離さないで、オムファタル

「——なぁ、野郎のケツに突っ込むのってそんなに気持ちいいのかよ」
「アァ?」
 意識せずとも低い声が出て、ピクリと眉が跳ねてしまったが、これは致し方ないことだと思うのだ。
 振り返った先の男は剥き出しの肩を跳ねさせたあとで「な、なんで急にそんな怒ってんだよ」と目を丸くしてはすっかり汚れたシーツの中に逃げ込んだ。コイツはまたなんか余計なこと考えてんな、と察したゾロは即座に逃げた男を追いかける。
 しっかりと鍛えている成人男性二人分の体重を受け止めているベッドは、ギィと文句を零すように軋んだ。
「おいコラ、出てこい」
「おっ。なんか本物の取り立て屋みたいだぜ、お前」
「期限過ぎてんぞ。腹ァ括れ」
「ふはっ! ノッてくれんのかよ」
 面白いもん見られたから仕方ねェな。
「酷いことはしないでくれよ?」
「そういうのは逆効果だろ。下手くそめ」
 山になった薄っぺらなシーツの隙間から金色の頭がひょっこりと出てきた。
 好き勝手に左右に跳ねている髪の毛をさらに乱すように掻き混ぜて、すっかり煙草の味が薄くなっている唇に噛み付いた。
覆い被さっても、シーツを剥ぎ取っても珍しく大人しい。
「んん」
「もうちょっと口開けろ」
「むちゃ、いうなよ、けだものっ」
 情事の余韻が色濃く残る口腔内を余すとこなく舐めて、あっという間に血色が良くなる頬や耳に満足気に鼻を鳴らす。
「——で、なにが言いてェんだ。アホコック」
「別に? ただ気になっただけだって。おれはまぁ、……その、アレだけどよォ、」
「アレってなんだ」
「言わそうとしてんなよ。顔がニヤけてんだよ、エロマリモ」
「言えよ。なんだ」
「言うか!」
 逃げの体勢をとったサンジの上に遠慮なくほとんど裸の体を落とせば、重いんだよ、と足が飛んでくる。だが、ついさっきまでゾロが好き勝手に暴いていたせいか、戯れついているだけなのか、威力は普段の半分以下である。効かねェな、と赤い耳に齧り付く。
 そのうち足が観念するように大人しくなったので、ゾロはそうっと体を浮かせた。
「よし。もう一回ヤるか」
「よし、じゃねェよ。もう今日は終いだ」
 サンジの手が頬に伸びてくる。火傷や、細かな包丁傷が残る男の指が輪郭をなぞる。なぞって、目の傷に辿り着いて、それすらも愛でていく。
 ゾロの全てを覚えて、忘れないように脳に刻みつけようとする指先。
 ついつい、不満に思って眉を寄せてしまう。
「ンな顔すんなよ」
「お前がさせてんだろ」
「そんなにくすぐってぇのかよ」
「そうじゃねェ」
 ただ、今すぐにでも消えてなくなりそうな触り方をするなと言いたいだけである。
「……」
「なに?」
 思ったままに言ってもいいのだが、言ったところで真っ直ぐ受け取ってくれそうにないのがこの男の悪いところ。だから、余計なことは言わずに困っている唇にキスをする。触れるだけの、体温を分け与えるような、そんなキスをする。
 そして。
「好きだ」
 もうすっかり言い慣れてしまうほど長く共にいる男に愛情を注ぐのだ。
「……ん」
 逃げるように一瞬揺れた視線に気付かないほど鈍くない。
 どれだけ愛情を注いだところで、受け取る器に穴が空いていれば意味がないのだ。呆れ果てた溜め息を男の顔に吹きかけてやろうかと眉をまたピクリと動かして、しかし大人しくサンジの上から退いた。
 ————すると。
「ッ、」
 慌てたように掴まれる腕。
ぐしゃぐしゃに乱れた金色の隙間で歪む、海の色をした瞳。
(そんな顔をするくらいなら、)
 与えられた言葉を、そのまま受け取ればいいのに。
 どこまでも不器用な男だ、と掴まれていない腕を持ち上げて容赦なく鼻を摘んでやる。驚いて目をぎゅっと瞑っている顔に吹き出すように笑う。
「酒、貰うぞ。買ってきてんだろ」
「ん、買った、んんっ、こら、クソッ、いつまで摘んでんだ!」
「なんつう顔してんだ、お前」
「てめェのせいだよ!」
 いつものように目をつり上げて怒った顔に満足したゾロは手を離して、部屋の隅に置かれているサンジのリュックへと足を向ける。この部屋に冷蔵庫がついてないと知るや否や不満気に顔を歪めていたが、なるほど。酒だけでなくつまみも買ってきていたらしい。
