Ave Maria
春。
寒さから解放された暖かな風が舞い降り、待っていましたと言わんばかりに、辺り一面に花が咲き乱れる。
夏。
生き物が活動を活発化させ、生命の力強さと営みを間近で感じ、命の息吹を感じる。
秋。
収穫の時期を迎えた穀物がたわわに実り、黄金色に染まった畑は、これから迎える寒さに備え、最後の輝きを放つ。
冬。
そして、一年の終わり。
厳しい寒さが訪れ、皆肌を寄せ合い凍えそうな身体を温め合いながら、また新たに迎える春に向けて希望を寄せ合う。
俺は、冬が嫌いだ。
命の循環に必要なサイクルであったとしても、訪れる身も心も凍えるような感覚は、何年経験しても慣れることはない。
そして今年もまた、冬が訪れようとしていた。
地上に出て、何年か経った。
そこは、輝く太陽が眩しくて、見上げる空は果てしなく続いていた。
肌に触れる風は、地下でのそれとは違い、命の息吹を感じる。
地下ではそうはいかなかった。
四方八方囲まれた空間では、空気は澱み、風は生ぬるく、日の当たらない空間は、いつもどこかジメジメとしていた。
だが温度は別だ。
地上の気温をそのまま取り込み、夏は暑く、冬は凍てつくほど寒い。
母親を失い、俺一人になった初めての冬は、それはとても寒かった。
その感覚は、随分と時が経った今でも忘れられない・・・
**
「リヴァイ兵長!
エルヴィン団長がお探しですよ。」
後ろから、パタパタと駆け付けてそう伝言する彼女は、エルヴィンの側近兵士のナマエ。
随分俺の事を探していたのか、このクソ寒い中肩で息をしながら額にじんわりと汗をかいている。
いつもこいつは一生懸命だ。
去年調査兵団に入団し、まだ新兵とそう変わらない立場だが、その一生懸命さが買われ、エルヴィンが側近として従事させている。
仕事を優先し過ぎて昼食を摂るのを忘れていたり、自分が怪我をしていようが仲間を先に手当てしてやったり、自分の事をかえりみず行動するところをよく見かけるが、そんな姿に好感は持てるがどこか危なっかしい。
「わかった、団長室へ行く。」
「はい!お願いします。」
満面の笑みでナマエはそう答えると、元来た道を引き返そうとする。
「おい。」
「はい?」
不意に呼び止められ、少し驚いたのか一瞬肩をビクつかせ振り返る。
「随分と探させたようだな。」
そう言ってポケットにしまってあったハンカチを彼女に差し出す。
この凍てつくような寒い中、汗も拭わずにいれば風邪を引くだろうなどと、普段の俺ならたいして気にも留めないような事が気になり、彼女を呼び止める。
「あ、ありがとうございます。」
ナマエは差し出されたハンカチをおずおずと受け取ると、深々とお辞儀をし、やはり元来た道を走るようにして去って行った。
**
ドキドキドキドキ・・・
「リヴァイ兵長にハンカチお借りしちゃった・・・」
受け取ったハンカチを握り締めながら、心を落ち着かせようと努める。
エルヴィン団長から兵長を探すよう指示され、兵団敷地内を随分と探し回った。
執務室には居ないし、訓練場でも姿は見つけられない。
食堂や医務室、思いつく限りの場所を当たってみたけど、どこにも居る気配はないので、半ば諦めがかっていた時だった。
一旦団長室へ戻り、状況を報告しに行こうと思った矢先、進む廊下の先に探していた人物の影がチラリと覗く。
慌ててその姿を追い、団長からの伝言を伝えた。
リヴァイ兵長は、私の憧れの人。
最初見た時は、人類最強の兵士とうたわれ、身なりのキチンとさから完璧主義者かと思われるし、目付きも悪くて怖い人なのかと思っていた。
だけど、エルヴィン団長の側近として従事することになってから、その印象はガラリと変わった。
リヴァイ兵長はよく団長室へ足を運ぶ。
大半は団長の呼び出しで訪れているのだが、団長の信頼も厚いため、その理由もよく理解できる。
その際交わす二人の会話から、とても真面目で組織に対して従順で、それでいて時折織り交ぜる彼独特の口の悪さからの冗談が、とてもお茶目に見えて親近感が湧いていた。
そして、今回みたいなさりげない気遣い。
