推して知るべし恋模様

「右か左か。さぁどっちだ」
 両方はダメだからな、と先手を打っておけばカウンター越しにゾロが顔を顰めた。舌打ち付きである。
「選ぶのは一個だけ。お前に選ばれなかった方は、明日ルフィの胃袋の中だ」
 ゾロの前には二つの箱がある。手のひらサイズのそれは丁寧にラッピングされていて、リボンには“Happy Valentine’s Day”と書かれている。
「両方食える」
「そういうこと言ってんじゃねェよ」
 本日二月十四日はバレンタインデーである。甘い甘いチョコレートとともにいろんな形の愛を伝える日。今日は朝から夜まで、サンジは甘い匂いを携えてクルーひとりひとりにチョコレートを配っていた。
 前日から甘い匂いがキッチンに充満しており、ゾロは積極的には寄り付かなかったのだが、今だけは特別。甘い匂いも我慢して、キッチンとその主人を独り占め。
「なぁなぁ、どっちにする?」
 普通に渡すのは面白くない、とサンジは少しだけ遊びを取り入れた。カウンターテーブルに並べられた二つの同じ箱。ひとつは他のクルーにも渡した通常バージョン。もうひとつは、こっそり作ったこの男専用の特別バージョン。
「面倒くせェことしやがって。普通に渡せねェのか」
「いいだろ? ちょっとくらい遊びに付き合えよ」
「付き合った結果ルフィに食われるかもしんねェんだろうが」
 ふざけやがって、といっそう顔が険しくなる。というより、最早鬼の形相である。
(そんなに欲しいかよ、おれからの本命チョコ)
 腹を抱えて笑いたい気分だ。現に、口元がニヤニヤと緩んで仕方ない。
 だってあのゾロが。愛にも恋にも興味がなく、世界一の大剣豪になる野望と刀と仲間のことくらいしか考えていないような男が、自分からのチョコレートをこんなにも欲しがってくれるなんて。笑って、息ができないくらい笑って、——ちょっと泣いてしまうくらいに嬉しい。
(絶対ェ言わねェけど)
 だからこそのこのお遊び。涙を隠すにはちょうどいいくだらなさ。
「つうかよォ、マリモのくせにちゃんとバレンタインデーの意味わかってんだな。おれァてっきり強制的にチョコを食わされる日としか認識してねェかと」
「毎年てめェが騒ぐから、その度に思い出すだけだ」
「チョコ好きじゃねェくせに?」
「ちょっと黙ってろ。気が散る」
 サンジは余興のつもりでも、ゾロは至って真剣なようで。箱には触っていいのかと聞いてきたり、箱を軽く振って耳元で音を聞いたりと一生懸命だ。
 そんな姿を見ていたら、普通に渡せばよかったなとちょっとだけ後悔した。
「——で? どっちか決めたか、ゾロ」
「……」
 まだ決めあぐねているらしい。顎に手を添えて、ジッと二つの箱を見つめる目は真剣そのもの。次いで、視線はそのままに低い声でサンジを呼んだ。
「な、なんだよ」
 ただのお遊びにしては緊迫感がある声色に、思わずたじろいだ。咥えていた煙草に手をやって、灰皿へと押し潰す。
 すると。
「おれもてめェに用意してる」
「…………は?」
 予想だにしなかった言葉に、間抜けな声が出た。
「何日か前に島に寄っただろ。だから買った」
「うん、……うん? えっ、なに、を? 何の話して、」
「チョコレートの話に決まってんだろ、クソコック。人の話聞いてんのか」
「…………え?」
 待ってくれ、と右手で顔を覆って、反対の手はゾロを制止する。だって思考回路が追いつかない。
「は……? 買った……?」
「口の達者なガキに捕まったんだよ。今どきのバレンタインは男からも渡せだの甲斐性見せろだのなんだの。ほとんど押し売りみてェなもんだったが買ったには違いねェ。ちゃんとてめェ用だ」
「…………買った……?」
「あァ」
ちょっとバレンタインデーに託けてお遊びをしていれば、とんでもない爆弾を放り込まれた気分である。ゼロ距離でルフィの拳を撃ち込まれた方がよっぽどマシだろう。
「おっ、おま、おまえが……!? チョコ、っ、お、おれに……っ……!?」
「だからそう言ってんだろうが。うるせェぞ。デカい声出すんじゃねェよ」
 何時と思ってんだ、なんて叱られたって今にも目が回りそうなのだ。もしかしたら来月のホワイトデーにはなにかお返しをくれるかもしれない、と考えることはあっても、バレンタインデーにチョコレートが貰えるとは少しも考えていなかった。
