それだけ

「それ、いつ終わるんだ」
「いつって、空になったらに決まってんだろ」
 それ、とゾロが指を指したのは大量のじゃがいもと人参である。本日の夕飯のために、大ぶりの籠が合計三つ。どれも今にも溢れそうなほど山盛りに積み上げられている。
「どれくらいかかる」
「さぁな。何か用か?」
 質問に答えながら手を止めることはない。包丁の刃を人参に当てて、少し引っ張っただけで千切れそうな薄い皮を量産していく。この皮はあとでまとめて金平になる。じゃがいもはわざと厚めに皮を剥いて、味をつけてカリッと揚げるのだ。出来上がりを想像していれば、涎を垂らしたルフィが飛び付いてくるところまで予想が出来て小さく笑う。
 間違ってはいないはず。ルフィならば絶対にする。あとウソップとチョッパーも。
(ちょっとだけ唐揚げも一緒に作ってやるか)
 自分の料理を求められるのは悪くないと機嫌良く考え込んでいれば、——邪魔をするように割り込んでくる不遜な声。
「さっさとしろ」
 たった一言でサンジの機嫌が地の底まで落ちる。
「カッチーン。藻類の分際で人間様に指図してんじゃねェぞ、コラ」
「手ェ止めんな」
「〜〜〜〜っ、この……! まずはてめェからオロしてやろうか、クソマリモ!」
 大きく口を開けて吠えたというのに、ゾロはどこ吹く風である。それどころか春の陽気に包まれただだっ広い甲板で、わざわざ隣を陣取ってくる始末。
「黙ってやれ」
 喧嘩する気はないのだというように、無骨な指が口元の煙草を掠め取って近くの灰皿に灰を落してくれる。煙草など吸わないくせに、その仕草はもうすっかり手慣れていて。見るたびにどうにもむず痒い。指の角度や、ちょっとした癖まで自分に似ているから余計に。
 静かに戻ってきた煙草。恋人の温度を孕んだ指先がわざと口元を掠めていく。
「……腹でも減ったか?」
 この温度に弱い自覚はある。先程までの威勢は鳴りを潜めて、口から溢れるのは甘さを含んだ声色。
「いや」
「喉が渇いたなら炭酸水出してただろ?」
「それは飲んだ」
「酒はダメだぞ」
「知ってる」
 いいから早くしろと、そればかり。それじゃあ分からないのだが、教えてくれるつもりはないらしい。不可解な強情さを見せるゾロに嘆息をひとつ。
「早くしてもそれなりに時間はかかるからな」
「いい」
 胡座をかいて、自身の足で頬杖をついて。じい、とこちらを見る右眼はちょっとだって逸らしてくれない。
「なんなんだよ」
「……」
 とうとう返事すらしなくなった。
 眉間に皺を寄せて険しい顔。実はなにか怒らすことをしたのだろうか、と必死に考えてみるけれどこれといって思いつかない。昼前にいつも通りの喧嘩はしたが、あれは尾を引くものではない。そのあとでこっそりとキスをした時は機嫌が良かった。
(なんか約束してたか? あー、思い出せねェ)
 深く考え込みながら、作業のスピードを上げていく。この男に言われたまま従うのは癪だが、こちらを見て離さない右眼の監視が妙に居心地悪いのだ。
(うーん……)
 みかん畑では、そろそろおやつかなぁと隠れんぼをしながら騒ぐルフィたちの声。船首では、ナミの的確な指示のもとでジンベエが舵を取る。他のクルーは船内で好きに過ごしているだろう。
「……そんなに見られるとやりにくいんだが」
 誰かこの空気に割り込んできてくれないだろうかと考えてみるのに、こんな時に限って誰も来ない。
「気にすんな。いいから早くしろ」
 言われなくても最高速度である。おかげで、あっという間に人参どころかじゃがいもの底が見えてきた。おやつの時間まで静かにのんびりやろうと思っていたのに。
「終わりか?」
「もう終わる」
 残り三個になるとゾロはソワソワし始めて、二個になると煙草を取り上げられた。
「それ最後だろ。もう出してくんなよ」
「はいはい、最後最後。なんなんだよ、本当に」
 最後の一つが終わる。
 そして、ボウルに皮を剥き終わったじゃがいもを置いた瞬間、二本の腕が伸びてくる。握っていた包丁はするりと取り上げられてボウルのすぐ側へ。
「うわ……!」
 腹が立つほど簡単に持ち上げられた体は、ゾロの腕の中。サンジの体勢など気にもしておらず、反った背中も、無茶に折り畳まれた足も痛いのだが、力強い二本の腕に文句は言えそうにない。ぐええ、と可愛げのない声が出る。
「なに、」
 なにすんだ、と喚こうとした口は塞がれて。そうかと思えば全身で擦り寄ってくる。
