グリーンの寵愛

※【オレンジの杞憂】の後日談

 島に滞在している間、ゾロはわかりやすく優しくなる。
 呼称を呼ぶ声は僅かに柔らかくて、こちらを見て笑う顔は隙が多い。珍しい食材を見つければ試作に付き合ってくれて、手が空けば荷物持ちを買って出てくれる。
 存外、恋人は甘やかすタイプなのかと感心して、——自分がその恋人という称号をもらっているのだと気付き、声を上げて悶え転がったのはいつだったか。
(いやだってゾロが、あのゾロが、恋人って……)
 自分だって望んでこの立場になったのだが、不意に気恥ずかしさに襲われて暴れたくなることくらいは許してほしい。
『……あのさ。お前は自分の買い物とかねェの?』
 気になって、思い切って聞いたことがある。
 随分と昔の話だ。あの時はまだ仲間も少なく、船だってメリー号だった。
 島の中心街で食糧を買い込んで、お互いキャパオーバーの半歩手前まで食糧や酒樽を抱えて。一旦船に戻ろうかという話になった時だ。サンジは荷物を置けばもう一度市場に戻るつもりで、きっとあと二往復はしなくてはいけないだろう。なにせここにはいい肉が揃っている。限度額いっぱいまで仕入れておいて損はない。
 しかしその二往復ですらゾロは付き合うと言う。だから聞いてみたのだ。自分の買い物はないのか、と。
 だって、恋人という称号をもらっているとはいえ、ゾロの自由を奪うばかりでは申し訳ない。サンジにとっての買い出しは自分の役割で、仕事で、趣味でもある。でもこの男にとってはそうではない。きっとしたいことだって、行きたい場所だって沢山あるはずだ。
『ほら、鍛冶屋に刀預け終わったんだろ? 受け取りは明日だっけか。ならそれまでは自由にできるだろ? わざわざおれに付き合わなくたって散歩でも鍛錬でも好きに、』
 けれど。
『別に無理に付き合ってるわけじゃねェ』
 サンジの言葉尻を奪うようにゾロが言って、船へと向かう足が止まった。
 倣うように足を止めたサンジは顔を上げ、どこか不貞腐れた色をした二つの瞳に煙草を落としそうになる。
『な、なに、なんだよ、その顔』
『……』
 薄い下唇は拗ねたように突き出されて、眉間の皺は深くなる一方。纏う空気に怒りのようなものが混じって、サンジは思わずたじろいだ。待てど暮らせど返事はない。
『え、えぇ……?』
 返事はないけれど、————そんな顔をされては「好きで付き合っているのだ」と言われているようで背中がむず痒くなって、情けない声とともにとうとう煙草が落ちた。
『なんつう声出してんだ、お前』
 今の今まで不貞腐れていたくせに、ふは、と吹き出すように笑う声。揶揄われているのに不思議と腹は立たなくて、目を細めて笑う男の顔に釘付けになる。
 この瞬間から、自分が理解しているよりもずっとこの男の特別になれているのかもしれないと浮き足立ってしまって、だらしなく頬を緩めてしまって、熱くなって、落とした煙草などすっかり忘れてしまった。
『おら、さっさと行くぞ』
『待てよ……! つうか船はそっちじゃねェよ、アホ!』
 船までの道を歩き始めたゾロの隣に追いついて、道を正しながらもメリー号に辿り着いて荷物を下ろす。そうして再び市場へと向かう道中で、サンジは半歩だけ距離を詰めてみた。きっと気付いているだろうゾロはなにも言わない。
『……へへ』
 時折当たる小指の温度が、心地よくて堪らなかった。



