一途

※「月が綺麗ですねアンソロジー」への寄稿サンプル

 最初に「あとで一杯付き合え」と誘ったのはゾロのほうだった。
「はぁ?」
 メリー号の小さなキッチンの主であるサンジは、洗ったばかりの包丁を持ったまま目を丸くして驚く。だが、すぐに訝しげな視線を投げてくる。てめェから誘ってくるなんざどういう風の吹き回しだ、とでも言いたそうである。
そして実際、サンジはゾロの想像通りに言い放った。
「あ! 分かった。てめェおれが隠してる酒狙ってんだな……? 酔い潰して掻っ攫おうなんざ百年早ェんだよ、クソ剣士」
「へぇ。隠してる酒があんのか」
 それは良いことを聞いた。
 揶揄うように右の口角を持ち上げれば、ぐうとサンジが唸って顔を顰めた。
「それは今度おれがきっちり飲んでやる」
「だから飲むな! 隠してんだからよ!」
「お前が勝手にバラしたんだろうが。それに宝があんなら海賊は黙ってられねェもんだ」
 でもまぁ。
「酒なら今貰ったのでもう十分だ」
 ゾロの右手には一本の酒瓶が握られていて、甲板にはもう既にこっそり奪って飲んだ酒瓶が三本転がっている。夜食という名のつまみはたった今出来上がって、これで腹は膨れて満足するだろう。
「てめェの酒は自分で持ってこい。おれのはやらねェぞ」
「誰が飲むかよ、そんな化け物みてェな度数の酒」
 一口だって飲んだら倒れる、なんて言うものだからゾロは何を考えるより先に「軟弱コック」と溢した。当然その一言はサンジの怒りに火を点けて、酒もつまみも包丁も放り出していつも通りの喧嘩が始まってしまう。狭い場所でも関係なく、手も足も刀だって出る。
「あーもう! なんなんだよ、クソ剣士! 人を酒に誘ったかと思えば喧嘩ふっかけてきやがって!」
 サンジが髪を振り乱しながら叫んだ言葉に、ようやっと喧嘩の手がぴたりと止まる。
「そうだった。来い」
「え、おい、待て待て! そっち行くならつまみも持っていけ!」
 次いで、喧嘩をするために伸ばした手でサンジの腕を掴んだ。
キッチンの外に出ようとしていることは分かったのだろう。サンジは抵抗しながらきっちりとつまみが乗った皿を取る。
「さっさと来い」
「なにがしてェかちゃんと人語で喋ってから行動しやがれ! クソマリモ!」
 力任せに引っ張られて体勢を崩しながらも、サンジが皿を落とすことはない。彼のバランス感覚と体幹、そして食材を絶対に無駄にしない姿勢には評価している。だからこそゾロは振り返りもせず、サンジの様子も窺わずに甲板へと出た。昼間と違って今はもう誰もいない甲板だ。こうしてみると幾分か広く見えて、違う船に来たみたいだ。
 足を止めて、ゾロは真上を指差した。
「見てみろ」
 そうして、
「こんないい夜に飲まねェ馬鹿はいねェだろ」
 ゾロの言葉に釣られてサンジが上を向く。
 ついさっきまでゾロを睨みつけていたなんて信じられないほど、今夜の月と同じくらいに丸くなっていく瞳。おお、と感嘆の声が漏れたのはきっと無意識なのだろう。
「……きれいだな」
「だろ」
 だから今夜くらいはこっそり酒を拝借したことは許せ、とそう言いたかったのだが、あまりにも上を向いたまま戻ってこないので、黙って同じように見上げることにする。
 空気が澄んだ秋の夜空。風はなく、波は穏やか。
 月明かりのせいか星は少なく感じるけれど、足元までしっかり見渡せるほどに明るく、いい夜だ。こういう夜は、昔道場で食べた串団子が食べたくなる。素朴で、やたらと大振りなあの串団子を。懐かしいな、とついと目を細めた。
「…………ゾロ」
 キッチンで話していた時よりもずっと小さいサンジの声に、あっさりと追想は終わる。
 眠っている航海士たちを思ってのことか、それとも月の美しさに圧倒されたか。分からないけれどゾロも彼に倣って声を顰めて返事をした。
「なんだ」
「お前、さぁ……」
「……」
「……」
「さっさと喋りやがれ」
 中途半端に言葉を止められて、続きが気になったゾロは満月から視線を外す。そのまま真っ直ぐにサンジを見遣ったはずなのだが、サンジは夜空を満喫しようと上を向いたままで、――更にゾロに背中を向けるように周囲をぐるりと見渡し始めた。
 喋らないサンジの正面に回り込んで話の続きを催促してもいいのだけれど、そんなことをしてこの男が臍を曲げ、つまみを没収されてしまっては困る。喋る気がないなら放っておくか、と息を吐けば、――再び小さく自分を呼ぶ声。
「だから、なんだよ」
 レディを褒める時と、料理の話をしている時はあれほど流暢に喋る男が、どうにも煮えきらない声を出す。喋ろうか、喋るまいか、心底悩んでいるようだ。
金色の後頭部が不安定にゆらゆら揺れている。美味い料理を生み出す手は、頬を掻いたり、意味もなくシャツを撫でつけたりと忙しそうだ。
 そして、
「……ほ、本当にこれだけの理由で誘ったのかよ」
 長い前髪で隠れた横顔が、僅かにこちらを振り返る。
 口元すら碌に見えないような角度では、何を考えているのかさっぱり分からない。
「なんだよ、悪ィか」
 くだらないと言って、仕込みで忙しいなら断ればいいだろうが、と続けようと口を開いて、しかしそれは声になることなく飲み込むことになる。
「――……ふぅん」
 ようやっと男はゾロへと向き直り、ゆったりと目を細めていく。
 珍しく煙草のない唇は綺麗に弧を描き、吐き出されたのは紫煙ではなくどこまでもご機嫌な声。今にも鼻歌を歌い出しそうなほどに。踊り出して飛びついてきそうなほどに。それほど上機嫌になったサンジに今度はゾロが目を丸くする番だ。
「そっかそっか。ふぅん? 月が綺麗だからか、……へぇ?」
「あ?」
 なんだなんだ。この男は喧嘩売っているのだろうか。
「しかたねェなァ! そんなにおれと飲みてェっつうなら付き合ってやるよ。月も綺麗だからな、合格合格」
 わっと叫ぶように喋り始めたと思えば、持っていた皿をゾロに押し付けて「おれの酒取ってくる」とキッチンへと歩き出す。
「…………なんだ、ありゃあ」
 感情の起伏が忙しい男だ。
 キッチンまでの足取りは軽く、今にも空を飛びそう。なんて冗談めいたことを考えながら背中を見送れば、本格的に鼻歌が聞こえてきて、開けっ放しの扉の向こうから何やら戸棚を開けて漁る音がする。もしかしたらつまみが増えるのかもしれない。
「いつも以上に意味わかんねェな、アイツ」
 冷え始めているつまみを指で摘んで口の中へと放り込む。蓮根と人参、蒟蒻が入った金平はピリリと辛みが効いていて美味い。こりゃあいい、とまだ帰ってこないサンジなど放っておいて先に全部食ってしまおうかと腰を下ろす。酒の封も開けて、口をつけた。
 だが、酒瓶を傾けたまま考え込んで、――――仕方なくあの男の帰還をおとなしく待つことにした。
「今夜だけだぞ」
 いい夜だから。月が綺麗だから。つまみが美味しかったから。
 だから、大好きな酒も飲まずに帰ってくるのを待っていてやる。
 そのうちキッチンから金色の頭がひょこりと現れて、ワインボトルなどを片手にサンジが帰ってくる。
「なぁなぁ乾杯しようぜ、ゾロ」
 まだ上機嫌にへらへらと笑っている横顔。執拗なくらいにゾロの名前を呼んでくる声。
どういうわけか目が離せなくなって、ゾロはこの夜をずうっと覚えていることとなる。
 

