▼ドラム王国前後からwci編までの二人
▪︎ヤることしっかりヤッてる
▪︎ゾはとても非童貞
▪︎wci編(決闘後、弁当前)のサが19のゾに会いにくる謎時空を挟みます
▪︎前半は下書き、後半にいたってはプロット。なぜならボツだから
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1
古い本を開く。
随分と長い間手に取られていなかったそれは、背表紙がみしりと音を立て、埃の匂いがする。
暗い暗い書庫の隅。重い扉の向こうの声は聞こえない。
なのに頭の中では沢山の声が鳴り響いて、もうどれを受け取ればいいかわからない。冷たい声も、嘲笑う声も、必死に思いを伝えてくれる声も、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「……言いたいことがあるんだ」
だからもうなにも聞こえないようにここに閉じこもった。幼い頃の安息地。重い扉と規則正しく並べられた本に守られた世界。
「おかあさん」
背が伸びたって、遠い記憶のやさしい笑顔に縋る。
どうしても悲しい時はこの本を開きなさい、わたしの特別の本なのよ、と教えてくれた声に祈る。
「最後に、ひとつだけ」
痛む足も白紙の本も抱え込んで、どうか、と願う。
——瞬間、閉じた瞼の裏が淡い青色に輝く。
あぁまるで海の中に沈んでいくみたいだと小さく微笑んだ。
▪︎
きっかけは視線だった。
よく目が合うな、と思った時には不器用な熱量を感じ取ってしまっていたのだ。鍛錬をしていても、昼寝をしていても、食事中だって鬱陶しいほどに感じる。お前は根っからの女好きじゃなかったかと、頭を抱えることもしばしば。
ゾロは、自分がこの手の視線には鋭いほうだと自負している。
自分の村に帰れなくなってそのまま放浪することになり、度々お節介な女に世話になったことがある。どれもやたらと胸や太腿を露わにし、体をベタベタとくっつけてくる。それは気に入らなかったが、金と飯には困らなかった。ついでに性欲を持て余すこともなかった。
だが、いつまでもひとりの女に世話になっていれば次第に熱が篭った情を押し付けられる。そうなれば面倒以外の何物でもない。何度刺されそうになったか。途中で数えるのをやめた。
麦わら海賊団の船長であるルフィと出会ってからはめっきり減ったが、それでも立ち寄った島であっという間に情をもたれることもある。一晩だけでいいんだが、と溜め息を吐くこと数十回。
結果、ゾロはそういう視線に鋭くなったのだ。
求めているのは後腐れがなく、刺される心配もなく、淡々と性欲を吐き出すだけの行為だ。それ以外はいらないと、目利きは鋭くなるばかり。
ナミもヒビも、そういう意味ではとても心地のいい女だった。一瞬たりとも自分をそういう目で見ない。寧ろ大金積まれてもお断り、と言わんばかりである。
——なのに。
「おいこら寝腐れクソ剣士」
なぜ、よりにもよってこの男が自分のことを好きになるのか。全くもって想定外である。
「メシだってさっきから言ってんだろうが! おれァ忙しいんだ。一回で来やがれ!」
「へぇへぇ」
「返事はハイだろうが、クソ野郎」
忙しいわりにおれのことを見つめる暇はあるのかと、言いたくて仕方ない。けれどそれを言ってしまえば面倒なことになるとゾロはいつだって口を噤む。
状況が変わった、——いや変えてしまったのは、ドラム王国を出航してすぐのこと。チョッパーが仲間に加わったあの夜に、肩を並べて酒を飲んだのがいけなかった。
奇跡の桜と、しんしんと降りしきる雪。
美味いつまみと、料理人秘蔵の酒。
「いい夜だなぁ」
皆が寝静まった後の、凍てつきそうな甲板でサンジは月を見上げてへらへらと笑う。すっかり酒が回って赤くなった顔をふらふらと左右に揺りながら、それでもグラスに口をつける。
「この酒はぁ、今日だけだからなぁ」
聞いたことがない間伸びした声は随分と幼い。
「隠し場所がわかったから今度からは勝手に取る」
「あ! そんなこと言うなら場所に変えてやるもんねぇ! ざまーみろ、クソ剣士ぃ!」
ぎゃはは、と夜空に笑い声が響く。どうせ酔ったせいでその言葉も忘れているのだろうとたかを括っているゾロは、秘蔵酒奪取計画を頭の中でこっそり完成させていく。
「はぁーあ、笑った笑った」
そのうち笑い声が収まったと思うと、サンジはゴロンと寝転がった。手も足も遠慮なく大の字に開くものだから毛布からはみ出しているのに満足げな顔。寒さより気分の良さが勝ったらしい。
「あー、飲み過ぎたなぁ」
「こんな夜だ。飲み過ぎるくらいが正解だろ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
「酒飲みが言ってんだから間違いねぇかぁ」
「普段はあんまり飲まねェのか」
「おれぁコックだからなぁ。やることいっぱいあんだよ。自分が飲むよりレディに尽くしたいしぃ」
「ふうん」
普段の態度が嘘のようにうっとりと目が細まって、月明かりに反射する金色の髪がいっそう煌めいた。月がふたつ、なんて考えた自分は酔っているのだろうか。
「ゾーロ」
「なんだよ、酔っ払い」
酒で滲んだ右の瞳は海の色をしているのだと、この時初めて知った。
「なぁゾロ、いい夜だなぁ」
隣で眠る男の頬はこれ以上ないほどに緩んでいる。普段と変わらぬ熱量で海の色をした瞳がこちらを見上げてくる。
あぁ今なら、なんて。酒に酔っていないはずの心に魔が差した。
「……」
「……」
酒瓶を置いて、サンジの唇に自分のそれを押し付ける。
一秒にも満たない時間。けれど気のせいだとは思えない時間。
「……おれもお前も、酔ってるということにしていいか」
見開いた瞳を見下ろして、言い訳をひとつ。
「今夜はそれでいいぜ。いい夜だからな」
言い訳に乗るようにサンジの頭が浮いて、もう一度唇が合わさる。ファーストキスというやつだったのだろうか。ほとんどぶつかるような感触で、下手くそめ、と心の中で笑う。
雪で冷え切った手にサンジは冷たいと文句を言った。けれどお互いのペニスをくっつけて扱いて射精しても尚、触るなとは一度も言わなかった。
そういえば男に手を出したのはコイツが初めてだ、とスッキリした頭でやっと気付く。
「お前、おれのことを好きだろ」
「……バレてたか」
二人分の精液でベタベタになったアウターと下着を怒るわけでもなく、それどころか指先で掬っては口に含んでいる。
「まず」
「そりゃあな」
「おれのメシ食ってんのに納得いかねぇ」
「知るかよ」
舌がバカになりそうだと、舌を出しては顔を歪めている。剥き出しで無防備な舌を口に含めば、たしかに味は最悪だった。
「——……なぁ」
散々互いの口を味わったあとで、声をかけたのはどっちだったか。
「なんだよ」
一拍置いてサンジが返事をする。寝転がったままで、それでも首を傾げる仕草はわざとだろうか。
「今度は酔う前に抱いてやろうか」
「……ンだよ、その上から目線。腹立つ」
でも。
「そん時は早めに言えよ。……男同士だと色々準備があんだよ」
やっぱり拒否することはない。
あぁわかったと返事をして、ゾロは残った酒を全部飲み干した。視線の熱量は変わらずとも、あっさりとした物言いと態度はひどく気に入った。
初めての夜の騒がしさは、一生忘れられないかもしれない。
「無理! やっぱ無理! どうにかしろよ、そのデカさ!」
「てめェが自ら女役請け負ったんだろうが! 諦めろ!」
「せめて萎ませろ!」
「出来るならやってる!」
アラバスタの宮殿で、お互い怪我も治ってないのになにをやっているのだか。それでもどうしても今夜が良かった。どれだけ骨が折れていようが、どれだけ深い傷を受けていようが生きている。きっとそれを実感したかったのだ。
生きている。ここにいる。
涙目でこちらの顔を遠慮なく引っ掴んでは引っ張って、馬鹿みたいに喚きながらもその手は温かい。
「ひぃっ! 急に擦り付けんなよ、バカ!」
「挿れようとしてんだよ、バカ!」
出来るだけ人がこなさそうな倉庫を選んで、サンジが準備をしている間にこっそりと拝借した甘ったるい香りのオイル。出ていく頃には換気しておかないと誰かに気付かれるかもしれない。
「——あ゛っ、あぁ、くそ、いてぇ」
柔らかなベッドではなく冷たい壁に手をついて、泣きそうな声で体を震わせる。
「やっぱやめるか?」
「ふ、ざけんな、ここで諦められっか!」
セックスの最中に目をつり上げて、フンッと色気の欠片もない鼻息を吐き出すやつなどいなかった。だからだろうか。なんだか笑えてしまって「ちょっとずつ慣れしていきゃあいい」なんて言葉が口を突いて出た。
「え、」
案の定サンジはこちらを振り返って目を丸くし、一拍おいてから顔を赤くした。
——次もあるのか?
