるくらいの絆を感じる。別に一人で呑むことを好きで趣味としているのだから寂しいと思ったことは一度もないが、少しだけ、仲間と呼べる人たちと楽し気にしているのが羨ましく見えた。

「いいですね、楽しそう」
「お嬢ちゃんはここの常連か?随分みんなと仲良さそうだったな」
「そうです。何か発散したいときは決まってここに来てますよ」
「あ〜、さっき盛大に愚痴ってたなあ」
「聞いてたんですか…」

聞こえてきちまったんだ、とちょっと悪戯っぽく笑われて恥ずかしくなる。まあ、大声で愚痴っていたのは私だし、それで店内の笑いをかっさらっているのもいつものことなのだが、改めて言われるとやはり恥ずかしいものがある。

「まあまあ、知らないおれに励まされてもあれだけどよ、元気出せよ!」
「ざっくりだな〜。せめて一杯くらいおごってくださいよ」
「お、いいぞ〜!好きなの頼め!」
「わあ太っ腹。好きになっちゃう」
「だっはっはっは!そういうのはもっといい男に言うために取っとくんだな」

なんて、私を諫めたその人を改めて見ると、結構、いやかなりかっこいい人だったことに気が付く。酔っ払いという要素とその豪快な笑顔で最初こそあまり気づかなかったが、冷静に見ればかなり整った顔立ちだ。自分もいい男じゃないか、本当に好きなっちゃうかも、とか私も中々にふわふわした思考でそんなことを思っていると、奢りでと頼んだハイボールが置かれる。
キンキンに冷えたそれを私が半分ほど飲み干せば、おおっと歓声の声が上がった。と、まあ私もいい具合に酔っぱらっていったし、私に声をかけてきた赤髪の男もどんどん泥酔していった。愉快な輪に混ぜてもらったその夜は格別楽しかったのだ。朧げな記憶だが、確かにその余韻は残っている。そして楽しかっただけに、次の日自分の行いを恨むほど痛い目を見たのは道理だった。

***

私が緊張を飼いならすように浅い息をつけば、それを見かねた先輩がぽんっと軽く背中を叩いてくる。

「リラックスね〜。いつも通りにやればなんてことないから」
「はい、頑張ります」

今まで何度かプレゼンはこなしてきたが、いつまで経っても慣れるものではない。今回はそんなに大人数に向けたものではないし、小さな会議室をとって収まる程度のものではあるが、相手にするのは社長だった。

「あそこの社長、気さくな人だしそこまで身構えなくて大丈夫よ〜。ま、見るとこは見る人だけど」
「プレッシャーかけたいのか、かけたくないのかどっちですか〜…?」
「あははっ、どっちもかな〜?気抜いてもらっても困るし」
「それはないですよもう…」
「なら大丈夫よ」

確かに安心させてくれる言葉に、胸のつかえが緩やかに取れていく気がする。こういう時、やはり頼りになる先輩だと思い知らされるのだ。手元に用意した資料の角を、そっと撫でる。大丈夫、落ち着けばなんてことない。そう自分に言い聞かせていると、会議室の入り口から後輩が顔をのぞかせた。

「お通ししても大丈夫ですか?」
「平気?」
「はい」
「大丈夫よー」
「はあい」

よし、と気合いを入れて背筋を伸ばすと、ガチャリと会議室の扉が開いた。

「お久しぶりです、シャンクスさん。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」

まず先輩が前に出て挨拶を交わす。その一歩後ろについて順番を待っていると、先輩との挨拶を終えたその人が私へと視線を向ける。私は緊張で壁に合わせていた焦点を、改めて社長その人に合わせた。

「あっ」
「ん?」

完全に意識の外から間抜けな声が転がり出る。咄嗟に口元に手をやると、社長、もとい、シャンクスさんは私を見つめて目をぱちりと瞬いた。
明らかに、見覚えのある人物だった。いくらあの夜、泥酔していたとは言えどまだ意識が正常だったころの記憶が普通にある。それに、シャンクスさんの隣に並ぶのはどう見ても、あの時も隣に並んでいた渋い男の人と同一人物であった。
しかし、数秒立ち尽くしてしまった所で正気に戻り、ぶわっと冷や汗が背中に湧き出る。今は仕事の場だ。シャンクスさんが飲み屋での出来事を覚えているいないはさておき、あの時の〜!なんて話をしていいものではない。私は慌てて居住まいを正して、名刺を取り出した。

「苗字 名前と申します。今日はよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ」

突然の出来事に動悸は収まっていなかったが、何とか取り繕うことはできた。この後も余計なことは意識せず、私は淡々と己の為すべきことをするだけ。当初の目的を思いだせば気持ちも落ち着いてきて、私は手元の資料をぎゅっと握りしめた。


