二度と恋なんかしないと決めていた夜、君を見つめて思ったこと
私はこれまでの人生で十一回失恋をした。十一人目だった相手の最後の台詞は「今までありがとう」。自慢じゃないけれど私は、十一回のうち六回はこの言葉を言われている。今までありがとう。何がありがたいの?感謝するくらいなら私を捨てるなよと怒り狂って携帯電話をへし折ること、これは通算五回。それから泣いて、泣いて、一晩中泣いて泣いて泣いて、泣きすぎて吐いた。毎回同じことをやる。で、毎回同じことを思う――もう誰も好きになったりするもんか。
「薄々感付いてはいたんだけど」
言いながら水割りを飲み干すと、サンジは穏やかに「何だろう。聞かせて?」と首を傾げた。こんな風にカウンターに腰掛け、明日の仕込みをするサンジ相手にくだを巻くのがここ最近日課のようになっている。サンジは思いのほか聞き上手で、絶妙なタイミングでおつまみやおかわりを出してくれるもんだから、私はまるで馴染みの酒場に顔を出すような気分で毎晩キッチンに来てしまうのだ。
「人間には追う側と追われる側がいるんだよね。それはすごく厳然たるものでさ。追われる側の人間には、追う側の気持ちは死んでもわからない」
そうだね、とサンジが頷く。私は正直、十一回目の失恋からだいぶ経った今でも、まだ釈然としていなかった。フラれたという事実は流石に理解出来ているけれど、そこに至った経緯を上手く飲み下せない。最後に会った日、彼がプレゼントにネックレスをくれて、愛されてる・・・と実感した。その直後に「今までありがとう」が出るまでは。
わけがわからなかった。ぽかんとしながら「私は恋人じゃなかったの?」と訊ねると、彼は「そんなことはない」と答えた。「ユイのことが誰よりも好きだったよ」と。混乱する頭の中でも、それが過去形だということは、かろうじて聞き取れた。
「何も訊けなかった。だって、向こうの中ではもう、綺麗に終わってるんだよ。それでも別れ際、やっとのことで、いつから私のこと好きじゃなかったの?って訊いた。そしたら、何て言ったと思う?」
サンジは先を促すように首を傾げる。私はグラスの水滴を指でなぞり、息を吐いた。
「他人の気持ちを決めつけるのは、君の悪い癖だ、だってさ」
言われた時には失笑した。相手の言うことは正しい。私には相手の考えを勝手に推測して決めつける癖がある。他人の真意を確かめることなんて不可能なんだから、そんな推測に意味が無いのも知っている。だけど、私にはそういうやり方しか出来なかった。悪い癖だと言うのなら、他のやり方を教えてほしかった。
「私が決めつけてるって言うなら、じゃあ実際はどうなのか、全部ちゃんと話して聞かせてくれたらよかったのに。違う?わけがわからないまま放り出されて、どうして手を離されたのかもわからない、でもその答えも教えてもらえないんじゃ、死んだ恋も成仏出来ないでしょ」
「うーん・・・話しても理解されねェって、それこそ決めつけちまってたのかもな、向こうが」
「だろうね。決めつけてるのは、向こうだって同じだった。それでも、置いて行かれるのはいつもこっち」
「惚れたが負けってヤツかなァ」
サンジが困ったように笑って私の頭を撫でる。惚れたが負けか。最初にこの言葉を言った人はどんな気持ちだったんだろう。
感情を全然コントロール出来なくて、すぐに泣いたり怒ったりする私に、向こうはいつも「君がおれを嫌いでも、おれは君の傍にいるよ」と言った。確かに彼はいつでも黙って私の傍にいた。何を考えてそうしていたのかは知らないけれど、少なくともその言葉が実現されているうちは、私はそれを愛情だと決めつけていられた。
それも、勝手な決めつけだったのかな?
