瞬間的に沸き上がる、この気持ちはなんだろう。

まだ、その感情に名前を付けかねている。


Selene


昼休み、桃矢に連絡を取ってもらい、黒羽さんを屋上に呼び出した。
あとで、昼休みに、と約束するだけしておいて、連絡先を知らないという自分の抜けっぷりにため息をつく。

少し遅れてきた黒羽さんは、先に座っている僕たちを見て、慌てた様子だった。

「遅くなってしまって、すみません。」
「僕たちも今さっききたところだから。」

すっかり縮こまってしまった黒羽さんを僕と桃矢の間に座らせる。

今日は4月のわりに温かくて、絶好のピクニック日和だ。
校庭からは、昼休みの自主練を行う、野球部の声が聞こえている。

「とりあえず飯、食おうぜ。」
「あ、はい!」

桃矢の言葉に黒羽さんはカバンからお弁当を取りだした。

「自分で作ってるんだよね?」

開けられたお弁当の中身は色とりどりのおかずで溢れていて、とても高校生が作ったようには見えなかった。
でも、施設を出て一人暮らしのはずだから、彼女が作った以外ないのだろう。

すごいね、と感嘆の声が漏れた。

「いえ、全然すごくないです。
 施設にいたころから、自分たちで作ってましたから、これくらい。」

謙遜する彼女の目が僕のお昼ご飯をとらえた。

「ゆ、雪兎さんそんなに食べるんですか!?」
「すげェんだよ、こいつの食欲。」

桃矢がパンを頬張りながら答える。
黒羽さんは唖然とした表情で、僕の食べるパンを見つめていた。



「じゃ、遊威俺は先に戻るから。」

食べ終わって一息ついた頃、桃矢が一人立ち上がる。
瞬間不安そうな顔をした黒羽さんの頭を桃矢がなでた。

ざわり、と胸の内が騒ぐ。

「ゆき?どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。ありがと、とーや。」

桃矢がいなかったら、今日のこの時間会うことはできなかっただろう。
桃矢は軽く手を振ると、階段の向こうへと消えて行った。






遠くで相変わらず練習を続ける野球部の、ボールを打つ音が聞こえる。
彼らはいつお昼を食べてるんだろう。
いわゆる、早弁、ってやつかな。

立ち上がって、グランドを見下ろせる柵へと近づく。

後ろで黒羽さんも立ち上がる気配がした。



「さっき、ごめんね。」
「え?」

隣に並んだ黒羽さんが、僕の顔を覗く。

「風が吹いた時。
 会うの二回目なのに、咄嗟に”遊威”なんて呼び捨てにしちゃって。とーやのがうつったかな。」
「そんなの、まったく気にしてないです・・・っ!
 むしろ私も勝手に雪兎さん、て呼んでますし・・・。」
「あぁ、ほんとだね。」

顔の前で、黒羽さんが手をパタパタとさせる。

「支えて頂いてありがとうございました。」

黒羽さんはそう言ってほほ笑むと、野球部の方に目を向けた。

「私も、昨日はすみませんでした。」

急に抱き着いたりして、と小さな声で黒羽さんが続ける。

「抱き着いた?黒羽さんが?」
「はい・・・・・」

柵の上に重ねた腕に、黒羽さんは顔を埋めた。
覗く耳が、赤くなっている。

そうか、黒羽さんはそういう認識だったのか、と初めて気づく。

こちらからすれば、抱き寄せたのは僕なのに。

「あれは・・・」

謝ろうとした一言を、飲み込んだ。

「謝り合いするのは、終しまいにしようか。」

きっとこれはどこまでいっても平行線になってしまう気がした。

「そう・・・ですね。」
おずおず、と黒羽さんが顔を上げる。
赤くなった耳と同様に、黒羽さんの頬も赤かった。

静かに通り抜けた風に、黒羽さんの髪が揺れる。

ゴミでも目に入ったのか、黒羽さんは目をつぶった。

肩に落ちた綺麗な黒い髪。
不意にその髪に触れたい衝動に駆られ、伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。

「黒羽さん、僕たち昨日が初対面・・だよね?」
「え?」
「あ、ううん。なんでもないんだ。気にしないで。」

タイミングよく、遠くで予鈴が聞こえた。
「そろそろ、戻らないと。」
「あ、はい、そうですね。」

黒羽さんは広げたままのお弁当箱をしまおうと、くるりと背中を向けた。

その瞬間とらえた香りが、ぎゅっと胸を締め付ける。

なんだろう、これは。

「じゃ、じゃぁ、また。」
「うん、またね。」

黒羽さんが走り去ったあとも
僕はしばらく動くことができなかった。





2019.05.05


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