 思えばあの日からだ。
 いつもより優しくなるゾロに、少しずつ甘えるようになったのは。半歩踏み込んだその位置から逃げる回数が減っていったのは。
「——……コック、」
 夢と現実の狭間。ボンクではなくベッドの上。
 人工的な清潔な匂いに包まれた布団の中に、先に起きていたゾロの低い声が入り込んでくる。
 次いで、起きろ、と声を掛けられたのでいやいやと首を振っては唸った。もしもこれが船の上ならば、布団など剥ぎ取られて耳を引っ張られて、さっさと起きろと怒声にも似た声で叩き起こされていたことだろう。そもそも、普段ならばサンジのほうが起床が早いのでこんな状況にもなりやしない。
 でも今日は違う。
 ここは三日前から滞在している、朝の風は少し冷たい夏島。薄っぺらなシャツと下着だけで布団に包まって、二人でくっついているのが心地いい穏やかな島。絡み合う温度に、いつまでも微睡んでいられるところ。
「おい、起きろ」
 起こす気があるのかと聞きたくなるほど、やんわりと撫でられる頬。そのまま何度か軽い音を立てて叩かれたけれど、痛みなどない。剛腕、馬鹿力のゾロが自分に対して加減をしているのだと、その事実だけで可笑しくなる。魔獣と恐れられる男が、自分にはこんなにも甘いなんて誰が想像するだろう。
(……まだ、もうちょっと、)
 僅かに意識が現実に戻ってきているけれど、まだ寝ていたい。というよりも、優しくゾロが起こしてくれる時間に浸りたい。
「コック。いつまで寝てんだ」
 もしかして腹でも減ったのかな。
「ん、んん、」
 声は優しいけれど、どこか急かされているような気がする。
 腹が減っているなら可哀想だと、サンジは布団の中からぬうっと顔と手を出した。軟体動物のようにだらりとした手でゾロに触れて、深い緑の外套を引っ張れば気配がぐっと近くなる。重い体で布団から這うように出て、反対の手も伸ばす。
「ん、……ぞろぉ……」
「っ、てめぇ、コラ……!」
 無気力な腕はゾロの首へと回した。後先考えずに浮いた体を支えるように背中や腰に回される手のひら。剣だこだらけの無骨なそれは、やっぱりいつもより優しいのだ。
 ゾロの匂いに、少しばかりの煙草の匂いが混ざっている外套に鼻を擦り寄せて、——そういえばゾロも下着だけで眠っていたはずなのにいつの間に着替えたんだろうか、と頭の隅で考えた。
(珍しいこともあるもんだな)
 ほんの少しの違和感は思考回路を占拠して行くけれど、しかしいつものように深く考えるより先に考えることを放棄した。甘やかされている間はそれでいい。
「起きろ、コック」
「まだねみぃよ。はらへってんの?」
 それとも、まぁたえっちしてぇの? えろけんしぃ。
「お前なぁ……」
 くふくふ、と揶揄うようにゾロの耳元で笑う。
「だってきのう、すげーきもちよかったんだもんよぉ」
 呆れた声で「後悔してもしらねェぞ」と言われたので、肩口に顔を埋めて頬を擦り寄せた。
 まだ重い瞼は開きそうになくて、体だって半分以上眠っていて。でも、それでも、今するセックスは気持ちよさそうだなんて考える。いっそこのままなし崩しになってもいいかもしれない。昨夜は散々楽しんだからきっとまだ簡単に受け入れられる。したいなぁ、くっついてたいなぁ、なんて思ったことをそのまま口にすればゾロの唸り声が大きくなっていく。
「ぞろ」
 もうひと押しだろうか。
「ぞぉろ」
 体に触れた手のひらがじわじわと熱くなって、しかしその手はすぐに離れていく。
「んあ?」
 ゾロに絡みついた体は布団の中に戻されて、それどころか頭の先までご丁寧に包み込まれる。
「お前、……ちょっと黙って寝てろ」
 隣のベッドからも布団を拝借してきたのだろう。サンジを覆う暗さと重みが増して、眠気の強い体では起き上がれない。仕方なくそのまま贅沢な二度寝の旅へと出発した。
 
 
 
 ▪︎
 
 
 
