噂
ある日の夜。
遅くまでリヴァイの仕事を手伝っていた班員のグンタは、喉が渇き水を飲みに食堂へ向かっていた。
それと、少しお腹が空いていた。
運よく調理人のクララさんに会えたら、何か貰えないだろうか・・・
そう考えていた。
実は、グンタは密かにクララへ憧れの気持ちを抱いていた。
いつも笑顔が素敵な彼女は、自分よりも随分と歳上なのにも関わらず、無邪気さも兼ね備えていて、微笑む度に自然と胸が高鳴る。
それでいて、大人ならではの色気。
作業のために俯いたその瞼は、何とも言えない憂さを伴っていて、つい自分が守ってやりたいとさえ思ってしまう。
こんなに魅力的なのに、浮ついた噂もたいしてなく、それがまた、彼女の仕事へのひたむきさを表しているようで、グンタには好感度の一つだった。
高鳴る胸を抑えながら、食堂の扉を開く。
調理場はまだ灯りが点いている。
「あら、グンタ。
まだお休みしてなかったの?」
ひっそりと入ってきたにも関わらず、すぐに気付いてくれる気遣いもグンタには嬉しい要因でしかなかった。
「お疲れ様です、クララさん。
リヴァイ兵長の手伝いをしていたら、すっかり遅くなってしまって。
お腹が空いてしまったのですが、何かあるでしょうか?」
ドキドキする鼓動を精一杯隠しながら、クララに話しかける。
「それはお疲れさま。
そしたら、ちょうどいいパンがあるから、座って待っててちょうだい。」
そう微笑み掛けて、クララは近くにあったパンをオーブンで温め始めた。
「はい、どうぞ。召し上がれ。」
クララは、グンタに温めた二種類のパンを目の前に並べては、にっこりと微笑む。
まだふんわりとした湯気の立ち込めるそのパンからは、ほのかにチーズの香りがする。
「最近ね、チーズが沢山支給されてるの。
それで、今朝試しにチーズのパンを焼いてみたの。
一つは生地にチーズを混ぜ込んでて、一つは角切りチーズをそのまま入れてあるパン。
グンタはどっちが好きかしら?」
まさか、まだ誰も食べてない試食のパンを食べられることになるなんて思ってもいなかったグンタは、目を丸くして驚き、そしてその特別感に喜びを感じていた。
「ありがとうございます!」
そう言って、はやる気持ちを隠せずに、グンタは急いでパンを頬張った。
「そんなに急いで食べたら、喉に詰まっちゃうよ!」
目の前に座ったクララは、くすくすと笑いながらグンタの食べる様子をまじまじと見つめていた。
それがまた、グンタの胸をときめかせていた。
「・・・それで、どっちが好きだった?」
クララがグンタの顔を覗き込んで問う。
「あ、えっと・・・」
こんなにも間近にクララと接したことがなかったので、グンタは慌てふためく。
「どちらも美味しいのですが、自分は角切りチーズのパンが好きであります!」
つい声が上擦ってしまう。
「ふふ、ありがとう。」
クララは微笑むと、目を逸らして少し照れた様に小さく呟く。
「“あの人”とおんなじね。」
そして、再びグンタに向き合っては、茶目っ気たっぷりに言う。
「明日のお昼に出そうと思ってるの。
どちらが出てくるか、楽しみにしておいてね!」
グンタは、クララの呟きの真意は解らないまま、その笑顔にまたときめきを覚えてしまうのだった。
次の日のお昼。
昼食には、角切りチーズの入ったパンが並んでいた。
グンタは、自分の選んだ方が採用されたのだと、密かに喜びを感じていた。
食堂のカウンターで、満足気にパンを受け取り、クララにお礼を言う。
目を合わせて微笑んでくれるクララは、とても眩しく感じる。
グンタは、高鳴る胸を必死に抑えながら、カウンターを後にした。
「今日もありがとう。」
少し進んだところで、後ろからエルヴィンの声が聞こえてきた。
「しっかり食べてね。」
クララの声も聞こえる。
二人はいつもの様に見つめ合って微笑み合っていた。
だが、後ろを向いていたグンタは二人の様子に気付かず、その後歩んできたエルヴィンに声を掛ける。
「エルヴィン団長!
