おかえり。
キラキラと輝く真夏の太陽の下、子供たちがはしゃぐ声が辺りに響く。
ここは、小さな孤児院。
子供10人ほどが生活するこの小さな小屋のような孤児院には、子供の他に小屋の持ち主のお婆さんと私が住んでいるだけ。
「ハリー!そんなにバケツを振り回さないで!こぼれたらお洗濯物が濡れちゃうわ!」
「ナマエ、大丈夫だって!」
ハリーと呼ばれた、まだ幼さが残るやんちゃ盛りの男の子は、並々と水が注がれたバケツを、得意気に大腕を振って振り回している。
「おぉー!」
「ハリー兄ちゃんすごーい!」
遠心力でこぼれないその水に、側で見ていた小さな弟分たちが声を上げた。
それを耳にしたハリーは、更に調子に乗ってバケツをもっと早いスピードで振り回す。
大体事件が起こるのは、こういった調子に乗った頃。
はぁ・・・とナマエが溜息をついた時、お決まりのようにハリーの振り回していたバケツは、手元を滑り孤児院の路地の方へすっ飛んで行った。
ばっしゃーん!!
豪快にバケツに並々と注がれた水が飛び散る音がする。
呆れ顔でそちらの方に目をやると・・・
テンガロンハットをかぶった長身の男が、その水を頭から被ってずぶ濡れになって突っ立っていた。
「す、すみません!!」
慌てて駆け寄り、声を掛ける。
びしょ濡れになったその男の顔を覗くと、決して人相の良さそうな人ではない。
少し強面の風貌に怯えながら、近くにあったタオルをかき集め、ピクリともしないその男に差し出す。
ハリーをはじめ、子供たちもナマエの後ろで今にも泣きそうな顔でその様子を固唾を飲んで見守っている。
「おい、クソガキ。」
突然発した男の言葉に、ナマエも子供たちもビクッと身体を強張らせる。
「今暑かったんだ。ちょうど良かったぜ。」
テンガロンハットをくいっと右親指で押し上げ、ニヤリとほくそ笑む男。
思いもよらないその言葉に、一瞬時が止まったような空気が流れるが、その発言に子供たちは一気に安堵する。
お互いに目を見合わせ、そして、わぁっと駆け寄り騒ぎ立てる。
「おじちゃん、一緒に水遊びしよーよ!」
「つめたくて、きもちいいよ!」
水浸しの男に群がる子供達の瞳はキラキラと輝いている・・・が、これは問題だ。
「何言ってるの!ちゃんと謝りなさ・・・」
「あぁ、良いぜ。」
「「「やったー!」」」
「え!?ちょっと・・・」
戸惑う私に、男が不敵な笑みを向けた。
「こんな格好じゃ、何処にも行けねぇからな。邪魔するぞ。」
そのぶっきらぼうな、でも優しい声色に、私は思わず頷いた。
「ねぇねぇ、ケニー!もっかい見せて!」
子供たちにすっかり懐かれたその男は、ケニーと名乗った。
びしょ濡れになった帽子や上着を乾かしている間、彼は持っていたコインで子供たちに簡単な手品を披露している。
風貌こそ怖く感じるが、気さくな話口調と少しふざけたような態度が、子供にはウケが良かったようだ。
「俺は、そんな柄じゃねぇんだがなぁ・・・」
そう言いながらも、子供たちに懐かれるのはそう満更でもなさそうな態度に、私も自然と笑みがこぼれた。
やがて、日が傾き空が赤く染まる頃。
楽しい時間を過ごせたことに満足した子供たちは、名残惜しそうにケニーの周りに付きまとう。
「ねぇ、ケニー。次いつ来る?」
「明日はあそべる?」
「今日お泊まりしてよ!」
矢継ぎ早に子供たちが質問する姿に、彼も思わず苦笑いを溢す。
「ほら、ケニーさん、困ってるじゃない。
そんなワガママ言ってたら、もう二度と遊びに来てくれないよ?」
助け舟を出したつもりで言葉にすると、ケニーはニヤリと笑って応える。
「なんだ、ナマエ。また来てもいいってか?
ずっと遊んでる様子を見てるだけかと思ったら、俺に惚れちまったか?」
「ちょ・・・ちょっと!なんでそんな話になるんですか!?」
慌てて否定すると、冗談冗談!と軽くポンポンと頭を撫でてあしらわれた。
「まぁ、また来るわ。」
そう言うと、私が手にしていた帽子を手に取り、彼は踵を返した。
「ぜったいまた来てね!!」
子供達の声に振り向く事もなく。
軽く後ろ手で手を振るだけのその背中が、私も何故か名残惜しかった。
それから、ケニーは決まって毎週週末に現れた。
いつもお昼前にやってきて、子供たちとお昼ご飯を食べたあと、目一杯遊んでは夕方には帰っていく。
「ねぇ、ケニー。僕のピーマン食べてよ。」
「は、ガキだな!そんなんじゃ大きくなれねぇよ。」
「ち、違うもん。大人になったら食べるんだもん。」
「違わねぇな。好き嫌いしてるようじゃ、まだまだ子供だ。」
他愛もない話で声を大きくあげて笑い、子供たちには対等にお喋りしてるような、だけどどこか何かを諭してやってるような態度につい頬が緩む。
そんなケニーに、いつしか私も徐々に心打ち明けていた。
ケニーが孤児院を訪れ始めて数ヶ月が過ぎた頃。
ある日、小屋の持ち主のお婆さんが、帰ろうとするケニーに一声掛ける。
「いつもありがとうね、ケニー。今日はこの後予定はあるのかい?」
普段ほとんど喋らずにニコニコと様子を見ているだけのお婆さん。
そんな彼女からの言葉に一瞬驚いたケニーだったが、振り向いては答える。
「いや、帰って寝るだけだ。何か用か?」
「用ってことはないんだけどね。もし暇してるんなら、たまには子供ばかりの相手じゃなくて、ナマエを外に連れてやってはくれないかい?