そんなことが言いたそうな顔だ。
(しまった)
コイツはおれが好きなんだった。
思い出した時にはもう遅い。痛い痛いと喚いていた口元が緩んで、気が抜けたようにへらりと笑う。それを見て「次はない」と言える人間が果たしてこの世にいるものか。
「あー……、今日は、ここまでにしとくか」
「…………お、おう」
結局初めての夜は失敗に終わり、雪の夜と同じようにペニスを擦り合わせて射精する。サンジは、折れた肋もケツも痛いと文句は言うが、ゾロからのキスはやっぱり大人しく受け入れるのだ。
▪︎
アラバスタでの慌ただしい出港準備と寂しい別れを経て、不意に増えた新しい仲間。
その合間に繰り返されるセックスと、拒否されることがない口付け。あんなに慌ただしい夜が嘘のようにサンジはゾロのペニスを受け入れられるようになった。
セックスの誘いはいつだってゾロから。言葉はいらない。ただ、うまい料理を生み出すその腕を掴むだけでいい。そうすれば、サンジは夜になるとやってくる。煙草を吸いながら、美味しい匂いを纏わせながら、夜の顔をしてやってくる。
海の上だけでなく、空に浮かぶ島に場所を移してもそれは変わらない。もちろん、空から海に帰ってきても変わらない。血と消毒液の匂いが強いあの男を抱いたこともあるし、満身創痍の自分に乗らせたこともある。
気付けば両手では数えきれないほどにあの男を抱いていて、ゾロの指でアヌスを解さなくてもすんなりと挿入できるようになっていた。てめェと違って器用なんだよ、なんてサンジは腹立つ顔で小馬鹿にするように笑って、毎度入念に準備を済ませていたようだ。
「もう少ししたら島に着くってよ」
「ナミが言ってたのか?」
「あぁ。さっき夜食を持って行った時にな」
そんなに大きい島じゃねェみたいだがな。
「ふうん」
狭い格納庫には事後独特の熱気が篭っていて、熱に当てられた体はすぐに眠くなる。このまま眠るのが一番気持ちいい。
「寝る前に服くらいは着ろよ」
「あー……」
「だから寝るなって」
返事をしながら瞼を閉じれば、半分笑った声で足が腹の上に落ちてくる。加減をしているおかげで痛くはないが、目は覚めた。
「めんどくせぇ」
「ったく」
むくりと状態を起こしたものの、面倒臭さが勝つ。するとサンジが仕方ないなぁと苦い煙を吐き出して、乱暴にでもシャツを取っては頭に被せてくれる。これももういつもの流れになった。
「つうか臭ェから明日には洗えよ!?」
「めんどくせぇ」
「起きたら持ってこい! シーツと一緒に洗ってやっから。何日も熟成させすぎだ、アホ」
「……めんどくせぇ」
「てめェ、それ言やァおれが全部やると思ってんな……?」
「バレたか」
クソマリモ! なんて怒鳴るくせにやっぱりこの男は甲斐甲斐しく服を回収しに来ては洗濯してくれるのだ。次の日の昼過ぎには、汗の匂いから洗剤の匂いへと変化したシャツと腹巻にゾロは満足げに鼻を鳴らす。
(楽だな)
その一言に尽きる。
今まで誰かに固執したことも、ずっと世話になりっぱなしになったこともなかったが、この男ならいい。
押し付けがましくなく、かといって無感情なわけでもない。適度な距離感でそばにいて、遠慮なく喧嘩ができて、投げかける言葉を選ばなくてもよくて、刺される心配もない。——刺されるよりも痛く蹴られることは多々あるが。
それにセックスだって気持ちいい。過度なリップサービスも、丁寧な愛撫も求められることはない。ただただ柔らかく淫らに解れたアヌスにペニスを突き入れるだけでいい。
(バカめ。おれなんかを好きになるからこうなるんだ)
可哀想な男だ。根っからの女好きなのだから、そのまま性欲も女に向いていれば良かったものを。
(本当にバカだよ、お前は)
メリー号の小さなキッチンで、それでも楽しそうに包丁を振るう背中を眺めて酒を飲む。きっとゾロを好きになっていなければ、立ち寄った島で女を引っ掛けるくらい出来ただろうに。
「なぁゾロ」
深く落ちて行く思考回路に明るい声が灯る。
気付けばゾロの腹を刺激するいい匂いが充満していて、サンジが皿を持って振り返る。この男が煙草をぴょこぴょこと上下に動かしているときは、会心の一皿がやってくる。
「クソうめェぜ、今日のつまみは」
心して食えよ、と海の色をした瞳が細まる。
「お前が好きな海獣の肉を角煮にしたんだ。大根もうめェぞ」
「へえ」
「ほらよ、召し上がれ」
「いただきます」
確かに、つやつやとした肉も大根も卵も美味そうだ。ほこほこと湯気を立てるそれに早速箸をつける。分厚く切られた肉は嘘のように柔らかく、厚めの大根には繊維のひとつひとつにまで味が染みている。鼻から抜けていく生姜の匂いも堪らない。
米が欲しい、と思う頃にはおにぎりがそっと差し出されていて、無言で喰らい尽くしていく。パリパリとした海苔の食感まで美味い。
礼儀も行儀も忘れて、頬が膨らむほど口いっぱいに角煮もおにぎりも詰め込めば、テーブルの向こう側に座ったサンジはこれ以上ないほどに嬉しそうに笑うのだ。
「クソうめェだろ?」
分かりきった質問には答えずに、空っぽになった皿を両手で差し出した。
「ははっ!」
大口を開けて年相応に笑う顔に、なんだかキスがしたくなった。
「これまた作れよ」
「あぁいいぜ。言っとくけどまだ試作段階だからな。ルフィたちには内緒にしろよ」
今はまだお前だけの特別だ。
「……」
なぜか、サンジの言葉が深く心臓に入り込む。
「?」
ずくん、と疼いた気がしたがその感覚はすぐに消えていく。よく分からないが消えたのならばいい。それよりも今は腹を満たして、この男にキスがしたいのだ。
「コック」
おかわりを持ってきた腕を掴めば、そっちは片付けと風呂が終わったらなとご機嫌に煙草の煙を吐き出した。
今夜も熱気が篭った格納庫で過ごすことが出来そうだ。
2
久しぶりの上陸は、少しゆっくりと出来るらしい。
「面倒ごと起こさないでよねー!」
一目散に飛んでいったルフィと、それを追いかけるように船を降りるクルーたち。争いごとがなさそうな平和な島だからと、ナミとロビンが船に残る。
「買い出しが終わればおれも船に戻ってくるから、寂しいけど待っててねナミさーん!」
「はいはい。いいからいってらっしゃい」
「あーい!」
女好きは相変わらずで、ナミとロビンのそっけない態度も毛ほども気にしていない。ハートを振り撒きながらめいっぱいに大きく手を振って、それからゾロの隣を歩き出す。
「てめェはどこ行くつもりだ?」
「とりあえず鍛冶屋だな」
「じゃあ途中まで連れてってやる」
「別にいい」
早速山道へと向かいそうなゾロの腹巻を引っ張って、サンジは一直線に鍛冶屋へ向かう。ゾロを送り届けると市場へと向かうらしい。じゃあな、とあっさりいなくなる。
「刀三本頼めるか」
「はいよ」
代わりの刀はどうすると聞かれて断った。ナミの言う通り、この島には穏やかな空気しか流れていない。
「明日には出来るか?」
「そうだね、昼過ぎくらいに来てくれりゃあいい」
垂れ目で猫背気味な店主に刀を預けてゾロは街を歩き回る。刀がないのは落ち着かないが、島特産の珍しいものを見て回るのも偶にはいい。特に理由も目当てもなくふらりと歩いて、そうしていれば久しぶりの熱視線に足を止めた。
「おにいさん」
木製のベンチで、煙管に口をつけてはゆったりと煙を吐き出す女。長い茶色の髪はゆうるりと巻かれていて、口元の紅がにんまりと微笑む。
「さっきからここをずっとウロウロしてるけど、何か用でもあるの?」
「……ずっとウロウロしてたか?」
「ふふ、わたしの前を通るのは三回目だよ」
知らない間に数えられているのは流石に不快だ、と口を歪める。
「そこを左に行けば大通りに出られるよ」
「わかった。ありがとう」
「……おにいさん、左だよ。そのままくるりと反対向いてごらん」
「わかってる」
「ふふふ、……あははっ」
口元を押さえて笑いを堪えていると思えば、我慢できなかったのか口を開けて笑った。その顔にほんの少しだけ金髪の料理人を思い出して足を止めた。
「わたしねぇ、しばらくここにいるから遊びたくなったらおいで」
止まった足に、遠慮なく誘惑が纏わりつく。
そういえば、ここしばらくは女を抱く暇がなかった。碌な島に上陸できなかったというのもあるが、ご無沙汰である。
久しぶりに女の体を味わうかと「酒でも飲んだらまた来る」と頷いて大通りへと出た。たしかに、先ほどまで散歩していたコースとは違って人が多い。山に囲まれた島かと思っていたが違ったようだ。
さて、酒はどこだ。自らの嗅覚に頼ろうと鼻をひくつかせれば、嗅ぎ慣れた煙草の匂い。
「——ゾロ!」
背中側から呼ばれる名前。振り返れば、両手いっぱいにこれでもかと荷物を抱えている料理人がいた。
「ゾロ! ちょうどよかったぜ! 鍛冶屋終わったんだろ? 暇だろ?」
暇だ、という言葉以外許さないと言わんばかりの圧に思わず頷けば彼の荷物を全部押しつけられた。
「この島、見たことねェ調味料がいっぱいなんだよ! あっ、お前が好きだっていってた赤味噌もあったぞ! あれがありゃあもうちょっと故郷の味に似た味噌汁も作れるぜ」
それにな、それからな。
自由になった両手が身振り手振り大きく動いて、喋る口が止まらない。あぁわかった、付き合ってやるし荷物も持ってやるからさっさと歩け、と。ゾロが急かしてもやっぱり止まらない。
「……やっぱ似てねぇか」
口を開けて笑ってもどこか艶っぽかったあの女と、子どものような笑い方をするこの男はやっぱり似ていない。
「んあ?」
なんだ? と首を傾げて止まったサンジにひとつ首を横に振る。