お昼、ご一緒させて頂いても宜しいですか?」
「あぁ、グンタ。もちろん。」
テーブルで食事を摂りながら、グンタはエルヴィンと雑談会議をしていた。
グンタにとって、エルヴィンは尊敬の対象。
いつも冷静で的確な判断を下すエルヴィンは、リヴァイとは違う格好良さがあった。
エルヴィンにとっては唯の昼食かもしれないが、一緒に話をしながら摂る昼食は、グンタにとってはとても刺激的で、興奮する時間でしかなかった。
普段寡黙なグンタだが、クララのパンの効果もあって、今日はいつもより口数が多くなっていた。
「しかし、クララさんのパンは、本当にいつも美味しいですよね。」
グンタはふとエルヴィンに話していた。
エルヴィンは驚いた様にグンタを見ては、小さく微笑む。
「あぁ、そうだね。」
「しかもクララさん、美人だし。
団長もそう思いません?」
「はは、そうだね。
いつもクールな君がそんな話をするなんて思わなかったよ。」
エルヴィンは、可笑しいといった様子で、肩を小さく震わせながら、食事を口にする。
グンタは、団長相手に何話しているのかと我に返る。
「いや・・・すみません。
昨日の夜にこのパンの試食をさせて貰ったもので、つい・・・」
エルヴィンの眉がピクリと動く。
「試食させて貰ったのか。」
「はい!」
グンタは嬉しそうに答える。
「そうか。」
エルヴィンはポツリとそれだけ呟くと、また食事を口にしていた。
その顔は、先程の様に笑ってはいなかった。
夜。
中庭でクララとエルヴィンの二人が、珍しくこの時間にベンチに仲良く肩を並べながら、夜風に当たっていた。
「昨日、グンタに試食のパンをやったのか?」
「えぇ、お腹空いたって言ってたからね。
ちょうど手元にあったのがそのパンで。
あなたも昨日の朝に食べたでしょう?」
不思議そうにクララはエルヴィンの顔を覗き込む。
「・・・だがちょっと妬けた。」
少し目を逸らし、頭を掻きながらエルヴィンは答える。
「もうっ、ただのパンじゃない。」
クララは照れてしまって、頬を赤らめる。
「解ってるよ。
ただ、相手がグンタだったからな。
彼は君に想いを寄せているだろう?」
「そんなことないでしょう?」
「いいや、君は気付いていないかもしれないが、君に想いを寄せている者は少なくない。」
至って真面目に答えるエルヴィン。
「何言ってるのよ・・・」
その様子にクララは戸惑う。
「グンタもそうだし、ゲルガーにもよく酒に誘われるだろう?
モブリットも実は・・・という噂だよ。」
畳み掛けるように色々な噂を話すので、段々可笑しくなってきて、笑いが込み上げてくる。
「そんなぁ。
ゲルガーは、私の用意するつまみが目当てでしょ。
モブリットは絶対ハンジじゃない!
噂なんて当てにならないわ。」
「でも、そう言うあなたも噂が多いの知ってる?」
「どんなだ?」
「伝達係のビアンカとできてるとか・・・」
「あぁ、彼女は最近エルドと良い仲だそうだよ」
「えっ!?そうなの!?」
クララは、てっきりビアンカはエルヴィンのことが好きだとばかり思っていたので、意外な話に驚きを隠せず、つい大きな声で聞き返してしまった。
実際には、元々はクララの察する通りビアンカはエルヴィンに好意を寄せていたのだが、ビアンカが偶然片想いの相談をエルドにしているうちに、二人が良い仲になってしまっていたのだが・・・
それは二人には知る由もないお話のこと。
「なんだ、その反応は?」
「・・・いいえ。
知らなかったからビックリしただけ。」
クララは、エルヴィンに驚きの真意に気付かれないため、落ち着きを装って答える。
エルヴィンは多少の違和感を感じながらも、先程の話の続きが気になり、続けてクララに問う。
「あと、どんな噂だ?」
「えっと・・・
これは本当に聞いていいのか解らないけど・・・」
クララは戸惑いながら話す。
「なんだ?」
「・・・その・・・、貴族との接待の時にね、寄付を募るために、お嬢様を抱いて虜にしている・・・とか・・・」
「ぷっ・・・
その噂を本当に信じているのか?」
目を泳がせながら話すクララに、思わずエルヴィンは吹き出してしまう。
あぁ、そんな噂、聞いたことあるな・・・
クララの耳にも入っていたか。
そう思いながらクララの顔を見ると、不満そうに頬を膨らせて何処か遠くの方を見つめている。
「だって、気になるじゃない・・・」
ポツリと呟いた言葉に、つい笑みが溢れる。
「誰が言い出したのかは知らないが、どんな寄付の募り方だい?
