51

月神香耶side



みんなに寝てろと言われたけれど、頭が冴えて眠れなかった。
静まり返った講堂前の廊下に寝転がって天井を見つめる。
この一年半、ずっと人の気配に囲まれて暮らしてきたから、それに慣れてしまったのかもしれない。周りに誰の気配も感じられないことが、こんなに落ち着かないなんて。

ぼんやり暗闇を見つめて、何度か寝返りを打ったころ。とたとたと足音がすると共に、焦った気配が近づいてくる。私は身を起こして気配の主の顔を見た。

「あれ、千鶴ちゃん?」

「香耶さん……こんなところで寝てないで、部屋で寝ててください。屯所中を探したんですからね!」

「あはは、ごめんごめん」

ま、素直に戻るつもりはないけど。
やって来たのは、二条城に行ってたはずの、千鶴ちゃんだった。




「そっか、千景君が……」

「はい…」

二条城には千景君たち、西の鬼が現れて、新選組にちょっかいを出して帰ったらしい。事の顛末を聞いて私はうずうずした。

「面白そう…」

「だっ、だめですよ! 風邪が完治するまで外に出ては!」

さすが千鶴ちゃん。私の考えてることが分かったみたい。

「あはは分かってるよ……こほっこほっ!」

「香耶さん…!」

「はぁ…もう今から行っても間に合わないだろうしね。それにあの心配性たちに何されるか分かったもんじゃない。この一年半でちょっとは学習したんだから」

監禁されて説教とか事務仕事とか……考えるだに恐ろしい。

「……それでも学習したのはちょっとだけなんですね…」

まあ、こうしてちょっと外の空気を吸いに出るくらいは許してもらわなくちゃ。暴れだしたくなるからね。
少しだけ会話が途切れると、千鶴ちゃんは少しうつむいて庭の地面を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。

「香耶さん…あの、雪村の姓って、何か特別なんですか?」

雪村……?
私は少しほてってきた額に手を当てる。

「あー、千景君に聞いたんだね」

「はい……それと、この小太刀のことも……風間さんは、私を同胞だと言ってました。それから自分たちのことを……」

「鬼、だと言っていた?」

「はい……」

さて、どこから話すべきか。

「私さ、むかし雪村の里で、千鶴ちゃんに会ったことがあるんだよね」

「え……?」

「千鶴ちゃんが、ちっちゃい女の子だった頃に」

「私が、あの村に……住んでた」

千鶴ちゃんの知っている雪村の里は、以前時渡りで渡ったときに見た、壊滅直後の村だ。あそこに自分が住んでいたといわれても、ぴんと来ないだろう。

「綱道君に何か聞いてない?」

「、父様をご存知なんですか!?」

「君には、生まれてから里が襲われ、逃げ落ちるまでの記憶がないだろう。あまりに惨い出来事だったせいで、心が耐えられなかった君は、何もかも忘れてしまったのだと思う」

「そんな……」

「無理に思い出す必要はないよ。記憶の欠落は君の防衛本能だ。自然に任せるほうがいい。綱道君も、そう考えて君に何も話さなかったのだろうね。君の本当のご両親だって、きっとそんな君を見守っているさ」

「私の、本当の……?」

「うん、本当の」

彼らは、幕末に来たばかりの頃の私を助けてくれたんだ。

「雪村の里の一族は、鬼の一族だった」

とても、優しい人たちだった。

私は、一人でぐるぐると考えをめぐらす千鶴ちゃんの肩をとんと叩いて、その場を離れる。
空を見上げれば、里の最期のときにも見た月が、私たちを照らしていた。私はそっと目を閉じて、あの時と同じ月に向かい、彼らに黙祷を捧げるのだった。




深夜。
私は物音に気付いて、布団から身体を起こした。
板張りの廊下がきしむ僅かな音。
まだ夜明けには少し早い時刻。同室の千鶴ちゃんは隣の布団で就寝中だ。
誰だろう。こんな時間に。みんなが帰ってくるにはまだ早い。

千鶴ちゃんを起こさないように気を配りながら、すぅっとふすまを開けると。
壁側に寄りかかって、腕を組んで庭を望む彼がいた。

「ふん、やはり起きていたのか」

「はぁ、千景君……何しに来たの。こんな時刻に」

月光を背負って金の髪がきらきらと輝いてる、その姿。
いつもうらやましいくらいの美貌だなぁ、風間千景君。

とりあえず眠ってる千鶴ちゃんから千景君を遠ざけよう。
そう思いそっと部屋のふすまを閉めて、千景君に庭に下りるように促すと、彼は足音も立てず地面に降り立った。私も彼の後について、縁側から裸足で降りる。

ひんやりとした黎明の空気を、胸いっぱいに吸い込み……。

「ごほごほげほっ!!」

咳き込んだ。

「風邪か」

「こほ、こほっ…ずずっぐすっ…うぅ」

こりゃだめだ。格好つかない。
千景君は音もなく、屈んで肩を揺らす私の前に立つ。私の震える睫毛をじっと見つめて、顎を掴んで顔を上げさせた。

「もう一度言う。俺と共に来い、香耶」

「だ、めだ……」

「お前ほどの女が、何を望み、ここにいる?」

私の望みは、穏やかな終焉。

「生きて、死ぬことを」

「死に場所を求めるか」

「……ずっと探してる」

独りになんてなりたくない。大事な人たちに囲まれて死ねたらいい。
けれど私の望む終焉へはまだ遠くて。

「世界は変化し続ける。人が誰かを想い続けるかぎり。私は、知りたい。人が…私が、どこまでできるか……。すべてが終わるまで、変え続けて、みせる」

「ではお前は誰を想う」

酷い耳鳴りとめまいが襲ってくる。身体中に熱がこもって、ぼおっとしてる。

「私……、こ、こに…」

千景君はぐらぐらと揺れる私の身体を受け止め、片手で抱き上げる。

「俺の元で世界を変えてみせろ」

彼は私の腰から“狂桜”を引き抜いて、投げ捨てる。

「……どう、して…」

かしゃんと硬い音を立てて、刀は地面へと転がり落ちた。
もしかして、千景君は新選組に私を探させたいのだろうか。

「言ったはずだ。お前を手に入れると。鬼だから、ではない。鬼だろうと人だろうと、女などどれも同じ。だが、お前だけは、違う。特別だった」

それって、千景君……まるで愛の告白みたいだよ。

「ちづ、るちゃん、は」

「あれは純血の女鬼だ。人間などにまぎれて暮らしていい存在ではない。それに千鶴がいれば、お前も心安かろう。いずれ連れてくる」

やっぱり千鶴ちゃんも連れて行くつもりなんだ。
――ああ、いけない。熱が、ぶり返してきた。

「香耶。お前は俺が、誰からだろうと、……例え世界からだろうと、奪ってみせる」

不敵な笑みを浮かべ、私の髪に一瞬だけ口づけする。

「お前にも、あの幕府の犬どもにも、思い知らせてやろう」

そうして千景君は、私を連れたままその場から背を向けた。
私は、屯所に……部屋にむかって手を伸ばす。

「そ…じ、くん……」

朦朧とする意識下で、どうして彼の名前を呼んでしまったのか。

(香耶さんっ、香耶さんしっかりして!)

どうして彼の声が聞こえたような気がしたのか……。
私には考える余裕など無かった。

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