49
月神香耶side
私はぴりぴりする咽を無意識に押さえる。
今日、千鶴ちゃんが巡察に同行したとき、出会ったという女性。千鶴ちゃんにそっくりな、南雲薫という名前の。
私にはその人物に心当たりがあった。
十年以上も前のこと。まだ滅ぼされる前の、平和で穏やかな雪村の里で。
私は幼い双子の鬼に出会った。
「香耶さん、あの薫さんとおっしゃる方をご存知なんですか?」
「……まあ、ね」
千鶴ちゃん、思い出せなかったんだね……。
「香耶さん」
内心で肩を落としていると、そんな私の心中を察知した総司君が、私の肩にとんと手を置いた。
「僕が一緒に探したらだめなの?」
「……」
私は返答に詰まった。
南雲家は土佐の一族。そのうち新選組に敵対する。彼……薫君の真意が分かるまで、今はまだ両者を不用意に近づかせるべきじゃないと思う。雪村の鬼って研究肌なやつらばっかりだったからね。特に毒だの薬だのには気をつけたほうがいい。
(香耶姉ー!)
幼いあの子が私を呼んだ気がした。
「私は幼いころのあの子を知ってる。完全に私だけの都合だよ。君たちの手を借りることはできない」
「確かにそうですね。……ですが、彼女がどこかの間者だとしたら。香耶君に近づいて、新選組の情報を得ようとしているとしたら、どうですか?
そういった懸念がないとは言えないでしょう。だから一人での外出を控えて欲しいのですよ。そしてその場合、我々が出ないわけにはいきません」
「そうそう。あのさ、君はどうやって言えば理解できるの? 僕らみんな香耶さんのことが心配なんだよ。どうでもいいやつにこんなこと言ったりしない」
「うっ、ごめん」
私は敬助君や総司君の言葉に言い返せなくて視線を泳がせた。
実を言うと、薫君をみんなに会わせたくない理由は、もっと別にある。
……超個人的な理由がね。
「それに…」
総司君は私を下から覗き込んだ。
「さっきから咽を押さえてるみたいだけど、どうしたの。痛いんじゃないよね?」
「ぎくっ」
目ざと!
「香耶さん、そういえば朝、」
「うわあ、千鶴ちゃん、今それ言う…ごほっげほげほ!」
「……咳をしていらっしゃいましたよね。必死に隠していたみたいですが」
そうなんだよ。息を急激に吸い込むと咳が止まらなくなるんだよなぁ。
私の意識が千鶴ちゃんに向いているところに、総司君に頭を両手でがっしり掴まれる。
「やっぱり、風邪引いてるでしょ」
「うん……いやだめだめ、風邪ってのは風邪だと自覚した瞬間に、いっきに重く……ぎゃああごほっ!!」
話してる途中だというのに総司君は、私の身体を力いっぱい引き寄せて抱き上げた。
「自覚してからじゃ遅いってことだよ、それ」
「そうじく、ん、酔う」
「千鶴ちゃん、布団の用意してきてくれる?」
「は、はい!」
え、え? 薫君捜索は? 外出許可は?
「――それじゃ、山南さん」
「ええ、仕方ないですね。お大事に」
敬助君。ほれ見ろ、みたいな顔しないでよ。人事だと思って。
こうして私は自室に強制帰還させられたのだった。
数日後。
新しい屯所の広間に、近藤さんの声が朗々と響き渡る。
「みんなも、徳川第十四代将軍、徳川家茂公が、上洛されるという話は聞き及んでいると思う。その上洛に伴い公が二条城に入られるまで、新選組総力を持って警護の任に当たるべし……との要請を受けた!」
隊士たちはそろって歓声を上げた。
うう、かっこよく演説する近藤さん、見たかったなぁ。私は手ぬぐいでぐずぐずの鼻を押さえながら、回廊の戸に身体を預けた。
この将軍上洛は、第二次長州征伐のためだ。
将軍は閏五月二十二日に京に到着。二十四日には下阪し、新選組からも隊士が選抜され同行する。しかし、将軍家茂は大阪城で病に倒れることになるのだ。
「香耶さん、そこで何してるのかな?」
「あ、そーじくん、お話は終わったの?」
広間から出てきた総司君は、私を見つけて近づいてきた。
「僕は部屋から出ないでって言っといたはずなんだけど」
「カタイこといわないでよ。もう熱もないし」
「鼻声で言われても説得力ありません」
「うむぅ」
もうちょっと、と勾欄にしがみつく私を見て、総司君はため息を吐いて、私の横に腰を下ろす。
「少しだけだよ」
「付き合ってくれるんだ」
「大好きな香耶さんのためだからね」
「げほっごほっ!」
最近なんだか愛情表現が露骨になってきてるんだよね……。
「そういえば総司君、君は健康だよね……?」
「……うん。香耶さんの風邪だったら移されてもよかったんだけど?」
「馬鹿なこと言わないの」
そっか。
……どうかこのまま労咳になんてならないで。
私が全部引き受けてもいいから。
「そう言えばさ、去年の今頃もこんな感じだったよね」
「ああ、たしかにね」
去年の今頃といえば、池田屋事件でぶっ倒れた私が、布団に縛り付けられていた頃の話だろう。そのひと月後の禁門の変では、歳三君に再三大人しくしとけと言われたにもかかわらず、六角獄にまで出向いて、結局またぶっ倒れた。
そのころから、この子達の過保護にも拍車がかかったんだ。
「ねえ、そんなに鼻擦ったらすりむけちゃうよ」
「あ、」
たしかに、ひりひりする。私は鼻に当てていた手ぬぐいを離した。
すると。
「はいこっち向いて」
「はぅうっ!?」
総司君がその形のいい唇で、私の少し乾燥した唇を塞いだ。
口で息するしかない私の口腔に、容赦なく舌を差し込んでくるものだから。
私はたまらず総司君の頬を引っ掻いた。
「いたっ、なにするのさ」
「ごほっはぁはぁごほごほ!
こっち、の、ごほっ、せりふ、だよげほごほっ!」
眉根を寄せて怒ってみるけど、涙目のうえ真っ赤な顔じゃあ迫力がでない。総司君はしてやったりとにんまり笑った。
「人に移せば治るっていうでしょ」
それ迷信だからね!!
その日、総司君は引っ掻き傷を顔につけたまま、二条城へ向かう新選組に従隊していったのだった。