それに、それがもし本当だとしたら、俺はどんなテクニックの持ち主なんだよ?」
あながち噂が嘘ではない時期もあったが、それはクララに言う話でもないかと思いながら、つい弁解混じりの言葉が出てしまうのは、仕方のないことだろう。
「え・・・違うの?」
クララは目をパチクリしながらエルヴィンを見る。
既にクララは噂をすっかり鵜呑みにしていたので、エルヴィンの意外な返答に驚きを隠せずにいた。
しかしこの反応は、噂が真実ではないことを、喜んでいるのかいないのか・・・それとも・・・?
「それはどっちの問いだ、クララ。」
「どっちも。」
「それは、君は俺に満足している・・・と捉えてもいいのか?」
迷いもなく空かさず答えるので、意地悪たっぷりな顔でクララの顔をのぞき込む。
クララは、自分の答えた問いにハッとし赤面する。
「・・・もうっ、からかわないでっ」
クララは顔を赤らめながら、ふいっと顔を反対側へ逸らし、エルヴィンに肘を押し付けていた。
「でも、何で私たちは噂にならないのかな?」
背けた顔を元に戻したクララは、エルヴィンを見つめて、いつも思っていることを問いかける。
別に自分たちの関係を隠しているわけでもないのに、いつも聞くエルヴィンの噂は、自分以外の女の子とのことばかり。
唯の噂だと解ってるし、エルヴィンが自分のことを好きだというのは、こないだから胸が締め付けられるほど知っているから不安はないのだけれど、やっぱり違う女の子と噂されるのは余り嬉しくはなかった。
「食堂以外で会うことがないからな。」
エルヴィンはポツリと呟く。
「じゃあ今度、みんなの前でいちゃいちゃしてみようか!」
クララは冗談半分で言ってみる。
まぁ少し、そうしてみたいな・・・という願望もあったのだけど。
「それは名案だな。」
空かさずエルヴィンが答えるので、クララはぷっと笑みが溢れる。
そして目が合うと、二人仲良く笑いながらそっと触れるだけのキスをする。
何度も、
何度も。
それは、とても甘い甘い時間だった。
「ちょ・・・ちょっと、押さないでよ!」
「ペトラ!お前だけズルいぞ!」
「しーっ!オルオ、声が大きいって!」
ペトラとオルオが牽制し合っている。
草陰では、偶然通り掛かったリヴァイ班のメンバーが、クララとエルヴィンの二人仲睦まじい様子を覗き見していた。
エルヴィンがクララの肩を抱き、時折キスなんかもしている。
皆の良く知った二人が、共に見たこともないような甘い笑顔を浮かべていることに、全員が驚きを隠せないでいた。
「グンタ・・・そう落ち込むなって。」
「ち・・・違うって!!」
グンタの肩をポンポンと叩くエルド。
そして、その言葉を全力で否定するグンタ。
「エルヴィン団長じゃ、相手が悪かったな。」
エルドが畳み掛けるように言うので、グンタは手で顔を覆って溜め息を吐く。
「これぞ大人のカップルって感じで、素敵!!
憧れる〜!!」
ペトラは、うっとりと目を輝かせながら、まだ二人の様子を覗いている。
「そんなところで何をしているんだ」
「兵長!しーっ!!」
後ろから聞こえた声に皆振り向き、指を立てて静かにするよう促す。
が、リヴァイはそんな様子には気にも止めず、草陰の向こうを覗き込む。
「ああ、エルヴィンとクララか。
いつもあんな感じだ。放っておけ。」
「「「「いつも!?」」」」
四人は不意に出た自分たちの大きな声に驚き、慌てて口を抑える。
オルオにいたっては、慌てすぎていつもの如く舌を噛んでいる。
「へ・・・兵長、いつもって、お二人は長いお付き合いなんですか?」
「さあな。
でも少なくとも、俺の知る限り一年以上あんな感じだ。
途中距離があったこともあるがな。」
リヴァイは、当たり前のように端的に答えていた。
「・・・・・・」
「全然知らなかった。」
全員言葉を失い、目を丸くして驚く。
「グンタ・・・今日飲みに付き合うぞ。」
哀れむように言うエルド。
「なんだ。グンタ、お前クララに惚れてたのか?」
「そ・・・そんな訳では!」
リヴァイに自分の気持ちを言い当てられ、グンタは強い口調で否定してしまう。
その時点で、認めたも同然なのだが・・・
「残念だが、諦めろ。
あの二人に入る余地はない。」
はっきりとリヴァイに言われ、グンタはガックリと項垂れる。
その様子を見ていた他の三人は、哀れむような目でグンタを見守るしかなかった。
翌日・・・
クララとエルヴィンの二人の噂が兵士たちの間で持ちきりとなり、しばらく仕事もままならないほど皆からの質問攻めに合い、毎日赤面しながら過ごす羽目となる、クララとエルヴィンであった。
花季 -hanagoyomi-