井戸のうろ



ごとり。鈍い音がした。何かが落ちて地面にぶつかったような音だった。庭に生い茂る林檎の木から果実が落ちたにしては重量と硬さを感じさせる。
デュースは音の出所にチラリと視線をやり、そして深く重い息を吐いた。





七不思議……と言うには増えたり減ったりしている怪異。
その内の一つ。学園には、何処にともなく現れる人食いの井戸が存在している。決まった場所に常駐しているわけではなく突然出現するらしいのだ。井戸だというのに土地に縛られない。定義とは、と問いたくなる。
──そんな神出鬼没な怪異に出会ってしまった生徒がいるらしい。それもここ最近で遭遇数が増えている。とある人物からの情報であるため、おそらく間違いではないだろう。

特に行先も決めずデュースは学園の敷地内を歩き回っていた。知り合いとすれ違えば片手を上げて挨拶をする。時間制限のない散歩と言ったところだろうか。実際はそんな気軽なものではなく、異変が無いか探るための巡回なのだが。
そうして歩くこと幾ばくか。近頃、生徒のみならず常世とは一線を画している存在の間でも話題に上がるソレと遭遇を果たした。
複数の林檎の木が根ざす中庭。本来ならば井戸は一つしかないはずだというのに、もう一つ、いつの間にか増えていたのだ。自然と細められた双眸が素早く周囲を見回した。異変は今のところ感じられない。井戸が増えていること以外は。
いつもならばチラホラと生徒がいるはずの時間帯に、誰の姿も見えないというのは不幸中の幸いだろう。いや、それとも井戸の影響が及んでいるのだろうか。
木の葉が枝から離れて踊るように地面へ落ちた。気を張りながらデュースは井戸との距離を縮めていく。ふと井戸を挟んだ真向かいに何か黒い物が見えた。さらに一歩近づく。──そして気付いた。向かい側にある黒い物は、制服だ。

(先に誰か遭遇してたのか)

徐々に縮めた距離がゼロになる。靴の爪先に井戸の縁が当たる。
途端、空気が震えた。

「おぉおおォい」

風の音ではない、音。声にも似た音だった。出所は明らかである。目の前の虚。まるで井戸の中から呼び掛けられているようだ。助けを求めるかのように。──そう思ったのは一瞬。不快な雑音が混じり、声とも呼べない音が再度デュースの耳に届く。
背後で、ごとり、鈍い音がする。何かが落ちた音がした。
背筋に走った寒気。井戸から身体を逸らし距離を取ったのは反射だった。後ろへと振り向くこともしない。予想が正しければ、落ちているのは碌なものではないだから。

「ぉおおォオい」

今度は井戸からも背後からも聞こえた。井戸は、そして周囲に存在しているモノ等はある目的のために共に居たのだろう。いや、同一の存在と言っても良いのかもしれない。
デュースの右手に触れるヒヤリとした冷気。何とも気分が悪い。舌打ちせんばかりの表情で井戸と、その傍に蹲る生徒を順に睥睨した。
──覗き込んだ者が、落ちてくるのを待っているのだ。

「……おい、起きろ。痛い目にあいたくなかったら今すぐに」

ここで出会ったのも何かの縁。見て見ぬふりをして放置するのは気が引ける。揺り起こしてやるのはせめてもの優しさである。

「立てるか?」
「……え、いや、あれ?」

完全に意識を失っていたわけではないようで、デュースの呼び掛けに一拍置いて反応が返ってくる。睡魔に襲われたと言ったところだろうか。しかし足に力が入らないようだった。この生徒だけでもこの場から遠ざけておきたかったのだが、この状態ではそうもいかない。わざわざ安全地帯まで送るわけにもいかず、目を離すわけにもいかず。そうなるとデュースの取れる行動は限られてくる。早々に諦めざるをえなかった。

が聞こえる可能性もあるけど、仕方がない)

疑問符を頭上に浮かべた生徒を放置してデュースはおもむろに懐から巾着袋を取り出す。
落ちてくるのを待っているのならば、代わりの物を落とせばいいのだ。
巾着袋から小さな木彫りの人形を探し出すと、次いでポイッと無造作に井戸の虚ろへと投げ入れた。
ただの木彫りの人形ではない。破邪の能力を持つと言われる香木をデュースが削って作った物である。要はまあ、嫌がらせだ。聖水などを投げ込まないだけ可愛いものである。

──ぁぁああああああああ、ぉおおあおあおおおあああああ

苦悶の叫びがデュースと蹲ったままの生徒の耳をつんざいた。片や表情も顔色一つさえ変えず、片や恐怖に表情を歪め血の気が引いたような顔色で、拷問でもされているのかと思うような声の収束を待つ。
さほど時間を置かずして叫び声が止んだ。それは一瞬のようで、長い間響いていたような感覚に襲われる。耳だけではなく頭に直接響いてくるような、非常に不快な響きだった。
後日、この香木の人形が別の機会にも活躍する未来が待っているのだが、今は関係のない話である。閑話休題。

デュースは後ろに首を傾け、視線を地べたに座り込んだままの生徒へと向ける。まるで今その存在を思い出したかのような、淡々とした目。見据えられた生徒は何故かぞわりと総毛だった。

「──ひとつ、警告しておこう」
「ヒッ」
「物質的なものであれ、形無きものであれ、過ぎた欲は身を亡ぼすぞ。我が身が惜しければ」

そこで一つ息を継いで、デュースはこう告げた。

「欲をかかない事を、お勧めする」

ただ静かな瞳に温度が感じられない。座り込んだままの生徒は何故か喉元に苦しさを覚えた。自覚は無いが恐怖の所為だ。自然と震える足に鞭打って彼はよろめきながらも立ち上がった。早くこの場所から離れたい。その一心で。
デュースにも井戸にも目もくれず、躓きながら立ち去る姿は脱兎のごとく。その後ろ姿を見送って深く息を吐いたのだった。
あの生徒が響いてくる声に何を思ったのかは定かではない。しかしNRCの生徒であるならば、大半は助けを求めるかのような声に何を考えるのか、想像に難くないのだ。井戸と遭遇した後、素通りできずに傍で意識を落としたというのは……恐らくそういうことである。

──ある意味で助けられたも同然なこの生徒。その晩まともに眠りにつけず、恐怖で枕を濡らしたとかなんとか。
想像力豊かな魔法士のさがである。




2022/5/14/【爪先・林檎・踊る】
怪奇関連でまた泣かせてる。ネームドキャラなら耐えられたかもしれないけどネームレスキャラだったから耐えられなかったんだね。
どこの怖い話でもある気がする、落ちてきたのが木の実だと思ったら……ぎゃあって話。



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