「いや、なんでもねぇよ。……で、どこから行くんだ?」
「えっとなぁ、まずは、」
キョロキョロと辺りを見渡す丸い後頭部に、これはしばらく酒が飲めそうにないなと腹を括る。そうしてきっちり三時間。サンジの買い出しに付き合ったゾロはメリー号に着いた途端に椅子に座り込んだ。
「あら珍しいわね、剣士さんがこんなに疲れてるなんて」
「うるせ。お前もアイツの買い出しに付き合ってみりゃあ分かる」
自分の腕の許容量を超えても荷物を持っていたせいで今日は鍛錬しなくても良さそうだ。
「悪ィ、つい楽しくなっちまって」
「いいのよサンジくん。こう言う時のための力要員だもの」
「ナミ、てめぇおぼえてろ……」
サンジが入れてくれた水を一気飲みすること三杯。レモンの爽やかな風味にようやっと生き返った気分だ。
「片付けだけ終わらせたら昼飯作るけど、ナミさんとロビンちゃんも食べられる?」
「いいの? 助かるわ。サンジくんが作ってくれた軽食食べたんだけど、海図書いてたらお腹すいちゃって」
「わたしも少し貰っていいかしら?」
「もっちろん!」
「おれァ腹減ったからな」
「わかってる、わかってる」
話しながらもサンジの手も足も止まらない。買った調味料を仕分けしていき、格納庫と何度も往復している。それと並列してパンケーキやら海獣肉の串焼きやらを作っているので恐れ入る。
「さぁ召し上がれ。飲み物はホットとアイスどっちにしようか?」
「わたしアイスティーがいいなぁ」
「じゃあオレンジのアイスティーはどう?」
「うん、だいすき」
「えっ、おれ!?」
「んーん、違う」
「おれも大好きだよ、ナミさん!」
「ありがと。でも違うから」
「お前は本当にどうしようもないアホだな」
「んだとコラァ!!」
まるで魔法のように全員が欲しいものを作り出すのに、あっという間に顔を崩してデレデレするから格好がつかない。それに、ナミに好きだなんだと言っておいてお前はおれに抱かれてるだろうが、と考えれば可笑しくて仕方ない。
「それで島の様子はどう?」
「ナミさんの見立て通り穏やかな島だよ」
「じゃあ私も今夜は宿に泊まっちゃお」
「船番はこのままおれが引き受けるから安心してね。その代わり出航の前日だけまた買い出しに行ってもいいかい?」
「もちろん」
「ありがとう。あ、そうだロビンちゃん。さっき市場で聞いたんだけど、山の麓に古い図書館があるそうだよ」
「あとで覗いてみようかしら」
「今は一般公開してないらしいから、ほらこの人に声をかけるといいよ」
「地図?」
「うん。印のところに公民館があって、そこの館長が図書館の管理もしてるって」
「何から何までありがとう」
ロビンに「助かるわ」と微笑まれるとこれ以上ないほどに破顔している。えへへ、えへへへ、といつまでも笑っているので「エロコック」とボソリと呟けば即座に目をつり上げて足技を繰り出してくる。
「はいはい喧嘩しないの。で? ゾロはどうするの?」
船降りるなら宿代渡すわ、と続いた言葉に迷わず手を出す。
「ご飯食べたらね」
「忘れんなよ」
さらりと躱されてそのまま、なんてことも有り得るので釘を刺す。最後の肉にかぶりついて、ご馳走様と手を打った。続くようにナミとロビンも食べ終わって、それぞれ準備ができたら船を降りて行く。
相変わらずサンジはキッチンと格納庫を往復してはあくせくと働いていて、ついでと言わんばかりに掃除までし始めている。
少しくらいじっとしていればいいのに、と横目に見ながらゾロも船を降りた。途端に上から声が降ってくる。サンジだ。
「おーい。お前どの辺りウロつくかだけ教えろ。どうせ迷子になんだから」
「迷子になるか!」
「なるって! 探しに行く身にもなれ!」
「勝手に探しにきてるだけだろうが! 知るか!」
「おいおい、ログが溜まっちまったら洒落になんねェんだよ! どうせルフィたちも時間守らねェだろうし。鍛冶屋か? 山か?」
背中を向けて歩き出してもサンジは負けじと声を掛けてくる。どれだけ信用がないのだと、頭を掻いて振り返る。
「鍛冶屋は明日の昼だ。それまでは適当に酒飲んで、宿か女のとこにいる」
さっき誘ってきた女がまだあの場所にいればの話だが。
それにしてもまったく、息子の心配をする母親でもあるまいし、と溜息を吐いた。
「——お、おう、そうか、」
いちいち面倒くせェな、と考えていたからサンジが言葉に詰まったことに気付かなかった。
「いってらっしゃい、気を付けてな」
振り返りもしなかったから、どんな顔をしていたのかも知らない。
▪︎
度重なる嵐にアクシデント。それから頼んでもいない敵襲なんて日常茶飯事である。
そんなことにいちいち溜息を吐いていたら体中の空気がなくなってしまうのだが、分かっていても、麦わらの一味の狙撃手は大騒ぎして涙を流しながら「敵襲だ〜〜!」と叫ぶのだ。
ゾロはバンダナを頭に巻き、騒ぐ頭を小突く。
「分かった、分かったから落ち着けウソップ! おいルフィ、おれも一緒にあっちに飛ばせ。向こうの船の方が足場が広い」
「わかった!」
「タイムリミットは約十分! もうすぐ嵐になるわ! その前にここを離れるからね!」
「充分だ」
「ゾロー! いいぞ、捕まれー!」
ルフィの手が勢いよく伸びて、今にも大砲から砲弾を打とうとしている敵船のメインマストを掴んだ。ルフィに捕まったゾロはメリー号を離れる一瞬手前でサンジを見る。ひらり、と手を振ったのは見間違いじゃないだろう。
そのまま甲板を蹴って海の上へと飛び出す。ルフィの腕が縮んでいき敵船はもう目の前。
視界の端で大砲がメリー号へと飛んでいくのが見えた。けれどそれを目で追うことはない。必要ない。だってあの船にはあの男がいる。
自分は、自分達は目の前の敵だけを見ていればいい。
「さてルフィ、さっさと片付けるぞ」
「そうだな。遅れたらナミに放っていかれちまう」
「久しぶりに競争すっか?」
「いいな、それ」
「じゃあ勝ったら酒奢りな」
「おれは肉〜!」
降り立った敵だらけの甲板。向けられた刃物と銃器の数は数える暇もなさそうだ。下品な顔でこちらを取り囲んでくるが、数だけが一丁前で、しかし張り合いがある奴はいない。ルフィも分かっていて軽口に付き合う。
それでも遠慮なく三本の刀を抜き、襲ってくる敵を一払い。声も無く絶命していく男どもを踏み付けて、踏み越えて、小雨が降り始めた甲板で休む暇なくまた刀を振るう。少々の傷には構っていられない。自らの血が滴ろうと、それでも不敵に笑って見せる。
「——まだだ」
とうとう狭い船の中で逃げ惑う者も出てきたが、喧嘩を売ってきたのは残念ながら其方である。斬り伏せた返り血を浴びて、ルフィがこちらに殴り飛ばした男、——この船の船長だった男を「邪魔だ」と床に沈める。
「おいルフィ! お前ちゃんと数えたか」
「あっ、いけね! 途中で忘れた!」
「いい、気にすんな、おれもだ」
張り合いがなさすぎて面白くない。腹の底に溜まったまま発散できなかった熱が苛立ちへと変わる。誰に言うわけでもなく「クソッ」と吐き捨てて舌打ちをひとつ。
誰一人動かなくなった血濡れた甲板に、大粒の雨が降り注ぐ。きっと、血が雨に流れて海へと落ちていくだろう。その血の匂いに釣られて凶暴な海王類が顔を出す。
「サンジに肉も酒も出してもらおうぜ」
「そりゃあいい」
「勝手に巻き込むなって怒るかなぁ」
「知ったことか」
来た時と同じようにルフィに捕まってメリー号へと戻っていく。
メリー号はやはり傷ひとつ受けておらず、ナミの指示のもと嵐を抜け出す段取りをしている。少ない船員は右へ左へと忙しい。
「サーンジぃー! ゾロと勝負つかなかったから肉と酒〜!」
「ハァ!? なんの話だよ!」
ゾロが離れた途端にルフィはサンジに纏わりついて、夕食の約束をしている。肉も酒も用意してやるけどおれを巻き込むな、なんて。ルフィが想像した通りの答えに苛々した。
「……チッ」
あぁ駄目だ、と。
分かっていてもきちんと昇華できなかった熱が全身に回って頭が茹だりそうだ。
「サンジ腹減った」
「またあとでな、キャプテン」
「パンより米がいい」
「いいぜ。握り飯にしてやろうか?」
「おう! 肉詰めてくれ! でっかいの!」
「でっかいのかぁ」
茹った頭で彼らを見ていると、自分でもよく分からない感情が口を突いて出そうになる。敵船を沈めてきた船長を労う手も、それに甘えて余計にくっつく船長も、引き剥がして怒鳴りつけたくて仕方ない。
「——ゾロ! おれ傷の具合診るよ!」
「いい。全部浅いから気にすんな」
「でも、」
「嵐を抜ける方が先だ」
バンダナは腕に巻き直し、心配そうに見上げてくるチョッパーを躱すように歩き出す。これ以上口を開くのは得策ではないと、血が滲むことも気にせずナミの指示通りにロープを引いた。
優秀な航海士のおかげで、嵐の遥か遠くまで逃げおおせることが出来た。ようやっと静かになった海に揺蕩うメリー号。響く野郎どもの鼾の平和なこと。
「怪我は大丈夫そうだな」
「……」
「かすり傷ばっかりだったってチョッパーも安心してたぜ」
サンジが、腕を掴まれなくても夜にやってくるのは初めてだった。
清潔な匂いを纏わせて、甲板で眠ったふりをするゾロの目の前に腰を下ろす。ゾロは瞼を持ち上げて、しかしすぐに閉じた。
「何か用か」
思っているより低い声が出て、あぁやっぱり口を開くべきではなかったと後悔する。
「んー? 熱を持て余してるマリモくんのお世話しにきてやったんだよ」
「いい、いらねェ」
「そう言うなよ」
だってこう言う時のためのおれだろ?