本番というのはやってくるとあっという間に過ぎ去るもので、目の前のシャンクスさんが居酒屋で出会っただのどうのこうのは全て忘れて、ただプレゼンの聞き手として、私が引き込まなきゃいけない相手として、誠心誠意自分の持てるものをぶつけた。
最初こそ戸惑う気持ちが僅かながらにあったが、シャンクスさんの目は本気だった。本気で、社長として見定める目をしていた。こんな人を相手にして中途半端な気持ちでやるほうが失礼というものだ。
ひきつりそうな喉を叱咤して、以上ですと締めくくる。私は緊張で暴れまわる胸を押さえつけながら、シャンクスさんの反応を窺った。

シャンクスさんは体感数分、だけど実際は数十秒、プロジェクターにより映し出された資料を見つめて、うんと頷いた。

「よし、これでいこう」
「えっ、本当ですか?」

重みも何もない、今日のお昼これにするぐらいのノリでシャンクスさんは言い切った。先輩が思わずシャンクスさんに聞き返すと「ああ」と答えて、鋭い眼差しで私を射抜く。

「ぜひとも、一緒に仕事がしたいと思ったんでね」
「それは…光栄です。ありがとうございます」

深く頭を下げながらも、あまりにも早い決断に喜びの実感すら湧かない。前に立ちながら呆然としていると、先輩が少し砕けた様子でシャンクスさんに絡む。

「一度持ち帰ったりとかしなくて平気なんです?」
「平気平気」
「この人がこうと決めたらうちは止めるやつが誰もいないんでね。正式に決定だと思っていただければ」

隣で口を挟まずに聞いていたベンさんが肩を竦めながら補うと、先輩も脱力したように背もたれに体を預けた。

「相変わらず破天荒な人ですねえ。でも、ありがとうございます。うちの苗字も頑張った甲斐がありました」
「ああ、いいプレゼンだったな」

緊張がほどけた空気で改めてシャンクスさんから褒められて、お礼を返しつつ素直に照れている自分がいた。だって、やっぱり冷静に見るとシャンクスさんって恐ろしく格好いいのだ。蛍光灯の下で見るシャンクスさんは、正真正銘、仕事ができる色男だった。この前の陽気な酔っ払いはどこへ行ったというんだ。
スーツ姿はキマっているし、近くに寄れば男性特有の整髪料の匂いがする。仕事の場に出る男性ならば当然のことなのだが、どうにもこの前とのギャップに困惑している自分がいた。熱くなる顔がバレないように視線を天井に彷徨わせていると、がたりとシャンクスさん達が立ち上がる。

「悪いが今日はスケジュールが詰まっててな。詳しい話はまだ今度」
「はい。入り口までお送りしますよ」

先輩と共にシャンクスさん達と会議室を出ようとすると、入り口をベンさんに譲られて会釈をしながら肩身狭くこそこそと出る。改めてシャンクスさんの会社はトップの社長と、その付き人であるベンさんがこんなに格好良くて、もしかしてイケメンしかいない会社なのか、なんて馬鹿なことを考え始める。
無駄にエレベーターの中でも物凄く意識してしまって、プレゼンが終わった瞬間煩悩が溢れ出すかのようだった。まだまだ仕事中なんだからしっかりしろ私、と理性が己を戒める。入り口まで見送ると、シャンクスさんが振り返って私に握手を求めた。

「改めて、これからよろしく頼む」
「あ、はいこちらこそ…!」

ぎゅっと大きな手に握られて、笑顔を向けられる。それはあの夜見たものとは違って随分と大人びていた。社会人の笑顔、って感じだ。もしかしてよく似た赤の他人なのだろうか、と思い始めるくらいには何もかもが違って、勝手に混乱していると握られた手に力が込められた。何事かと思い顔を上げると、驚くほどシャンクスさんの顔が近くにあって思考停止する。重めの香水が、シャンクスさんの首筋から香る。

「仕事抜きにして、また今度飲もう、な!」

にかっと笑ったシャンクスさんの顔は太陽みたいで、記憶の中と重なった。がやがやと騒がしい人の声も、お酒も目の前にはなかったが、確かにシャンクスさんで、この前と同じ雰囲気で。こんなのって、ない。だってそんな、これはずるいだろう。
ぱっと何事もなかったかのように離れたシャンクスさんだったが、私は何事もないわけにはいかず。あまりにも単純な自分に嫌気がささないでもなかったが、あの魅力に抗える人間が果たしているのだろうか。いや、いない。お手本のような反語を脳内で処理して、私は恋する乙女、というか恋に落ちちゃった乙女のため息をつくのだった。


蛍光灯の色男


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