この子、いつもここにいるでしょう?たまには気晴らしさせたくてね。」
「お婆ちゃん。私なら大丈夫よ?」
突然何をいうのかしら・・・なんて思っていたら、お婆さんは突拍子も無い話を付け加える。
「それにね、この子、今までの男運悪くてね。たいしたデートにも行ったことないのよ。」
「ちょ、ちょっと、お婆ちゃん!何もそんなことまで言わなくてもいいじゃない!?」
それを聞いたケニーは、可笑しそうにからかう。
「なんだ、ナマエ。男の影がないとは思ってはいたが、たいした出会いもなしかよ。」
「ほ、ほっといてください!」
「なら、酒の旨い店に連れてってやるよ。ほら、準備しな。」
そう言うと、ケニーは私に行くぞ!と外に出るよう促した。
――――――――
―――――
――…
目的地は繁華街から少し外れた路地裏にあった。
『OPEN』の文字は、ここが店だと知らなければ通り過ぎてしまう程、ひっそりと掲げられている。
まるで隠れ家の入口のようなドアを開ければ・・・想像通り、落ち着いた印象の店内。
右手にはカウンターが、左手にはテーブル席がいくつか見て取れる。
柱にかけられたランプ。
そして、各テーブルに置かれた蝋燭が店内を淡く照らしていた。
「・・・こんなに素敵なお店に来るなら、着替えたかったわ。」
「何言ってんだ、それで十分だろ。」
低い声と共に、腰の辺りに感じる骨ばった手の感触と温もり。
年甲斐もなく、その暖かさにドクンと胸が鳴った。
馴れた様子でエスコートされるがまま、私はカウンターの隅に腰を下ろす。
「マスター、いつものを頼む。あと食いもんな。」
そう言ったケニーの横顔は、私の知る『彼』ではなくて・・・男っぽい表情に思わず視線を反らした。
「よく来るの?こういうお店。」
「今日はイイ女がご一緒して下さるからなぁ。知ってる中でも、最高の店を選んだつもりだ。」
隣に座ったケニーは、サラッとそんな事を言う。
・・・彼らしい言葉だな。そんな事を思った。
何故なら、何気なく発せられた言葉は私だけでなく、カウンターの向こうに立つ店主へも向けられていたから。
「最高の店」なんて言われたら、嬉しいに決まっているもの。
やがてカウンター上に並べられたのは、洒落た料理が数点。
そして中身の入ったグラスが2つ。
「私、こういうお店は本当に久しぶりで・・・」
「だからこの店にしたんだ。ここにガキは入れねぇからな。」
「乾杯」そんな言葉でグラスを重ねれば『大人の時間』が始まる音がした。
久しぶりに口にしたアルコール。
しっかりと味付けされた料理。
「美味しい!」
「そりゃ良かった・・・が、そうしてるとガキみてぇだな。」
「えっ!?何か可笑しかった?」
焦ったように問いかければ、ケニーは不敵な笑みを浮かべる。
「ガキくせぇ顔してるって言ってんだ。目がアイツらみてぇにうるせぇ。」
その言葉に、思い出したのは子供達。
美味しい物を食べた時、キラキラと輝くあの瞳。
「・・・仕方ないじゃない。」
子供向けの味付けでない料理なんて、口にするのは随分と久しくて。
そして何より、自分でない他の誰かが作ってくれた喜びは大きくて。
私の心は躍っている。
まるで、子供の様に・・・
「・・・ナマエと知り合ってから随分経つが、2人で話すのは初めてだな。」
「そうね。前から気になっていたんだけど、ケニーって普段は何をしているの?」
「随分と野暮なことを聞くんだな。俺は今日、お前の話を聞くつもりなんだが。」
それは困った。
毎日子供達の相手ばかりで、盛り上がりそうな話など持ち合わせていない。
「残念だけど、面白い話なんてないわ」
「生きてりゃ何かあるだろ。そうだな・・・例えば男絡みとかな」
「あら、随分と野暮なことを聞くのね」
先程彼が口にした言葉。
それを言い返せば、ケニーは大げさに笑った。
「本当に素敵な話なんて1つもないわよ?今までロクでもない恋愛ばかりだったから」
例えば?と問う彼に、これまでの茶番をありのまま話した。
酒に溺れる人
ギャンブルに明け暮れる人
浮気を繰り返す人
頼られると放っておけなくて・・・今思い返せば、私はただの金ズルだった。と。
「オイオイオイ、そりゃあロクでもねぇな。」
「でしょう?男運ないのよ。」
「そりゃ当たってるな。今、お前と話してる男もロクでもねぇ奴だからな。」
隣から聞こえてくる笑い声。
私はグラスへ向けていた視線を上げ、ケニーの瞳を見据えた。
「ケニーは、そんな人じゃない。」
じっと視線を混じり合わせば、彼はおどけたように声をあげた。
「何でそう言い切れる?」
子供は人の本質を見抜く力がある。
これは、生活を共にする上で何度も感じた事。
その上で・・・
「あなたを慕う子供達を見てきたもの。」
「そうか?ただ面白れぇ奴だってだけだろ。」
