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(次や次!切り替えて行こか/種ヶ島・仁王)
4月の第一土曜日。
今日は拓哉の後輩である種ヶ島が都内の寮から引っ越してくる日だ。
時刻は13時を回ったところで、春のうららかな日差しが辺りを照らしている、絶好の引っ越し日和だ。
ゆめの家の門の前には一台の軽トラックが停まっており、その荷台の扉は開かれている。一人分の荷物でかつ家具家電がある訳でもないので、業者から手配された作業員は一人だった。
作業員は慣れた手つきで次々と段ボールを運んでいたが、彼が一人で仕事をしているのを見ているだけというのも気が引けたのか、依頼主である種ヶ島は作業員から受け取った段ボールを自ら部屋に運び、もう何度も階段を往復していた。
その様子をゆめこはリビングのソファからぼんやりと見つめていた。正確に言えばちょうどリビングのドアが開きっぱなしになっていたので、ゆめこが座っているところから丸見えだったのだ。
ハッピーターンをポリポリと食べながらぼけっとしているゆめこに、母である成留美は呆れ顔で近付いた。
「ちょっとは手伝ったらどうなの?」
「えー、だって何していいか分かんないんだもん」
作業員の人と修二さんで十分やれてるじゃん、とゆめこは唇を尖らせて抗弁する。
「気が効かないわね〜。段ボール一緒に開けてあげるとか、いろいろあるでしょ」
ゆめこは分かりやすくめんどくさい顔をした。しかし人でなしと思われるのも癪なので彼女は最後の一口を口の中に放ると「はーい」と返事をして立ち上がる。
スニーカーを履き玄関を出ると、ちょうど段ボールを抱えている種ヶ島と鉢合った。
「ん?どっか出かけるん?」
「いえ。何かお手伝い出来ることありませんか?」
「ええよ、ゆっくりしとって」
種ヶ島はすぐににこりと笑ってそう言った。
しかしその優しさをそのまま鵜呑みにすることはできない。このまま何もしないで戻ったらママに何て言われることやら。ゆめこはそんなことを考えながら「いえいえ、手伝いますよ」と食いついた。
「んー、ほうかぁ。なら、トラックに残ってる段ボール運んでもらってもええか?右端の一番軽いやつな」
「分かりました」
無事に仕事を与えてもらったゆめこは種ヶ島と入れ違いでトラックへと足を進める。
中を覗くと段ボールはもう数箱しか残っていなかった。どうやらぐうたらお菓子を食べている間にほとんど作業は終わってしまっていたようだ。
まぁ手伝ったことに意味があるよね、なんて自分を納得させながら、ゆめこは種ヶ島に指定された段ボールを持ち上げる。軽いと言われていたが思った以上に軽く、ゆめこは種ヶ島の優しさを垣間見た気持ちになった。その時、
「・・・何しとん?」
とトラックの影から仁王がひょこりと顔を出した。ゆめこは「びっくりしたー!」と驚いた顔をした後、すぐに「部活帰り?」と尋ねた。いつものジャージ姿でラケットバッグを背負った彼の姿を見てゆめこはすぐにそう察したのだ。彼の話によると、午後から予定していた高等部との合同練習が急遽休みになったらしく、今日の練習はもう終わってしまったらしい。
「ふーん」と納得したような顔で相槌を打つゆめこに、仁王は「で?」と話を促す。
「引っ越しでもするんか?」
大手引っ越し業者のロゴが入ったトラックをじろじろと眺めながら仁王は尋ねた。
「今日からお兄ちゃんのお友達が居候することになったんだ」
「へぇ。随分急やのう」
「年末には決まってたらしいんだけどね。ママが私にだけ言うの忘れてたんだって」
「ひどくない?」なんて愚痴るゆめこに、仁王は「ゆめこの親御さんらしいのう」とくつくつ笑う。