あまりにも飄々と与えられた言葉が引っ掛かる。
「それにてめェが苛々してるとウソップとチョッパーが怖がんだよ。今日なんて二人一緒に寝てるんだぜ?」
「知るか。寝りゃあ落ち着く」
「寝れもしねェから落ち着けねェんだろ」
今夜のサンジは分かりやすくゆったりと話す。聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、苛立った心を撫でるように。
それがいっそう腹が立つ。
「ゾロ」
昼間、ルフィを労っていた手がピアスに触れる。耳を撫でて、指を滑らせた先で頸動脈を撫でられた。いつもより深く早く脈打つ心拍数を知られてしまった。
「ほら」
月に照らされた金色が、くつりと笑う。
「我慢しなくていい」
——……これはお前だけ。お前だけだよ、ゾロ。
「ッ!」
何もかもを解ったような口振りで慰められてブツリと血管が切れた気がした。微かに残った理性で男の腕を掴み格納庫へと連れ込めたのは、本日最大の功績だと言えよう。
抵抗しない痩身を固い床の上に叩きつける。薄いシャツを引き千切って、スラックスも下着も引っ張るようにして脱がす。あの面倒なベルトはしてないのか、なんて気付く余裕はない。
飛んでいった革靴はどこかの壁に当たり、落ちた。
「ゾロ」
無惨な姿になったシャツのせいで、側から見ればサンジが乱暴されているようにしか見えないだろう。けれど、この男は自ら望んでいるのだと示す。降伏するようにゾロに背を向けて尻を突き上げる。そうして、ローションでしとどに濡れたアヌスの淵に指を引っ掛ける。
「好きにしていいぜ」
サンジがまともに言葉を発したのはこれが最後だ。
この以降は低い嬌声と、噛み締めたシャツのせいできちんとした言葉にはなっていない。ただただゾロは体の熱を発散させるために奥の奥まで穿ち、精液を塗りたくり、欲望のままに肌に齧り付く。
饐えた肉欲の匂いに、脳幹が痺れるような鉄の匂い。
グルル、と勝手に喉が鳴ってもっと齧り付きたくなる。
「ひ、ぐう、ふ、うう……っ」
破れたシャツはサンジが噛み締めているせいで涙と唾液でドロドロになっていて、もうどうやっても着れることはないだろう。
「あっ、あぁっ! い、ぁ、っ、ん゛ん゛んッ!」
崩れそうになる腰は無理やり持ち上げて、前へと逃げようとすれば力づくで押さえつける。爪が食い込んで手形が残っても関係ない。もっと、もっと奥深くまで。欲が満たされるまで。
「ゾ、ゾロ……っ、おれイく、イッちまう、そこばっか、や、ぁ、————ッ、あ゛あぁあッ!」
「く、」
「ヒィッ!? イッた、イッたから、つよくすんな、っ、ばか! ぞろ、ぞろ、だめ、ァア゛!」
ほとんど獣の交尾と変わらない。自分の気持ちよさだけを追い求めて腰を振る。好き勝手に腰を打ち付けられる尻たぶは可哀想なほどに真っ赤になっている。ここにも噛みつきたいといえば、流石に怒るだろうか。
「ぁ、あっ、あっ、また出てる、おれ、おれ……」
痙攣するアヌスを暴いて、とうとう一番奥の窄まりまで辿り着く。煮え滾った本能が「ここを犯したい」と信号を送る。
何を考えるより先に尻たぶを押し潰すように体重を掛けてサンジの体を床に沈める。
そして、
「ァ、」
ビクン、とサンジの肩が跳ねる。体温が一気に上昇して、しかし見える範囲の肌の全てが粟立っている。
「声抑えろよ」
サンジの体を押し潰しながら、彼の口から離れたシャツを掴む。それを丸めて入る分だけ口の中に突っ込んだ。
これでいい、と納得して窄まりに亀頭を差し込んだ。
「〜〜〜〜ッ!」
絶叫のような嬌声はシャツに吸い込まれて、掠れた呼吸だけが響く。
弾力のある肉の輪のようなものに亀頭を扱かれ、今まで知らなかった快楽にゾロはあっという間に精液搾り取られて行く。それでもまだ萎えきらないペニスをもう一度嵌めて、嵌めたままで腰をぐりぐりと擦り付ける。
「ゥ、ぐ、ぅう」
ガクン、ガクン、と仰々しいほどにサンジの体が痙攣する。
もう少し余裕があればサンジがアヌスの刺激だけでイき、更には潮まで漏らしてしまっていることに気付けていたのだろうが、残念である。ゾロは必死で目の前の快楽に喰らいつくことしか出来ない。
「ァ゛、うぁ、あ゛、〜〜〜〜ッ!」
だってこんなにも気持ちのいいセックスを他に知らない。
満たされていくのに飢えていくような。飢えていくそばから、ゆうるりと与えられていくような。こんなセックスはこの男でないと出来ない。
「コック」
「っ、ぅ、ん゛ん」
どれだけ快楽に呑まれていても、呼称を呼べば振り返る。ボロボロと涙を溢しながらも、あの冬の夜から変わらない熱量で見上げてきては、まだ好きにしていいと自らの体を差し出す。
そのくせ、夜が終わって朝が来ればいつもの顔に戻るのだ。
(ちょうどいい)
距離感も、ゾロを甘やかすやり方も。
(ちょうどいい、男だ)
こんなにもちょうどいい人間を他に知らない。
あぁだからか、とふと煙管の女を思い出した。いつかの島の、あの女。奇跡的にもう一度出会えたからと夜を共にするつもりだったのだが、気分が乗らなくてやめた。絡みついてくる腕も、足も、髪の毛の一本ですら「違う」と感じてしまって駄目だった。
それからというもの、島に立ち寄るたびに何度か挑戦して成功した試しがない。女に刺される心配がなくなったと思えば、平手打ちされてしまうのだから笑えない。
「ん゛、んぐ、う」
余所事を考えていたことが、繋がった先でバレてしまったのだろうか。サンジが何かを訴えるように唸る。
「なんでもねェ」
誤魔化すように言って、金色の髪に隠れた頸を手のひらで暴く。そうして、無防備で赤く染まったそこに歯を突き立てた。
「んんん……ッ!」
ビクン、と体が跳ねたと思えばアヌスが不規則に痙攣する。
(噛まれてイッたか、コイツ)
再び鳴った喉を、大人しくする方法をゾロは知らない。
煽られた加虐心は膨れ上がって天井知らず。
「もっと食わせろ」
なぁ、コック。
「食わせてくれんだろ?」
金色の頭が、コクリと小さく頷いた。
とうとう三度の射精を迎えるまでゾロは結腸を堪能し、ペニスを引き抜いた時にはサンジは指の一本だって動かせない状態だった。
うつ伏せのままピクリともしない体。けれど、開き切ったアヌスからどぷどぷとゾロの精液が溢れては淫らに震える。
「おい、コック」
その光景にまた下腹部が重くなったが、気絶した相手に好き勝手やるほど落ちぶれてはいない。シャツを口から引き抜き、ゆっくりと体を反転させて上体を支えて持ち上げる。
ペチペチ、と軽く頬を叩けば一拍置いてからサンジの瞳が戻ってくる。
「……ぁ、れ、」
おれどうしたっけ。
シャツの奥で散々叫んでいたのだろう。聞いたことがないほどに声が掠れていた。
「もういいからこのまま寝ろ」
「でも、」
「いい。もう平気だ」
うろうろと覚束ない視線の瞳を、手のひらを押し当てることで強制的に閉じさせる。すると従順な寝息が聞こえてきてホッと息を吐いた。
よく見ると、口の端が切れて血が滲んでいた。泣き腫らした瞼は重そうで、眦は赤くなっている。昼間は丸っこく収まっている髪はあちらこちらに跳ねていて、体中に残る歯形と手形と鬱血痕。
好きにしていいとは言われたが、流石にこれはやり過ぎだ。
サンジの体だけではなく、服もひどい有様。明日になって「このクソ強姦魔! 弁償しやがれ!」と強烈な蹴りを入れられても言い訳できないレベルである。
「……悪かった」
とうに眠ってしまっている相手に言っても仕方ないが、言っておかないと自分の気が済まなかった。
ゾロは瞼を抑えていた手を滑らせる。長い前髪を撫でるようにして頬にたどり着く。存外柔らかな頬を堪能するように撫でた。
すると。
「——…………ふ、」
くすぐったそうにサンジの唇が開いて息が漏れる。起こしてしまったかと手を離そうとして、しかしそれより先にサンジが手のひらに擦り寄ってきた。
「へ、へへ」
随分と幸せそうな顔で笑う、笑う。
「コック」
起こしたくないのにサンジを呼んだ。呼べば自分の名前を呼んでくれるんじゃないかと思ってしまったのだ。
事後に鬱陶しく絡みついてくる腕や足があれ程面倒だと思っていたのに、どうしてだろう、この手を離したくなかった。
「……コック」
こんな幸せそうな顔、夢の中で誰に見せているのだろう。
いくら撫でても丸い頭の中は分かりそうにない。
「なぁ、」
結局、切れた唇が誰かの名前を紡ぐことはなかった。
幸せそうに微笑んだ顔を、ゾロだけが忘れられずにいる。
3
展望台に備え付けられたスピーカーが、ザザ、と音を立てた。
次いで、
「島が見えたぞォ〜〜!」
ご機嫌なチョッパーの声が船中に響く。芝生の甲板からそれを見上げたフランキーの口角が嬉しそうに持ち上がった。
「気に入ってんなァ、嬉しい限りだぜ」
スイッチが切れていないことも知らず、チョッパーはスピーカーの向こうではしゃいでいる。サニー号になってあのスピーカーが搭載されてから、いつか自分の見張りの時に使いたいと言っていた。出来れば敵襲の知らせではなく、島を見つけた楽しい知らせを。
「ひとつ、チョッパーのやりたいことが叶ったわね」
本を読んでいたロビンも顔を上げて、隣のナミに微笑んでいる。
「叶ったのはいいけど、いい加減スピーカー切ってくれないと近くに敵船がいたら襲われちゃうじゃない!」
「うわ! そりゃいけねェ!」
ナミの一言でウソップが大慌てで駆け上がっていく。そのうちスピーカーから流れる声が二つになって、敵が来るかもしれないと大騒ぎに輪をかける。
「あのバカ……」