面白いお兄ちゃん。
それも一つだけど、それだけで子供は懐かない。
「ケニーは素敵な人よ。」
ぶっきらぼうな優しさや、何気ない配慮。
そんなところを、あの子達なりに感じ取っているのだ。
「はっ!それは口説き文句か何かか?」
「っ!そんなつもりじゃ・・・」
「そんな焦るなって、傷つくじゃねぇか。」
突然彼が口にした言葉に驚くと、わざと肩を竦めたようなポーズを取ってみせるケニーに、ぷっと笑いが込み上げる。
そう、こういうところ。
真面目な話も彼なりに茶化して自分のペースに持ってはいくものの、決してそれを蔑ろにするわけでもない態度。
いつしか、そんなケニーの態度に皆が心をほぐされている。
私も含めて・・・
「もう!次はケニーの番よ、色々教えて?」
話題を変えるように隣の彼の腕をトントンと叩くと、「仕方ねぇな」そう口にした後、ケニーは壁内各地の話をしてくれた。
いわゆる旅の思い出話。
あそこの名産品は一度食べた方が良いだとか
北部の『温泉』は最高だとか
そして・・・
彼の言う一番心に残ったと言う景色。
「森は面白れぇ。死にかけた事もあるが、今じゃ良い思い出だ。」
森で迷って、木の上で一晩あかした事
熊に出くわして焦った事
「そのうち水がなくなっちまってなぁ、川もねぇしどうしようかと思ったが・・・その時見つけた洞窟の奥で、氷を見つけたんだ。」
「洞窟の奥に氷が?」
「あぁ。あの時はガラにもなく、感動したもんだよ。」
その洞窟の奥は、地面全てが氷で覆われていたという。
そこには大小様々な氷の塊が、地面から生えるように伸びていたという。
まるでキノコのように。
「どうも天井から染み出た水滴が落ちて、冷えて固まったらしい。ランプで照らすとなかなか綺麗だったな。」
彼は身振り手振りを交えつつ、大きい物は腰の高さまであったと教えてくれた。
「へぇ!ケニーは珍しい物を沢山見てきたのね!」
彼の話はどれも、私が見た事も聞いた事もない物ばかり。
まるで自分も壁内を探検したような気分になってくる。
「興味があるなら、連れてってやろうか?」
「え?」
「まぁ、数日は留守にしなきゃならねぇが。」
それは思いがけない言葉。
私が知っている場所は、壁の中のほんの一部分。
知らない場所に行ってみたい
見た事のない物を見てみたい
でも・・・
「ありがとう。だけど私には役目があるもの。」
「あいつ等か?」
「そう、あそこを離れる事は出来ないわ。
あの子達の生活もそうだけど・・・なりたい自分になる為にもね。」
なりたい自分?とケニーは首をかしげる。
そんな彼に自身の生い立ちを打ち明けた。
私は幼い頃に両親を亡くし、あの孤児院で育った事
寂しさは常に感じていたけれど、沢山の兄弟に囲まれ楽しく過ごしていた事
成長してからは、同じ境遇の子供たちに寄り添えたら・・・と、あの場所に残った事
そんな人生の中で、ようやく見つけた『目標』
「私はね、あの子達の『家』になりたいの」
「家?」
そう、私は『家』になりたい。
今、共に暮らしている子供たちもやがて成長し、孤児院を離れる日がくるだろう。
生きていれば楽しい事、嬉しい事は勿論、悲しい事や辛い事もある。
そんな時に『帰ろう』と思える場所が必要だと思うのだ。
いつだって『おかえり』と声をかけて、笑顔で迎え入れてあげたい。
そして・・・優しく包んであげたい。
そんな話をすれば、彼は穏やかな声色で呟いた。
「ご立派なこった。」
それからは、他愛もない話をしながら、お店が閉まるまでケニーと笑い合った。
自分の一番の至福の時間は、掃除洗濯などのひと仕事を終えた後のお茶の時間だと言えば、ババ臭い!と笑い
最近読んだ純愛ものの恋愛小説のことを語れば、いい歳して何夢見てるんだかと呆れ
甘いものが好きだと言えば、ガキだなとからかう。
決して同意してくれるような優しい会話でもなく、一見すると批判ばかりされているような受け答えだったが、ケニーが話すと何故かどれも可笑しく思え、終始笑いが絶えなかった。
「ケニーさん、そろそろ閉めますが。」
お楽しみのところ申し訳ないですけど、と付け加える店主に声を掛けられるまで、そんなに時間が経っていることなんて気付くことなく、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまっていた。
「ごめんなさい。結局、私ばっかり話してしまって。」
「いいや、元からお前の話を聞くつもりだったからな、全く問題ないぜ。」
店を出てそう伝えると、ケニーは穏やかな顔を向けて応える。
楽しかった時間を我に返るように思い返してみると、本当に、終始自分のことしか話してないような気がした。
