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昔々夢の中の王子様は言いました。

”おまえがどんな姿になったとしても、私はおまえを見つける”

”いつまでも、おまえを待っている”




Selene


この間の仕切り直し、ということで再び木之本家の夕食に招かれた。
今回は雪兎さんは来られないらしい。

部活が終わったあと、桃矢さんを待って一緒に木之本家へと向かった。

「今度は逃げんなよ?」
「今日は大丈夫です、多分・・・」
「多分かよ。」

言いながら、桃矢さんが笑う。

安心するな。桃矢さんの笑顔。
施設にいたころ、同じような境遇の子たちはたくさんいたけれど、みんな同い年か年下で。
お兄ちゃん、お姉ちゃんへの憧れは、今でも捨てることができない。

「ついたぞ。自転車はそこ止めとけばいいから。」
「はい。」

桃矢さんの自転車の隣に並べさせてもらう。
この間は見られなかったけど、お庭もあるんだな。
小さい頃はここでさくらちゃんと桃矢さんが仲良く遊んだりしてたんだろうか。

頭の中を小さな二人の姿がめぐった。

「遊威、おまえも早く入れ。」

いつの間に移動したのか、桃矢さんが玄関で私を呼んでいる。
家の中からは、すでに美味しそうなにおいが漂ってきていて、部活終わりのおなかが、小さく鳴った。

「黒羽さん!いらっしゃい!」
「さくらちゃん」

玄関へ入るとすぐに、フライ返しを持ったまま、さくらちゃんが玄関へと姿を現した。
飛んできてくれたのだな、と頬がゆるむ。

「もう少しでできるんで、座って待っててください。」
前回と違い、今日は入り口から2番目の部屋に通される。
そこには4人掛けのテーブルがあった。

「私もなにか・・・」
「いいから。今日はおまえは客なんだから大人しく座ってろ。」
そのままテーブルに誘導される。

何もせずに見ているのはどうにも落ち着かず、きょろきょろと周りを見回す。
ふと、棚に置かれた女性の写真が目に入った。

お母さんが亡くなられたと聞いているけれど、この人だろうか。
さくらちゃんに、少し似ている気がする。

「私のお母さんです。」
振り返ると、すぐ近くにさくらちゃんが立っていた。
手には美味しそうなオムライス。

「綺麗な人だね。」
「ありがとうございます!」

さぁ、食べましょ
とさくらちゃんは私の手を引き、席に座らせた。
隣にさくらちゃん、さくらちゃんの向かいに桃矢さんが座る。

いただきます、とオムライスを口にいれると、ふわっと、卵の香りが口の中に広がった。

「すごいね!さくらちゃん!とってもおいしい!」
「よかった。今日は卵をうまく巻けたんです。」
「遊威がくるから、って何回も練習してたもんな。」

私の為に、練習までしてくれてたんだ。

前回帰ってしまった日も、もしかしたら今日みたいに何か練習してくれてたのかもしれない。
そう思うと、また罪悪感で胸が痛んだ。

「すごく上手だよ、ありがとう。」

私の言葉に、さくらちゃんは嬉しそうに笑った。

「そうだ、遊威。言い忘れてた。
 今日俺バイトだから、これ食べたらすぐ出かける。折角きてもらったのにわりぃな。」
「お兄ちゃんいなくても、気にせずゆっくりしていって下さいね!」
「わかりました。さくらちゃんも、ありがとう。」

部活もして、バイトもして

先輩たちの話によれば、それで成績も悪くないらしい。
すごいな、桃矢さん。

「私もそろそろバイト始めないとな・・・。」
毎月お金が振り込まれているとはいえ、見ず知らずの方からのご厚意のお金で遊びに行く気にはなれない。
やっぱり、自分でちゃんと稼がないと。