あの鋭い目付きにも関わらず、思いの外優しい心配りをする姿を垣間見ることがあれば、そのギャップに落ちない女の子は居ないんじゃないかと思ってしまうくらい。
そんな私も例外ではない。
リヴァイ兵長に心奪われている。
だけど、そんな想いを伝えることなんか到底出来るはずもなく、ただ見つめるだけの日々。
もう少しお近付きになりたいけれど、新兵同然のヒヨッコの私なんかに、とても近付ける存在なんかじゃない。
さっき手渡されたハンカチを再び握り締める。
ふわりと香る爽やかな石鹸の香りが心の中を占領する。
幸せな気持ちに包まれながら、私はまた次の仕事へと向かった。
小さな雑用を済ませてから団長室へ戻ると、リヴァイ兵長はエルヴィン団長との話も済んだのか、私と入れ違いに部屋を出て行こうとするところだった。
兵長がいるから!と、急いで戻ってきたのに、もう用が終わって帰って行く姿に残念な気持ちが芽生えつつ、それでも一目そのお姿を拝見出来るだけで胸が高鳴る。
やっぱり、かっこいいなぁ・・・
そう思っていると、バチッと兵長と目が合い、なんだか心の内を見透かされたような気がして一気に顔が火照ってくる。
「お、お疲れさまでした!」
「あぁ。」
気まずさを隠すように、勢いよく敬礼して挨拶すると、兵長はぶっきら棒ながらに小さく笑って、部屋を出て行った。
い、今、笑ってた!?私に・・・
「随分とご機嫌だな、ナマエ。」
後ろから、楽しそうに笑いながら話す声が聞こえてきてハッとする。
振り返ると、エルヴィン団長が仕事の手を止め私のことを観察するようにじっと見つめて笑っていた。
「だ、団長!そ、そんなことは・・・」
「君は顔に出やすいな。
そんなんじゃ、リヴァイにバレるのも時間の問題だな。」
心底楽しそうに、くくくと肩を震わせながらそう言うと、思い出したように話し出す。
「そういえば、もうすぐリヴァイの誕生日だ。
何か祝ってやればいいんじゃないか?」
「え?」
兵長の誕生日。
そんな魅力的な情報、まさか団長に教えてもらうなんて・・・
部屋の隅で固まっていると、また小さな笑い声が聞こえてきて我に返ると、少し呆れたように団長は言った。
「浮かれるのは結構だが、私情が仕事の邪魔をするようじゃいけないな。
どう祝うかはまた後で考えるとして、今は仕事を手伝って欲しいな。」
そう言って、エルヴィン団長は私に次の仕事の指示を出した。
エルヴィン団長に言付けされて、兵舎敷地内の外れにある倉庫に向かう。
そこは使わなくなった資料や報告書などが保管されている倉庫。
団長室に溜まりに溜まった過去の資料を、そちらへ移動させて欲しいとのことで、重たい箱をせっせと一人担いで倉庫を訪れた。
「わぁ、埃っぽい・・・」
倉庫の鍵を開けると、ケホケホとむせ返るほどの埃が舞い上がり、入るのも躊躇ってしまう。
扉を全開にして、埃の舞が落ち着くのを見計らってから、資料の入った箱を抱えて中に入った。
「189番は・・・っと。」
保管されている箱には、順番に数字が書かれていて、私の持ってきたのは190番目。
きっとその前の番号の箱の隣に保管するのが最善なんだろうと思い、その数字を探した。
案の定、箱は数字の順番に並べられており、いとも簡単に持ってきた資料の保管場所は決まった。
「よいしょっと。」
資料の入った箱をドサリと置くと、ふうと一息つく。
再び埃が舞い上がるとまたケホケホとむせ返るので、近くの小窓を開け空気を入れ替える。
普段誰も来ることのないだろうこの倉庫。
ひっそりと忘れ去られたようなこの場所は、なんだか秘密基地みたいな気分にもなり、童心に返ったような気持ちになる。
ひんやりと冬の風が倉庫の中を舞い、身体がヒヤリと冷えたその時、奥にひっそりとしまわれてある茶色い箱型のものが目に留まる。
それは、ナマエにはよく見覚えのあるものだった。
「オルガン・・・?」
ナマエの家は、ウォール・マリアにある小さな教会だった。
去年、超大型巨人が現れてからはもう戻ることのできない教会だが、小さな頃から教会にあるオルガンを弾くのが大好きだった。