「何もわからない」
「不毛ってヤツか」
「そう、不毛・・・不毛だと思った」
費やしてきた時間は、過ごしてきた時間は、話し合ってきた時間は、なんだったんだろう?私は自分の思いを知ってほしかったし、相手の思いを知りたかった。言葉も時間も惜しくなかった。こんなのは無意味だと何度思い知っても、そうするしかなかった。でも、あの静かに満足した男の表情を見た時、何を言っても無駄なんだと、頭より先に心臓のあたりで理解した。無力感に抗う力がどうしても出てこなかったのは、私ももう、かつてのようには彼を好きじゃなくなっていたから、なんだろうか。
「サンジ」
「ん?」
「私の愛って重いと思う?」
「いや、そんなことは」
「・・・ま、サンジならそう言うよね」
愛が重い、は十一回中、十一回言われた台詞だ。愛が、なんて言う必要ないのに。ただ「重い」と、「お前が重荷だ」と言ってくれたら、私の方から降りてやってもよかったんだ。
「もう誰も好きにならない」
「ユイちゃん」
「わかるでしょ?私だってさ・・・ようし、この人を好きになろう、と思って好きになるわけじゃないんだよ。恋したいなあ、なんて思うわけないでしょ。私だって、わかってるんだよ、自分がさあ、恋愛なんか向いてないことくらい・・・・・・」
小さな切り傷をつけて、傷口も確かめてもらえないよりは、いっそばっさり切り落とされる方がずっとよかったということが、何度だってあった。傷さえ付けずに蒔かれる言葉。心の奥底に深く根付いて、少しずつ伸びた蔓がいつの間にかびっしり張り巡らされている。茨のように、小さな棘がいつまでもしつこく胸を痛めつける。そんなのが、わかり合えない一人と一人に残された正しいやり方だって言うなら、私はもう正しい関係なんて要らない。
「ーーー・・・ユイちゃん、もう眠い?」
「へ」
「早めに仕込みも終わったし、どうかな、気分転換に外で飲み直さねェ?」
長々と鬱陶しい愚痴を聞かされていたとは思えないほどサンジは優しく微笑んだ。こういうところは流石だと思う。私は頷き、サンジに誘われるままその腕を掴んだ。「いい夜だ」とサンジが笑う。見上げた夜空は生憎曇っていて、私が首を傾げるとサンジは「そういう意味じゃねェ」と珍しく揶揄うように笑った。
こういう時、サンジは私を下手に慰めない代わりに、普段以上に優しく接してくれる。そして時折気の利いた冗談で笑わせてくれたりもする。どんなに暗い話をした時だって最後はいつの間にか笑っていて、すると私が気にしていることなんて取るに足らないことみたいに思えて、それがとてもありがたかった。
「ここ、昨日見つけたんだ」
「へえ?いつの間に・・・雰囲気良さそうだね」
「だろ?ユイちゃん、絶対気に入ってくれるだろうと思ってさ」
サンジの案内でやって来たのは、よく見ないと看板に気が付かないような、所謂隠れ家的なお店だった。こじんまりとしていて派手さは無いけれど、外装からもこだわって作られているのがわかる。カウンターの奥には様々なお酒が並んでいて、思わずうっとりと目を細めた私に、サンジは「どれでも好きなのをどうぞ」とメニューを手渡してくれた。どうしよう、と迷う私を急かさず待つサンジ。照明が暗いからか、サンジのライターの火がやけに明るく見えた。
「・・・・・・ユイちゃん」
「ん?」
「斜め後ろのテーブルのヤツ、さっきからユイちゃんのこと見てる」
振り返ろうとする私をサンジが制する。普段通りに話しているのと全く同じ調子で私を見つめながら「同じ歳くらいの男だな。見たところ連れはなし。髪は・・・」なんて、一瞬チラッと見ただけの相手の特徴をスラスラ言えるサンジがちょっと怖い。
「特に心当たりないけど・・・知り合いかなあ」
「待った・・・立ち上がった。こっちに来る」
そうして何食わぬ顔で煙草に火を点けたサンジとは正反対に、私は自分の顔が一瞬で凍りつくのがわかった。
「やっぱりそうだ、ユイ。ユイだろ?」
「・・・・・・・・・あ・・・、」
相手のユイを呟いて私が目を丸くすると、呼ばれた男は「久しぶりだなァ」と破顔して私の肩に手を置いた。サンジの存在に気付くとすぐに手を離したけれど、興味深そうに私とサンジの顔を交互に見る。サンジはと言えば、私を見ていた。恐らく私がこれほど露骨に動揺するのは初めてだからだろう。
「ええと・・・サンジ、彼は・・・昔の知り合、」
「昔の男です、どうも」
愛想よく差し出された手をサンジが見る。私はさりげなくその手を押し戻した。
「・・・で、こっちはサンジで、ええと」
仲間と言うと海賊だとバレてしまうかもしれない。でも、身内?友達?何と言うのが正解なんだろう。と、そんな逡巡を遮るように男が少しだけ背を屈めて「もしかして恋人なのか?」と訊ねる。ぎょっとしてサンジに視線を向けると、サンジは煙草をふかしながら「さあな」とだけ答えた。 それは、別れた男に見栄を張りたい気持ちと、けれどそんな嘘をつく虚しさの間で揺れていた私にとって、一番ありがたい返事だった。「恋人じゃないの?」今度は私に訊ねてきた男に私も「さあ」と返して、ほんの少しサンジに寄って座り直す。すると男は、何だよーなんて言いながら私の隣に腰を下ろした。
「ちょっと・・・なんでここに座るの」