「まぁ良い人だし、お兄ちゃんが帰ってくるよりはマシだけどね」
「ふーん、それって男?」
「うん、そうだよ」
にこにこと笑って首を縦に振るゆめこに、仁王はぴくりと眉を吊り上げる。
「よく親父さんが許したな」
「それがさぁ、修二さんのお父さんがパパの恩人なんだって。あっ、修二さんって言うのはその居候する人の名前ね」
「ほう」
「ママなんて、家族が一人増えたっていって嬉しそうにしてるしさ〜」
先日種ヶ島がゆめの家に挨拶に来た際、彼と自分の母親がしていた会話を思い出しながらゆめこは話した。種ヶ島も種ヶ島で「俺もこんな綺麗なお母さん、光栄ですわ」なんて返していて、居候が始まる前から二人は既に良好な関係を築いていた。
ちなみにゆめこは居候の話を聞いてすぐは『修二さんは一体どこまで兄の回し者なのか』と疑心暗鬼になっていたが、よく考えたら別にやましいことなんて無いし?と強気モードに入り、今では彼の居候にも賛成している状態だ。
「なんだか賑やかになりそうだよ」なんて話すゆめこの顔は完全に油断していて、仁王は少し心配になった。
「まぁ、気をつけんしゃい」と思わず小言を漏らすと、案の定ゆめこは間の抜けた顔で小首を傾げた。多くを語らずとも察して欲しかったが、ゆめこ相手にそれは無理な話だったらしい。
「拓哉さんの友達と言えど所詮は赤の他人。しかも男じゃ」
そこまで説明して初めて、ゆめこは「ああ」と得心がいった顔つきになった。
「まぁお家柄もしっかりしてるらしいし、心配いらないよ」
「相変わらず楽観的やのう」
仁王は努めて呆れ顔を作ってみせたが、ゆめこはあまり気にしていないのか「えへへ」と呑気に笑った。
荷台の前でそんなやり取りをしていると、引っ越し業者の作業員が戻ってきた。そのことでハッとしたゆめこは「やば、私も運ばなきゃ」と声を漏らした。
「じゃね、雅治くん!」
片手で段ボールを抱えたままもう片方の手をサッと上げて挨拶をすると、ゆめこはそそくさと家の中へ入っていく。仁王はそんな彼女の後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
先程は居候のことをW赤の他人W呼ばわりしたが、それは自分自身にも言えることだった。彼氏でも何でもない自分がとやかく言える立場では無いと頭では分かっている。しかし、先程からざわざわとした胸騒ぎが止まらないのだ。
「はぁ」とため息を吐き捨てて、仁王はその場から立ち去った。
「おっ、ほんまに手伝ってくれとるん?おーきに」
元は兄の部屋である2階の一室。
そこに段ボールを持って現れたゆめこを見て、種ヶ島はにこにこと笑顔を向けた。運搬作業は業者にお任せして、今は開梱作業をしていたようだ。
「ここに置いておきますね」と一声かけ段ボールを床に置くと、ゆめこはちょこんと種ヶ島の隣に座った。
「ん?」
「あ、えっと。私も手伝います」
大方母親にでも指示されているのだろう。分かりやすく協力的になったゆめこを見て種ヶ島はすぐにそう気が付いた。戸惑いながらも素直に手伝おうとするその姿勢に、種ヶ島は思わず笑いそうになる。素知らぬ顔で「ほならお願いするわ」と言うと、ゆめこは元気よく「はい」と返事をした。
「お洋服、ここにしまっていってもいいですか?」
「おー、ええで」
拓哉の部屋は壁の一面がクローゼットになって、ゆめこはその前に立っていた。種ヶ島の許可も得たことだし、と早速作業に取り掛かるが、彼の服はどれもお洒落なものばかりで、ゆめこは一つ一つ物珍しそうに眺めていた。中にはハイブランドの物もある。さぞお値段も張るのだろう、と思うと自然と丁寧に扱ってしまう。
「ええよテキトーで」
「いえいえ、だってこれ高そうだし」
「そんなん言うたら、その拓哉さんの服もなかなかやで」