特に名誉ある血筋の家系でもなく、ただ週末に近所に住む人々が神に祈りを捧げ、そのお手伝いをするためだけの教会だったが、ナマエは週末ごとにオルガンを弾いては、子供ながらに祈りを捧げる人々に癒しを与えていた。
「わぁ・・・懐かしい。」
足踏みで空気を送って鳴らすタイプのその小さなオルガンは、埃こそ被ってはいるものの、綺麗な飾り彫刻が施された、とても立派なオルガンだった。
椅子に腰掛けて空気を送り鍵盤を押してみると、とても深い音色が身体を揺する。
思わず昔教会で弾いていた曲を奏でると、オルガン独特のなんとも言えないハーモニーが織り成される。
こんなところに、なぜこんな立派なオルガンが仕舞われているのか不思議でならなかったが、こんな貴重なものが眠ったままなのは勿体無く感じ、団長室へ戻ったら、エルヴィン団長にこのオルガンを食堂か何処かもっと素敵な場所へ移動してもいいか聞いてみようと考えた。
団長室へ戻ると、エルヴィン団長は外出しておりオルガンのことは話せなかった。
次の日も、その次の日も、毎日目まぐるしく訓練と団長からの仕事に追われ、オルガンのことを思い出すのはいつも仕事を終えて夕食を摂る頃だったので、結局団長にオルガンのことは話せずにいた。
だけど、夜になるとどうしてもあの立派なオルガンのことが気になって仕方なかったので、オルガンのことを知ってから数日経った頃、夕食後の自由時間にこっそりとあの倉庫へ向かった。
倉庫の鍵を密かに持っていたままの状態にちょっぴり罪悪感を感じながら、倉庫の扉を開く。
薄暗い倉庫は、窓からさす月明かりでぼんやりと中が見える程度で、少し薄気味悪い。
やっぱり引き返そうかと思ったけれど、どうしてもあのオルガンが弾きたくて、そろりそろりと中へ進み、そして、こっそりそのオルガンの音色をひとり堪能した。
**
夕食を食べ終えた頃。
俺は、何やら不審な動きをするナマエを見かけていた。
キョロキョロと辺りを見渡し、人に見つからないように兵舎を抜けて離れの方に駆けていく。
何をしにいくつもりだ・・・?
そっと後を付けると、そこは過去の書類などを保管する倉庫。
何故こんなところに?
そう疑問が湧くが、ナマエは躊躇わずにポケットから鍵を取り出し中へ入っていく。
もしかして、何処かからのスパイだったのか?
そう疑問が湧き、どうしたものかと倉庫の近くで考えていると、ふわりと心地の良い和音が辺りを包む。
ゆったりとした速さで奏でるその音色は、教会のミサでのもののようで、まるで心までもが洗われるような優しい音色だった。
あいつ、こんな特技があったのか・・・
妙に聴き入ってしまい、一段と寒さの増す夜の冬空の下にも関わらず、俺はしびらくその倉庫の前でナマエの奏でる音色に心を奪われていた。
それから、夕食後のナマエの行動が気になり、しばらくナマエを観察する日々が続いた。
エルヴィンからの雑務が多く仕事が終わるのが人よりも少し遅いからか、いつも遅めの食事を取り、そして足早に例の倉庫に向かう。
そこで音楽を楽しむのはいつも30分程度だが、その短い時間で随分と満足するようで、倉庫からの帰りの足取りは軽く、時にはスキップなんかしながら部屋へと戻っていく。
普段従順に一生懸命働くナマエだが、まだ新兵と変わらない年齢の、普段なら見ることのない彼女の可愛らしい一面を垣間見たようで、少しばかり、目を背けたくなるような、心がくすぐったくなるような感情が湧き出る。
俺は何を・・・
何となくその感情の答えを知っているような気もするが、「まさかな」と一人呟き、今日も苦手な寒空の下でひっそりとナマエの奏でる音楽を堪能し一日を終えた。
**
12月24日。明日はリヴァイ兵長の誕生日。
2日前、休みを頂いたので、私は街に出向き兵長の誕生日プレゼントを買いに行った。
何をプレゼントしたら良いのかさっぱりわからなかったけど、先日お借りしたハンカチもまだお返ししてないし、それと一緒に渡せるもの・・・と思って色々と街の中を歩き回った。
そこで目に付き私の心を奪ったもの。
気に入って貰えるかな?
