恐怖の女
「ジャン!ドッチボールしよーぜ!」
「は?またかよ?」
マリア高校、3年3組の昼休み。
そう俺に意気揚々と話しかけて来たのは、クラスメイトの恐怖の女ナマエだ。
3年で初めて同じクラスになり、席が隣になったことをキッカケに何かと俺に勝負事を挑んでくる。
トレードマークのポニーテールを揺らしながら、整った顔立ちにさっぱりとした性格の彼女は、男女問わず人気者であり有名人で、そんな彼女に憧れている連中も多い。
勉強はそこそこだが、運動神経は最強に良く、最近ブームなのはドッヂボール。
休み時間のたびにバスケ部の俺に声を掛けてきては、ドッヂボールをしようと誘いにくる。
初めて手合わせをした時、ボールさばきの得意な俺にとって、ドッヂボールなんて、ましてや相手は女子なんて、と朝飯前だと思って食ってかかった俺が甘かった。
「おー、ナマエとドッヂボール対決したい奴ー?」
余裕綽々だと思い、クラスメイトに適当にメンバー募集をかけると、ナマエにお近付きになりたいと思われる下心丸出しのチャラチャラした奴らが、いとも簡単に集まった。
一方のナマエは、自分の部活の精鋭部隊を揃えて挑んでくる。
ナマエの部活は陸上部。
短距離走を専攻している彼女たちは、実は部活の合間にドッヂボールの訓練をしている・・・という話を聞いたのは、その初めての対戦をした後だった。
軽々と身をこなし飛んでくるボールを避けては、慣れたチーム連携で不意を狙って敵を倒していく。
そんな彼女たちに、即席で集まった俺たちが敵うわけもなく。
幾度となく対戦はするものの、そんな彼女たちに勝てた試しがなかった。
「なに?怖じ気付いてんの?」
ニヤニヤとしながら詰め寄ってくるナマエは、もはや女とは思えねぇ。
「は?クソババァ、今日こそは倒してやんよ。」
「はっ、生意気!そっちこそ、いつも口ばっかりの馬顔クソジジィの癖に!」
もうお決まりのようになった、この開戦の合図。
そうして今日の昼休みも、女子陸上部ドッヂボールの会の奴らに、コテンパンにされるのであった。
ある日。
新学年が始まったら必ず行われる『身体測定』なるものが行われていた。
女子たちは、身長が伸びなかっただの、体重が増えただのときゃあきゃあ言う中、ナマエは嬉しそうにクラスメイトのアルミンと話している。
俺には見せないその優しい笑顔に、チクリとした胸の痛みを覚えつつ、その笑顔の原因を知りたくなり、つい声を掛ける。
「よぉ、楽しそうに話してるけどよ。胸囲でも増えて喜んでるのか?」
「は?なにそれ、センスないセクハラだわー。」
1ミリたりとも恥ずかしがる気配もないナマエには、むしろ漢を感じる。
「ジャン!聞いてよ、僕、ナマエに握力負けちゃったや。」
そう話すアルミンは、なぜか楽しそうで。
いやいや、お前、そりゃ得意なのは座学だろうけど、一応ナマエは女なんだから、握力負けてその表情はないぜ・・・
「ほぅ。で何キロ?」
「40!」
は・・・?