クローゼットの中には拓哉の服がいくつか残っていたが、ゆめこはそれを雑に端の方に追いやっていた。その扱いの違いを兄が見たら泣いてしまうぞ、と種ヶ島は思ったがゆめこは「まぁ大丈夫ですよ」とさして気にも留めていないようだった。
しばらく作業を続けていくと、クローゼットはあっという間に種ヶ島の私物でいっぱいになった。その光景を見て、ゆめこはしみじみ本当にうちに居候するんだなぁ、なんて思った。改めて考えると他人が家に居るのって不思議な感じ。とボーッとしていると、「もう終わったん?」と声をかけられゆめこは振り向いた。
「貴重なオフやのに悪いなぁ。彼氏は?ええの?」
悪気も無しにそんなことを聞いてくる種ヶ島に、ゆめこはぎくりと肩を揺らす。何も知らないので無理は無いが、古傷を抉られたような気分になってしまい、ゆめこの顔にズーンと影が落ちた。
「・・・フラれました」
「あらら、そうなん?」
まるでこの世の終わりとばかりに遠い目をするゆめこ。
さらにはいつぞやの光景を思い出してしまったのだろう、「しかも彼、元カノさんとより戻したかもしれないんですよね。もう望薄です」なんて呟いたゆめこは完全にネガティブモードに突入していた。じめじめと湿っぽくなってしまった彼女の話にうんうんと耳を傾け、種ヶ島はにっこりと笑って口を開いた。
「まぁ、次や次!切り替えて行こか」
「それが出来たら苦労してませんよ」
パンパンと手を叩き明るく言う種ヶ島に、ゆめこはむすっとした顔を向ける。毛利以外の人と恋人同士になるなんて想像も出来ない。初めての彼氏であった毛利は、良くも悪くもゆめこに大きな影響を与えていた。しかしゆめこはまだ中学生だ。そんな狭い世界に収まり続けるのはもったいない、と種ヶ島は思った。
「男なんてこの世にぎょーさんおるやろ」
「そうですけど・・・」
ゆめこの歯切れ悪い返事を聞き、種ヶ島は「ええか、ゆめこ」と真剣な顔つきになる。威圧感のある声で、しかも急に呼び捨てにされ、ゆめこは思わずしゃきっと姿勢を正した。
「今のゆめこは井の中の蛙や」
「はぁ」
「海は広いで。世界の向こうまで繋がっとる」
「なんだか壮大な話ですね」
「別に大袈裟ちゃうよ。大海も見んと諦めてまうのはもったいないでー、って話や」
まるでありがたい説法を聞かされているような気分になってきて、ゆめこはふむふむと合槌を打つ。反面、このまま聞いていたら洗脳されそうだな、と思ったゆめこは「これ何かの勧誘とかじゃないですよね?」と真顔で問いかけた。したり顔をしていた種ヶ島も「は?」ときょとんと目を丸くする。
変な数珠や壺は勘弁だ。お小遣いも無いし、などと思っていると、突然種ヶ島は「ちゃうわ!」と言ってけらけらと笑い出した。
「ゆめこはおもろいなぁ」
「そ、そうですか?」
片手でお腹を抱えたままばしばしと背中を叩かれ、ゆめこは戸惑いながら首を傾げた。さりげなく呼び捨てが定着している気がする、なんて思ったゆめこだったが彼女がそれを言葉にすることは無かった。
しばらく笑って気が済んだのか、種ヶ島は「まっ、次はもっとええ男でも捕まえてみい」と締め括った。そんな彼にゆめこはふと疑問を抱く。
「さっきから私に新しい恋愛勧めてきますけど、修二さん私のこと監視しなくていいんですか?」
『居候させる代わりに、ゆめこに悪い虫がつかないよう監視して欲しい』拓哉は種ヶ島にそう頼んでいたはずだ。種ヶ島は「あー」と思い出したように視線を彷徨わせると、「まっ、ええやろ」と言った。
「いいんですか?」
「ん?監視して欲しいん?」
「いえいえ!とんでもございません!」
慌ててぶんぶんと手を振り拒絶するゆめこに、種ヶ島はプッと噴き出した。
「まぁそれっぽい報告しとけば拓哉さんも納得するやろ」