もはや私の自己満足に過ぎないから、すぐに捨てられてしまうかもしれないな。
そんなことを考えながらも、兵長に似付かないそれを手に取り、プレゼント包装してもらった。
しかし、プレゼントを用意したものの、いつ渡せば良いのか。
兵長に憧れている女の子なんて山ほどいるし、私みたいな下っ端が気安く話しかけられるような存在じゃないことは、言わずもがな。
未だにハンカチを返すことが出来ずにいるのも、そんな理由だ。
それに、明日がリヴァイ兵長の誕生日だと知ってる人だって絶対いるはずだし、もしかしたら人だかりで、話しかけるどころか見かけることさえも出来ないかもしれない。
いっそのこと、前日の今日なら、偶然見かけた瞬間に、早めのプレゼントとしてお渡しくらいなら出来るかもしれない。
そう考え、随分と遅くなってしまった仕事終わりに、一旦部屋に戻り兵長へのプレゼントとお借りしていたハンカチを手に取ってから、夕食へと食堂に向かった。
食堂の近くに辿り着いた時、廊下の陰で女性の必死な声が聞こえてくる。
「ずっと・・・好きだったんです。
私の命が続く限り、隣で、お供させてください。
あなたに、心臓を捧げさせてください・・・」
わぁ、告白じゃん・・・
聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がして、元来た道を引き返そうとする。
食堂へはまた後で来よう。
そう思い、後ろを向いた時、相手側の声が聞こえてきて身が固まる。
「悪いが、仕事に私情が混同するような奴とは付き合えねぇ。
お前の心臓は人類に捧げてるんじゃねぇのか?
別に俺はお前の心臓を捧げて欲しいとは言ってねぇ。」
そう冷たく言い放つ声は、私もよく知っている声。
聞き間違えるはずがない。
だって、私の大好きな人の声なのだから・・・
「そ、そんなつもりは!」
告白していた女性の必死な声にハッとする。
「なら、諦めるんだな。
悪いが、俺にはお前の気持ちに応えられるような感情は持ち合わせていない。」
そして、そうキッパリと言い放つ言葉に足元から血の気が引くような感覚に見舞われる。
決して私がフラれた訳ではないが、女性の立場と自分が重なってしまい、居た堪れなくなる。
そうだ、きっとリヴァイ兵長は恋愛にうつつを抜かすような人柄ではない。
団長室で見かける、組織への従順さと生真面目な性格。
近くでそれを感じていたはずなのに、私は何を思っていたのか。
告白なんてしようとは思っていなかったけど、プレゼントを手渡すなんて考えてしまっているあたり、自分のこの想いが少しでも伝わればいいなと、淡い期待を持っていたことに気付かされてしまう。
仕事と私情を混同・・・
私こそ、最近仕事中リヴァイ兵長のことで頭がいっぱいだ。
それこそ、呆れられてしまう。
その場に居合わせられなくて、音を立てないように、私は逃げるようにその場を後にした。
無意識にやってきたのは、いつも夕食後に訪れるオルガンのある倉庫。
「あはは、私、何やってるんだろ・・・」
兵長へ手渡す予定だったプレゼントの包みを開いてみる。
中から出てきたのは小さなオルゴール。
クリスマスにお生まれになったリヴァイ兵長に“アヴェ・マリア”が似合うだなんて、よくそんなことが思えたもんだわ!と小さな溜息が溢れる。
だけど・・・
ひっそりと遠くから、リヴァイ兵長がこの世にお生まれになったことをお祝いするくらいなら、少しくらい許されるかな・・・なんて。
オルガンの蓋を開けて、心地よい和音を奏でてみる。
ふわっと広がる独特な空間。
その音に触発されて、私はひとつ曲目を演奏する。
それは、オルゴールと同じ“アヴェ・マリア”。
聖なる夜には、やっぱりこの曲がお似合い・・・
**
随分と遅い時間だ。
一体いつナマエは食事を摂りに来るだろうか。
食堂でいつの間にかナマエを待つのが習慣付いていた自分に多少の戸惑いを覚えながら、食堂の隅で紅茶を嗜む。
「兵長、誰かお待ちですか?