「40って、おまえ、それ男子じゃねぇか!?」
「なに?悪い?」
「いや・・・、悪くねぇけどよ、それじゃ、マジで恐怖の女じゃねぇか!」
「いいね、その称号!気に入った。」
俺がいつも心の中でこいつに付けている称号を思わず口にしてしまえば、意外にも気に入ったらしく「私、恐怖の女なんだってー」と復唱して喜んでいる。
「ね、ジャン!指相撲しようよ!」
「おい・・・流石にさ、俺、それには勝つ自信あるぜ?」
「やってみないと判らないじゃん。」
ねーねー、とまるでおねだりをするような仕草を見せるナマエだが、やろうとしてることは指相撲だかんな。
「・・・ったく。」
そう言って右手を差し出す。
するとナマエは、嬉しそうに俺の指をギュッと繋いだ。
無邪気にはしゃぎながら俺の右手をギュッと繋ぎ、ナマエは大きな声でクラスメイトたちを呼び寄せる。
「ちょっとー!私、今からジャンを倒すからね!」
なになに?とクラスメイトが群がってくる。
・・・が、そんな騒めきがやけに遠く感じる。
ギュッと繋いだ手から感じる小さい手。
その大きさは、確実に女子。
力の入る指先は、自分のものと比べると、折れてしまいそうな程、繊細で細い。
マジかよ・・・
この手がまさか男子並みの握力を持つだなんて、到底想像できなくて、変にナマエの女子を感じてしまう。
「ちょっと?集中してる?」
「あ、あぁ・・・」
不意にナマエに乱暴に顔を覗かれ、近付いた顔に驚きふためく。
マズイ、集中できねぇ・・・
そう思ったと同時に、いつの間にかレフリーに扮したアルミンが合図を送る。
「よーい!はじめ!」
────────
─────
──
「だっさーーー!!」
瞬殺!と言わんばかりに、ナマエとの指相撲に見事に負けてしまった俺は、クラスの連中に笑いの目を向けられていた。
「うっせーよ!」
もう、カッコ悪いったらありゃしない。
ナマエの手を握って、不覚にも女を感じてしまった・・・なんて口が裂けても言えねぇ。
「やった!勝った!ジャン、やっぱりあんた、たいしたことないね?」
ムカつくが、今は負けてしまった以上、こいつに反論できる気がしねぇ。
へっ!とだけ小さく相槌を打って、やる気なくそっぽを向いた。
「じゃ、今度、ジュース奢ってね。」
「は?そんなん聞いてねぇからな?」
そんな俺の言葉は虚しく、ナマエはひらひらと手を振って自分の席へと帰っていった。
その指先が、また、さっきの華奢な手を思い出して顔に熱が集まっていることも、ナマエは知らずに・・・
「それじゃあ、春の音楽祭は、3組は合唱に決まりましたが、誰かピアノ伴奏できる人いますか?」
午後の学級会で、学級委員のエレンとクリスタが、教室の前で皆に問いかける。
マリア高校では、秋の文化祭の他に、春に音楽祭が開かれる。
学級ごとに、合唱や合奏、洒落たクラスではバンドなんかも披露したりする。
3年3組は、たいして目立って音楽の得意な奴もおらず、しかも受験やら部活のインターハイなどの高校生活最後の追い込みもかかっている今、無難にみんなでできる合唱を選択した。
そんな忙しい合間に、ピアノ伴奏だなんて、やる奴いるのかよ・・・
そう思っていた時。
「いいよ、私やるよ?」
そう手を挙げたのは、ピアノとは全く縁のなさそうな、恐怖の女だった。
「おつかれー」
「また明日ー」
部活が終わり、すっかり日の落ちた校舎を後にする。
今日の学級会で、ナマエがピアノを弾けると知り、どういうわけか俺が動揺してしまい、今日は無心になって部活の練習に励んだ。
指相撲で、学級会で、今日の俺はナマエに翻弄されっぱなしだ。
「はぁ、・・・ったく。」
溢れた溜息は宙を舞い、このモヤモヤとした感情は尚一層俺の中で燻る。
これは一体なんなのか。
恐怖の女と呼ばれて喜ぶ奴だぞ?
頭の片隅に浮かぶ、この感情の名前を思い浮かべてみるものの、自問自答でそれを打ち消す。
生まれてこのかた、部活と野郎とつるむことしかなかった俺。
高校生活という、こんな青春真っただ中の恋が、恐怖の女とか・・・
もっと可愛い奴なんて他にもいるだろ?と言い聞かせようとした時だった。
帰りの道端で、今頭を占領していたその女が、トレードマークのポニーテールを揺らしながら、背を向けてしゃがみ込んでいた。
「おい、ナマエ。何こんなところで、」
声を掛けようと言葉を発したその時、しゃがみ込むナマエの先を見て言葉が詰まる。
小さな女の子が、肩を揺らして、啜り泣いていたからだ。
「おかぁさーーーん」
いよいよ声を荒げて泣きじゃくるその女の子は、どこからどう見ても迷子。
そんな女の子の背中を摩りながら、優しくナマエは声を掛ける。
「大丈夫大丈夫。お姉ちゃんがママを見つけてあげるからね。だから泣かないで。」
「・・・えっぐ・・・、ほ、んと?」
「うん、ほんとだよ。」
そう言うと、ナマエはにこりと無邪気な笑みを女の子に向け、手を繋ぐ。