「ふふ、楽しそうでいいじゃない」
「だめよ、ロビン。甘やかしちゃ!」
とうとう船首で遠くを眺めていたルフィまで手を伸ばして参加してしまって、ナミが拳を振り下ろすまで騒ぎは続くこととなる。
そんな騒がしさは、もちろんキッチンまで届いている。
「なぁにやってんだ、アイツら」
遅れて外に出てきたサンジが呆れたように煙を吐き出している。それをゾロが甲板から見上げて、すぐに目があった。
「……」
じ、と見つめれば言いたい事がわかったのだろう。
少しだけ気まずそうに目を逸らし、煙草の煙だけを残してキッチンへと戻っていく。ゾロはすぐに後を追った。騒がしい甲板を遮断するようにきっちりと扉を閉めて、大きな鍋をかき混ぜている男に近寄った。
そして。
「コック」
空いた左手を掴もうとして、失敗する。
「なんだよ、メシはまだだぞ。つうかさっき朝飯食ったばっかだろ」
するりと躱されて、自然な足取りで冷蔵庫へ。いくつか食材を持って帰ってきた腕を掴もうとしたが、やっぱり失敗する。今度は布巾を手に取ってくるりとゾロを避けるように足を運んでテーブルへ。特に汚れているようには見えないそこを拭き始めた。
「…………」
わかりやすく、不満を顔に出す。
けれど、テーブルを拭いているサンジの顔は持ち上がらない。目が合わない。そのくせゾロが近づくとまた躱すのだ。自分とは違う軽すぎるほどの身のこなしは、捕まえたい時には厄介である。
「腹減ったわけでもねェなら外行ってろよ。コックさんは忙しいんだよ」
——いつの頃からか、サンジがわかりやすく自分を避けるタイミングがある。
何度も様子を伺った結果、それは島が近づくタイミングで、こうなるといつも掴める腕が掴めなくなる。いつから始まったかは分からない。ゾロがハッキリと気付いた時にはとうにサンジの中で習慣化されていた。
最初は、なにか怒っているのかと思った。違うとわかって、体調が悪いのかと思った。そうではないと知って、なにが理由かは分からなくなった。
ただ、避けられるのは島に上陸する時だけで、出航してしまえばまた大人しくゾロに抱かれている。
「コッ、」
「あ、てめェそれ勝手に食うなよ。まだ出来てねェんだからな」
「……」
喋ろうとすれば遮られて腹立たしい。もうこれで何度目だと額に青筋が浮かんで素直に舌打ちをひとつ。
「なんなんだ、てめェは」
なんで島が近付くとおれを避ける。
「別に避けてねェよ。さっきから言ってんだろ? 海のコックさんは今忙しいんだよ。分かったら向こう行ってろ」
距離を詰めるとやっぱり躱されて、サンジはキッチンに戻って行く。鍋の中のスープの灰汁をとっている。
「島によっちゃあルフィが冒険だなんだ言い始めるからな。そうなりゃ弁当作りだ。てめェもいるか?」
「いらねェ」
「そうか。ま、それなりに賑わってたら何処ででも食えるだろうさ」
「で、お前はまた船番を買って出るのか」
なんだかんだと理由をつけては船番を申し出て、必要最低限しか上陸しないことだってもう知っている。
「別にいいだろ? おれはここでやらなきゃいけない仕事がある。買い出しはよっぽどのことがない限りすぐに済むし、その辺りはちゃんと計算してやってる。どうせ仕事すんなら船番も兼任したほうがいいってだけだ」
「市場の隅から隅までチェックするような奴がよく言うぜ」
両手で持ち切れないほどの荷物を持たされ、へとへとになるまで歩き回されたこと、忘れていない。
そうだ。あの時は率先して船を降りて島を堪能していた。子どものような笑顔で市場を散策しては気さくに店主に話しかけていた。
それがいつからだ? いつから、この男は船の上から「いってらっしゃい」とゾロや他のクルーを見送っている?
「だからちゃんと計算してやってるって言ってんだろ? 現に誰も困らねェように管理してる」
「管理出来てる出来てねェの話はしてねェよ。おれを避けて、船から出ずに、好きな買い物も碌にやらねェ理由はなんだって聞いてんだ」
「だから避けてねェって!」
声を荒げるくせに、しっかりと火を消して鍋に蓋をする。次いで、落ち着こうと煙草の煙を肺腑いっぱいに吸い込んで、吐き出した。短くなった煙草を消そうと、灰皿に手が伸びた瞬間にゾロは一気に距離を詰めた。
肩を掴んでこちらに向かせる。隙が生まれた唇に噛みつこうとして、しかし、——サンジの手が間に滑り込んでくる。
「……避けてねェっつうなら、この手はなんだ」
「こ、れは、ビックリした、だけで」
「うそつけ」
驚いている手と、拒否をする手くらい判別がつく。
「そっ、それにもう島に着くんだからおれのところに来なくてもいいだろうが!」
「あ?」
「溜まってんならレディに相手してもらえって言ってんだ! 無人島みたいな島でなけりゃそういう施設だってあるだろ」
「……」
「おれにいちいち突っかかってくんな。お前だってゆっくり島を散策して色々見てくればいい。おれも、おれの好きなようにする」
それは、確かにそうである。
船という閉鎖空間だから、単にちょうどいいからサンジを抱いているだけであって、上陸すればそこにこだわる必要はない。
けれど。
(……それが出来んなら、そうしてる)
とうに女を相手にすることは諦めていて、島に降りたところで出航日はまだかと数えて修行するだけの日々だ。偶然でも島でまたサンジを見つける事ができたなら宿に連れ込んでやろうと画策しているのに、市場で鼻をひくつかせても彼の煙草の匂いはしない。
「なにを気にしてるか知らねェが、おれが船にいるのが気にいらねェなら今回は外でゆっくりする」
またあの時みたいに買い出しに振り回してくれても構わないと、心のどこかでゾロは思っている。セックスの時とも、戦闘中とも、バカをやっている時の顔とも違う。根っからの料理人の横顔は見ていて飽きないから。
「気に入らねェとは言ってねェだろ」
「っ」
口元を覆われたまま喋れば、手のひらに息があたったのだろう。ビクリ、と分かりやすく肩を揺らして手が離れる。チッ、と舌打ちとともに背けられる顔と僅かに赤い耳。
「コック」
「お、おい、やめろ、」
逃がさないと腕に抱き込んで、赤く染まった耳に舌を這わせる。くちゅり、とわざと音を立てるとサンジの体の力が抜けていく。
「だ、だから、こういうのは、レディに……ッ」
「女、女ってうるせェな。普段は言わねェくせに」
うまく掴めない腕も、見ているだけではなにも分からない丸い頭の中も。どうでもいいことばかりを喋る口だって、そのどれもが気に入らない。
心臓の裏側が引き攣るように痛い。臓腑が焼けていくような感覚。自分が知らない領域で、この男の知らない部分が増えていくのがどうしようもなく嫌で嫌で仕方ない。
それに。
(なんつう顔してやがる)
どこか刃物で刺されたのかと心配になってしまうほどに歪めた顔。隠そうと、見られないようにと必死に顔を背けて、力の入らない手でゾロの胸を押し返す。サンジの手のひらが、他意はなくゾロの心臓に触れる。
——ふと、心臓の奥で、心の片隅で、ひとつの仮説が生まれる。
「お前、」
これは希望的観測。
「嫉妬でもしてんのか?」
立ち寄った島にいる女に。おれが抱くかもしれない女に。
「——ッ!」
息を呑む音が聞こえた。ほんのりと赤く染まっていた頬が、面白いくらいに色をなくしていく。
言葉はなくても正解だと示しているようなもので、勝手に口角が持ち上がる。
_____
たぶんこのあといっぱい酷いこと言う、ゾ
でも酷いことが思いつかなくてボツ
なに言わせても「ゾはそんなこと言わないもん!!!!!!!!!」って脳内の私が暴れる
以下はプロットです
下書きですらない
無事にゾがひどいこと言った世界線
_____
まだ何か言おうと、でも何を言えばいいかわからないと、何度も口を開けては閉じて、唇を噛み締める
とうとう開きっぱなしの右目に涙が滲んだ
それをみて
あぁ、コイツはおれが好きなんだった、と思い出す
「……もう、いい」
「あ?」
「やめる、全部だ」
思い出したと同時に、男の中から自分への感情はなくなったらしい
「そうか」
サンジの涙がぽろりと落ちた
それは、本来ならば重力に従って下に落ちて、ゾロの顔に当たるはずだった
でも、そうなる前に親指で弾く
遠くへ散っていく涙がやけに綺麗で、あれが恋心だったのだろうかなんて考えた
涙の一粒すら、もう貰えないらしい
「コ、」
「もう少しすれば昼飯だ。寝過ごすんじゃねぇぞ」
ぱっと手が離れる
あれほどまでに表に出ていた感情が嘘のように凪いでいる
「今日はてめェが好きな海獣肉の角煮だからな。せいぜい筋トレでもやってちゃんと腹すかせとけ」
顔を背けられるともう長い前髪で表情が見えない
ひらりと手を振られると追いかけることもできない
チクリ、と心臓が痛んだ
去っていく背中に、自分はこの男を失ったのだと知る
チクリと、胸が痛んだ
船番はやっぱりサンジだった
市場見に行かなくていいの?とナミに言われて最終日に買い込むから平気さと笑って煙を吐き出す
やっぱり最後に船を出たゾロは、陸に足をつけてそっと振り返る
——行ってらっしゃい。迷子になるんじゃねぇぞ。
ゾロが島で何をするかを知っていて見送っていたあの男はどんな顔をしていたのだろう
「……」
一度くらい振り返ればよかったと思ってももう遅い
いい鍛冶屋を見つけたのでそこに刀を預ける
どうやら刀以外の取り扱いもしているようだ
包丁研ぎや名入れもできますよと張り紙がしてある
たしかに商品として並べられている包丁はどれもいい刃だ