「く、っ、くっ、くれ、んの……っ!?」
「あァ。そのつもりだ」
 ——だが、とゾロの右の口角が持ち上がる。
 その瞬間に、嫌な予感がした。
「てめェがこのくっだらねェ遊びを続けるってんなら、おれもそうするまでだ」
 なぁコック、とカウンターテーブルに肘をつく。片目は閉じられているにも関わらず器用に眦を眇めて、ニィと人の悪い顔で笑う。まだ酒を含んでいない琥珀色が悪戯に煌めいた。
「おれのロッカー。もしくはアクアリウムバー。それか展望室。——さぁ、どこに隠したと思う?」
「うぐ、」
「外したら一生手に入らねェと思え」
「ッ、ひっ、卑怯だそ……!? 大剣豪目指してるような男がそんな手ェ使っていいのかよ、クソマリモ!」
「てめェと同じことしてるだけだろうが」
「ぎゃあっ!」
 クリティカルヒット。ヒットポイント残り僅かの大打撃。言葉の銃弾で撃ち抜かれた胸を抑えて、フラフラしながらシンクに手をついた。今度はサンジの左目が真剣味を帯びる番だ。
「……ヒントは……!?」
「さァな。おれも貰ってねェ」
 ただ、買ったのは事実だ。嘘は言わねェ。
 まっすぐにこちらを見て話すゾロに、サンジは唇を尖らせてから「わかってらァ!」と叫んだ。
「そういや。あの島でしか採れないベリーを使ってるとか店番してるガキが言ってたな。甘酸っぱさがチョコと混じって美味いんだと」
 そういうのお前好きだろ、と言われて素直に何度も頷いた。その島でしか採れないとか、他の島では食べられないとかは唆られる。マリモのくせにいいチョイスじゃねェか、と心の中で大暴れである。
 というよりも、島限定のなにかが無くたってゾロからのチョコレートは欲しい。
 この男が、自分のために選んでくれたのだから。バレンタインデーがなにかを理解した上で、選んでくれたのだから。受け取らないなんて選択肢にないし、どんな試練が待ち構えていようと全力で立ち向かって手に入れたい。
(————……あ、)
 悶々と考えていればひとつの答えに行き着いて、弾かれるように頭を上げれば満足したようにゾロが鼻を鳴らす。何も言っていないのに、目が合っただけでそれが正解だと肩を叩かれた気分だった。
(そっか)
 たかがチョコレート。されどチョコレート。好きな男が自分のためにと用意してくれたものを受け取りたいのは、ゾロだって同じ。
 サンジはばつが悪そうな顔で頭を掻いて、意味もなく「あー……」と声を出した。
「……あ、あのさ、ゾロ」
 サンジは震えそうになる指で二つの小箱を交互に指さして、
「お前のやつは中に酒が入ってっから、……重くなんだよ、他のより……」
 きっとこの情報だけで理解してくれるだろう。
「じゃあ左だな。おい、右も食うぞ。ルフィにだってやらねェからな」
「うん。……あのさ、おれ、」
 お前が食ってくれると、うれしい。
「たぶん、そっちもそんな甘くねェから……だから、」
 するり、するりと。
 隠そうとしていた本心と恋心は簡単に口を突いて出て、応えるようにリボンを解いていくゾロの指先が嬉しいこと。
 そのままぱくりと食べて欲しいけれど、自分だってもう我慢ができない。迷いのない指先を掴んで、強請るようにするりと撫でた。情けなく眉を落として、他の誰にも見せない恋人の顔をする。
「なぁ、おれにヒントは?」
「あ? あぁ、そうだな。酒が置いてあるところだ」
「それヒントにならねェだろ。知ってんだぞ、最近てめェがロッカーやら展望室やらに酒隠してること」
「……」
「料理人の鼻なめんなよ。ありゃああとで没収だからな」
「チッ」
 じゃあ今からてめェを連れて行く所にある、とヒントは訂正された。
 ゾロは小箱を腹巻の中へと突っ込み、サンジの手首を掴む。強引に引っ張ったとはいえ、大人しくキッチンを出てついてくるサンジにゾロは笑う。
 ——遊びはこれにておしまい。
 ここから先は、甘酸っぱさに包まれた恋人の時間である。

 ようやっとバレンタインデーの仕事を終えたキッチンは、灯りを消せば途端に眠りに就く。僅かに残った甘い匂いは開け放たれた扉のほうへと流れ、——そうして、チョコレートのひとつも素直に渡せない馬鹿な男たちの背中を押してやった。

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