確かにケニーだって私の知らない壁内のことを面白おかしく話してはくれたものの、何故そこに行ったのか、何故そこに行かなければならなかったのか、そんな事までは言わなかった。
そこに意味などないのかもしれないけれど、何となく本質をはぐらかされているような気がしてきて、少し、ほんの少しだけ、寂しいと感じてしまう。
二人きりで食事を楽しんだ、ほんの数時間。
ただそれだけのことなのに、ケニーとの距離が近付いたような気がして、それが余計に彼の謎めいた部分が大きな壁を作る。
「どうしたよ?」
考え事をするかのように少し俯いていた私の顔を、不意に覗き込むケニーの仕草。
突然のことに、私の鼓動は小さく跳ねた。
「う、ううん。なんでもない。それより、随分遅くなっちゃったわね。」
「そうだな、あいつ等も今頃深い夢の中だな。」
“あいつ等”と、施設の子供たちのことをケニーの口から言われれば、この『大人の時間』は終わりを告げられたような気がした。
それが少し、寂しいと思いつつ・・・
帰り道、さっきまでのお喋りの時間とは打って変わって、静かで穏やかな時間が流れる。
「送る」と端的に言われた言葉通り、施設に帰るまでの道のりは短かった。
それが、物足りなく感じるのは、さっきまでの楽しかった時間が名残惜しいせい。
ふと、これじゃあ、ケニーがいつも帰る際に駄々を捏ねて引き留める子供たちとなんら変わらないじゃない、と自傷めいた笑みが溢れる。
「ねぇ、ケニー、来週も来るかしら?」
随分と往生際が悪いわね、と自分自身へ問いかけながら、次の予定を聞き出す私。
「そうだな、特に予定が入らなければ・・・」
少し歯切れの悪い言い回しで答えるケニーは、なんだか別人のようで。
思わず近くの彼の袖をキュッと握り締め、その長身の顔を覗き込んだ。
「来週ね、ハリーの誕生日会をするの。ケニーにも来て欲しい。」
「あぁ、あのお調子者か。あいつ、もうじき誕生日なのか。」
「うん、誰よりもケニーを慕ってるし、もし都合つくなら・・・」
「あぁ、考えておく。」
それだけ言うと、いつの間にか必死にケニーの袖を握り締めていた私の手をやんわりと解きながら、その流れで私の頭を撫でた。
「じゃあな。」
“ありがとう”でも“またな”でもないその言葉は、とても彼らしく感じた。
今日の感想を述べるわけでもなく、次の約束を取り付けるわけでもないケニー。
そこには、何にも縛られたくない・・・そんな意思を感じた。
その言葉に私はただ、後ろ手で手を振って帰るケニーを見送ることしか出来なかった。
「ねぇ、ナマエおねーちゃん!ハリーおにーちゃんのぷれぜんと、これでいいかな?」
キッチンで昼食の支度をする私の足元で、可愛らしい声がした。
まだたどたどしく話すこの子は、この孤児院で一番小さな女の子。
不細工な形だけど、折り紙で一生懸命作ったハリーへの誕生日メダルだと言い張るそれは、彼女なりの愛情が沢山込められている。
「うん、上手にできたね。きっとハリーも喜ぶよ。」
「うんっ!!」
満面の笑みで答えた彼女は、ご機嫌な様子でそのメダルを大切に抱きかかえた。
今日はハリーの誕生日。
ケニーと食事に出掛けてから一週間。
あれから、ケニーのことを想わない日はない。
この間の食事は、ケニーが施設のおばあちゃんに頼まれて、いつもここの孤児院に入り浸っている私を外に連れ出してくれた・・・ただそれだけのこと。
そんなことは解りきっているのに、ふと思い出すのは私が話すことひとつひとつに、丁寧に相槌を打ってくれて、豪快に笑うケニーの姿。
帰り際、次の週はハリーの誕生日だから来て欲しいと訴えてみたけれど、何一つ確約する答えは返ってこなかった。
それが私の心の中で小さく引っかかる。
いつも毎週末にこの孤児院に顔を出してくれているケニー。
決して、嫌々とか、何か目的があって訪れている訳ではない事は解るけど、安易に誘いに乗らないところを見ると、唯の気紛れなんだと思わざるを得ない。
そして、そう思うたびに、ケニーに会いたいと思っている自分に気付かされる。
時計を見ると、もうすぐ正午。
「食事を並べないと・・・」
そんな言葉を呟きながらも。
いつもなら彼が訪れているであろう時間に、小さな溜息が溢れた。
リビングで昼食の準備をしていると、ハリーが自発的に手伝いを申し出てくれた。
その姿は、いつも以上にソワソワと落ち着きがない。
「今日、ケニー来るかなぁ?」
もうすぐ準備が終わる、という所でハリーが呟いた。
ケニーのことを心底慕っている彼にとって、ケニーが姿を見せる週末は元々特別なものだ。
「そうね、きっと来るわよ。」
自分の願望も含めた答えに、感じるのは虚しさ。
思わずふふっと苦笑いがこぼれた。
「「「いただきます!!」」」
いつもならケニーも一緒に食べる今日の昼食、彼は未だに姿を見せない。