もうすぐここは閉めますが、よろしいですか?」
食堂の調理人がいつまで経ってもこの場を退けない俺に痺れを切らし、声を掛けてくる。
「あぁ、悪かった。もう行く。」
そう一言だけ伝え、その場を離れた。
ナマエはどこにいる?
そればかり気になり、もしかしたらもう例のオルガンのところにいるのではと、離れの倉庫まで足を運ぶ。
倉庫の近くまでやってくると、聞き慣れた音色はなく、ここにもナマエはやってきてないのか、と小さな溜息が溢れそうになるが、その入り口が開いてあることに気付き、中へ足を踏み入れる。
奥から聞こえてきたのは、小さな小さな金属の弾かれる音。
ポロロンと様々な高さの音が混じり合い、ひとつの和音となりメロディーを奏でている。
「随分と可愛らしいものを鳴らしてるんだな。」
思ったことを口にすると、ガサガサっと慌てた音を立てて、そのオルゴールを持つ人物が振り向いた。
**
「リ、リヴァイ兵長・・・!!」
突然後ろから声を掛けられ驚く。
だってそれは、今想いを馳せていた相手だったのだから。
「ど、どうしてここに!?」
「それはこっちの台詞だ。
お前こそ、夕飯を食べずにここに来ただろうが。」
「えっ!?なんでそれを・・・」
「さぁな。
だが、最近毎日のように夕飯後にお前がここに来ていたのを付けていた。
こっそりと兵舎を抜けるから、最初は何事かと思ったが、お前のその特技に興味があって聴きに来ていた。」
突然の話に頭がついていけない。
兵長は私がここにオルガンを弾きに来てたのを知っていたってこと?
しかも、毎日それを聴きに来ていた?
「しかし・・・随分と埃っぽいところだな。」
そう言って、少し呆れたような顔で辺りを見渡すリヴァイ兵長。
だけどそのお顔は心なしか頬が緩んでいて。
「す、すみません・・・」
「あ?なんでお前が謝る。」
「あ、いや、なんとなく・・・」
目を泳がせながら、近くの小窓を開けようとオルガンの椅子から立ち上がり、窓へと手を伸ばした。
「今開けると寒いだろうが。」
不意にリヴァイ兵長は私の手を取り、窓を開けようとするのを阻止する。
「それより、何か弾いてくれないか?」
握られた手がじんわりと熱を帯びてくる。
そして、真剣に見つめられた瞳に射抜かれて、私の心臓は忙しく活動を始める。
一体・・・、何が起こっているの?