 食材が傷まないように詰め込まれた保冷剤を掻き分けて、つまみを物色する。
「どれ食ってもいいのか?」
「おう。朝食うやつは別の所に隠したから問題ねェよ」
「……おれァルフィじゃねェんだぞ」
「コックのおれからすればお前らどっちもどっち」
「納得いかねェ」
「なら日頃の態度を改めやがれ」
 サンジはベッドの上をのそりのそりと移動してはナイトテーブルに手を伸ばしている。乱雑に置かれた煙草とライターに手を伸ばし、至福の一服。はあぁ、と大袈裟なほどに煙を吐き出してはご満悦だ。
 兎にも角にもコックであるあの男からの許可も得たので、腹が減った体に酒とつまみを流し込もうと片っ端から手に取っていく。
 けれど。
(……お、いいもんあんじゃねェか)
 リュックの奥底から出てきた見慣れた弁当箱。
 蓋を開ければやっぱり中身はゾロが好きなものを中心に詰め込まれていて、迷わずそれを引っ掴んだ。サンジがこの島の店で買ってきたつまみの数々はあとで食えばいいとリュックに戻して、弁当箱と酒を二本手に持ってベッドへ。
 すると、大人しく煙草を咥えていた口が、あっと大きく開く。
「あ? なんだよ、どれでも食っていいっつったろ」
「ちっげぇよ、バカ! なに発掘してきてやがる!」
 跳ねるように起き上がったサンジが弁当箱を奪おうと手を伸ばすが、ゾロは簡単にそれを躱わす。ニィ、と口角を持ち上げて笑えば、ムキになった男の左眼が怒りに燃える。
 返せ、いやだ、と深夜の攻防戦が始まった。
「リュックに入ってんのどれでも食っていいっつっただろうが!」
「上のほうにてめェが好きそうなつまみたんまり入れてただろうが! そっちの話だよ!」
 深夜二時過ぎ、お互い下着一枚だけ。
 他のクルーには見せられない、なんとも大人気のないくだらない戯れ合い。
「でもおれのだろうが」
「お前のだけどお前のじゃねェの! そりゃあ昼間のお前用の弁当だ!」
「……つまりおれのだろ?」
「お前が散々迷子になってたせいでもう時間が経ってるから食うなってことだ! 迷子マリモ!」
「あぁそういうことか」
 なら問題ない、とサンジの足技をしゃがんで避けた後で、ご丁寧に用意されていた箸を手に持つ。ここまでくれば勝利確定。
「いただきます」
 手を合わせて、蓋を開けた弁当箱から海獣肉の照り焼きを口に放り込めばサンジはもう何も言えやしない。足がピタリと止まって攻撃が終わる。ぐうう、と唸ってはいるが諦めたのだろう。再びベッドに寝転がって、床に座って勢いよく食べ始めたゾロの髪の毛をわしわしと撫でては引っ張っている。
「…………腹痛くなっても知らねェからな」
「もご、んぐ、」
「口の中のもん飲み込んでから喋れ」
「おれァそんな柔じゃねェ。鍛えてるからな」
「へぇへぇ。クソ剣士の胃の心配は無用だってこと忘れてたよ」
 呆れた返事の中に僅かに喜びが滲んでいるものだから、ゾロはいっそう大口でおにぎりに食らいつく。どれだけ時間が経っていようとやっぱり美味い。
「つうか、これがあんなら夜飯食いに行かなくても良かっただろ」
「おれが朝にでも食おうと思ってたんだよ。それにあの店は行ってみたかったんだ。今日買ったスパイス使ったスープが美味いって聞いてたし」
「あぁ、あれ美味かったな」
「うん」
 でも、あのスープを単体で何度も食べたいとは思わない。
 ピリッとした深みのある味も、その味が染みた根菜類も美味しかったのだが、どうせなら麺を入れて欲しい。後味が癖になるスパイシーなラーメン。料理を知らないのであっているかどうかは知らないが、あのスープを飲むたびに思っていた。
 ほうれん草と鰹節の和物を口に運びながら思い出していれば、サンジの顔が後ろから寄ってきて、
「堅めの麺入れて、ラーメンにして欲しいんだろ」
 笑いを堪えるような声で囁いてくるものだから、目を丸くして振り返る。
「……口に出してたか」
「いや? でもおれをナメんなよ」
 海の一流コックだぜ? と煙草の煙を吐き出すスカした横顔。
 その横顔につられるように真剣に「今のリクエストの順番はどうなってる」と聞けば、一瞬で破顔する。堪えきれないと言うように声を上げて笑って、ひいひいと腹を抱えて、それから「お前のそう言うところクソ可愛いな」なんて膨らんだ頬を突いてくる。
