返事の代わりに差し出された空のお茶碗。表情ひとつ変わらないくせに最大限まで膨らんだ頬。口の端にくっ付いたままの米粒は段々と増えているので一度きれいに取ってやる。
「はいはい。ったく、おかわりくらいちゃんと言えよな」
いいから早くしろと急かしてくる真剣な目に、嬉しくならない料理人などこの世にいないと思うのだ。サンジは、ふは、と吹き出すように笑ってお茶碗を受け取り席を立つ。
「お前どれくらい食えんの?」
「全部」
「夜中だぞ」
「腹減ってんだよ。なぁ、この前のアレってもうねェのか?」
「あ? あぁ、南蛮漬けな。あるぜ」
「くれ」
これでもかと白米を盛ったお茶碗を受け取るや否や、ゾロは大口を開けて唐揚げを食らう。ザクザクと揚げたての衣がいい音を響かせる。もしも今ルフィがいたなら、この音で目覚めてキッチンに飛び込んできていただろう。
サンジは冷蔵庫からアジの南蛮漬けを取り出してお皿に盛り付け、ゾロの隣に戻った。空になっているジョッキに酒を継ぎ足して、ちょっと目を離した隙にまた米粒がついている無防備な頬に指を伸ばす。
サンジが少し触ったくらいでゾロの箸の勢いは止まらない。
無防備すぎるだろ、と呆れながらも嬉しくて堪らない。
「島に着いた途端にいなくなったと思ったら、三日も碌に食わずに帰ってくるとはな。迷子マリモにも呆れるぜ」
「うるせェ」
草、花、木の実、水。
それがゾロの三日分のご飯らしい。
魚や動物がいれば腹の足しにはなっただろうが、この島の森は島民によって厳重に管理されている。普段ならば狩りをして食べている獣たちは、ゾロが迷い込んだ場所とはまた別の区画で生息している。
結果。真夜中のサニー号にようやっと帰ってきた迷子マリモの第一声が『なんか、食わせろ……』だった。腹が鳴る音は、今までに聞いたことがないほどの大音量。サンジは思わず自分の夜食用作っていた熱々新作ピザをその口に捩じ込んだ。
「あのピザもまた作れよ」
「熱すぎて飛び跳ねてたくせにか?」
「ありゃあてめェが容赦なく突っ込んでくるのが悪ィだろ……」
「ははっ、違ェねぇな。あー、でも思い出しただけでも笑えるな。ルフィたちにも見せてやりたかったぜ。お前のあんな姿」
「やめろ」
すっかり貫禄を身につけてしまった男が、出会った頃のようにぎゃあぎゃあと騒ぐ姿は面白かった。火傷の心配も忘れて、真夜中に腹を抱えて涙が出るほど笑った。久しぶりのサニー号と食事に、ついつい心が緩んだのだろう。
思い返してはニンマリと口角を持ち上げて、自分の唐揚げに箸を伸ばす。
ゾロの皿の上にあるものより小振りなそれにはたっぷりと自家製のソースがかかっている。口に入れて相性を確認していれば、横から突き刺すような視線。
「欲しいならちゃんと言え」
「あ」
「口開けて待つな。喋れっての」
仕方のねェマリモくんでちゅねぇ、なんて揶揄しながらも一番大きな唐揚げを選んでやる。これにもたっぷりとソースを絡めて開いた口の中に放り込む。
食べることに夢中なゾロは、サンジが悪戯に笑ったことに気付いていない。
そして。
「ンン……!?」
まん丸になる右眼。慌ててかき込む白米。
いつもより血色が良くなった顔で、恨めしげに睨んでくるのが面白い。
「ふ、ははっ! あー、おもしれ」
「お前なァ……!」
「いやいやゾロくーん? こんなに真っ赤なんだから辛ェのくらい分かるだろ」
「ここまで辛いなら先に言えって言ってんだ!」
言っちまえば今みたいな顔が見られないだろうが、ともう一個唐揚げを放り込む。今度は自家製激辛ソースを控えめに。辛さで痺れた舌でそれでも味わって「美味い」と頷いた。
「まだ舌がビリビリしてやがる」
「そんなんでなれんのかよ、世界一の大剣豪」
「真面目な顔して意味分かんねェこと言ってんじゃねェよ、アホ眉毛」
「あ! んなこと言ってるとてめェの唐揚げ貰うからな」
宣言通りひょいと箸で唐揚げを奪ってみたが、ゾロは眉ひとつ動かさない。それどころか、さも当然のように「あ」と口を開けて待っている。
「……」
「……」
「…………クソッ!」
たっぷり十秒我慢して、しかしあっという間の敗北宣言。
気に入らなくて足を軽く蹴ってやったが効いていない。歌うように鼻で笑って、唐揚げを噛みながらご機嫌に笑っている。
「残したら海の果てまで蹴り飛ばすからな!」
「全部食うから心配すんな」
言葉の通り、皿の上の料理はあっという間に無くなっていく。唐揚げも、サラダも、スープも、南蛮漬けも。おかわりをしたばかりのお茶碗だってすぐに空っぽになった。ドレッシングの一滴、米の一粒だって残っていない食器は、どこまでもサンジを幸せにする。
「なぁ、ゾロ」
満腹になった腹をさすって、酒も綺麗に飲み干した男にキスをする。
「——なんだ。機嫌いいな」
僅かに離れた唇の先で、琥珀色が揶揄うようにゆったりと細まった。
「どっちが」
「まぁおれも悪くねェな」
三日も飯にありつけなかったのは堪えたが、でも。
「扉を開けて、てめェが出迎えてくれんのは良かったな」
——……究極の空腹でたどり着いた安息地。
鼻を擽るいい匂いと、驚いた顔で自分の名前を呼ぶ男。ずうっと暗い森の中を歩いていたからか、金色の眩しさを久しぶりに味わった。
顔を見ただけで飢えが加速して、おかえりと言われると気が抜けた。
「……よかった」
ついさっきの出来事に余韻に浸る横顔。恥ずかし気もなく心の内を晒す穏やかな声。どれもがサンジの心臓を鷲掴みにしては柔く撫でていく。
片付けをしようとした足が止まって、手は勝手にゾロの外套を掴んだ。
「お、れ、……まだ風呂入ってねェんだけど」
煙草という味方がいない唇では、これ以上素直になれそうにない。
けれど、これで十分だったらしい。なら一緒に入るぞ、と色気の増した世界にたったひとつだけの琥珀色。
次に食べられるのは自分だと理解しながら、それでもうんと頷いた。