ここにサンジを連れてくれば喜びそうだと考えて、ひとつ頭を横に振る
一本だけ代わりの刀を貰って散歩する
活気のあるいい島だ
子どもが多く、朗らかに笑いながら眺める大人の視線が優しい
途中で迷子の子どもに出会って、しばらく一緒に迷子になった
そのうち母親がやって来てお礼にと果物をいくつかくれた
「おにーちゃん、ありがとう」
屈託もなく笑う子どもの顔が、どことなくキッチンで笑っている男に重なった
料理が絡むと本当に子どものように笑う男だ
「もう迷子になるなよ」
きっとこの果物を彼に渡せばとびきり美味しく調理してくれるのだろう
島の特産だと言っていた林檎は確かに蜜があって美味い
腹が減ったので林檎を齧りながら歩く
気づけば山の中腹まで来ていて、迷子と一緒に歩き回った街が遠い
次第に夕陽が落ちていく
温かみを増していく夕陽が綺麗で開けた場所まで出た
海がオレンジに染まっていく
怒りに染まった頬につられるようにして色が濃くなった瞳を思い出す
夕陽の輪郭が滲んでいく様は、涙が滲んでいくようにも見えた
なんだか、今日は料理人のことをよく思い出す
その度にチクリ、チクリと心臓が痛む
ひどい事を言ってしまった自覚はある
好きだと言われたことすら忘れていたなんて最低だ
分かっていてももう謝る機会すら貰えないだろう
だって彼の中で自分はないものになってしまった
蹴られるわけでも、険悪になるわけでもない
ただただ「無」になった
情に流されやすく、他人だろうが野郎だろうが甘い奴だと思っていたのに、あんなにも心を切り離すのが得意だったとは知らなかった
海獣の角煮は美味しかった
あんまり酒ばっか飲むんじゃねぇといつものように怒られた
あまりにもいつも通りだったので喧嘩もした
それでもゾロが掴もうとした腕は逃げられていく
いや、いつもゾロが掴んでいたと思っていた腕はあの男に差し出されたものだったのだ
いつでも捕まえてくれていいと、好きにしてくれていいと、そういう意思表示
知らない間に、気付かないうちに、随分と甘やかされていた
夕陽に吸い込まれるように歩いていく
見晴らしがいいそこからは小さくメリー号も見えた
僅かに目を細める
夕陽が海に沈む一瞬手前、オレンジのそれが緑色に光る
グリーンフラッシュだ
チカ、と目が光に囚われて反射的に目を閉じた
そして、
「——……は?」
目を開けたらサンジがいた
「え、」
真っ白なシャツに、赤いマント、手には分厚い本
マントにあしらわれた装飾は、金品に固執したことがない自分でも高価なものだとわかる
バサリと本が落ちてハッとする
「……お前、……コック、か……?」
金色の髪、世にも奇妙な巻いた眉毛、口元の煙草
煙の匂いまで同じなのに、なにもかもが違うようだった
彼は左の目を極限まで丸くして、腰を抜かしたように崩れ落ちる
「……は、はは」
口端をひくつかせながら乾いた笑い
ぽろりとタバコが落ちた
くしゃりと髪を掻きむしるように掴む
それでもこちらをじっと見る
「おい……?」
こんなにも頭が困惑したのは初めてでなにを言っていいか分からない
ただ、彼が立っているそのすぐ後ろは崖になっていて、慌てて近寄った
あんなにも、掴めなかった腕は簡単に掴める
チャリ、と金の腕輪が鳴る音
「うしろ、危ねぇ」
「——あ、あぁ、わるい」
ちょっと、驚いちまって
声が僅かに低い気がした
「お前は、……おれが知ってるコックか?」
「あぁそうだぜ、ゾロ」
でも、と眉が下がる
「おまえが知ってるおれより、少し年上だ」
おまえは今十九だろう?と聞かれて頷いた
サンジが立ちあがろうとするので腕に力を込める
たしかに、目線は彼のほうが上だった
「……ふ、はは。ゾロだな」
笑っているくせに随分と泣きそうな顔をしていて
よく見れば目の下の隈がひどい
眦は真っ赤になっていて、擦った跡がある
海風に靡く金色の髪はいつだってサラサラとおとをたてていたのに、今はその金色が霞んで見えた
(……気が弱ってる、のか?)
あの男が? こんなにもわかりやすく?
纏う空気が、言葉の端々が、弱くて脆い
少し突けば、いや突かなくても放っておけば勝手に崩れていくような。
こんな顔は見たことがない。
「ゾロ」
今ここにいるおれは、ちょっとした手違いで現れただけなんだ。
「腹立つなぁ。これも科学の力ってやつなのかよ」
落とした本を拾って、土を払う
表紙を見てみたがなんで書いてあるかはわからない
「ゾロ。なぁ、おれはすぐに消えちまう。元の場所に戻されちまう。だから、あのさぁ」
悪いんだけど、と俯いた顔に色がない
「お前のこと抱きしめてもいいか?」
「……あ?」
「少しでいい。一瞬でいいんだ」
絶対に危害を加えないと誓うよ、と優しく言葉を加えながら、しかしその瞳は必死だった
まるで、
(……これが最後って顔してんな)
今から死ににいくような。
今すぐにでも事切れてしまいそうな。
それくらい後がないように見える
「わかった」
もしもこれが敵の能力で、近づいた瞬間に蹴り飛ばされることがあっても斬ることは容易い
「悪ィな」
愛刀ではなく、一刀流はそこまで得意ではないが、この男には負けないだろう
だからゾロは手を広げる
サンジはもうすでに泣きそうに唇を震わせて、それから一歩ずつ近づいてくる
地面を踏み締める足は、血が滲んでいるわけでもないのになんだか痛そうに見えた
「ゾロ」
年上だというサンジは少しだけ背が高い
体も、今よりずっとしっかりしている
サンジを抱き締めるというより抱き締められてしまってなんだか居心地が悪い
それに、やたらとヒラヒラしたシャツも、赤いマントも気に食わない
料理するから装飾品はあんまりつけねぇんだよ、とか言っていたくせになんなんだその金の腕輪は。
何から何までゾロが知っているサンジとは違っていて、唇を尖らせる
「……ゾロ」
それ以外の言葉を知らないかのようにゾロの名前を繰り返す
「なんだ」
返事をして、背中に手を回してやる
次第にその背中が震えて、声に涙が混じっていく
どうにか堪えようと歯を食いしばっているのだろう
ひぐ、と時折なる喉が痛そうだ
「おい」
なんなんだ、と背中をさすって霞んだ金色に顔を擦り寄せる
そして、あぁ、と納得がいく
「……おまえ、いつからメシ作ってねェんだ」
「……」
どうしてもこの男がサンジであると信じきれなかった理由
あれほど海に愛され、料理を愛し、常に美味しい匂いを纏わせている男から、そのどれの匂いもしない
鼻が格別いいわけではないので特定はできないが、なんだか凄く無機質で、寂しい匂いがする
この匂いは、好きではない
「ゾロ、」
病気かと思うほどに意地っ張りで頑固な男がゾロのシャツを掴む
気付かなければそれでいいとでもいうような、力の入れ具合
馬鹿野郎と、胸ぐらを掴んで怒鳴りたい気分だ
「あとどれくらいでお前は消えるか分かんのか」
「……わ、かんねぇ、けど」
「あれ見ろ」
「?」
サンジは顔を上げると同時に腕で目を擦る
ゾロが指差したのはこの島に点在している、真っ赤な屋根の建物
「あの赤は宿屋の印なんだとよ。誰も迷子になんねぇようにってナミがわざわざあそこに部屋をとった。案内しろ」
ここだと落ち着かねぇから、部屋に行く。
そう提案したのは今日サンジを泣かせた罪悪感からか。
ゾロがそう言い切れば、一拍置いてからサンジが笑う
「——ばかだなぁ、てめェは」
いいぜ、案内してやる。
「ナミさんは優しいからな。誰よりも優しくて美しい女神だからな、おまえが迷子にならないようにわざわざあそこに部屋取ったんだよ」
いつの時代のナミさんも素敵だ、と。
聞きたれた口調で褒め称えながら、サンジはそうっと自分の左頬を撫でた。
相部屋であるはずのウソップはまだ宿には戻ってきていなかった
これ幸いと1人で部屋に入り、窓を開ける
合図をすればサンジは地を蹴って窓から入り込む
「……」
ここは三階である
それを一度も屋根に飛び移ることなく空を蹴ってきやがった
数年すればこんな芸当を身につけるのかと、面白い、口角が持ち上がる
「なに悪ィ顔してやがる」
「べつに」
窓を閉めたサンジに目敏く見つけられて目を逸らした
ナミが用意した2人部屋はゆったりしている
ベッドが離れて二つあり、化粧台と、軽食が食べられるようなテーブルと椅子もある
その椅子にサンジが座り、同じようにゾロも向かいに座る
「吸ってもいいか」
「禁煙じゃねぇからいいんじゃねぇのか」
ゴールドの重たげなライターでタバコに火をつける仕草は今と変わらない
少し大人びて見えるのは、丸みがなくなった頬と濃くなった髭のせいだろうか
ふう、と煙を吐き出す横顔がよく見える
今ならば見えない角度だ
ゾロはテーブルに肘をついて頬杖をつく
「何歳だよ、お前」
「二十一」
「んだよ、そんな変わんねぇじゃねぇか」
「もっと大人びて見えたか?」
「二年じゃてめぇのアホ面は変わんねぇって話だ!」
「はっ、そうかよ」
喧嘩には乗ってこない
寧ろ、わっと怒鳴るゾロを堪能するようにゆったりと目を細めて笑っている
あぁそんな目で見るなと怒鳴りたくなる
「あとなんなんだよ、その格好は」
「格好?」
「服もマントもヒラヒラさせやがって、鬱陶しい」
「そう言うな。おれだって趣味じゃねぇよ。これはまぁ、ちょっとな」
トト、と煙草を指で叩いて携帯灰皿に灰を落とす
「じゃあ、お前はどうやってここに来た」
「原理はよくわかんねぇが、この本に願ったら来られた」
「願う?」
「あぁ。——……もう一回だけお前に逢いたいって」
「そんなもん願わなくても、」
願わなくてもいいだろう?