「ねぇ、ハリーおにいちゃん。わたしのピーマン、たべてよー。」
「だめだよ!好き嫌いしてたら大人になれないんだぞ!ケニーが言ってたもん。」
「えーっ」
普段と変わらない光景だと思っていたところに、子供たちの会話にケニーが出て来たことに驚いた。
子供たちにとっても、彼の存在は大きいんだ・・・
そう思いながら、ぼんやりと昼食の様子を眺めていた。
その時。
コンコン・・・
孤児院の入り口のドアがノックされる音が響く。
皆、昼食を食べる手を止め、お互いに目を合わせる。
そして、満面の笑みで「わあっ!!」と音が響いた方へ駆けて行った。
「よぉ、もう飯は食ったか?」
ドアを開けるとそこには、皆が待ち焦がれていた人物が、小さな花束を乱暴に掴み立っていた。
ハッピバースデー、トゥーユー♪
ハッピバースデー、トゥーユー♪
机の上には、みんなで作ったクリームたっぷりのケーキ。
その上には、ハリーの歳の数を表す7本の蝋燭。
歌の終わりと共に灯された炎を吹き消せば、一際大きな歓声が上がった。
「ハリーおにいちゃん。おたんじょうびおめでとう!」
用意したプレゼントを一番乗りで手渡したのは、小さな女の子。
ずいっと目の前に差し出された不格好なメダルを、ハリーは照れたように・・・でも、とても嬉しそうに受け取った。
「ありがとな!」
「うん!」
ふと。そんなやり取りを、目を細めてケニーが見守っている事に気づいた。
その表情は穏やかだが、少し憂いを含んでいるようにも見えて・・・
この幸せな空間で何故か、私は不安に苛まれた。
「・・・今日はいつもより遅かったのね。」
思わずケニーに話しかけると、彼は目線を子供に向けたまま答える。
「ああ、ちょっと野暮用があってよ。」
「仕事か何か?」
「まぁ、そんなところだ。」
今までならこんな風に深く聞こうだなんて思わなかったけれど、今日はなんだか問いかけられずにはいられない。
「もしかして・・・また、どこか遠くへ行くの?」
そう言葉にすれば、ケニーは驚いたような表情で私の方に向き合った。
彼の視線が鋭く刺さる。
ただ、ふと思ったことを口にしただけなのに、どうしてそんな風に私のことを見つめるのか・・・
騒がしい時間の中。
私とケニーの間には、小さな沈黙が流れた。
「ねぇ、ケニー!ケニーもケーキ食べようよ!」
「早く食べないと無くなるよ?」
子供たちの問い掛けにハッとする。
そちらへ視線を移すと、ハリーは既に沢山のプレゼントに囲まれていて・・・
ケーキに至っては、皆で突っつくように取り合い合戦が始まっていた。
「あ、あぁ。てか、お前ら!そんな汚ねぇ食い方あるか!しかもクソ甘そうなケーキでよ。」
ケニーも同じくハッとしたのか、珍しく余裕のない表情と言葉で子供たちに向き合う。
「えー!」
「これがいいんじゃん!」
彼の言葉に、駄々をこねる子供たち。
だけど、その顔にはやっぱり嬉しさが滲んでいて。ケニーを慕っている事が、手に取るようにわかる。
「ほらよ!ハリー、誕生日おめでとう。」
「わぁ!ありがとうケニー!」
ケニーが花束を差し出せば、ハリーは頬にクリームを付けたまま声を上げる。
「ケニーってさ、ハリーお兄ちゃんと似てる!ほら、名前も似てるし!」
突然、子供たちの間で上がった話題。
思わぬ言葉にプッと笑いが込み上げた。
「おい、どこがだ!?」
怪訝そうな表情を浮かべるケニーが、声を上げた。
「ケニーもさみしいんでしょう?ハリーお兄ちゃんもね、実は甘えん坊なんだよ。こないだナマエに抱っこされて寝てるとこ見ちゃったんだもん。」
「わぁ!そんなこと言うなって!」
大好きなケニーに似ていると言われ、喜んでいたのも束の間。
ハリーは思いもよらない自身の恥ずかしい話に慌てふためく。
「だったらなんで俺に似てるってなる訳だ?」
「だってケニー、ナマエと喋ってるとき、ハリーお兄ちゃんとおんなじで、嬉しそうにしてるもん!」
思わず赤面してしまうような内容に目を見張るが、ケニーは心底呆れたような口調で答える。
「はっ。そんなわけあるか!」
「そんなことあるよ!」
わしゃわしゃと目の前の子供の頭を掻き撫でながら、いつの間にか他の子供達も周りに集まり、輪の中心の存在となるケニー。
そんな状況から、いつしか話題はケニー自身のことへ。
「ねぇ、ケニーの誕生日っていつ?」
「そんなこと聞いてどうする?」
「ケニーのお誕生日もお祝いするんだよ!」
「歌を歌ってクソ甘いケーキの上の蝋燭を消すってか。くだらねぇ。」
「なんでさ!僕もプレゼント渡したい!」
「なら立派なプレゼントを期待しといてやるぜ。
2月4日だ、覚えとけ。」
「わかった!じゃあ、誕生日は絶対遊びに来てよ!」
「・・・暇だったらな。」
聞きにくいプライベートな事を、いとも簡単に聞いてみせる子供たちは凄いと思う。
