「アァン?」
ちょうどいい、と声をかけてきたのはゾロである。
——いや、サンジを抱えたゾロである。
「……アァン……?」
フランキーは作業の手を止めて目を丸くし、呆けた声を出した。
あのサンジがそんな場所で大人しくしているなんて驚きである。相手がルフィやウソップならまだしも、ゾロなので余計に。
もしかしたらサンジが怪我でもして動けないのかと焦ったが、チョッパーはウソップとのんびりと釣りをしているのでその心配はないらしい。
ならなんだ、と驚いたままの口は開きっぱなし。
「なにやってんだァ、お前ら」
サングラスを持ち上げ、ゾロの元へと駆け寄った。なにせゾロはゾロで歩き方がおかしい。よたよた、ふらふらと、これまた珍しい。
「いいからコイツ持ってくれ。今にも刀が落ちそうなんだよ」
「そりゃ大変だ」
ゾロの言葉に、フランキーは工具を芝生に落として空いた手を伸ばした。
正面から両手両足を使ってしがみついているサンジをゾロはべりべりと引き剥がす。傍目からは大人しく剥がれたように見えるが、見るも無惨に形が崩れている外套と傾いた刀で、サンジが如何に力任せにくっ付いていたか、想像するのは難くない。
「……なにやってんだ、お前」
剥がれたそれに、呆れ気味にさっきと似た言葉を繰り返す。
「珍しいことやってんじゃねェか」
「うるせ。コイツが悪ィんだよ」
「喧嘩か?」
「……おれ悪くねェし」
預かったサンジは分かりやすく拗ねていて、いつもは煙草を咥えている口がこれでもかと曲がり、眉間には皺が寄っている。
それでもフランキーの両手で脇を抱えられた体自体は脱力して動かない。寧ろ、脱力しすぎていて体が普段よりも伸びている気がする。
(こりゃあ、あれだ。猫だな)
眩いほどの巨躯になってから小動物と触れ合うことはそう多くはないが、——昔、ウォーターセブンの路地裏で屯していた猫を抱え上げた時も体が異常なほどに伸びて驚いたことを思い出す。
『猫っていうのはそういう生き物だわいな』
『そうだわいな、アニキ』
記憶の中で可愛い妹分がケラケラと笑っている。
見れば見るほど、伸びきっているサンジの後ろ姿はあの時の猫によく似ていた。色や大きさは違えど、懐いているようであっさりと姿を消すところもそっくりだ。
「…………なに考えていやがる」
脱力しきっているくせに、やたらとガラの悪い左目がこちらに振り返る。
「言っとくがおれァ機嫌が悪ィんだ。変なこと考えやがったら噛み付いてやるからな」
(やっぱり猫じゃねェか)
とは言えず、フランキーはなんでもねェよと眦を眇めて、サンジを抱える両手をもう少し上へと持ち上げる。流石の彼の長い足でも甲板から浮いて宙ぶらりんになっているが、やっぱり抵抗はない。
信用されているのか、ゾロから離れていることが不服で動く気もないのか。
せめて両方だといいんだが、と苦く笑ってゾロの様子を伺う。
「刀は無事か?」
「帯が緩んだだけで落としてはねェからな。……よし。落ち着いた」
キュッと固く帯が締まって定位置に刀が戻ってきたらしい。柄に右手を引っ掛けて、満足気に息を吐く。
そして。
「おら。戻ってこい、クソコック」
ったく、ちょっとはジッとしてられねェのか。
「暴れるから帯が緩むんだよ、アホコック」
サンジへと伸びる両手。
フランキーよりもずっと細く、小さく。けれど戦闘となればいっとう頼もしいそれ。
「なんだと、このクソマリモ」
不貞腐れていた目が、ゾロをロックオンする。すう、と大きく息を吸い込む音はスタートの合図。
「ジッとしてろだァ? いつも勝手にフラフラ歩いては行方不明になるてめェに言われたくねェんだよ。迎えに行くこっちの身にもなりやがれ。そもそもおれのところに戻ってきてください。お願いします≠セろうが。これだから碌に言葉も喋れねェ筋肉マリモは。言っとくがおれくらいだからな、お前のそういうところまで許してやってんの。昨日の一件だってそうだ。おれのひろぉーい心に感謝しやがれ。レディにそんな態度とってみろ。お前なんか三秒で振られるんだぞ。分かってんのか、クソアホエロ剣士。迷子マリモ。サボテン野郎」
「へぇへぇ。そりゃドーモ」
「噛まずによく喋れるなァ、お前」
一に対して百が返ってきたところでゾロは手馴れた様子で受け流す。
それが気に食わないとサンジはまだ文句を続けているが、しかしちゃんとゾロの元へと帰るのだ。伸ばされた手は拒否せずに受け取って、フランキーの手からはなんの未練もなく離れていく。
寂しいわけでも、名残惜しいわけでもない。
ただ、文句を言いつつも離れようとしない二人が可笑しくて仕方ない。
「あんまり喧嘩すんなよ」
機械の手のひらで小さく丸い金色の頭を撫で回す。
「悪かったな、フランキー。邪魔した」
「いーってことよ。また刀が落ちそうになったら休憩所にしてくれていいぜ」
「助かる」
なんせ今日は一日コレなんだ。
「そりゃあお熱いこって」
ピュウ、と口笛を吹けばあれだけ喋っていたサンジがゾロに隠れて静かになる。金色の隙間から僅かに見えた耳の先は可哀想なほどに赤い。
(……なんだ)
あぁ、なんだ。
不貞腐れた顔も、拗ねた態度も、普段より早口な言葉も、全ては照れ隠し。はじめからずっと照れていたのだと気付いてしまえばこの男の行動全てが愛らしい。
(不器用な奴)
堪らずプハッと快活に笑う。
笑った意味を、賢い猫は気付いているだろう。
「じゃあ今日は昼寝はお預けか、ゾロ」
「その心配はねェ。このまま寝りゃあいい」
「確かにな」
「ッ、アァ⁉ 言っとくがおれァ寝ねェからな⁉ おやつの準備があんだよ」
「おやつの前にはキッチンに行ってやる。だからそれまでは寝ろ。つうか暴れんじゃねェよ! 今直したところだぞ!」
おやつの準備! と大袈裟なほどに暴れるサンジを抱え直して、ひらり、と手を振って歩き出したゾロは船尾へと向かう。
あぁ確かにあそこはいい、とフランキーは空を見上げた。
まだ真上にある太陽は、時間が進むにつれてゆっくりと沈んでいく。船尾は、最後の最後まで太陽が当たってうっかり深く眠っても暖かいだろう。
「————……しっかし、なんでまたあんな格好」
作業の続きをしようと元いた場所に戻っては腰を下ろし、珍しい二人の姿を思い返す。
二人がそういう関係だというのは、フランキーが船に乗った頃から察していた。表立って言わないけれど、二人が痴話喧嘩している時も、夜中に仲良くしている時も、空気でわかる。というよりも、分からないほど子どもではない。
でも。
(あんな風にみんなの前でもくっついてんのは初めてじゃねェか……?)
