ここで終わればハッピーエンド

 仕事終わりの金曜日と、土曜日はオープンからラストまで。それと、たまに平日の短時間だけシャルのお店へ顔を出す生活にもすっかり慣れてきた。一度のお会計は、いつのまにか100万近くになっていた。給料日に通帳の残高を確認すると、1000万近くあった残高は半分近くにまで減っていた。

「はぁ。どうしよっかなぁ」

 通帳を眺めながらため息を吐いた。数週間後に控えるシャルの誕生日の為にも通帳の中のお金は残しておきたい。でもそれじゃあ、お店に会いに行く回数が減ってしまう。お父さんから渡されていたクレジットカードはとっくに上限を超えていて、もう魔法は使えなくなっていた。
 手に持った携帯電話で求人情報を検索をする。メンズエステ、デリヘル、ソープ……見慣れない言葉たちを見比べて、とりあえず電話番号を控える。

「どうしよ……」

 大金を工面するには、もう風俗店で副業をするしかない。分かってはいるのになかなか電話をする勇気が出なかった。ベッドに寝転がりシャルのSNSをチェックすると、お店での自撮りと共に、バースデーイベント緊張する。ナンバー取れる様に頑張るから応援してね。の文字が。その文字を見た私の心の中には、シャルを支えてあげないと、という使命感が宿っていた。シャルが私の力を求めているという事実にすっかり酔いしれていた。その使命感が指先を動かす原動力になり、先程控えた電話番号に電話をして、面接希望の旨を伝えた。話はとんとん拍子に進んでゆき、週明けの月曜日の仕事終わりに面接してもらうことになった。

 そうして迎えた月曜日。朝から気が気じゃなかった。待ち合わせの場所の喫茶店には少し早く着いてしまった。先に席に座って待っていると、紺色のスーツを着た、香水の匂いをきつく纏わせた男性がやってきた。

「ごめんね、お待たせしちゃった? あ、飲み物はもう頼んだ?」
「いえ、私も今到着したところです」
「そっか。なら何か頼んでよ、遠慮せずに」
「は、はい」

 想像していた面接よりも遥かに軽やかな雰囲気で男性は話を進める。この業界の経験はあるの? 未経験かぁ……。いいね、どんなプレイが出来る? NGはある? 何が何だか分からないまま進む話を、一つ一つ丁寧に説明してもらい答えていく。無事採用してもらえることになり、勤務開始日からよろしくねと挨拶をされると、不意に彼が口を開いた。

「良かったら今日さ、講習受けていく?」
「え……?」
「講習って言っても、俺相手に本番と同じプレイを一通りやるだけだよ。風俗未経験でいきなりお客さんだと勝手が分からないかなぁって思ったんだけど、どう? 講習なしでも平気そう?」

 彼は終始、どちらでもいいよと笑っていた。だけど私自身、いきなりお客さんを接客するなんて、という不安もあった。ずいぶん悩んだ結果、講習を受けることにした。じゃあ行こうか、と向かったラブホテルは出会った日にシャルと来たホテルだった。

 終始、なんの滞りもなく講習とやらは終わった。分かってはいたけれど、シャルに抱かれる時より気持ち良くはないし、ただただ気持ち悪いだけのセックスだった。出勤出来る日はいつでも出勤してね、と去り際に言われ彼と別れた。普通のOLとソープ嬢、二足の草鞋生活が始まった。

 時計を見ると23時。一時間だけ会いに行こうかなとも思ったけれど、翌日の仕事のこと、会えばきっと泣いてしまうことを考慮して大人しく家へ帰った。家に着くなりベッドへ雪崩れ込み、瞳から溢れてくる涙を拭う。大丈夫。シャルだって頑張ってるんだから。私だって頑張れる。シャルを支えられるのは私だけなんだから。何度もそう言い聞かせ、メイクも落とさずお風呂にも入らず、沈むように眠りに着いた。

 昼職終わり、お店へ向かう。雑居ビルの一室にあるソープランド・幻影で週に二、三度働いている。シャル以外の男に抱かれることにも少しづつ慣れた。だけど、何も知らないシャルに抱かれると悲しい。なんだか無性に虚しくなって、ソープへの出勤を当日欠席してシャルのお店へと足を向けた。シャルに会いにお店に行けば、シャルは他の女を接客していて私には気付いていなかった。
 案内された先に座り、ヘルプを待つ。その間にも苛立ちや悲しさは積もってゆき、慌てた様子でシャルが隣に座った時にはもう爆発寸前だった。ううん。シャルが来たことによって、導火線に火がついてしまった。

「ナマエ! 急に来てくれるからびっくりしちゃった」
「シャンパン持ってきて。なんでもいい。酔えるやつちょうだい」
「ナマエ……どうしたの? 何かあった?」

 ソファの背もたれに身体を預け、項垂れる私を覗き込むシャルの瞳は綺麗な翡翠色だった。金髪がさらりと揺れて、私の前髪にふわっと触れた。

「シャル、ごめん……。ずっと黙ってたんだけど。私、今ソープで働いているの。……軽蔑、するよね。シャルのこと応援するにはたくさんお金が必要だから……それで仕方なくて……でもシャルはこんな私、もう好きで居てくれない……よね」

 瞳から溢れる涙にも、鼻腔を伝う鼻水にも構わず言葉を振り絞った。小さく、弱々しい声だったけれど、シャルは確かに聞き取ってくれた。私の肩を抱き寄せ、耳元に頭を埋め、左手で頭を撫でてくれる。