そんな勢いに、つい私も前のめりな態勢になる。
「2月4日ね、覚えておくわ。」
思わず溢れた言葉。
それに驚いたように、ケニーは私の方を振り向き、困ったような態度で応える。
「オイオイオイ、まいったな・・・」
困った様子のケニーとは違い、私の表情はきっと明るいだろう。
そう、あの日2人で食事をした時のように・・・
それから、子供たちは皆で歌を歌ったりゲームをしたり、誕生日パーティーは夕飯を挟んでもなお、盛り上がりを見せていた。
いつもなら夕方には帰るケニーだが、今日はそんな子供たちに付き合ってくれてか、遅くまで留まってくれていた。
夜になって、ようやく子供たちを寝かしつけた後。
いつも食事を摂る広間に戻るとケニーの姿が見えない。
キョロキョロと周りを見渡すと、外でタバコをふかすケニーの姿が目に映った。
「遅くまでごめんなさい、疲れたでしょう?」
ショールを羽織り隣に駆け寄ると、その身長差に改めてドキリとする。
チラリと私の方を横目で見下ろしながらふうっと吐き出したタバコの煙は、どこかほろ苦い大人の香りがして、さっきまで子供たちと戯れていたケニーの姿はどこにも感じさせない。
そんな仕草に、ドキリと胸が鳴った。
「あぁ、随分と騒がしかったな。」
地面にタバコの吸い殻を落とし、足でその火を消したケニーは近くのベンチへ腰掛けた。
その一連の動作に一瞬見惚れてしまっていたが、慌ててその隣に腰掛ける。
「ケニーが居てくれたおかげで、とても楽しかったわ。最後まで付き合ってくれて、ありがとう。」
「あぁ、たまには騒がしいのも悪くない。」
しばらくの沈黙の後、ケニーは口を開いた。
「俺は明日、この街を離れる。」
「・・・え?」
思わず隣に腰かける彼に目を向ける。
その瞳は、どこか遠くへ向けられていて・・・
胸が締め付けられる思いがした。
「そう・・・どこへ行くの?」
その声は少し、震えていた。
街を離れるなんて、彼からすれば特別な事ではないかもしれない。
でも、私にとっては・・・
「大事なもんを探しに行く、場所は決まってねぇ。」
「大事なもの?」
「あぁ、家族ってやつだ。」
『家族』
ケニーの口から溢れたその言葉に、正直驚いた。
彼は自分の事をあまり話さない人だから・・・家族の事を話してくれるなんて、思いもよらなかった。
「俺には妹が居るんだが・・・生き別れちまってから、もう何年も会ってねぇ。」
「生き別れただなんて、どうして・・・?」
「はっ、相変わらず野暮な事を聞くな。」
その声と共に、私の頬に伸ばされた彼の指先。
彼の体温は、ひんやりと冷たい。
「お前に出会って、探そうと思った。」
「私?」
「アイツもきっと、ロクでもねぇ男とロクでもねぇ人生送ってるだろうからな。昔のお前みてぇに。」
ニヤリと笑った顔は、いつも通りどこか意地悪そう。
なのに何故か今だけは、その顔が少しばかり切な気に見えた。
私は頬に伸ばされた彼の手の平に、そっと自身のそれを重ねてみる。
会えなくなってしまうのは悲しい。
だけど、彼のこれまでの人生がどんなものだったかなんて想像もつかないけれど、妹さんと生き別れになるだなんて、きっと並大抵の人生じゃなかったはずで。
どうか妹さんに会えますように・・・
そう願わずにはいられない。
「妹さんがいるのに、少し厚かましいかもしれないけれど・・・私にとって、貴方はもう家族の一人よ。」
沢山の時間を、ここで共に過ごした。
その時間はかけがえのない宝物。
「だから、いつでも帰ってくればいい。」
疲れた時、一息つきに来てくれてもいい。
近くに来た時、少し寄ってくれるだけでもいい。
「でも良かったら・・・貴方の誕生日は一緒にお祝いさせて欲しいな、今日みたいに。」
「ナマエ・・・」
少しだけ伝えた自分の願望。
頬に当てられたままのケニーの手をぎゅっと握りしめると、彼の瞳がほのかに揺れた。
無言のままケニーと見つめ合っていると、ふいに建物の扉が開く音がした。
2人そろってそちらへ目を向ければ、枕をぎゅっと抱きかかえたハリーが弱々しく立っていた。
「ハリー、どうしたの?まだ寝てなかったの?」
思わず声を掛けると、今にも泣きそうな声でハリーは答える。
「僕・・・ナマエと一緒に寝たい・・・」
その言葉に口を開いたのは、私ではなくケニーだった。
「なんだ、お前。寂しいってのかよ。」
「そんなこと、言わないでよぉ・・・」
今にも泣きそうなハリーに、ケニーは頭を掻きながら応える。
「あぁ、悪かった。仕方ねぇ、俺も付いてってやるよ。」
「ほんと!?」
思いがけないケニーの言葉に目を輝かせたハリーは、嬉しそうに彼に駆け寄り、こっち!とその手を引く。
しょうがねぇなぁと言いながらも、どこか嬉しそうにしている気がするのは、私の気のせい?