「修二さん、あなたって人は・・・」
しれっと拓哉への裏切り発言を口にする種ヶ島に、ゆめこはふるふると体を震わせる。そして次の瞬間、ゆめこはばっと彼の手を取った。
「私、感動しました!」
なんて話の分かる人!なんて、瞳をうるうるさせるゆめこに、種ヶ島は思った。
「ゆめこも苦労しとるんやな」
苦笑混じりにそう言うと、ゆめこは大袈裟にこくこくと首を縦に振った。
それから荷物も全て運び終え、大体の開梱も済んだところで「休憩しない?」と成留美が部屋に顔を覗かせた。
そのまま3人でぞろぞろとリビングに降りてくると既にテーブルの上にはお茶とお菓子が用意してあり、ゆめこは「わーい」と駆け寄った。
「アマニフィーのクッキーだ!」
「有名なとこなん?」
「近所にある洋菓子店ですよ。焼き菓子だけじゃなくてケーキも美味しいお店なんです」
「へ〜」
「観光客向けなんですけど、駅前は結構お洒落なお店も多くて」
「ええなぁ、今度案内してや」
「はい、いいですよ」
ソファに座るなり仲良く会話を弾ませる二人に、成留美は目を丸くして「まぁ」と口元に手を当てた。
「ママ、なに?」
「ううん、なんでもない」
にやにやと口元に笑いを浮かべる母を不審に思ったゆめこは眉を顰めたが、成留美はふんふーんとわざとらしい鼻歌を歌いながらふいと顔を逸らしてしまった。ゆめこはすかさず「なによー」と追及する。
「ん〜、随分修二くんと仲良くなったんだなぁと思って」
ゆめこと種ヶ島を見比べながら、成留美は嬉しそうに言った。ゆめこは素直にこくりと頷き、「だって、修二さん良い人だったんだもん」と答えた。先程の会話で彼が自分の味方だと分かったこともあり、ゆめこの中で種ヶ島への信用レベルは格段に上がっていた。
元より明るくて社交的で何より顔が良い、と種ヶ島に対して思っていた成留美は「今頃気付いたのね」なんて得意顔になった。父である賢造が家を空けがちなこの家では、3人で過ごす時間が大半を占める。そうなるとゆめこと種ヶ島が仲良くなるに越したことはないので、成留美は内心ホッとしていた。
「そうだ!テニスのことも修二くんにいろいろ相談出来るんじゃない?」
名案だと言わんばかりに、成留美はポンと手を叩く。二人にはテニスという共通点もあることを、彼女は思い出したのだ。
「なんやゆめこ、テニス始めるん?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど」
「新学期から男子テニス部のマネージャーになるのよね」
先日娘本人の口から聞かされたばかりの情報を成留美が口にすると、種ヶ島は少し驚いた顔をした。立海大附属中は種ヶ島の代でも強豪校として名を轟かせていた。当然練習もハードなものだと予想出来るが、見るからにゆめこは体育会系のようなタイプではないので少々そぐわない感じがする。
「大丈夫なん?」
「まだ始めてもいないので何とも言えないですけど」
「まぁ、せやな」
種ヶ島の言わんとすることを察しゆめこは苦笑を浮かべた。
成留美が「蓮二くんもいるし、大丈夫でしょ」と付け足すと、馴染みの無い名前に種ヶ島が首を傾げた。ゆめこがすかさず幼馴染である説明をすると、種ヶ島は思い出したように「あぁ」と声を漏らした。
「そういえば前に言うとったなぁ。幼馴染もテニスしとるって」
「はい。三連覇目指してるので、少しでも役に立てたらと思ってマネージャー引き受けたんです」
ゆめこの説明に種ヶ島は「ほ〜」と感心したように相槌を打つ。
「ま、そういうことならいつでも相談乗るで☆」と種ヶ島が軽い調子で言うと、これまたゆめこも「はーい、ありがとうございまーす」と軽くお礼を言うのだった。
(221206/由氣)→188
新学期まであと2日。