たからもの

 冷たい風が吹く船尾に足音がひとつ。
 ヒールが鳴る音が聞こえて、ゾロは手の動きを止めて早々に振り返った。
「——……あれ? サンジくん寝ちゃった? こんなに寒いのによく外で寝られるわね」
 星のない、雲が厚い夜。
波の音はどこか重く、海鳥の声は早い時間から聞こえなくなった。風はないのに足元に纏わりつく冷気は強くなる一方。
 月明かりに照らされると艶やかな光を纏うオレンジ色の長い髪ですら、いつもより暗い。
「あーあ、残念。おかわりほしかったのになぁ」
「いい加減寝ろ」
「二人っきりになりたいから?」
「……」
「否定はしないんだ」
「寝ろ」
 はいはい、お邪魔虫は退散しますよーだ。
 膨らんだ頬も拗ねた瞳も、サンジならそれすらも可愛いと褒めるのだろう。
「邪魔ならもうしてんだろうが」
 可愛らしく頬を膨らませるくせに、手に持ったジョッキの中身は可愛気のない度数のお酒。サンジくんも飲んでみる? なんて誘って、ゾロの隣で寝転がって潰れている酔っ払いを作り上げたのはナミである。
「あはは、怒ってる? ねぇねぇ。サンジくんとイチャイチャしたかったの?」
「……ちょっとな」
「え、」
 嘆息とともに素直に認めれば、ナミが心底驚いた声を上げる。
「うそ。ゾロってそういうこと言うの……?」
「言っちゃ悪ィのか」
「悪くないけど、……ねぇサンジくん大変、ゾロも酔ってるのかも。起きて起きて」
「酔ってねェし起こすな」
 いいから、このまま寝かせとけ。
「コイツは明日も早ェんだよ」
「でもゾロがこんなこと言うの珍しいじゃない。サンジくんだって聞きたいかもしれないじゃない」
「珍しくねェよ、別に」
「…………二人だと言ってるってやつ?」
「……」
「否定はしないんだ⁉ なんなの、アンタたち!」
「うるせェ、起きるだろうが!」
 やっぱり起きてよサンジくん、とナミがしゃがんで本格的にサンジの体を揺する。
 ゾロの制止の声も届かず、どうやらナミのほうが少し酔っ払っているらしい。よく見ればいつもより顔が赤く、大きな瞳はいつもより水分量が多い。
「んん、ん……?」
 ゆさゆさ。ゆさゆさ。
 揺れる体にサンジが唸り声を上げて、胎児のように丸まっていた体が伸びる。仰向けへと体勢が変わって、顔の半分を覆う長い前髪が崩れた。金色はさらりと流れて、隠れた右目がチラリと覗く。
 うっすらと。
 本当にうっすらと開いた両の瞼。
「やめてやれ」
 覚醒しようとする体を再び寝かしつけるように、ゾロは厚い手のひらを瞼の上に置いてやる。低い声で、酔っ払いをしっかりと諭す。
 けれど。
「……」
「……な、んだよ」
 謝るわけでもなく、落ち込むわけでもなく。ただただ、こちらをジッと見つめてくる大きな瞳といっそう不貞腐れる唇。ゾロのほうが言葉に詰まった。
 そして。
「ゾロは独り占めしたいのよ」
 もうやめてあげたら? ナミ。
 音もなく近寄ってきたロビンは、迷うことなくナミの腕を取って支えながら立ち上がらせた。ナミの足元は覚束ないが、しっかりロビンに抱きついて胸に顔を押し付けている。
「ごめんなさい。ナミったらちょっと悪酔いしてるみたい。どうしてもゾロとサンジにちょっかいをかけたいって聞かなくて、目を離した隙に逃げられちゃったの」
「いいからもうさっさと部屋に連れて行け」
「だってゾロばっかりずるーい! ねぇロビン? ロビンもそう思うでしょ?」
「そうするわ。おやすみなさい」
「聞いてるの、ロビン」
「ふふ。あとで聞いてあげるから」
 ナミはロビンの腕の中で文句を言っているけれど、宥めるようにロビンが頭を撫でて歩き出す。見た目は違えど、こうしていると本当の姉妹のように見えるから不思議だ。
そんなことを考えていると、足音はすぐに止まった。ゾロが顔を上げれば、振り返ったロビンの唇が綺麗な弧を描く。
ねぇゾロ、と落ち着いた声色。
「宝物はもっとこっそり眺めるものよ」
 分かりやすくずうっと愛でてちゃナミだって気になっちゃうわ。海賊だもの。
「……次からは気を付ける」
「お願いね」
 ナミの不貞腐れた顔に合点がいって、そんなに分かりやすく愛でていたのかとようやっと自覚する。じんわりと熱くなる耳の先。居た堪れない唇が曲がる。
 隠すように顔を背ければ、穏やかに笑う声と花びら。増えた手がしっかりとナミを抱えて二人は女部屋へと向かった。
 戻ってきた二人きりの夜に響く重い波音。
 途端に動いた手がゾロの手を掴んで、——……現れるのは海の色をした二つの瞳。
「イチャイチャしたかったの?=v
 ニンマリと。可愛げなどかけらもない。
 だけどそれがいいと思ってしまう自分を斬り捨てることができない。それどころか年々その部分が増えていっているようにも思う。
「……揶揄うならもうしねェぞ、クソコック」
「寂しくて泣くんじゃねェのか?」
「お前こそここで啼かすぞ」
「きゃー、えっちぃ」
 寝たふりをしていた瞳が揶揄うように細まって、ゾロは堪らず覆い被る。減らず口を自らのそれで塞いだ。
「あーあ。ナミさんには悪いことしちまったなァ」
「ロビンがどうにかするだろ」
「明日は二人が好きなもの作ろう」
「酒も寄越せ」
「なんでだよ。てめェは関係ねェだろううが」
 甲板にはもう誰もいない。不寝番はもう展望室へと上がっていったのを確認済みだ。
「ゾロ、……なぁもっと」
 キスの途中でも下りない瞼。二つの瞳は文字通り目と鼻の先。
 グル、と喉が低く鳴って、もうすっかり鬱血痕が消えてしまった首筋へと顔を埋める。あぁまたここに刻み込まなくては。この男が誰のものかわかるように。どこかに隠れても、すぐに見つけられるように。
「ゾロ、ぉ……」
 ——あ、と零れた色を増した声に体温が上がる。
 鼻先で金色の髪をかき分けて、この男がいっとう弱い耳の輪郭を舌先でなぞる。喉をひくつかせながら上がっていく息と、外套を掴んで引っ張る右手。
「なぁ、ロビンちゃんが言ってた宝物ってなんだよ。そんなのあんの? お前」
「さァな」
「さァなって、……おれにも内緒かよ」
「お前まで拗ねんな」
「拗ねてねェし!」
 滅多と二つ並ばない、小さな小さな海。星のない暗い夜でもいつだって輝いて見えるそれ。今は不貞腐れて半眼になっているけれど、しかしゾロにとっては特別なまま。
「……知りたきゃ自分で考えろ」
「分かるわけねェだろ。教えろよ、なぁなぁ」
 宝物の正体を素直に話せばきっとこの男は腹を抱えて笑うだろう。
 ——……でも。
「てめェにだけは言わねェよ」

 もしもいつか自力で気付いたら。
 自分で気付けるほど、愛されていることを受け入れたなら。
 その時は、惜しげもなく心の内を全部教えてやろうと思うのだ。


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