仲良く手を繋いでいる二人が似ていると思ってしまうのは、お昼の子供たちの発言からかしら。
いつもの調子に戻ったケニーを見て、自然と笑みがこぼれた。
そおっと、忍び足で寝室に足を踏み入れる。
「こっちがケニーで、こっちがナマエ。」
ハリーは自分の両隣りにケニーと私が寝そべるよう、ポンポンと布団を叩くと満面の笑みを私達に向けた。
そんな仕草にケニーも仕方なくハリーの右隣りに寝そべるので、私もそっとハリーの左隣りに腰を落とした。
他の子供達も眠っているこの部屋。
スヤスヤと幾つもの可愛らしい寝息が耳をつく。
そして、薄いカーテンの隙間から覗く月明かり以外の灯火はなく、部屋の中はほんのりと青白い。
随分と遅い時間だったこともあり、大人の気配を感じて安心感を覚えたハリーは、私たちが横に寄り添った途端、彼もまたスヤスヤと静かな寝息を立てていた。
右手にはケニーの手。
左手には私の手を握ったままで。
「随分と早い眠りだったな。」
そう呆れたように呟いたケニーだったが、ハリーを見つめるその顔は優しさを纏っていて。
「この子ね、3年ほど前に事故で両親共に亡くしてるの。」
そう、ハリーは親を亡くしてからまだ3年しか経っていない。
普段お調子者で元気な男の子そのものの彼だけど、心の中はきっとぽっかりと大きな穴が空いたまま。
親の存在を元より知らなかった子供よりも、親の愛を知っている分、失ったことへの恐怖は誰よりも強い。
だから、誰よりも強がる。
そして、誰よりも甘えん坊。
「そうかい。」
呟くように言葉を交わす。
私のそれ以上の言葉はなくても、ケニーはハリーの境遇を理解したかのような、そんな瞳を向けてハリーの髪を撫でる。
淡い月明かりの中で、それはとても美しいと思った。
しばらく私たちは何も話さず、二人でハリーを見つめていた。
物心ついた頃からここで生活している私にとって、家族ってものは幻想にしか過ぎない。
だけど、例えば結婚して家庭を持ち、子供を授かったとしたならば、こんな風に愛する人と子供を挟んで横になり、今日一日あったことを話したりしてあったかい日常を送るんだろうか。
家族ってこんな感じなのかな。
・・・なんてこと、考えたりする。
ふとケニーの方に目をやると、じっと私のことを見つめている彼と目が合う。
ピクリとも動かない表情のその瞳は、何を考えているか解らない。
だけどその瞳に吸い込まれるような感覚に目が離せず、ただ私は彼のことを見つめ返していた。
見つめていた瞳がふっと和らぐと、ゆったりとした動きで彼は近付き、そっと私の唇に触れるだけのキスを落とした。
えっ・・・
何が起こったのか解らなくて、必至になって思考を巡らせる。
だけど今鮮明に唇に残るのは、紛れもなくキスをした感覚で、視界に目一杯広がるのは少し余裕のないケニーの顔。
「やだ、ハリーが起きたらどうするの・・・」
普段生活する場所での現実とかけ離れたような感覚が怖くなり、つい当たり障りのない言葉が溢れる。
「悪りぃ、ついナマエが綺麗でよ・・・」
なのに、ケニーは悪びれることなく、真剣な瞳で私の頬を撫でるので、これは夢でもなんでもないと知らせるように、私の鼓動はドクドクと大きく波打つ。
そして、その慣れたような行動に戸惑いを隠せない。
「そうやって、今まで何人口説いてきたんだか。」
「そんな俺は遊び人に見えるか?」
「えぇ、見えます。
だって、先週のバーでの振る舞いも、とても慣れてらっしゃったもの・・・」
「参ったなぁ、でもそう思うならそう思えばいい。」
そういつものような悪戯っぽい笑みを溢すと、ケニーは再び私にキスを落とした。
さっき落とされたような触れるだけのキスではなく、今度はゆっくりと啄ばむように、優しく唇の感覚を確かめながら、キスの雨が降る。
強面の風貌からは想像もつかないような、そんな優しく甘いキスに思わず吐息が溢れる。
息を吐いた瞬間、そのタイミングを見計らったかのように、彼の舌が唇を割り入って私の舌を絡めとる。
だけど、決して強引でなくて、相手を尊重してくれるような、そんなキス。
きっと、私が少しでも拒めば、すぐにでも止めてしまうだろう。
こんなキス、知らない。
だって、今までの経験なんて、自分本位のものばかりだったから・・・
「んっ・・・」
思わず夢中になって彼の頭に手を伸ばし、もっとと自ら求めていた。
その時・・・
「むにゃむにゃ・・・」
ケニーの下で覆い潰されそうな格好だったハリーが寝返りを打ち、“ナマエは僕のもの!”と言わんばかりに二人の間に入り込むように私に抱きついてくる。
思わぬところに入り込んできた強敵に、ケニーの力が抜け落ちるのが手に取るように見える。
「こんなところじゃあ、ムードもへったくれもねぇ。」
自分の髪を掻き上げながらそう言うと、さっきまでの大人の雰囲気はすっかり消え去り、いつものおチャラけたケニーと目が合う。
「ふふふ、だから言ったじゃない。」
「でも、ナマエも満更でも無かったように思えたがな。」
「えと、それは・・・」
図星を突かれたような言葉をかけられ、なんだか急に恥ずかしくなり、目を逸らし思わず顔を背ける。
「今日はありがとな。」
次に聞こえてきた言葉は唐突なものだった。
彼はゆっくりと布団から立ち上がると、部屋の隅に置いてあったコートを羽織る。
それが何を意図するかなんて一目瞭然で。
コートを羽織るその背中は、とても大きくて、そして愛おしくて。
でも、どこか遠い存在で・・・
“待って!まだ話したい!”