「うるせぇよ! 順番はどうなってんだよクソコック!」
「ははっ! 心配すんな。今のところお前のリクエストが一番目だ。島に着く前に全部作ったからな」
「よし」
 ルフィにもナミにも譲んなよ、と指差して念を押せば、眦に涙を引っ掛けて笑い転げ回っている。そのあとで「ゾロぉ、腹いっぱいになったらもう一回ヤろうぜ」と首に絡みついてきては頬にキスをして誘ってくるのだ。
まったくもってツボがいまひとつ分からない男である。お誘いには乗るけれども。
「つうかお前酒飲まねェの?」
「飲む」
 開けろ、と言外に強請れば、床に転がっている酒瓶にサンジの手が伸びる。
「これさぁ、こうやって混ぜて飲む酒なんだってよ」
 言いながら酒瓶をゆっくりとひっくり返す。沈澱していた濁りがじんわりと全体に回って、色味が変わった。
「こりゃあ緑だな」
「何味だ」
「色がついてるだけで中身は米酒だから安心しろ」
 もう一本も同じように手に取ってはひっくり返して混ぜる。こっちは青色だった。二本とも開けたので匂いを嗅いでみたが色が違えど同じ。不思議な酒である。
「何色が出るか遊ぶ酒なんだろ」
 どっちがいい、と聞かれて迷わず青色を取った。最後のおにぎりを口の中に放り込んで、飲み込んでから酒瓶に口をつける。どろりとした見た目からは想像がつかないほどスッキリした味わい。
「へぇ、美味いな」
 ベッドからゾロの隣へと移動したサンジも珍しく酒瓶のまま飲んでいる。
「あー……」
「てめェにはキツイんだろ」
「ちょっとだけだ」
「変な意地張ってんじゃねェよ」
 うへぇ、と顔を歪めているくせに意地で流し込んでいる。そんな飲み方は勿体無いからとゾロは半ば強引に酒瓶を奪い、口の端から溢しながらも飲み干していく。色に気を取られがちだが、味は確かに美味いのだ。
「取りやがったな」
「美味く飲まねェと勿体ねェだろうが」
 ぐいっと手の甲で酒を拭って、もう一口。今度は口を拭うことなくサンジにキスをして、酒で濡れた舌を口の中へと入れ込んだ。意図を察したらしくすぐに吸い付いてくる。ちゅ、と甘く吸っていたくせに、すぐに鼻にかかった声を漏らしながら深く絡みついてくる。
「これで我慢しろ」
「……お前さぁ、こういうのどこで覚えてくんだよ」
「ア? 他の奴に酒やるか。おれのだ」
「そういう話じゃねェよ」
 でもまぁ、いいや。
 とろんと蕩けて、赤く染まった眦は誘惑の色。
「なぁ、もう腹いっぱいになったかよ」
「なった。ご馳走様でした」
「ん」
 米の一粒だって残っていない空の弁当箱や酒瓶は蹴飛ばしてしまわないように端に寄せ、猫のように背中をしならせて太腿の上へとやってくる男の体を抱えた。あっさり持ち上げても文句は言わず、それどころかピアスに戯れついて、肩口に唇を寄せてと忙しそうだ。
 絡みついてくる体をベッドの上にゆっくりと落とし、仕返しのように男の肌に唇を押し当てた。体温が高く思えるのは酒のせいなのだろう。
「くすぐってぇよ」
 口ではそう言うくせに、下から伸びてくる腕は離れてくれるなと言っている。
「ゾーロ、どうせすんなら口にしろよ」
 足が絡みついてきて、僅かに揺れる腰はわざとだろうか。
「なぁって」
 じい、と見下ろしているだけで返事をしないでいれば、唇が尖って眉が寄る。分かった、とたった四文字の返事でもへらりと笑ってみせる。キスをすれば、ご機嫌にくぐもった声で啼く。
(これくらい素直に、)
 人の好意も受け取れたらいいのだが、と考えて、違うなと頭を振った。
(おれが考えてるとこが、全部ちゃんと伝わればいい)
 誤解なく、曲解なく。
 重さも大きさも、寸分違わず真っ直ぐに。
 そうすれば、この男も降参するように認めるしかないのだろう。
(もう逃げらんねェんだぞ、お前)
 誰もが知っていて、知らないのは本人だけである。
 悠長に、この日々をいつでも思い出に変えられると考えているのは本人だけである。


 まだ酒の味が残る舌で、煙草の味がする舌を絡め取ってやる。
 そして今夜もうまく伝わらない愛情を奥深くに注ぎ込んでは、零れ落ちていくのを見守るしか出来ないのだ。


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