「——……おい、いい加減起きろ」
「んん……?」
船の上だと、体内に目覚まし時計でも埋め込まれているのかと思うほどきっちりと朝の五時に目が覚める男。なのに、ちょっと気が緩めばこうだ。
「起きろって」
普段とは逆の立場。
「……ん」
上質な、とは言えずともボンクよりよっぽど寝心地のいいベッドの上で丸くなって、ゾロの声から逃げるように枕の下に頭を隠している。なにがなんでも起きない。まだ眠い。放っておいてくれ。そんな強い意志を感じるけれど、今日はそうはいかない。
サンジを揺すり起すゾロの隣で、ブルックも同じように覗き込む。
「本当に起きませんね、困りました」
「だからさっさと寝ろって言ったんだ、おれは」
「ヨホホホ! あまりにも魅力的な本でしたので」
「……おれの見間違いじゃなけりゃあ、ありゃあただのエロ本だろうが」
しかも過激とは言い難い、成人向けにちょっと毛が生えたような程度のもの。二人のテンションが異様なまでに高かったので何事かと少し慌てて、額に青筋を浮かべるほどに呆れ返った。
「あんなもんでよく興奮できるな、お前ら」
「手厳しィー! あれにはあれの良さってものがあるんですよ」
「知るか。結局遅くまでぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」
「いやぁ、サンジさんの反応が面白くって。だって何も露出してなくても妄想だけで鼻血出るって一種の才能じゃありません?」
あ。これもしかして、鼻血の出し過ぎて貧血状態って可能性もあります?
「だとしたらチョッパーに怒られろ」
「ヨホ!」
カタカタと骨を鳴らして笑うブルックにゾロは嘆息をひとつ。
「ったく。世話がかかる」
今日は朝からクルー全員で出かける予定だったのだ。
海軍対策としていつもよりもラフで、街に馴染める格好をして。いつぞやの島で買ってそのままだった黄色のサングラスを揃いでつけようなんて騒いで。
昨日はサンジだってゾロを全身コーディネートするほどに乗り気だった。オレンジイエローのブルゾンをどこからともなく発掘してきては「案外似合うじゃねェか」なんてこっそりと笑っていた。
しかし、それにも関わらず今はこの体たらくである。
「おい、コック! いい加減にしろよ、てめェ!」
もう集合時間十分前である。
ゾロならば五分前の起床でも問題ないのだが、この男は用意が長い。遅いのではなく、長い。紳士の嗜みだなんだと言って、ゾロの頭の中にはない工程を丁寧に踏んでいく。
だから例え十分の猶予があっても、もう遅刻確定。
どう考えてもナミのお説教は不可避である。
ゾロは力任せに枕を奪い取って、寝息を立てる鼻を摘んでやる。ぐ、が、と声を上げて苦しんでいたが、口で呼吸できることに気づいてそちらに切り替えた。小賢しい男だ。そうしてまたお眠りモードである。
容赦なく体を揺すって、頬を抓って、耳元でクソコックと叫んでみてもやっぱり駄目だった。ベッドの縁に腰を下ろして、ハァ、と先ほどより深い深い溜め息。
「……ブルック、先に行ってていいぞ」
「いいんですか? お任せしても」
「あぁ。多分夕方まで起きねェよ」
寝るスイッチが入っちまったらこれ以上は無駄だ。
「おや。よく知ってる風な言い方ですね。度々あるんです? こういうこと」
「まぁな」
昨夜騒ぎ過ぎたとか、鼻血の出し過ぎで貧血だとか。そういう要因もあるのかもしれない。けれど、元々サンジは陸に降りるとよく眠る。それこそ、食事も風呂もなにもかもを忘れて、毒でも盛られたかのように深く眠る時がある。
「ルフィには適当に言っといてくれ」
確か、ルフィもサンジがよく眠ることを知っていたはずだ。
「わかりました」
昼ご飯の調達を申し出てくれたが、それは断った。この宿からかなり遠方まで足を伸ばすと言っていたし、何よりサンジが起きた後に奢ってもらうことにする。
「今夜はいい酒がたんまり飲めそうだ」
悪い顔をして茶化すように言えばブルックが笑って、それにサンジが反応したので起きたかと思ったが、また寝息が聞こえてきた。やっぱりダメである。
「ではまたあとで」
「あぁ。悪ィな」
白とオレンジに染まったロングコートを着て出掛けるブルックを見送った後で、ゾロはひとつ欠伸をする。
全員が揃って出掛けるのは随分と久しぶりのことだったので楽しみにしていたところもあったのだが、行かないと決まればのんびりと羽を伸ばすことができる。この島は比較的穏やかで、少々自分たちが寝て過ごしたところで問題はないだろう。
「寝るか」
どうせサンジが目覚めるまでは暇だ。
ゆったりとしたブルゾンを脱いで、刀と一緒に空いているベッドの上へ。身軽になった体で眠っているサンジのすぐ隣へと潜り込む。布団に包まっている体を全部纏めて抱え込んで、ひょこりと現れた金色の頭に鼻先を寄せた。
「————……ぞ、」
ゾロ、と。
確かに名前を呼ぼうとした声は、掠れた息になって消えていく。
「あぁ、そうだ」
よっぽど深く眠っているだろうに。それでも自分を抱え込む腕の重さには気づくのかと、少しだけ笑う。
「船に戻ったらなんか作れよ、クソコック」
どうせなら酒に合うものがいい、と考えて、そんなリクエストしなくたって自分が食べたいものが出てくるのだと思い直す。
丸くなっている体に腕も足も巻き付けて、ゾロは静かに目を閉じた。そのうち、布団の隙間から手が伸びてはこちらの背中にしがみついてくる。鎖骨や首筋に顔を近付けてきて、宥めるように後頭部を大きく撫でた。
「さっさと起きねェと知らねェぞ」
次に自分が目覚めた時、それでもまだ眠っていたら。
そのときは、
「なにされても文句は言えねェなァ」
ゾロの言葉になにか嫌な予感がしたのだろうか。んん、と唸る声はなんだか寝苦しそうである。
どうせなら、昨夜この男が大興奮していたあの本を参考にしてやろうかなんて画策しては、同じように夢の中へと落ちていった。