 あ、と大きく開いた口で首も耳も頬も好き勝手に食べられて、顔が離れたら今度は分厚い手のひらで撫で回される。
「っ、ちょ、なに、なんだよ、もう……!」
 寝癖を直した髪の毛は四方八方に散らばって、暴れたせいでシャツがだらしなく外に出て。こんな恰好レディには見せられない、と嘆くより先にゾロが満足そうに息を吐く。
どこか清々しい表情なのがいっそう腹が立つ。
「よし」
「よし、じゃねェ! だからなんなんだ! なにがしたいんだよ!」
「なに怒ってんだ、お前」
「お前こそ心底不思議そうな顔してんじゃねェよ!」
 怒るというよりも、理解不能なのだ。
 この獣は、時に言葉を全部投げ捨てるからいけない。
「理由もなく人のこと噛んでぐちゃぐちゃにしやがって……!」
「やりたくなったんだから仕方ねェだろ」
「ヤり……⁉ 昼間っから盛るな! エロマリモ!」
「アァ⁉ 盛ってねェだろうが! 勘違いしてんじゃねェよ、エロコック!」
 おれァ、ただ。
「ただ、てめェに触りたくなっただけだ」
「————……は?」
 ピタ、と文句を言う口が止まる。
「触りてェのに皮剥き始めやがって。しかもこの量だぞ。ふざけてんのか。ちゃんと終わるまで待ってやったんだから褒めろ」
 踏ん反りかえって、鼻息を荒くして。
「包丁持ってる時は触るなって、お前が言ったんだろうが。おれァ守ったぞ」
 あまりにも目の前の男が得意げに言うものだから。追い討ちのようにもう一度「褒めろ」というものだから。サンジはあんぐりと口を開けたままである。
 停止してしまった思考回路を懸命に蹴り起こして、どうにかこうにかゾロの言葉を纏めていく。
 つまり、それは。
「……え、なに、おまえ、……今のがやりたくて、待ってた、のか……?」
 隣で、大人しく、ずっと。
「あぁ」
 それ以外なにがある、とでも言いたそうな顔である。
「は、はらへった、とか」
「減ってねェ」
「のどが、」
「炭酸水飲んだっつっただろ」
「……あ、うん、そっか」
 じゃあ本当に触りたい以外に理由がないのかと、嫌というほど理解してしまえば頭も顔も茹っていく。春の風が緩く感じて、もっと冷やしてほしいくらい。
「……」
「あ? なんだよ。まだ触っていいのか」
 おう、と小さく溢して今度はサンジからくっついていく。体勢を整えて、足は逞しい胴に絡めて。逞しい首に回した腕を伸ばして、すっかり見慣れた三連のピアスを指先で弄る。
「なんなんだよ、お前」
 あれだけ誰か来ないかなと思っていたのに、今は誰も来てくれるなと心底願う。
 ドクドクと早まる心臓を押さえつけるように息を吐いて、首筋に顔を埋めてから唸った。
「——……おれのこと大好きかよ、クソ剣士」
「ハ!?」
 唸りながら言えば、ゾロが両肩を持って引き剥がしてくる。いっそう深くなった眉間の皺と怖い顔。
 流石に調子に乗り過ぎたかと身を固くすれば、
「今気付いただの、知らなかっただの言うんじゃねェぞ、クソコック……!」
 伸びてきた手に頭を掴まれる。
「いてっ、いててて! 頭掴むな、この馬鹿力!」
「おい、分かってんのか!」
「分かった! 分かってる! 知ってる!」
「よし」
 パッと手が離れ、眦に小粒の涙を引っ掛けてサンジはゾロを睨んだ。しかし目の前の男は軟弱だなんだと言って、——それから珍しく目を細めて穏やかに笑う。
「……ぐ、」
 この顔にも、弱い自覚はある。
 サンジは静かな甲板をキョロキョロと見渡して、確認してから軽いキスをする。唇を尖らせて触れるだけの、それ。だけど、どうしたって照れくさくて、熱くなる耳の先。
「そんなんじゃ物足りねェ。もっと褒めろ」
「うるせ。誰か来るかもしれねェだろ」
「まだ来ねェよ」
「分かんねェだろ」
 これ以上はだめだ、なんてサンジは苦く笑う。口に出しておかないと流されてしまう。盛るなと怒ったくせに、自分が我慢出来なくなりそうなのだ。
「じゃあ来るまでやれ」
「……来たら蹴り飛ばすからな」
「好きにしろ」
 あぁもう。夜までまだ程遠いと言うのに。
「ゾロ」
 サンジは鼻先を擦り寄せる。額をコツリと当てて、春の風に誘われるままに目を閉じる。
短い髪に指先を滑らせて、何度も撫でた。納得するように鼻を鳴らす獣が、いっとう可愛くて可愛くて仕方ない。
「よく出来ました」

 そうして、ちゃんと”待て”が出来た獣にご褒美を与えるべく、甘やかにキスをした。


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