表立って恋人としては戯れ合わない二人だ。ワノ国で二人の距離がいっそう近くなったのは感じていたが、それにしてもどうしてああなったのか。
「——サンジ、腰が痛いらしいの」
「アァン?」
不意に香る、艶やかな花の匂い。
自身の右腕に生えてきた腕と手。手のひらには口がひとつ。
こんな芸当ができるのはこの船に一人しかいないとフランキーは顔を上げてロビンを探した。船首で海を眺めていたロビンはこちらの視線に気づいて振り返る。長い髪を靡かせてふんわりと微笑んだので、フランキーはすぐに腰を上げた。
あれほどの美女に誘われて、スルーする男は漢ではない。
「おいおい。腰が痛いって、アレか?」
「アレね」
海風の冷たさから彼女を守るように隣に立てば、再び生えてきた手がするりと頬を撫でて消えていく。
「確かに。昨日はアイツらが夜の番だったか」
「久しぶりにね。だからついうっかり盛り上がっちゃったってゾロが」
結果。朝には腰痛コックさんの出来上がり。
「あまりにもサンジが痛い痛いって言うものだから、ゾロがじゃあおれが抱えて運んでやるって。真っ赤になってテーブルの周りを逃げ回るサンジは可愛かったわ」
「そうじゃねェだろ」
「ふふ。いいじゃない。発想が可愛くて」
わたしは好きよ、と笑う横顔は本当に楽しそうだ。つられるようにフランキーも笑う。
「ジンベエが見たら腰抜かすんじゃねェのか」
「さっき二人を見かけたみたい。石みたいに固まってたからちゃんと教えてあげたの」
フランキーは巨躯を手摺に預けて、二人が向かった船尾へと視線を遣る。今もまだ二人はくっ付いたままなのだろう。もしかしたらそのうち喧嘩の音や声がするかもしれないし、もう穏やかな寝息が波の音に隠れているかもしれない。
想像するだけで愛らしいものだ。まだ二十一。そんなもんかと顎を撫でる。
「サンジもね、最初は大暴れして大変だったんだけど、」
「されたらされたで満更でもなくて大人しくなってんのか。ご丁寧に拗ねたふりまでして」
やっぱりまるっきり猫じゃねェか。
「猫?」
「あァ。さっき抱えた時に脱力して伸びきってる感じがな」
「……わたしも、」
「やめとけ」
他の男性陣と比べて痩身に見えても、サンジも立派な成人男性である。
圧倒的な体格差があるフランキーや、普段から鍛えているゾロからすれば簡単に抱え上げられるが、ロビンには無理だろう。ヒールが折れて、それこそ腰が痛くなって歩けなくなってしまうと諭す。
まぁでも、もしそうなったら、
「その時はおれが抱えてやるよ」
サングラスをずらしてニンマリと笑ってみたけれど、ロビンは素っ気無く首を横に振る。
「遠慮しておくわ。合体だのなんだのと巻き込まれたくないもの」
「信用ねェなァ。ちゃんと運ぶぜ? 快適に、どこまでも」
「それは、サニー号だけで充分」
ささくれのひとつだってない手摺を撫でて、こちらを見上げる二つの瞳。
遥か遠い遠い夢を追う瞳が、この船で連れて行ってくれるんでしょうと期待を寄せる。
「————……綺麗になったな」
出会った頃から美しい女性だったけれど、今はもっと、ずっと。
不意に口から零れた言葉。本心なので別にいいのだけれど、ロビンの目が真ん丸に大きくなると少しだけ照れくささがある。
どうやら、知らない間に二十一歳の恋愛模様に触発されたらしい。
「ありがとう」
「……そういえば今日ナミはどうした?」
「海図を書いてるわ」
海が穏やかなうちに書いておきたいって。
「ならちょっとおれの新しい設計図見てくれねェか? いいもんが出来たんだ」
「爆発しないなら見てあげる」
「まだ設計図だからそんな心配はねェよ」
「他のものも?」
「他のは……ちっと分かんねェなァ。でもスーパーに守ってやるから安心しろ」
じゃあ少しだけよ、と言うロビンの右手を誘って、フランキーは開発室へと向かう。
こんな日は、嵐も敵襲もなければいいと心の底から願いながら、鼻歌をひとつ歌うのだ。