「お巡りさんのところに行って、一緒にお家探してもらおっか。お名前言える?」
「あたし、ナナっていうの。」
「そっか、ナナ、いいコだね。」
よしよしと、ナナと名乗るその女の子の頭を撫でると、ナマエは立ち上がり、ふと俺の方に向き合う。
「ね、ジャン。丁度良かった。近くの交番ってどこだっけ?」
あぁ。
今日一日、マジでこいつに振り回されっ放しだな。
その後、近くの交番へ迷子のナナを連れて行こうとした時、母親が顔面蒼白になりながら彼女を迎えに来た。
ナナ以外にも、胸元には赤ちゃんを抱き、ナナより小さなやんちゃそうな弟までも連れていて、恐らく母親が下の子たちに注意を引かれている隙に、ナナは迷子になってしまったのだろう。
「ごめんね、こわかったね」とナナに謝る母親は、もはやナナ以上に泣きそうになっている。
「おねえちゃんがいたから、だいじょうぶ!」
あんなに大声で泣いていたのに、弱る母親を見て強がるナナ。
そんなナナと母親との関係に胸が打たれたのか、ナマエはひとつ提案する。
「おうち近くですか?お子さん3人いらっしゃるし、荷物もあるし、お送りしますよ。」
「やったー!おねえちゃん、おうちまできてくれるの?」
「え、でも、もう暗くなって来てるし、あなたも危ないでしょう?」
「大丈夫です!一応男子もいますから!」
おいおい、一応ってなんだよ。
「あのなぁ・・・、っ!」
反論しようと口を挟もうとした途端、ナマエは俺の足を踏みギロリと睨む。
こえぇ・・・
と思ったら、すかさず満面の笑みをナナに向ける。
「ナナ、一緒に手繋ごっか!」
「うんっ!」
不覚にも、その笑顔が可愛いと思ってしまった俺は・・・
本当にどうかしている。
「おねぇちゃーん!またねーーー!」
結局、ナナがナマエと手を繋ぎ楽しく童謡を歌いながら家まで帰るのを、一緒に見送る羽目となってしまった。
「うん!もう迷子になっちゃダメだよー!」
そう答えるナマエもどこか楽しそうで。
いつも学校で見かける強気な彼女の様子とはてんで違い、拍子抜けしてしまっていた。
「しかし、恐怖の女が子供好きとは、意外にもほどがあるぜ。」
「そう?でも私、将来の夢は幼稚園の先生だからね。」
その後の帰り道、嫌味も込めてそう問い掛けるが、ナマエは特にそれに対して気にすることもなく、淡々と答える。
その堂々とした様子がまた輝かしくて、つい目を背けてしまった。
「へぇ。てか、だからピアノ弾いてんのか?」
「そうそう!幼稚園のときに大好きな先生がいてね、そんな先生になるのが夢。今もその先生とは文通してるよ。」
「お前が幼稚園の先生とか、子供泣かせてばっかじゃねぇの?」
「まぁ、ジャンみたいな子供なら、しばいてやるか。」
「はぁ!?」
思わずナマエを見やると、ニカッと笑う彼女はこの上なく可愛くて。
心臓がドキリと大きな音を立てて騒ぎ出す。
「・・・っ、なんだよ、それ!」
せわしなく動き出す心臓の音を誤魔化すように必死になって会話を探すが、そんな俺とは対照的に、ナマエは鼻歌を歌いスキップしながら俺の一歩前を歩いて行く。
その後ろ姿と、さっきの笑顔。
と同時に思い出す、今日のクラスでアルミンに向ける笑顔。
頭で考えるよりも先に、口走っていた。
「ところでさ、お前、アルミンのこと好きなのかよ?」
「は?なんで?」
思いもよらない話題に驚いたのか、ナマエは目を丸くして振り返る。
「いや・・・、そのだな、今日、お前嬉しそうに話してたからさ。」
「・・・」
やってしまった。
こんな脈略のない会話。
明らかに俺がナマエのこと気にしているって言ってるようなもんじゃねぇか・・・
「ふーん。」
返ってきたのは気の無い返事。
「な、なんだよっ!」
悔しくて、威勢良く反論する。
「別に?」
そう言うと、ナマエは再び鼻歌を歌いながら前を向いてスキップを始める。
そんな彼女を慌てて追い掛ける。
「で、どうなんだよ。」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「いや・・・、」
「私、これでも結構モテるよ?」
「は?」
「でも、私、まだ人生の中で、彼氏とか出来たことありませーん。」
「・・・」
「ジャン、頑張ってね!」
少し間をおいて、黙り込む俺にナマエはそう楽しそうに告げると、ぐっと俺の腕を引き顔を覗き込む。
「あ、私、ジュース飲みたいなぁ。今朝の指相撲の分!」
「マジかよ・・・」
至近距離で目が合ったナマエの顔は、どこかほんのりピンク色で。
ジュースをせびり取られようとしているにも関わらず、そんな表情も悪くねぇなと、不覚にも思ってしまった。
悔しいけど、まだしばらくコイツには振り回されるだけのような気がして堪らねぇ。
マジでこえぇよ、恐怖の女。
【恐怖の女 FIN】
花季 -hanagoyomi-