 あの夜から、ゾロは時々「一杯付き合え」とサンジを誘うようになった。
 仲間が増えて船が変わり、それぞれがいろんな島を乗り越えて二年という年月を越えても変わらない。展望室で、キッチンで、甲板で、好きなように二人で飲む。
「おいコック、今夜一杯付き合えよ」
「あぁ、いいぜ」
 誘う理由は、存外なんでもよかった。
飲み足りないから。一緒に飲んでいたナミやウソップが眠ってしまったから。今日はたくさん魚が釣れたから。戦闘で勝ったから。そのどれを口にしても、サンジは仕事を済ませたら隣にやってくる。
 ただ、一番機嫌が良くなる誘い文句はあの夜と同じ「月が綺麗だから」である。料理を作る背中にその言葉を投げかければ、いっとう美味い酒と料理が用意される。そして、すぐに酔っ払う男に何度も乾杯を強請られて、気付けば肩が触れ合う距離にいる。
喧嘩している時とも、なんてことない話をしている時とも違う距離感。月が綺麗な夜だけの、特別なこの距離。
「お前がさぁ、マリモ如きが人間様の風情や情緒を理解してるとは思ってねェんだけどよ」
 でもやっぱり一緒に飲んじまうんだから、おれもバカだよなぁ。
「……なんの話だ、酔っ払いコック」
 喧嘩売ってるならきっちり言い値で買うぞ、と鼻を鳴らせば呆れたような溜息がひとつ。酒が染みて水分量が増した瞳は、ほらな、と半眼になる。
 けれどこの男は今夜もゾロの傍を離れる気はなさそうだ。酔った頭はふらふらと頼りなく、今にも眠ってしまいそうだけどボンクには行かない。明日の朝にはきっと二日酔いの青白い顔でキッチンに立つことになると分かっていても、隣にいる。
「なんの話もしてねェよ。……いいから、飲みたくなりゃまた誘えっつってんだ」
「勝手に酒持っていかれるよりはいいってか?」
「分かってんじゃねェか、酒泥棒」
 自覚があんなら勝手に持っていくな、なんて御尤もな言葉は聞こえなかったふりをして、今夜も美味いつまみに舌鼓を打つ。
二年もの間味わえなかったのだ。噛み締めるようにゆっくりと食べる。それだけで骨の髄まで料理人であるサンジは満足気な顔で煙草の煙を吐き出すのだ。
「なぁゾロ」
 また誘えよと、絶対だぞと、前髪で殆どが隠れた横顔。
「誘えよ」
 出来れば、――――……そうだな。
「今夜みてェな夜がいい」
 海風に甲板の芝生が揺れる。
さらさらと軽やかな音と、すっかり聞き慣れたピアスが揺れる音。
「わかったか、クソ剣士」
 そういえば、うちの優秀な航海士がそろそろ夏島に着くだろうと言っていた。だからだろう。じんわりと体が汗ばむのも、僅かに体温が上がるのも。
「――……わかった」
 声が、少しだけ喉に引っかかったのを気付いただろうか。気付いてなければいいと思うのに、ちょうどいいタイミングで口角を持ち上げるものだから真偽の程はわからない。