「————ねぇゾロ、」
「やめろ。何も言うな」
 背後からのナミの声に、思ったより低い声が出た。
 威嚇するつもりはないのだけれど、どうしたって深いため息は隠しきれなくて盛り上がっている布団にやんわりと拳を落とした。
 けれど、
「ゾロは普段からそうやってサンジのことを甘やかしているのね。それこそ、サンジが私たちに気付かないくらいに」
 口を噤んだナミの代わりに朗らかに話すのはロビンである。
 彼女の言葉はゾロに深く刺さってしまって、これならその辺の破落戸に斬られた方がよっぽどマシだと思えるほど。ベッドの端に座ったまま、ぐう、とゾロが唸って背中を丸めればナミが呆れと揶揄いを混ぜた声でひとつ笑った。
「やめてあげて、ロビン」
「ふふ。だって珍しいものを見ちゃったから」
「まぁ確かに、そうだけど」
 アンタたちって本当にちゃんとイチャイチャしてるのね、なんて。ロビンを嗜めながらナミだって容赦がない。
「サンジくんから聞いてたけど、聞くだけじゃしっくりこなかったのよね。でも今ので納得したわ」
「そうかよ」
 そういえば、この島に上陸する手前。
 なにやら甲板の隅っこでサンジとナミが長く話し込んでいたことを思い出す。途中からロビンが参戦して、腹が減ったルフィが乱入するまで三人のお茶会は続いていた。
 思い出していればなんとも言い得ぬ視線が頬に刺さって、ナミを見遣ればニンマリと悪い顔。
「サンジくんのこと大好きなんだぁ?」
「……うるせぇよ」
「否定しないんだぁ? ちゃんと聞きたいなぁ?」
「……」
 否定すれば鬼神の如く怒り狂うだろうし、否定しなければ地獄のようなお茶会が開催されるに決まっている。ならば黙っている方がいいだろうとそっぽを向いて、不服そうなナミには「コックから色々聞いてんだろうが」とだけ答えた。
「だからゾロからも聞きたいじゃない」
「……」
「面白いから」
「それが本心か!」
 思わず振り返って吠えた、————が、すぐ目の前にあるナミの顔が真剣で。
 気付けば、
「好きに決まってんだろ」
 彼女の杞憂を一刀両断するように答えていた。
 こうも簡単にこんな言葉が吐き出せてしまうのかと、少しだけ自分でも驚いた。
「……そう」
 ナミは目を瞠ったあとで柔らかく笑って、そうして安心したように息を吐く。隣にいたロビンが優しく肩を抱いて頭を撫でているので、咄嗟の判断は間違っていなかったのだろう。
 しかし、ナミがここまで気にかけるほど上手くいっていないように見えるのかと思い知らされて頭を掻いた。確かにわざわざアピールするものでもあるまい、とわかりやすい態度はとっていなかったのだが、もう少し改めたほうがいいのかもしれない。
「悪かったな」
 余計な心配をかけた。
「いいのよ、別に。わたしが勝手に心配してただけだし。……でもね、」
「あ?」
 しおらしく肩を落としてロビンに寄り掛かっていると思いきや、差し出される右手。
 この手はなんだ、と見上げれば「口止め料」と一言。
「ハァ!? なんでだ! そもそもなんの口止め料だよ!」
「だって、……いいの? 口止めされなきゃわたし喋っちゃいそう。サンジくんがゾロに甘えてあれやこれや言ってたこと。ねぇロビン?」
「ふふ。そうね、私も言っちゃいそう。こういう話、フランキーも意外と好きなのよ」
「鬼か!」
「あら、私悪魔なのよ。知らなかった?」
「〜〜〜〜っ、てめェら!」
 額に青筋を浮かべて睨んだところで二人には微塵も効きやしない。それどころかナミに額をぺちぺちと叩かれる始末である。
「ほら、口止め料。この前みたいにキャパオーバーしたサンジくんが溶けてなめくじみたいになってもいいの?」
「あれもお前らが根掘り葉掘り聞いたからだろうが……!!」
 サンジが想定していた以上のことを、ナミとロビンから容赦なく聞かれていたのだろう。適当にはぐらかせばいいものを、とことん女に甘いので泣くまで追い詰められるのだ。
 乱入したルフィが羞恥で溶けたサンジの体を抱えては大騒ぎして、それはもう大変だった。
「ちょっとした惚気であんな風になるんだもの。私たちの前でゾロをセックスに誘ったなんて知ったらどうなるかしら」
「…………」
 ゾロの頭の中のサンジは、泣きながら溶けてそのまま蒸発してしまいそうな勢いである。
 思わず布団からはみ出ている足を掴んで硬さを確認すれば、ナミは堪えきれないと吹き出しては笑っている。
「言っとくが、金は持ってねェぞ」
「知ってる。ちゃんと借金として上乗せしといてあげるから、安心して」
「安心できる要素ひとつもないだろ」
「なんか文句あるー?」
「……」
「よろしい」
 ついでに今日の荷物持ちのキャンセル料も上乗せしておくわ、と言われて、それに関してはぐうの音も出ない。
 いや、元はと言えばサンジが勝手に荷物持ちに名乗り出ただけでゾロからすれば関係ないのだが、今ここでその話をしても自分に分があるとは思えない。大人しくしておくほうがいい。
「ナミ、そろそろ行きましょう?」
「そうね。行きたいお店いっぱいあるから急がなくちゃ」
 見送りはいいわ、と手を振る二人に甘えてゾロは静かになった部屋でベッドに寝転がった。
 そうして布団の塊を剥がしては、呑気に眠っている男の鼻を摘む。
「んが」
「アホ面」
 こんなことをされても起きない男を抱え込んで、遠慮なく足を体に乗せて絡める。重いだろうけれど知ったことか。
「フンッ」
 思いがけない借金の上乗せと、二人きりの時間。
 借金は痛いけれど、それでもこの男が寝惚けながらもこちらに身を任せてくれたことが嬉しくて堪らない。単純だと自分でも思う。笑いたければ笑うがいい。
「……面倒くせぇヤツだな、お前は」
 ここにくるまで、どれだけの時間がかかったか。

 ようやっと甘え方を覚えた男の髪を撫でて、ゾロはそうっと頬に唇を寄せた。


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