Mental stabilizer



※2019.05.14修正



仕事は嫌いじゃないし
職場の人間関係だって良好

でも
今日は朝からなんだかモヤッとして。

今日はもう何もしたくない、もう帰りたいなァ、って。

だけど帰って朝ご飯のお皿を洗って
晩ご飯を作って
洗濯をまわして・・・・

家に帰れたとしても、そんなこと、できる気がしない。

とにかく今日は会社の友達に笑顔で応えるのもなんだか億劫な日で

体調が悪いわけではないのだけど

そうだな、気持ちの調子が悪い

うん、そんなかんじ。



気持ちの調子は悪いまま、それでも何事もないかのように、いつもの仕事をこなす。

周囲の人には何も気づかれることなく、仕事は定時で終了した。

「お先に失礼します。」
「うん、また明日ね」

同僚たちに見送られながら、駅を目指す。

足が重くて、今日は駅までの道が、やけに長い。


途中にあるレストランが目に入り、ふとサンジくんのことが頭に浮かんだ。

サンジくんは今、何してるんだろうか。
新しく入った見習いコックの面倒を見るのが大変だ、ってこの間は愚痴をこぼしていたっけな。

でも、愚痴をこぼしながらも、サンジくんの目は優しかった。
大変、と言いながらも、育っていくのが嬉しい、そんな顔。

私は、そんなサンジくんの優しい顔を見ている時間が、すごく好きだった。


つい数日前のサンジくんの様子を思い浮かべながら

今日は一人、電車に乗る。

次に会えるのは、週末だろうか。
今会えたら、元気をもらえそうな気がするのに。

まだまだ長い今週の残り日数を数えて、一人ため息をついた。







自宅について、鍵を開ける。

がちゃり、と今日は家の鍵音まで重たく聞こえた気がした。

「・・・え?」

今朝電気を消し忘れただろうか。
靴を履いたまま、電気のついた部屋を見回す。

いや、そんなはずは

朝の記憶をたどるが、そもそも朝から電気をつけていた覚えもない。

じゃぁ、いつ?

「あれ・・・?」

それだけじゃない。
家の中は、私の大好物の匂いで満ちている。

もしかして・・・


靴を脱いで部屋に上がると、そこにはソファーで眠るサンジくんの姿があった。

「きてたんだ・・・」

部屋の様子から察するに、どうやら晩御飯ももう出来ているらしい。
朝散らかしっぱなしにしていた服はきちんと畳まれて積んであるし、シンクに放置していたお皿も、水切り台に綺麗に並んでいる。

全部・・やってくれたんだ。


嬉しいやら、申し訳ないやらで、目頭が熱くなる。

私はサンジくんを起こさないよう、鞄を置き、ソファの隣に腰を下ろした。

そーっと左手を伸ばし、サンジくんの髪に触れる。




ありがとう。


こぼれかけた涙を、右手でぬぐった。




さらさらと、髪が指の間を通りぬけていく。

何度か手を往復させているうちに、疲れきった心が、少し癒されていく気がした。

ペットをなでて癒されるのと、同じ感覚だろうか。

さすがに、ペット扱いはひでェ、とサンジくんも呆れそうだな。




そんなことを考えながら、髪を梳いていると、サンジくんの身体がわずかに動いた。

「ユイ・・ちゃん・・?」
「おはよ」

まぶしそうにしながら、サンジくんが目を開ける。

なんか、可愛い。


サンジくんは、頭をなでる私の手に気づき、そのうえに自分の左手を重ねた。

「おかえり」

不意にサンジくんの右手が私の後頭部をとらえ、引き寄せられる。

ちゅ、とリップ音を立て、サンジくんの唇が離れた。



「か、帰ってきたらサンジくんがいるから、びっくりしちゃった。」

跳ねる心臓を、言葉でごまかす。

サンジくんはゆっくりと身体を伸ばすと、大きく伸びをした。

「そろそろユイちゃんが力尽きる時期かな、と思って。」

サンジくんは膝の上に肘をつき、私の方を見た。

”力尽きる”

あぁ、まさに今日の私はそんなかんじだ。


でも
「なんでそんなのわかるの?」
「ユイちゃん自覚ねェの?」

サンジくんは目をぱちぱちとさせた。

自覚、とはなんだろう。
答えが見つからず、首をかしげる。

「ユイちゃん、先週会った時、仕事も家事も張り切ってただろ?」
「うん。なんかもうパワー全開!ってかんじで、いつも以上にいろんなことが進んだんだよね。」
「そうそう。それ。」

サンジくんはソファの端に座りなおすとポンポン、と隣のスペースをたたいた。
それが隣においで、の合図だということはわかってはいる。

わかってはいるのだけれど

今日は本当に究極に何もしたくなくて。
座りこんでしまったこの体制から動ける気すらしない。

サンジくんの隣には、行きたいんだけどな。

なんでこうも私の身体は今日言うことを聞かないんだろう。


「やっぱりな。」

サンジくんが右手を伸ばす。

「ユイちゃん、おいで」

サンジくんは伸ばした私の腕をつかむと、グイ、と身体を引き上げた。

「ユイちゃんはね、仕事も家事も頑張って頑張って頑張って、楽しそうに張り切るんだけど、そういう日が続くと、何日かした後プツン、て糸が切れちゃうんだよ。」

だから今日は、その糸が切れちゃった日。

そう言いながらサンジくんの手が私の頭に置かれた。

ユイちゃん頑張りやさんだからな、とサンジくんの手が頭をなでる。


頑張りやさん・・なんだろうか。私は。

自分のことは、よくわからない。

でも



そっか。

たしかに、そうだ。

これまでの自分を振り返ってみて、一人納得する。

今迄も、こういう何にもしたくなくなる日はあったのだ。
そうなる前は、サンジくんの言う通り、色々と張り切った日が続いていた気がする。
ランナーズハイ、的なかんじだったんだろうか。

私、もう大人なのに。
この歳になっても自分のこと、ちゃんと見えてなかった。

「なんか、サンジくん、私より私のこと知ってるみたい。」
「俺はいつでもユイちゃんのこと一番考えてるから。」

さらっと、恥ずかし気もなくサンジくんはそう口にした。

「というわけで、今日はなーんにもしなくていいから、ここに座ってな」

そう言って、笑顔を見せるサンジくん。

私の帰りを待つ間に寝ちゃうくらい、サンジくんだって疲れてるのに。


いつだってどんなときだって、私のわがままを笑顔で受け止めてくれる、優しい人。

大事にしなきゃ、バチがあたりそう。




飯温めてくる、と立ち上がろうとするサンジくんの手を思わず握って引き留める。

「どうした?」
「サンジくんも、なーんにもしなくていいから」

だから、ちょっとだけ

「ちょっとだけ、ぎゅってして」

「喜んで。」

疲れた身体がサンジくんの大きな腕に包まれた。

大事にしなきゃ、と思いながら、またわがままを言ってしまう私。

まだまだおこちゃまだな。

もっと大人にならなきゃ。

「ユイちゃん抱きしめてたら、疲れなんかぶっ飛んじまうな。」

耳元で、サンジくんがつぶやいた。

あぁもうなんであなたは。



「私、明日は頑張れそう。」

「糸が切れない程度に。ほどほどにね。」

うん、と返事はしながらも
またサンジくんが甘やかしに来てくれるのなら、それもいいな

なんて

そんなことを考えたのは内緒にしておこう。


Mental stabilizer


ちゃんと大人になるから。

これからもずっと傍にいてね。




***あとがき***
読んでくださったあなたに感謝。
手直しできてよかった。




2019.05.13


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