 わかったのは、体の熱が上がったのは自分だけじゃないということ。
それと、この男がいっとう大事にしている手に触れたって、振り払われることはないということだ。
 

 ▪︎
 

 ――ふ、と意識が浮上していく。
 眠気を訴える瞼は重いけれど、どうにか持ち上げれば障子の向こう側がやたらと明るく思えた。もうすっかり深い夜だというのに、ワノ国の人々はまだ騒いでいるのだろうか。
「……」
 まぁ無理もないか、とゾロは寝惚けた頭のままでのそりと体を起き上がらせる。
 八畳ほどの客間。きっちりと締め切られた襖と、丁寧に敷かれたはずの二組の布団。部屋の隅には邪魔にならないようにと押しやられた机や座布団が静かに鎮座している。
机の上には茶や茶菓子も用意してくれていたが、それには一切手をつけていない。いや、そもそもそんなものがあったことすら、今気付いた。自分の余裕のなさにせせら笑う。
「まだまだ修行が足んねェな」
 ゾロは手を伸ばして掴んだ着物を身に纏った。
誰に会うわけでもない、と帯は適当に結んで、わざと足音は隠さずに明るい方へと進んでいく。微かな音を立てて開いた障子の向こう側。騒ぐ声も祭囃子も聞こえないとは思ったが、どうやら明かりの原因は月のようだ。
「こりゃあ、いいな」
 神々しいほどの輝き。夜の空を統べる月の美しい姿に、意識せずとも口角が緩んでいく。
開け放った障子に凭れ掛かり、軽く腕を組んだ。ついつい刀に寄り掛かるようにしてしまって、そういえば枕元に置きっぱなしだったと思い出す。頭を掻いて誤魔化して、廊下へと一歩踏み出した。
 此処は、客間よりも離れという扱いに近い。ルフィたちが固まって眠っている部屋からはほど遠く、少し部屋を出たところで気配は探れても寝言までは聞こえない。
 そういう場所を貸して欲しいのだとゾロが錦えもんに頼んだのだ。本来ならばこの城の主人であるモモの助に話をつけるべきなのだろうけれど、あれは見た目が大人でもまだ八つの子ども。爛れた夜を過ごすための部屋が必要なのだとは、流石に言えなかった。
(いや、おれァ言ってもいいが、……アイツが怒る)
 それも文字通り烈火の如く。知らぬ間に青白く変化していた炎をあの足に纏わせて。
(で、喧嘩すんなってチョッパーに怒られて、その後でナミとロビンにも怒られるな)
 病み上がりの体でそこまでのお説教を食らうのは骨が折れる。だから錦えもんにひっそりと相談したのだ。おかげでいい夜を過ごすことが出来た、と先ほどまでの情事を反芻しては満足気に鼻を鳴らした。同時に背後で衣擦れの音がして、ゾロはゆったりと振り返る。
「ゾロ?」
 振り返ったゾロに投げかけられた声はどこか掠れていて、芯がない。
「……ゾロ」
「なんだ」
 そんな声に呼ばれるのは悪くないとわざと返事をしないでいれば、二度目には少し怒りの感情が混ざり込んでいた。どこまでも敏感で、聡い男である。
今度はすぐさま返事をして障子を閉めた。タン、と小気味のいい音が夜の城に響いて、もっと静かに閉めろと結局叱られてしまった。
「まだ寝てていいぞ」
「じゃあてめェも寝てろ。すぐ迷子になるんだからよ」
「一歩外に出ただけだろうが」
「その一歩が迷子の始まりだっつってんだよ」
 誰が探しにいくと思ってんだ、なんて。毎度毎度勝手に追いかけてきては、遠慮のない蹴りと共に説教してくるのはお前しかいないだろうと金色の頭を撫でてやる。

(後略)

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