「なんか、やること決めてるのか?」
「それが何も。バイト自体したことなくて・・・」

あはは、と苦笑する。

施設を出て改めて、大人たちに守られていたんだな、と感じる。
自分たちで一通りの家事はこなしていたとはいえ、お金の心配なんてしたことはなかった。

今も十分、それなりの生活はできているけれど、ふと不安が胸を掠める日もある。
初めての一人暮らし、初めての学校、初めてのマネージャーの仕事。
初めてだらけの毎日。

「そういや、次のバイト先、まだ募集してたな。一緒に行くか?」
うつむき気味になっていた顔をあげると、桃矢さんが優しい目でこちらを見ていた。

その表情から、私の不安な気持ちを察してくれたのだとわかる。

「いいんですか?」
初めてのバイトで桃矢さんと一緒なら、どんなに心強いだろう。

「じゃぁ確認してまた連絡する。」
「よろしくお願いします!」
「よかったですね。」
「うん、ありがと。」

ちゃんと優しく教えてあげてね、とさくらちゃんは桃矢さんに釘を刺した。

「お世話になってばかりですね、私」
部活でも、それ以外でも、桃矢さんにはお世話になりっぱなしだ。
いやな顔ひとつせず、こうやって世話をやいてくれる桃矢さん。
私の教育係に任命した顧問の先生の目は、間違っていなかったな。

「さくら、お茶。」
「もう・・。あ、黒羽さんもおかわりいりますか?」
「あ、じゃぁお願いします。」

さくらちゃんがパタパタとキッチンへとかけていく。
桃矢さんはそれを確認してから声のボリュームを落とした。

「世話になりっぱなしとか、そんなこと気にしなくていい。
 気になるなら・・・何かあったとき、さくらのこと助けてやってくれ。」

お湯を沸かしているさくらちゃんには決して聞こえないその声。
キッチンと反対方向を向いたその横顔は、少し赤くて。

「はい。」

とても優しいお兄ちゃんの顔だった。









桃矢さんはそのあとすぐに出かけていき、私はさくらちゃんと食後のデザートタイムを楽しんでいた。
生クリームの乗ったシフォンケーキ。
お父さんが作ってくれたらしい。

「本当はお父さんも黒羽さんに会いたがってたんです。でも仕事になっちゃった、って残念がってました。」
「私も会いたかったな、さくらちゃんたちのお父さん。」

きっと、いや絶対、優しい人なんだろうな。
桃矢さんとさくらちゃんを見てればわかる。

「次は是非お父さんのいるときに。」
「ありがとう。」

今から楽しみだな、さくらちゃんのお父さんに会うの。
さくらちゃんがお母さん似だとすると、桃矢さんはお父さん似なんだろうか。

「お母さんもきっと、黒羽さんがきてくれて喜んでます。」
そうだと、いいな。

さくらちゃんはお母さんのことも大好きなのだろう。
にこにこと、楽しそうに笑いながら
お父さんは先生だった頃、まだ学生だったお母さんと恋に落ちたのだ、と
そんな話をしてくれた。

