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月の照らす中、彼は羽を広げると私の身体を横抱きにし、空へと舞い上がる。

樹の幹に足をつけると、彼は私を抱えたままゆっくりと腰を下ろした。

『落ちそうでちょっと怖い』
『大丈夫だ。影はちゃんとつながってる』

指さす先を目で追う。

私たちの足元から伸びた影が、樹の影としっかりと絡み合い私たちを支えていた。

うん、これなら大丈夫。

『−−』

彼の名前を呼び、首元へと頬をよせた。

サラサラと風に揺れた銀髪が、私の顔を掠めていく。

彼が少し鬱陶しそうにしているこの銀髪も、私はいつも美しくて見惚れてしまう。

『遊威』

私を呼ぶ声に少し顔を離すと、彼の指が私の顎に添えられた。

そのまま、上を向かされる。

月に照らされた影が、重なった。



Selene



バレンタインも近づき、賑わうショコラティエの店内で、私はさくらちゃんの姿を見つけた。

「さくらちゃん!」

さくらちゃんが、きょろきょろと周りを見回す。
隣にいた知世ちゃんが先に気づき、こちらを指さした。

「黒羽さん!」

さくらちゃんが、顔をぱっと輝かせてこちらに向かってくる。
ショーケースの前で足を止めると、さくらちゃんは私を見上げた。

「アルバイトですか?」
「うん、桃矢さんも。」
「え」

噂をすればなんとやら。
私とお揃いのお店の制服をきた桃矢さんが姿を現した。

「お兄ちゃん!?なにしてるの!?」
「なにって、バイトに決まってるだろ。今の遊威の話ちゃんと聞いてたか?」
「き、聞いてたけど・・・!」

桃矢さんは知世ちゃんと軽く挨拶を交わすと、すぐにまた持ち場へと戻っていった。
完全に去ったのを確認し、さくらちゃんの視線と高さをあわせる。

「雪兎さん用かな?」
「は、はい」

顔を赤くするさくらちゃんを、知世ちゃんが笑顔で見つめた。
知世ちゃんは本当にさくらちゃんが大好きなんだな。
いいな、こんなふうに大事に思ってくれる友達がいて。

「黒羽さんは渡すんですか?」
「うーん・・どうしようか、悩んでる。」

雪兎さんへのチョコレート。
食べるのが大好きな彼のことだから、渡せばきっと喜んでくれるのだろう。

喜んでくれる姿を想像してみる。

・・・喜んでほしい、とは思う。

でもそれは桃矢さんと、藤隆さんに渡したい、と思う気持ちととても近い。

触れたい、と
もっと触れてほしい、と

近くにいるときはつよくそう思うのに。

「桃矢さんと藤隆さんにはお礼もかねて渡そうと思ってるよ。」
「二人とも喜びます!」

そうだといいな。
私、してもらってばっかりで全然何も返せてないから。

いつだったか、そんなことは気にしなくていいから『何かあったとき、さくらのこと助けてやってくれ』と、桃矢さんはそう言ったけれど、その何かはまだ訪れていない。

というか、くるんだろうか。
そんな何かが起こる日は。

「さくらちゃん!」
「千春ちゃん!利佳ちゃん!」

あら、また可愛い子たち。
同級生なのだろう、さくらちゃんと知世ちゃんが新しくきた二人と話を始める。

最近の小学生は、ちゃんとこういうショコラティエでチョコレートを買うんだな、と感心してしまう。


まだ決まりそうにないさくらちゃんたちから目を離し、店内に目を向けた。

棚の前にいる他校の制服を着た女の子たち。
その二人を目で追っていると

「え?」
「あぶない!!!!」

倒れていく棚。

「桃矢さん!!」
「お兄ちゃん!!」

咄嗟に近くにいた桃矢さんが、女の子をかばった。
突然の出来事に、ドクドクと、心臓が大きな音を立てている。

誰にも怪我はなかったようで、かばわれた女の子たちは、桃矢さんに向かって頭を下げた。

「あぶなかったねー」
「急に棚が倒れて」

ざわつく店内。
特に怪我もしていない様子に、ほっと息を吐きながらも、私の胸の中は波だったままだ。

さっきのは、見間違い?

まさかそんな。

影が、棚をつかんで倒すだなんて。

『キィッ』

扉の開く音とともに、今度は小学生の男の子が店内に姿をあらわした。

「あ!」

さくらちゃんと知世ちゃんが、近づいていく。

ざわめく店内の中で
「クロウカードだな」

そんな言葉を私の耳は捉えた。

”クロウカード”?

「遊威、片付け手伝ってくれ。」
「あ、はい!」

桃矢さんに呼ばれ、店内の片づけを開始。
落ちた商品をかき集めながら、私の頭の中ではさっきの棚が倒れていく様子が、繰り返し再生されていた。

動いたように見えた影。
倒れた棚に対する周りのざわめきとは、少し違った反応をしていたさくらちゃん。
切り取ったかのように、耳に届いた”クロウカード”の言葉。

水族館の水槽が割れたり、花びらが降り積もったり

この町で一体、何が起こっているんだろう。









「これ、いつものお礼というか、なんというか・・・」
「わぁ!ありがとう!」
「さんきゅ」

ラッピングされたお菓子を雪兎さんと桃矢さんに手渡す。
昨日の晩仕上げたビターチョコ仕様のガトーショコラは、思いのほかいい感じに仕上がった。

「あと、これ藤隆さんにも」
「父さん喜ぶだろうな。渡しとく」
「お願いします」

結局雪兎さんを本命チョコにする決意は出来なくて、桃矢さんのも藤隆さんのも全く同じものになった。

これでよかったのだ、と思う。

さくらちゃんはいつ渡すのかな。


「とっても美味しいよ!」
お腹がすいていたのか、雪兎さんは早速ラッピングを開けてガトーショコラを口に運んだ。

甘さ控えめの、ほろ苦いビターチョコ。


美味しそうに食べてくれるその姿を見て湧き上がったのは、喜んでもらえて嬉しい、という気持ちだけ。

いつもの胸がぎゅっとなるあの気持ちは、不思議と今日は感じなかった。




2019.06.07


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