だって同じ船に乗っているのだから。
嫌だって毎日顔を合わせて、くだらない事で言い合いして、手が出て、足が出て、喧嘩して。周りに強制的に止められるまで続けて、ボロボロになった顔でケッと悪態をついて。それでもこの男が作る料理に絆される。給仕をするサンジに無言で空になった皿を差し出せば、本当に嬉しそうに一瞬だけ笑うのだ。
それが十九のゾロの当たり前である
だからこそ、
「……」
つづきの言葉が出なかった。
当たり前ではないのだと、目の前の男は言っているのだ。
だから願った。もう一度「当たり前」を感じたいと。享受させてほしいと。
こんな訳のわからない本に縋って願ってしまうくらいに。
「ゾロ」
そんな当たり前は崩れ去ったのだと、海の色をした瞳が翳っていく。
「——ッ!」
思わず立ち上がって目の前の男の胸ぐらを掴む。椅子が倒れて、テーブルがガタガタと音を立てる。
力一杯引き寄せて睨みつけたところでサンジは動じない。
それどころか煙草の心配をしては携帯灰皿に押し付けている。
これ以上ないほどに額に青筋が浮かんで血液が沸騰しそうだ。
怒りで視界が赤く滲んでいく。フーッとはの隙間から吐き出す息が熱い。
「なにやってんだ、てめェはッ!!」
当たり前が崩れていくことをなぜこの男はこうも冷静に見ていられるのだろう。
理解ができない。どうしようもない焦燥感が胸の中に広がって、噛み締めた奥歯がギリと嫌な音を立てる
「なんで、どうしてそんなことになってやがる! 言え!!」
場合によっちゃあ斬る、と言外に匂わせて。
しかし、
「————結婚するんだよ、おれが」
想像の斜め上をいく答えに、思わず呆けた。
「……は?」
「だから、結婚するんだよ。おれが、素敵なレディと」
これは顔合わせ用の衣装だと思えばいい、と右手がマントを弾いて、その拍子に揺れた金の腕輪。
「だから逢いにきた、お前に。どうしても、————最後にどうしてもお前の顔が見たかった。結婚式を挙げる前に、おれがおれでいられる最後の日に。どうしてもお前に逢っておきたかったんだよ、ゾロ」
——ゾロ、ゾロ。
「なぁ、逢いたかったんだよ。それだけだ」
どうしようもなくまっすぐで、剣や仲間すのことばかりで、ムカつく男で、寝てばかりで。
それに酒ばっかり飲んで、終いには酒を泥棒する腕だけはきっちり上げやがって。
こっそり飲んでいる酒を見つけて怒れば、いつもは使っていない表情筋をフル稼働させて随分と楽しそうに笑う。
カラカラと無邪気な顔で笑う。
「言いたいことがあった。……ずっと言えなかったことだ」
腹立たしい、問題児のその笑顔がどうしようもなく好きで、好きで、——つい酒を盗んでいくことを見逃していたことを告白する必要はないだろう。きっとゾロだって気付いていたはずだ。
サンジの右手がこちらに伸びてくる。
頬の感触を手のひらで堪能して、それから左目を親指が撫でる。思わず目を閉じて、指の感触がなくなってから瞼を持ち上げた。
サンジが、安心するように、しかし胸が締め付けられるように、ほうと息を吐いた理由をゾロは知らない。
「何を言いにきた」
「あぁ、なんでもないことさ。お前は聞き流してくれりゃあいい」
——ただ、礼を言いたかった。
「ありがとう、ゾロ」
「……」
「腹が立つことこの上ないが、てめェのことを好きになれてよかったと、今でも思ってんだ」
たとえ明日結婚式を挙げようと。
たとえ当たり前を失ってしまった世界になっていようと。
これだけは変わらなかった。
——好きになってよかった。ゾロを。互いに手をとって仲睦まじく隣を歩く関係にはなれなかったけれど、それでも好きになってよかった。
心の底から愛することが出来て、
「おれはずっと幸せだったんだぜ」
きっと、これから先死ぬまでずっとだ。
「……おっと、これは秘密にしてくれよ。明日からは妻帯者なんだ」
浮気はダメよって怒られちまう。
戯けたように笑って目を逸らす男の胸ぐらを掴み直した。
二人の間にあるテーブルが邪魔で片手で払う
「あ、おい……!」
なにやってんだ、とこな時まで別のことを心配するサンジを強引にベッドに投げ飛ばす。
質素なベッドのスプリングが悲鳴をあげて、しかしそんなことなど気にもせずにゾロが上に乗っかる。
「ふざけるな……ッ!」
叫んだ声は掠れて引き攣って、必死だった。
「ふざけんなよ、クソコック! 急に年取って現れたと思ったら好き勝手にベラベラ喋って勝手に納得しやがって! 感謝だと!? ありがとうだァ!? ふざけるなよ、おれが、お前に今日……!」
どれだけ酷い言葉を投げかけたと思っているのだ。
「知ってるさ」
ベッドに散らばる金色の髪。こちらを見上げてくる海の色の瞳。
「だって、お前の中の今日のおれは、今のおれに続いてる」
下から伸びてくる手。普段が嘘のように静かな声。
そのどれもが新鮮で、目が離せない。
そうか、おれはベッドでこの男を抱いたことがないのか。
いつだって固い床の上で、適当に与えた薄手の毛布一枚くらいしかない。サンジの体が壊れてしまわないように優しくしていたつもりだが、大事にしていたかと聞かれれば頷ける自信はない。
それほどぞんざいな扱いをした男に対して、この男は礼を言う。
「あれを、お前が悪く思う必要はねェよ。おれが勝手にお前を好きで、でも優しくされちまったもんだから調子に乗っちまったんだ。悪かった。ずっと、どこかで引っ掛かってたんだろうって気付いてた」
でも蒸し返す勇気がなかった。
蒸し返して、喧嘩すら出来ない距離になってしまったらそれこそ後悔してもしきれない
だから何もかもをいっとう豪華な宝箱にぎゅうぎゅうに押し込んで鍵をした。海に沈めた。いっとう輝く想い出を手放せば、——大丈夫さ、また笑える。
いつも通りにやればいい。意識せずとも勝手に口は回る。勝手に足が出る。
敵に挑む時だって、お前の呼吸は手に取るようにわかるんだ。
大丈夫。やれる。
大丈夫さ、笑える。
無かったことにするのは、自分の心を切り離すのは得意なのだ。簡単だ。
「……お前に腕を掴まれるのが好きだった」
求められているとわかるから
「真っ暗な中でたまに見えるお前のギラついた目が好きだった。ちょっと怖ェけどな」
その目に写っているのは自分だけだと思えばひどく興奮した
「あと手も好きだったぜ。お前は知らないだろうけど、手形をつけて欲しくてわざと逃げて押さえつけられてた」
どれだけ中で出されても後に残せるものは何もない。
だから体に刻み込まれた傷跡がひどく嬉しかった
きえていくのはひどく切なかった
上書きされるように傷をつけられると、泣いてしまうくらいに嬉しかった。
「や、めろ……」
声も、息も詰まる。
やめてくれ。そんなふうに過去形で語らないでくれ
「愛してたんだ、ゾロ。お前だけだった、ずっと」
愛してた、愛してたよ。
「おれの未練、だった」
ビリ、と小さな雷でも落ちたかのような音がする
同時にサンジの像が揺らいで、滲む
「っ、待て!」
消えてしまうのだと本能で悟る
あの本は未練がある場所に連れて行くものだったのだろうか
サンジが気に掛けていた時代へ。未練だったあの日へ。
無駄だとわかっていても、ゾロはサンジの体を引き上げて抱き締める
「——おれが、いなくなっても」
「てめェが結婚するくらいでルフィが手放すか!」
「ははっ!やっぱよく理解してんなァ」
でも心配すんな、と心配しかない情けない顔で笑う
そんな顔で笑うくらいなら泣いてしまえと殴りたくなる
「もう戻れない」
「——ッ、なにを、やってんだ、……おまえは……っ!!」
断言する声があまりにも冷たくて、ゾロは低く唸るしかできない
服もマントも、皺になろうと関係ない。力の限りかきいだいて、ビリビリと揺れる像を捕まえる
「ゾロ、お前はずっと前だけ見てろよ」
振り返らなくていい。
「お前の背中が大好きだった」
振り返った先で、おれがどんな顔してるかなんて考えなくていい。見なくていい。知らなくていい。
「あいしてた」
おれの、ただひとりの、ゆいいつの。
「勝手なことばっか言うんじゃねェ! おれは、おれは……ッ!」
とうとう肩や足が不規則に消え始めて、いっそう腕に力を入れた
「夢でも逢えてよかった」
「夢なわけあるか! 本当にいい加減にしろよ、クソコック!!」
こんなどうしようもなく苦しくて切なくて、全身の血液が煮えたぎるような感情を押しつけて植え付けておいて、夢の一言で済ませてたまるか
けれど未来を腕の中に抱えて置けるほどの力はなくて、はらはらと消えて行く体に心臓が押しつぶされて行く
「コック……!」
「心配すんな。戻るだけだ」
左足と右手は完全に消えた。この男の手が消えることがこんなにも恐ろしいことだと、ゾロはこの時初めて知る。
「だめだ、待て……!」
胴のあたりもほとんどが消えている
どれだけ手でつかんでも空を切って、まるで未来はもう決められていて変えようがないのだと嘲笑われている気分。不快だ。実に気に入らない。それなのにサンジは眩しそうに目を細めてはゾロを堪能している、目に焼き付けている
そして、
「ゾロ」
長い前髪も、巻いた眉毛も、濃くなった髭も、小さな海も全部が消えて行く
だめだと叫ぶのに止まってくれやしない
最後に残った唇が自分のそれにくっつこうとして、——しかし何の感触もない。
「あ、」
粒子が消えていく
天に登っていく
「————ッ!!!!」
どうにか掴んで集めようとするのに出来なくて、声にならない咆哮をあげた
彼がいた場所に拳を振り下ろしても、質素なベッドが悲鳴をあげるだけだ
温もりはまだ残っている、煙草の匂いだってある
それなのに彼だけがいない
「ふざけるなよ……ッ!!」
叫んだ喉が引き攣れて痛い
「勝手なことばかり言いやがる!! お前はどうしようもない馬鹿だ!! 怒ればいいだろう!? おれがあんなこと言ったから、だから、っ、てめェが何もかも押し殺さなきゃなんねェんだろ!?」
温もりは次第に消えていく
煙草の匂いも開いた窓から消えていく
そうやってあの男が残すのは消えるものばかりだ
唯一消えないのは、愛してたという言葉だけ
