「……な、に……?」
は、は、と短い呼吸は色を含んでおり、僅かに持ち上がった瞼はいつもより重たそうに見えた。まぁついさっきまで散々泣いて、喘いでいたから仕方ない。斯くいうこちらもまだ心拍数に落ち着きがなく、ちょっとした誘惑ですぐにこの男を喰らってしまいそうだ。
(……流石に蹴り飛ばされるな)
絶頂の余韻で震えている足で蹴り飛ばされたところで、痛くも痒くもなさそうだが。
「ぞろ……?」
「あ? あぁいや、髪が」
「かみ」
「触り心地が変わった気がしたんだよ。傷んでんのか?」
「……ん」
限界を超えた瞼は閉じてしまい、返事だって曖昧。けれどゾロが頭を撫でると、もっと、と言わんばかりに擦り寄ってくるからまだ起きてはいるようだ。
ゾロは早々に会話をすることを諦めて、隣に寝転がった。無防備に広がったサンジの体を掴んで自分の方へと引き寄せ、だらりと垂れた腕はこちらの腰へと引っ掛ける。
「……」
丸っこい頭を抱え込んで、その頭頂部に顔を埋めた。一度気になってしまえば頬や鼻先に当たる髪の毛に水分が足りない気がしてならない。
前からこうだっただろうか。以前はもっと癖がなく、丸い頭をより強調するほどに大人しく纏まっていたように思うのだが。
(ずっと航海してりゃあ、こんなもんか)
グランドラインに突入してからというもの、瞬く間に季節が巡るので髪だけではなく肌も荒れるとナミやロビンが言っていた。湿度が高かったり、そうかと思えばあかぎれするほどに乾燥したり。どれだけ丁寧に手入れをしても、追いつかないときはあるのだと。
そもそも潮風自体、肌に良くないそうだ。ゾロにはよくわからないが、きっと髪も似たようなものなのだろう。髭とはまた違う、チクチクとした感触が擽ったくて。でも離れるのは惜しいのでこのまま我慢することにした。
すると。
「……もともと、くせで、」
ぽつり、と眠たげな声。
「のびたら、くるくるって、なって」
——眉毛がか? と余計なことを言いそうになって口を噤む。
「だから、切って、……でも、ちょっと、しっぱい」
あんまりいじわる言ったらいやだ、と。油断している物言いに、うんと頷いた。
「伸びたらまた前みてェな触り心地に戻んのか?」
「たぶん」
「ふうん」
聞いてみたものの、切り方ひとつで触り心地が変わるかどうかなどゾロにはわからない。ナミやロビン、ウソップあたりなら理解が出来そうだ。今度聞いてみようかとも思ったけれど、宿を出る頃には忘れている自信があった。
「……なぁぞろ、きらい?」
「そこまで言ってねェだろ。飛躍すんな」
「うん」
髪の触り心地ひとつで嫌いになれるなら、よっぽど楽な関係だろう。残念ながらそんなことで嫌いになど到底なれない。この男の命を預かるほどには、心底惚れ込んでいるのだ。
「さっさと寝ちまえ。風呂は起きたら入れよ」
疲れ果てた体で、夢と現実を行き来しているから余計なことを考えるのだ。すっぱり諦めて眠ってしまえばいい。寝かしつけるように後頭部を撫でて、背中を優しく叩く。
けれど。
「……ふろ」
ちっとも言うことを聞いてくれない男は、どうにかこうにか起きあがろうと奮闘し始めた。力の入らない眠たげな手でゾロを押し退けて、重い体を持ち上げようとしては失敗している。何やってんだ、と呆れて声をかけても「ふろ」と譲らない。
「明日でいいだろ。んなフラフラで風呂入ったら溺れて死ぬぞ、てめェ」
「でも、ふろはいって、かみ、に、おいる」
「オイル……?」
うんうん、と頷きながら、今にも寝息を立てそうだ。
「髪油か? 塗るのか?」
「そう」
塗りたい。塗って、しっとりサラサラになればきっとゾロも気にならなくなる。傷んでるって思われたままなのはいやだなぁ、なんて。そこまで言われてしまってはこの話題を振った責任を感じてしまう。
気になったから聞いてみただけだったのだが、サンジにとっては眠気を我慢して風呂に行きたくなるほどに大問題らしい。
(……それはまぁ、それで、)
いじらしい部分もあるじゃないかと思えなくもない。
仕方ないなぁとゾロはのそりと起き上がる。力が入っていない成人男性を抱えて風呂に入るのはそれなりに厄介なのだが、頑張るとしよう。
「ぞろ……?」
「風呂に入れてやる。頭洗って、そのオイルとやらを塗りゃあいいんだな?」
「あらってくれんの?」
ぱちり、と重い瞼が持ち上がる。あぁと返事をすれば、蕩けたままの海の色をした瞳が細まってへらりと笑う。
「おれさぁ、おまえがあらってくれんのすきぃ」
うれしいなぁ、と。
誰にも見せない顔で、ゾロに向けて、笑う。
「……そ、そうかよ」
「うん」
ちょっとだけ声が詰まってしまったことに気付かれなくてよかった。じわ、と熱くなる耳の先を見つけられる前に瞼が降りてよかった。
そうして本格的に寝始めたサンジの頬にやんわりと噛みついて、言えばいつだって洗ってやるのにと鼻を鳴らす。
そういえば件のオイルが何処にあるかを聞くのを忘れていたが、——まぁたぶん彼のリュックの中にあるのだろう。宿に泊まると元々決めていれば、自分用の剃刀やらスタイリング剤やらしっかりと用意しているから。勝手に漁ることにしよう。
(貸しイチだからな)
どうやって貸しを返してもらおうかと考え始めたら、なんだか楽しくなってきた。髪だけじゃなく、体も洗ってやろう。ついでに自分もきっちり洗って、いい匂いのまま抱きしめて眠ってやればもっと喜ぶかもしれない。存外スキンシップが好きな男だから。
ゾロはサンジを抱えてそそくさと風呂場へと向かう。
自分では使ったことがないヘアオイルの適量がどれくらいのものかわからず、容器の半分ほどの量を使ってしまい、サンジ渾身のかかと落としを寝起き一発目に喰らうことになるのだが、————今はまだ知らない。