「黒羽さんの初恋って・・いつですか?」
不意に尋ねられる。

初恋、か・・・

「そうだなぁ・・・」

物心ついた頃から、これまでの記憶を振り返る。

初恋、と呼べるようなたいそうなものはない。
でも、あえて
あえてあげるとすれば・・・

「昔ね、まだ小さかった頃、夢の中の王子様に恋してたことがあるよ。」
「そのお話、聞きたいです!」

さくらちゃんは目をきらきらとさせた。

そんな大した話じゃないんだけど・・・と前置きをしてから
記憶をたどる

「最近はあまり見なくなったんだけどね、昔からずっと見てる夢があって。
 同じ夢というか・・・同じ人がでてくるの。」

あたたかな、ぽかぽかして、幸せな気持ちに包まれる夢。

「王子様の顔はね、目が覚めると忘れてるの。夢の中では見えてたはずなんだけど。」

目が覚めたときに覚えているのは、ぼんやりとしたシルエットだけ。


あ、そういえば

「ふふっ」

つい笑いが漏れた。

「黒羽さん?」
「ごめんごめん、ちょっと思い出し笑い。
 小学校に入る前にね、絵を描いたことがあって。」
「王子様の絵ですか?」
「うん、そう。」

あれはそう、確か5歳くらいの頃。

施設の友達とお絵描きをして遊んでいて。
確かその友達は夢の中で会ったというお姫様の絵を描いて。

それなら私は、と
「”私の王子様”って言って絵を見せたの。そしたら見てたみんなが”それ王子様じゃないよ”って。」
「王子様じゃない、ですか?」
「うん」

そう、私は”私の王子様だ”と信じていたけれど


ちょっと待って、と足元の鞄を探る。
ペンケースとノートを見つけると、私は机の上にそれを出した。

そのまま、記憶を頼りにペンを進める。
たしか、こんなかんじだったはずだ。

「これが、私の王子様。」
「たしかに、これじゃ王子様じゃないですね。」

絵を覗き込んださくらちゃんは、そう言って笑った。

「そうだよね。みんなに言われた。
 ”これは王子様じゃなくて天使だ”って。」

羽の生えた、人。
確かに今思えば王子様じゃないのだ。
よくよく考えてみれば、当時の自分はなぜ王子様、と呼んでいたのかさえさだかではない。

きっといつか王子様が、てきな
子供心ならではの憧れだったのだろう。



「あの・・・」

そんなことを考えていた私に、さくらちゃんがためらいがちに口を開いた。

そのまま落ち着かない様子で指を動かしている。
「どうかした?」

私が訪ねると、さくらちゃんは意を決したように、こちらを向いた。

「黒羽さんは雪兎さんのこと、どう思ってますか?」

いつか、聞かれるだろうと思っていた。
そうだよね。気になるよね。
初対面であれだもんね。

「さくらちゃんは、雪兎さんのことが好き、だよね?」
「そう、です・・・。」

さくらちゃんは顔を赤くした。
やっぱりそうだよね。

正直に打ち明けてくれたさくらちゃんに、私も応えないと。

「私は・・・」

雪兎さんの顔を思い浮かべる。
にこにこと笑っている顔。
大丈夫?と私を心配してくれた顔。
グランドを眺めていた、遠くを見つめる横顔。

そして、的を見つめ、弓を引く真剣な眼差し。

覚えてもいないはずの、夢の中の王子様と、少し重なった気がした。

「・・・正直に話すね。」
「はい。」
「・・わからないの。」
「わからない・・ですか?」

ごめんね、これじゃ答えになってないよね。
でも、わからない、それが正直な気持ちだ。

「近くにいるとね、ドキドキする。会いたかった、って思う。なんだか胸がね、ぎゅって、切なくなる。でも・・・」
「でも・・・?」

うまく言葉にできない。
なんだろう。
どう伝えたら、いいのだろう。

「会ってないときはね、なんとも思わない。」

会いたくて切ない気持ちだとか、そういうのが、ない。
会った瞬間の「会いたかった」の気持ちと矛盾する、その気持ち。
自分でも、整理がつけられない。

でもきっと
雪兎さんが他の誰かを好きだったとしても、私は何とも思わないのだろう。

本当の初恋がまだの私でも、これは恋とは違う、そんな風に思う。

「ごめんね、よくわかんないよね。」
「難しいですね。」
さくらちゃんは困ったように笑った。

「もし、私が雪兎さんを好きだったとしたら、もう仲良くはできない・・かな?」
「そんなことないです!!!」
さくらちゃんが、私の手をとる。

「誰のことを好きでも、私は黒羽さんと仲良くしたいです!!」
「そっか、よかった。」
私はさくらちゃんの手にもう一方の手を重ねた。

「私のことを気遣ったり、そんなことはしないでね。抜け駆けしたとか、そんな風には思わないから。」
まだ、好きなのかどうかもわからないけどね、と私は続けた。

「はい。」
さくらちゃんがほほ笑む。

大事にしたい。小さなこの友達を。

桃矢さんが守り続けるこの女の子を。


”何かあったとき、さくらのこと助けてやってくれ”

桃矢さんの言った言葉を反芻する。

何か、とは、なんだろう。
そんなときはくるのだろうか。






2019.05.11


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