「いいじゃん久しぶりに会えたんだし。ユイ、注文まだ?」
「・・・まだ、だけど」
「そうか」
メニューを開きもせずに、私の分まで注文する男の横顔を見ながら、知り尽くされていることを改めて実感する。そんな風に、勝手に注文されるのが好きなことも。
好きだった。知り尽くされていると感じること、私のことならなんでも知っているというように男が振る舞うこと。たとえ的外れでも、勝手な決めつけでも、私はそれが嬉しかったんだ。
「身につけてくれてないんだな」
私の首を撫でようとした男の手をサンジが無言で払いのける。最後に貰ったネックレスのことだ。「似合うと思ったんだけど」。サンジに睨まれ苦笑しながら、男が私を見つめる。
「・・・もう持ってるわけないでしょ」
別れた男に貰ったネックレスなんて、まるで首輪だ。ひょっとしたら、離れている間にも、アレで私を繋いでおくつもりだったんだろうか。そんな考えが脳裏をよぎって、私は笑いそうになった。それなら、そう言えばいいだけのこと。待っていろと言われたら私はいくらでも待った。私がそうすると、彼もわかっていたはずだ。
「二杯目はロックでいいな?」
これを飲んだら帰る。そう言おうとしたのを察したように、男が言った。もう、ここにはいたくない。その一言が、どうしても声にならない。私は思わずサンジのシャツの裾を握った。サンジがすぐに気付いて、私の手に優しく手を重ねる。それからおもむろにお札を取り出し、バン、と机の上に置いた。目を見開いた男を、馬鹿な野郎だな、とサンジが言葉通り馬鹿にしたような表情で見下ろす。
「おれよりも先にユイちゃんを見つけてたのに手を離すなんざ間抜けもいいとこだ。今になって惜しくなったって遅ェんだよ」
「・・・サンジ君だっけ?君は何を・・・」
「アンタにゃ悪ィが、ユイちゃんはおれのだ」
誰にもやらねェ。目を見て告げた後は、私の手を引いて振り返ることなく店を出た。
私の手を掴むサンジの力が強い。それでも、私が痛がらない程度には力加減をしてくれるところがサンジらしいなと、少し気分が和らいだ。
それにしても、サンジには申し訳ないことをした。せっかく誘ってくれたのにーーーまさかこんな日にこんなところで昔の男と再会するなんて、夢にも思っていなかった。
「・・・ユイちゃん、平気?」
「・・・え?」
「アイツに怯えてるように見えたから・・・ごめん、もっと早く出りゃ良かったかな」
サンジには何の非も無いのに、本来謝らなきゃいけない私より先に謝る。ああ、サンジだ。ここにはサンジしかいない。そう思うと、また少し気分が和らぐ。安心して息を吐いたと同時に涙が零れて、眉を下げたサンジが私の顔を覗き込んだ。
「・・・泣かないで、ユイちゃん」
「・・・・・・どうして、あの人は私を・・・・・・一人にしたんだろう?」
サンジがぴたりと動きを止め、私の目をじっと見つめながら「ユイちゃんは一人じゃねェ」と呟く。知っていた。彼は一人じゃない。私のものじゃないし、私と二人で生きていたわけでもない。私だって、本当はそうだ。だけど、そういう恋しか知らなかった。違うと言うなら、違うやり方を教えてほしかった。
「ユイちゃんはまた、誰かを好きになる」
「ならない」
「なるさ。おれのことを」
サンジが宥めるように私を抱きしめる。さっきアイツに言ったことは本気だよ。耳元で囁かれて顔を上げると、サンジは今まで見たことが無いくらい真剣な顔をしていた。
「ユイちゃん。おれは君が好きだ。それを聞いて、ユイちゃんはどう思う?」
「ーーー・・・どう、って・・・」
「迷惑とか、気持ち悪ィとか」
「そ、そんなことない!・・・う、嬉しいよ、嬉しい、けど・・・」
「よかった、なら話は早ェ」
ふと表情を緩め、サンジが小首を傾げる。それから両手を広げ、にっこりと笑った。
「おれはユイちゃんが好きだ。ユイちゃんはそれが嬉しい。他に何が要る?」
いつものサンジだ。私が気にしていることなんて、取るに足らないことのように思わせるーーーこんな人に抗う術なんて、少なくとも私には思いつかない。
何度同じことを繰り返しても誰かを好きになって、もうその誰か以外見えなくなる。今度こそもう嫌だと何度も思ってきたし、今も思っているのに、伸ばされた腕に吸い寄せられるように近付いてしまう。
「じゃあユイちゃん、まずは・・・手を繋いで帰りましょうか?」
誰も好きになるつもりのなかった私を、サンジはいとも簡単に開いてしまったのだった。
二度と恋なんかしないと決めていた夜、君を見つめて思ったこと
(やってくれたな神様)
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相互記念夢
君とドッグイヤーおち様からの頂き物です。
私の本当に本当に大好きなサイトです。
サンジ愛に溢れている作品ばかりなので
サンジ好きの方は是非・・・!!!
おち様、ありがとうございました。
宝物にします。
(ページデザインが違うため
おち様の作品の雰囲気を壊してしまったのではないかと
心配しております・・・。)
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