「ナマエはオレを思ってしてくれてるんでしょ? こんなに涙流して……苦しい思い、いっぱいしたよね。ごめんね、オレが情けないせいで。……ね、ナマエ。真剣に聞いてほしいんだ、オレの話」
「なに? 別れ話なら聞きたくないよ……」
「違うよ。……オレがいつかNo.1になって役職に就いたらさ、オレと結婚してくれない? 役職に就ければオレ、ナマエを幸せに出来る自信が付くと思うんだ。……だめかな?」
「だ、だめじゃないっ! 嬉しい!」
「ほんとに? 良かったぁ。オレも嫌なお客さんの接客するのとか、思ってもないこと言うの、ほんときついんだけどさ。ナマエもオレの為に苦しい思いしてくれてるんだって考えたら頑張れる。だから一緒に頑張ろう」

 そう言ってシャルは翡翠色の、お揃いのネックレスを首に掛けてくれた。

「辛くなったらこれを見て頑張ろう。オレも毎日付けるから。大好きだよ、ナマエ。今日も会いにきてくれてありがとう」

 シャルの優しさにまた涙が溢れた。シャルは魔法使いのようだった。私を笑顔にしてくれる。私を助けてくれる。欲しい言葉を与えてくれる。私はそんなシャルの支えになりたい。一番になりたい。その思いは胸の内でふつふつと燃え上がり、確固たる目標になっていた。

 そうして迎えた誕生日イベント当日。お店の真ん中には私が用意したシャンパンタワーと、席にはルイ13世が飾られてある。シャルには内緒にしてたから、驚愕と喜びを表情や仕草でこれでもかというほど表現してくれて、とっても嬉しそうだった。シャルを指名している他のお客さんさんよりも、誰よりも私が上に立っていた。シャルが居れば、何にも怖くなかったし、何でも出来ると思っていた。だから、トイレですれ違った女にブスって言われても気にならなかった。だって私の方が可愛くて、私の方がシャルを支えてあげれて、私の方がシャルに必要とされているんだもん。文句があるなら私と同じ土俵に上がってきなさいよ。そう、心の中で嘲笑っていた。

 閉店まで続いたシャルの生誕イベントは無事終わり、今日の私の小計は498万だった。このイベントのおかげでシャルはその月、初めてNo.1になった。だけど大変なのはここからだった。このNo.1をキープする為に、私は仕事終わりにソープに出勤する回数を増やすことにした。だから少しでもゆっくりとシャルに会えるのは土日だけになる。

「寂しいなぁ」

 シャルと一緒に住めたらいいのに。そんな気持ちが募ってぽつりと言葉が漏れた。お客さんの居なくなったプレイルームで、私の乾いた言葉が惨めに響いた。

 昼職終わりにソープ勤務、土日はシャルのお店へ通う生活にも慣れてきだした頃。あれから3、4ヶ月経っただろうか。いつものホテルの、乱れたベッドの中で、思い切ってシャルに提案してみた。

「あのね、私達さ、一緒に住まない……?」
「え?」
「お父さんにね、結婚を考えている人が居てるって話したら、結婚を前提なら必要なお金は全て払ってやるから二人で同棲すればいいじゃないか、って……。どう、かな?」
「そうだね。結婚を前提、だもんね。……今の寮、さすがに急に出て行くことは出来ないからしばらくは半同棲って感じになると思うけど……それでもいいかな?」
「ほんとに? いいの? 嬉しい!」

 もちろん、お父さんがお金を出してくれるなんて真っ赤な嘘だ。それでもシャルを少しでも近くに感じていたかった。
 シャルのお店の近くで借りれるマンションを何部屋か内見し、気に入った所を二人で契約した。必要な家具家電を揃え、ようやく二人の生活が始まった。と言っても、シャルは金、土の仕事終わりにだけ家に帰ってくる、所謂半同棲なんだけど。それでも私には、シャルと一緒に帰れる家があることが幸せだった。同じベッドで眠りにつき、同じ食事を共に口に運ぶ。何気ない日常が幸せだった。

 半同棲が始まると、気付いたこともいくつかあった。シャルは起きている時間のほとんどをお客さんへの営業メールに費やしていた。時々、私以外のお客さんと同伴をしたり、アフターに行ったっきり帰ってこなかったり。もやもやとした気持ちでシャルの帰りを待つことが増えた。でも週末はずうっと一緒に居れるから幸せだった。週が明けるとシャルはまた寮へ戻っていって、離れて暮らす日々に襲われる。

「ずっと週末でいいのに」

 ぽつりと呟いた私の言葉は、シャルの耳には届いていないのか、返事はなかった。シャル。私もシャルと同じ気持ちだよ。私がシャルを支えるから、シャルも弱くてぐずぐずな私をほんの少しの優しい言葉で支えてね。ようやく勝ち取ったNo.1の座を、今度は誰にも奪わせないように私もっと頑張るから。

「ナマエ、無理しないでね。……早く結婚したいね」
「シャル、私も同じ気持ちだよ。シャルがくれたこのネックレスがあるから私今も頑張れてるんだぁ」

 おいで、と優しくベッドへと誘われる。シャルの前髪が私の鼻に掠って擽ったい。ふと、シャルのスマホ画面が光った。画面にはLと表示されていた。

「シャル、電話、鳴ってるよ……」
「あぁ、放っておいていいよ。それよりもう一回シよ」

 誘われるままベッドに潜り込む。私に覆い被さるシャルの首に腕を回し、天井を見つめる。あの画面を見た時、言いようのない不安に襲われた。あれはただのお客さんの一人。それに、シャルのお客さんの中では私が一番で、私は恋人だ。そんなことは分かっているのに、なぜかLという人間がとても恐ろしく感じてしまった。その違和感の正体に気付くのはまだもう少し先のお話だった。