そんなものを残されたってどうすればいい
人の記憶など曖昧だ。人の脳など単純だ
時間と共に彼の言葉も薄れて、消えて、忘れ去る
いくらゾロが覚えていようと思っても、声から消えていくのを知っている
行き場のない感情が胸の中で暴れ回って苦しい
息ができないほどに苦しくて、心臓がちぎれそうだ
自分のことを好きだと、愛してたと言った男は、明日になれば違う女のものになる
その事実が、どうしようもなく、————。
「……馬鹿は、」
愛していたと言われて、他の誰かのものになると知って、ようやっと、あの男を愛していたのだと気付くなど。
「おれか」
受け入れてもらえる安堵感
日常の片隅にあの男を思い出してしまうこと
酷いことを言ってしまったと、罪悪感を感じる心
他の誰かでは満足しない時間
拒否をするように胸を押し返す手で知る、苛立ちと焦燥感
そのすべての根底に流れているのが、あの男がいう「愛している」という感情なのだ
気付いてしまえば、心臓の裏側がじわりと熱くなる
ここにあるのだと、感情が訴えてくる
「……そうか」
ずっとあったのか、そこに
ずっといたのか、あの男を想う感情は
「そうか」
ゾロは何も掴めずに終わった無力な両手を見つめる
剣のことばかりを考えて、傷だらけになった無骨な手だ
それをあの男は好きだったと言った
ぐ、と爪が食い込むほどに握りしめる
そのまま握りしめた拳で自分の頬を思い切り殴った
ゴッ、と鈍い音がして口が切れる
遅れて垂れてきた鼻血は適当に腕で拭った
「————いやぁこの島はいいなぁ、面白いもんいっぱいあるぜ、なぁ今度はゾロも、」
帰ってきたウソップがぎょっと目を丸くする
「どっ、どうしたんだよお前! 血が、……ん? サンジ来てたのか?」
駆け寄ってきて心配してきたと思えば、今度は鼻をひくつかせている
煙草の残り香で気付いたのだろう
「あぁ、来てた。好き勝手喋って帰りやがった。心底腹立つ野郎だ」
「そうか、……って船番じゃなかったか?」
「今のアイツはちゃんと船にいるから心配すんな」
「? ちょっとでも離れたらダメなんじゃねぇの……?」
クエスチョンマークがウソップの頭の上で跳ねているが全部に応えてやる優しさは持ち合わせていない
ベッドから降りてウソップの肩を叩く
「メリー号に戻る」
「な、なんだよ、お前らなんかあったのかよ」
顔を青ざめて、それでも心配してくれている心優しき狙撃手に、ゾロはゆったりと頭を横に振る
「まだ、なんもねぇよ」
「今からなんかするのかよ」
「そうだな」
でも、
「大丈夫だ。もう腹ァ括った」
「くっ、括るな! お前が括るととんでもねェことになる気しかしねぇ!」
本当に大丈夫かと腕に絡みついてくるウソップを引き剥がして部屋を出る
早速反対方向へと足を向けたらしく、部屋から顔を覗かせたウソップに指摘された
「とりあえず海を目指せばいい」
よし、と気合を入れて歩き出す
いつの間にかすっかり夜が深くなって星が綺麗に煌めいていた
*
月が真上にやってくるころ、ようやっとゾロはメリー号に辿り着く
キッチンのあかりが付いていたので迷わずそこに入って行った
サンジは舟番だというのにテーブルに突っ伏して眠っていた
おれが敵だったらどうしてたんだと苦い顔をしながらも、自分だったから目を覚まさないのだろうかと思い直す
足音を消して歩み寄る
眠っているサンジの下にはノートが下敷きになっている
そういえば夜遅くまで起きてよくレシピノートとかいうものを作っていたなと思い出す
これは料理人の頭の中だから見るなよ、といつだって見る前に閉じられていたものだ
そろそろと、そのノートをひきぬいていく
男の字でびっしりと書き込まれたノートを捲っていく
料理のことはからっきしなので専門用語はわからない
というより、何が専門用語なのかもわからない
ただ、所々に書かれたクルーの名前や、料理の完成図の絵を眺めていく
(……こいつは本当に料理が好きなんだな)
それがよく分かる
ノートのどこかに自分の名前を見つけると何度も読んでしまう
『おかわり五回』
『スパイス強すぎた?』
『米酒、減り早い』
「米、かため。海苔は直前がいい』
よく見ているな、と感心する
きっとゾロですら気づかないゾロの好みを、この男は把握している
ゾロだけではない。この船のクルー全員ぶんだ
パラパラと捲っていくと、つい最近食べた海獣肉の角煮のレシピを見つけた
『リクエスト!』
ふは、と小さく笑い声が漏れる
そんなに嬉しかったか。おれがもう一度作れと言ったあの一言が
他愛もない言葉だ
何も考えずに直感で発した言葉だ
それが、こんなにも嬉しかったのか
ノートを閉じてテーブルに置く
顔のほとんどを隠してしまっている前髪をかき上げるように撫でた
二十一だと言っていたサンジと、同じ眉の形をしていた
(お前の愛情は、深いな)
深くて、重くて、多くて、いつだってそこにある。
知らなかった。気付かなかった。きっと最初からあったから、それが当たり前だった
何も疑わずに食べられる一皿に、注ぎ込まれた愛情は計り知れない
召し上がれ、という彼の言葉には愛しているよという言葉がきっとくっついているのだ。それを自分たちは受け取る。いただきます、と手を合わせて口に入れる
(……ちょうどいい、か)
自分はこの男を「ちょうどいい男」だと思っていた
都合がいいのだと勝手に解釈していたが、どうやら違うようだ
(ちょうどいい、コイツから貰う愛情は)
だって。
(ちょうど、同じ重さだからだ)
与えられるのも、与えるのも、寸分狂わずちょうど同じ
(コイツがおれを愛しているように、おれもコイツを、)
結婚式の前日にあんな悲しい顔をして、昔の男に会いたいと願う馬鹿な男を。
それでも、どうしようもなく、愛しているのだ。
「おい、起きろ」
自覚してしまえば容易い。
呑気な頭に軽い拳骨を落として、慌てて飛び起きた間抜けな顔に笑いかけてやる。
「よォ。てめェと話の続きをしにきたぜ。もう逃げられると思うなよ」
未来を抱え込む力は、残念ながら今はない。
けれど、——ならば、未来を変えるため、まずは今日のこの日を大切にして二人で話をしてみようか。
「コック、今からおれが言うことをよく聞けよ」
これが最初で、最後。
一世一代の愛の告白。
*
「——ルフィと一緒に行かなくてよかったの?」
ロビンの言葉にウソップとフランキー、それからローの視線が一斉にこちらに集中した。
何が言いたいかはよくわかる。
ナミやチョッパーたちの悲鳴が消えて行くゾウの足元を見下ろして、それから「あぁ」と短く答えた。
「お前が行った方がサンジは帰ってくんじゃないのか?」
「知らねぇ」
「知らねぇってお前なぁ」
ひとり、またひとりと見送りを終えて行く中で五人だけは最後まで残る
「それは、黒足屋が戻ってくる確証があるからの態度か?」
「確証、なぁ」
あるとも、ないとも言え切れない。
あの男は自分が思っている以上に大馬鹿者で頑固なので帰ってこない可能性もあるし、けれどこれでもかとあの体に注ぎ込んだ愛情もある。
「確証に関してはどうも言えねぇが、……二年前から手は打ってる」
「知ってたのか!?家族のこと!」
「知ってたの?ヴィンスモーク」
ウソップとロビンの言葉が重なる
「いや、その名前は初耳だ。アイツとそんな話をした覚えはねェ」
「アーウ! なんだよ、驚かせんな……」
どこか気障ったらしく、気取っていて腹立つ姓だなと、今更口を尖らせる。
戦争屋だの、人殺しの一族だの、そんな異名も気に入らない
アイツは人を生かしていく手を持っているのだ
そんな肩書きを勝手に背負うなど許し難い
「ゾロ屋、二年前からってのはどういう意味だ」
「あ? あぁ、二年前のいつだったか、二十一だって言い張るアイツに会ったんだよ。なんかこう、ヒラヒラした服着て赤いマントつけて、アホみてぇな顔で落ち込んでるアイツに」
「夢じゃなくてか……?」
「なんか本に願ったとか言ってたな」
「ジェルマが所有してる本かしら」
「さぁな」
「その黒足屋はなんて言ってたんだ!麦わら屋は、ちゃんと辿り着いて作戦通りになったんだろうな!?」
作戦の心配をするローには「もう戻れない」と言い切ったことは伏せていた方がいいか、と目を逸らす
忘れたとだけ言って、じゃあどんな話をしたんだって突っ込んでくるウソップに頭をかいた
「…………ありがとう、愛してたって、言われたんだよ」
「あら」
「え゛っ」
「アウ! そりゃあ効いただろ、ゾロ」
フランキーの言う通りである
美談でも美しい愛の物語でも何でもない
あれ以上にひどい言葉を、ゾロはいまだに知らない
「でもあれでおれは自覚した」
「あっ、そこから先は知っておりますよ、ゾロくぅん」
「そうか」
喧嘩しながら器用にイチャイチャと……。
ウソップが呆れて、ロビンは朗らかに笑っている
「いいじゃない。ゾロと一緒にいるサンジ、わたしは好きよ。かわいいもの。撫でたくなっちゃう」
「あれはおれのだ」
「ふふ」
「……おれは何を聞かされてるんだ……」
とうとうローが苦い顔で踵を返したので、四人もその後ろをつづく
「おれがアイツに気持ちを伝えたところで未来が変わっただの、枷になれただの、そんなもんはわからねぇし、そんなつもりもねェ」
こうなってしまえば、あとは。
「ルフィと、——コックに任せる」
サンジのことは任せろと、ルフィが言ったのだ。
自分達の関係をすべて知った上で任せろと。
ならば任せておけばいい。
自分がすべきことをして、任されたことをこなして。
二本の足で踏ん張って、胸を張ってドンと構えるだけだ。
べそべそと泣きながら帰ってきても、不貞腐れた顔をしていても、気まずそうに肩を落としていても関係ない。この船に戻ってくると決断したならそれでいい。
「——……あれは、おれのだ」
少しだけ怒って、叱って、それから二本の腕で抱きしめてやる。抱き締めるために刀を納めて手を広げてやる。
「だから、何を聞かされてるんだ、おれは」
もういいついてくるな、と振り返って苦い顔をしているローにゾロはカラカラと笑う
「気にすんな。取るに足らない惚気話だ」