54
月神香耶side
目が覚めると、ちゃんと布団に寝かされていた。
「は…ぁ、何かに追いかけられる夢見た」
横になったまま、周りを見渡す。質素に見えて、細部に贅を凝らされた、趣味のいい部屋。行灯も寝具も高級なもの。
「……どこ?」
私……さらわれて来たんだよね。
汗ばんだ顔を、絹の寝巻きの袖でぬぐって、頭をわしゃわしゃ掻きむしる。頭痛をごまかすようにこめかみを叩きながら起き上がった。
「ゼロ、動ける?」
『いえ……このお屋敷は、なにか強力な結界に守られているようですね。僕は香耶さんの精神世界から出られません』
「うーん……、結局自力で逃げるしかないのか」
『無理しないほうがいいですよ。きっと沖田さんたちが助けに来るんじゃないんですか』
「君、小さくなってから他力本願になったよね。……まあいいや。それはそうと誰が私を着替えさせたんだろう」
『あ、それは中老の女性でしたよ。お手伝いさんみたいな感じの』
「なんだ。意外に堅気な男だね。千景君」
『僕は結構好きですよ、あの鬼。だからって香耶さんをあげられませんけど』
「君は私の父親か」
とにかく少し様子を見てみるか。いい加減身体だるいし。
「……ゼロ、私少し寝る。誰か近づいてきたら起こして」
『はい、おやすみなさい』
そうやって再び眠りについたが、すぐに起こされることになる。
『香耶さん、起きてください』
「むぅ……起こすの早くない?」
『ええ二十分くらいしか経ってませんね。部屋の外から気配が近づいてきますよ』
「ん、わかった。ありがと」
はぁ、と熱い息を吐いてのろのろと身を起こす。
小さな水墨画をあしらったふすまがすっと開いたので、私は視線だけをそちらにやった。
はじめに視界に入ってきたのは優雅な男の足さばき。
「起きたか」
「……千景君」
気だるげな私の布団の傍に、彼は腰を下ろす。
そして白木の小刀を一本、私に差し出した。私はそれに瞬いて、そして千景君へと目線を上げた。
「……くれるの?」
「護身用だ。とっておけ。ひとつ忠告しておくが、これは“狂桜”と違って普通の刀だ」
ああ、“狂桜”なら刃こぼれも錆びも気にしなくてよかったけれど……。
「ひょっとしてここは戦場になるのかな」
「ふん、やつらがここまで辿り着けるとは思えんが」
なるほど。誰か助けに来てくれることになってるんだ。
「それじゃあ、私……、ホントに寝て待ってればいいんだ」
ゼロの言ったとおりだ。先走って無茶やんなくてよかった。きっと彼らは来てくれる。
千景君は布団の脇に座り、半身を起こす私に対峙した。
「お前を眠っている間に医師にみせたが」
「ただの風邪だったでしょ」
そう言って私は苦笑する。何を大げさにすることもない。自己の体調管理ができていなかっただけなんだから。
はは、と空笑いしたところで千景君は私の口の中に指を突っ込んできた。なにか苦いものと一緒に。
「!? うがっごほっ、な、にこれ…まずっ」
「丸薬だ。黙って飲み込め」
「んぅ……」
普通に渡してほしかったよ。
千景君は私の口から引き抜いた指をちろりとなめて、
「……確かに不味い」
おもいっきり顔をしかめた。
「みず……」
「後で天霧が持ってくる。今はこれで我慢しろ」
言って彼は、強引に唇を重ね、唾液を流し込んできた。
い、息が……!
あまりの苦しさで目じりに涙が浮かぶ。なんとか薬を飲み込むのと、私の振り上げた手が千景君の頬をかすめるのが同時だった。
「っ……」
「がはっごほっぜえぜえごほっ!」
私の爪は、彼の白磁の肌に赤い線を刻んだ。
私が息も絶え絶えに悶えている間、彼は己の頬の傷にすっと指を滑らせる。傷は時の間のうちに綺麗に治って消えた。
「ち、かげ…くん」
「俺の顔に傷をつけられる人間など、お前だけだ」
なんとなく、怒るかと思ったけれど、予想に反して彼は薄く笑っていた。
そしてすっと立ち上がって、私に背を向ける。
「部屋からは出るな。お前に新選組へ帰る意思があるのならば」
「……君に私を帰してくれる意思はあるんだ」
「さあな。俺の気分次第だ」
「君は、新選組を試しているの?」
「ふん、そんなことをして俺に何の得がある。……このようなもの、ただの余興に過ぎぬ」
素直じゃないな、千景君。
「薬、ありがとう」
私が少し困ったように微笑むと、千景君は目を見開いて私を凝視した。
そして一瞬、ほんの一瞬だけ、笑ったような気がした。
まるで子供みたいに、嬉しそうに。
そして彼はふすまの向こうに消えていった。
私はその後暫く、彼の見えない後姿を見つめていたけれど、だるさを自覚してもそもそと布団にもぐりこむ。
小刀をぎゅっと握り込んで、眠りについたのだった。