そう思い、私も慌てて立ち上がろうとするが、隣に寝そべるハリーが纏わりついて離れない。
「ナマエ、ここでいい。」
ケニーは慌てる私を見て苦笑いをこぼすと、部屋のドアノブに手を掛けた。
ギィィと、別れを告げる音がする。
寂しさが込み上げたその時、低い声が部屋に響いた。
「俺は甘いもんは好きじゃねぇし、嬉しそうに蝋燭を吹き消す趣味もねぇ。
だが・・・お前の手料理は食いてぇな。」
そして最後に、いつの間にか深く被っていたテンガロンハットから覗く彼の横目が私の視線と交差すると、小さく笑った気がした。
そして
「行ってくる。」
その言葉を残し、彼は静かに去った。
―――
―――――…
木枯らしが吹いて草木が枯れ落ち
空から降る雨はいつの間にか雪に変わり
辺り一面は真っ白い景色で覆われていた。
年は明け、またいつもと変わらない一年が始まる。
そんなことを思いながらも、ふと心を掠めるのは貴方のことで。
妹さんには逢えたかしら・・・
きっとそんな事を考えているなんて知ったなら、貴方は“随分と野暮な事を気にするんだな”と笑うことだろう。
だけど、仕方ないでしょう?
『家族』が遠い所でどうしているか・・・
そんなこと心配するのは当たり前のことで。
貴方が、私やここの孤児院をどう思っているかなんて知る由もないけれど、私にとってはもう既にかけがえのない『家族』なわけで。
貴方がどこにいようと
今日一日を無事に終えていてくれたなら
ただ、それだけでいい。
「おはよー!あのねっ!これ見て見て!」
その日、普段より早く起床してきたハリー。
目覚めてまだ数分だというのに、彼の瞳はキラキラと輝いている。
手の平には『なんでもチケット』と記された用紙が数枚。
昨夜こっそり作った、ケニーへのプレゼントだと言う。
今日は2月4日。
あの人の誕生日だ。
「上手に字が書けてるね、絶対喜んでくれるわ。でもね・・・」
「今日会えるか分からない。でしょ?何回も言わなくていいって!」
子供達は大好きなケニーの誕生日を、しっかり覚えていた。
数日前から浮足立つこの家で、私は口酸っぱく何度も子供達に言い聞かせた。
「会えるかどうかは分からない」と。
それでも皆「次会った時に渡すから!!」と各自プレゼントを用意している。
「ねぇナマエ。もしケニーが来なくても、俺がいるから大丈夫だからね。」
突然、ちょっと照れたように私の手を握るハリー。
「ありがとう。でも、いきなりどうしたの?」
「だって、ケニーが来なかったら一番寂しいのナマエでしょう?ナマエが一番楽しみにしてるの知ってるよ!」
ハリーはひと呼吸置き、更に続ける。
「だって、ナマエはケニーが来なくなってからボーっとしてるし。ケニーの話したら嬉しそうだし。それに、ケニーが座ってたイスによく座って・・・」
「ちょっとちょっと!とりあえず服を着替えて来ましょうか。はやく朝ご飯食べよう?」
捲し立てるハリーを、慌てて追い返す。
「そっか、そんな風に見えてるのか・・・」
子供は本当に・・・よく周りを見ている。
その後
慌ただしく朝食を済ませ、再びキッチンに立つ。
ハリーの言う通り。
私は今日を楽しみにしていた。
だって、大切な人の誕生日だもの。
心を込めてお祝いしたい。
「よし、やるか!」
ナマエは戸棚から材料を取り出し、卓上に並べた。
休みなく手を動かせば、誕生日に『欠かせない物』が次々に出来上がってゆく。
誕生日にはケーキが必要。
でも、甘いものは苦手でしょう?
飾り立てるのも『趣味じゃない』だろうから、シフォンケーキぐらいが丁度良い。
プレートの横に、少しだけ生クリームを添えよう。
誕生日には、キャンドルが必要。
きっと、吹き消すのは照れくさいのでしょう?
それなら机の上に一つ、淡い光を灯そう。
子供たちの歌の後、わざわざ吹き消す必要がないように。
誕生日には、プレゼントが必要。
せっかくだから、貴方のリクエストに答えたよ。
私の料理を食べたいと言ってくれたから、品数多めの6種類。外は寒いからスープを鍋いっぱいに作った。いくらでも「おかわり」して大丈夫。
私なりにあの人を想って用意した。
派手じゃないけれど、こんな誕生日がよく似合う。
全ての準備が整った時。
玄関のドアが2度ノックされた。
彼だったら良いな。
淡い期待を抱きながら、ドアノブに手を掛けた。
もし、もしこの先に貴方が居たなら。
この言葉を、笑顔でーー
古びたドアが音を立てた後、ナマエは穏やかな笑顔で口を開いた。
【おかえり。】
花季 -hanagoyomi-