ひとつ大きく深呼吸して、オルガンの鍵盤に指を添える。
せっかく・・・せっかくリヴァイ兵長が目の前にいるのだから、言葉に出来なくても想いを奏でても良いだろうか。
そんな小さな想いを胸に“アヴェ・マリア”を奏でる。
あなたがこの世にお生まれになったことを祝福して。
そして、あなたをこの世に生誕させてくださったお母様に感謝の意を込めて・・・
「それは、さっきのオルゴールと同じ曲か?」
演奏を終えた私にリヴァイ兵長は問い掛ける。
「は、はい・・・」
「何ていう曲だ?」
「えっ・・・」
真剣に見つめられる瞳から逃れることが出来ず、思わず口にする。
「あの・・・、“アヴェ・マリア”と言います。
明日、兵長、お誕生日・・・ですよね。
だから、その、クリスマスに生誕された神様と重ねて、この曲を。
・・・そして、お母様に感謝を。
一日早いですが、お誕生日おめでとうございます。」
勢いに任せてお祝いの言葉を告げる。
言葉を告げるくらいなら、迷惑にならないかな・・・
だけど小心者の私。
真っ直ぐに私を見つめる兵長の視線から逃れるように、少し俯いてぎゅっと握った拳に視線を落とす。
すると、兵長はくしゃくしゃっと私の髪を乱暴に撫で、そしてあのハンカチと同じ爽やかな石鹸の香りが私を包んだ。
「ありがとう。
誕生日を祝われるのが、こんなに嬉しいと思ったのは初めてだ。」
オルガンの椅子に座ったままの私は、気付けばリヴァイ兵長に抱き締められていた。
「俺は、冬が嫌いだ。
地下街で母を亡くし、たった一人で過ごした冬は、凍える程に寒かった。
だから、誕生日を祝われてもそのことが思い出されて正直なところ苦手だった。
だが・・・お前にこうして曲を奏でられ、祝われることは、そう悪くねぇな。」
そして、リヴァイ兵長は私の後ろに抱き締める体勢を変え、またひとつリクエストする。
「あったかいな。
このまま・・・もう一度弾いてくれないか。」
背後から抱き締められた状態で、心臓の音はこの上なく騒がしい。
そんな私のことなんてつゆ知らず、リヴァイ兵長は後ろから頬を寄せ私の弾くオルガンを後ろから見つめる。
そして曲が終わると、そっと私の顎を引き寄せ、優しいキスを落とした。
「お前・・・幾つになった?」
唇が離れた途端、突然の質問に戸惑う。
「あ、えっと・・・、今年17になりました。」
「はっ、まだガキだな。」
そう言うと、リヴァイ兵長は私から少し距離を置き、視線を逸らす。
あ、そうか。
今キスされた瞬間、少し、ほんの少しばかり期待してしまったのだけど、年齢差って大きいものだよね・・・
大人な兵長には、私なんて子供ってことだよね。
一瞬の夢が、ガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に、心までもが暗くなる。
「俺みたいなオッさんとお前とが釣り合うとは思わねぇが、どうやら俺はお前に惚れちまったらしい。
これから毎年、俺の誕生日にお前のそのオルガンを聞かせてくれないか。」
「えっ・・・」
沈んでいた心がドキリと大きな音を立てて一気に急上昇する。
今、なんて・・・
「返事を、聞かせてくれないか?」
そう言って、リヴァイ兵長は私の頬を優しく撫でる。
そんな、返事だなんて、私の答えはたったひとつ・・・
「・・・はい。喜んで!」
勢いよく答えると、リヴァイ兵長はふわりと目尻を心なしか下げて、優しい表情で微笑んでくれた。
それから数年が経ち、クリスマスがやって来るたびに、寒さの苦手なリヴァイ兵長の心を温めるように、私は“アヴェ・マリア”を奏でる。
兵長の生誕をお祝いして。
お母様に感謝して。
そして、この巨人のいる世界で一年生き長らえた喜びを祝して。
「ナマエ、早く大人になれ。」
あの日そう言われてから私は二十歳になった。
二十歳になったその年、私は兵長から左の薬指に素敵な贈り物を貰った。
私たちはいつ命を落とすかわからない調査兵団の兵士。
人類に心臓を捧げている。
表立って永遠の約束を誓うことには躊躇いがあるのだけど、私たちはいつも心の中で誓っている。
良き時も悪き時も
富める時も貧しき時も
病める時も健やかなる時も
共に歩み
他の者に依らず
死が二人を分かつまで愛を誓いあうことを。
神聖なる神の契約のもとに・・・
【Ave Maria FIN】
花季 -hanagoyomi-