君のためのヒーロー

相澤と恋人関係になって同棲するようになって、初めて知ったことがある。
今日みたいな茹だるような暑い夏の日。そして夜になって纏わりつくような不快な湿気を含んだ寝苦しい熱帯夜。
そういう日は決まって魘されている。

最初はただただ驚いた。
教師と生徒という間柄だった高校三年間も、自分がプロの世界に身を置くようになってからも、二人の関係性を恋人へと進展させてからも、相澤消太という男が弱っている所を見たことがないからだ。
この男はいつだって自分を見守ってくれて、ふと気付けば傍に居てくれて、優しく叱って、それから嘘偽りなく褒めてくれていた。何処にいても、何をしていても悔しいくらいに大人で教師でヒーローだった。
だから、一回目は失敗した。
相澤の寝苦しそうな声に起きることは出来たけど、どうしていいか分からずに慌てふためいて、滲んだ汗を拭っただけで朝が来てしまった。カーテンの隙間から入る陽の光で起きてしまえば魘されていたことなど相澤は綺麗に隠して「おはよう」と笑っていた。
「…お、はよう……」
ただの朝の挨拶なのにいやに緊張して。魘されていたことを言った方がいいのか、黙っていた方がいいのか悩んで口が上手く動かない。
この時に、爆豪が気付いたことに気付いたのだろう。相澤はいつもより明るい声で「腹が減ったな。何食う?」なんて頭を撫でてきた。
その年の夏は、林間合宿を理由に家に帰ってくることはなかった。


しかし爆豪は同じ失敗は繰り返さない性質である。
元より勤勉で努力家。それは何もヒーローになるためだけのことではない。ヒーロー業と関係がなくたってその性質は生まれ持ったものなので変わらない。こと恋人に対してもそうだ。
夏以外の季節はきちんと家に帰ってきていたことから、きっかけは暑い夏の夜なのだと気付き、気温が上がり始めたら相澤の動向に注意した。
「食欲ないんか?」
「なくはないけど、あっさりとしたものがいいな」
「辛いのにしてみるか?」
「あぁいいかもしれない。でも辛さはお手柔らかに」
食欲の減退。顔色の良し悪し。声のトーン。セックスの頻度。爆豪は頭の中で統計を取っていく。他の季節と比べてどうなのか、きちんと精査する。こういう作業はわりと得意だ。
今年の夏は担任を持たなかったので林間合宿などの行事に振り回されることはない。なんだかんだと理由をつけて、相澤が家に帰ってくるように画策した。
その甲斐あって、魘されている現場に直面することが出来た。
「しょうたさん、しょうたさん」
夜中の二時を少し過ぎたところ。凡そ一年ぶりの唸り声に爆豪はぱちりと目を覚ます。
「しょうたさん」
相変わらず伸びっぱなしの髪の毛を撫でて、用意していたタオルで汗を拭って、背中を擦る。冷房をつけているのにもかかわらず、背中にも汗をかいていた。風邪をひかないようにそこも拭って、何度も名前を呼んだ。
夢から無理矢理覚醒させるのも、寝言に応えを返すのも本当は良くないことは知っている。それでもこんなにも顔を歪めて苦しそうにしている愛しい人を黙って見ていることは出来なかった。
食いしばった歯の隙間から漏れる息は、震えていたように思えた。
「……アンタの辛いこと、教えてくれよ」
俺だってもう子どもじゃないんだ。アンタ一人分くらい受け止められる。
しかし爆豪の願い虚しく。残念ながら今年もそのまま朝を迎えてしまった。
相澤の悪夢は存外しぶとい。


三回目の夏。
魘されている所に居合わせる事が出来たのは奇跡的だった。
再び担任を持つことになった相澤は夏が近づくと忙しさを理由に寮に泊まり込んでいたが、その日は夏風邪に罹り、高熱を出してしまったのだ。
本来ならばリカバリーガールや他の先生たちが看病するべきなのだろうが、夏休みで授業がないということもあって出張に飛び回っていて誰も手が空いてなかった。
そこで二人の関係を知っているプレゼント・マイクに爆豪が呼び出された。
「いいんかよ。卒業生っつっても今は部外者だろうが」
「ノープロブレム! 根津校長にちゃあんと許可は取ってあるし、監視カメラだって作動してる。あとで何が起こっても、爆豪は無関係だって証拠はいくらでも出せる」
「そういうことじゃねぇだろ。俺が何かしたらどうすんだって話だ」
「それこそノープロブレム。俺はヒーロー・爆心地を信じているし、爆豪を選んだ消太を信じてる」
「……あっそ」
相変わらず大きな、それでいて芯の通ったその声で、プレゼント・マイクにそう言われてしまったら、頷く他ない。満足げにニカッと笑う顔は、初めて相澤の恋人として山田ひざしに会った時のものと同じものだった。

懐かしい教員寮の相澤の部屋で、暑い夏の夜を過ごす。
高熱と悪夢の両方に魘されている相澤は、見ているだけで辛かった。熱はどうしようもしてあげられないけれど、悪夢だけはどうにかしてあげたくて、爆豪は一秒だって相澤の傍から離れない。
何度も何度も額に乗せたタオルを交換して、顔に纏わりつく長髪を払って。それでも眉間の皺が改善されることはない。
とうとう、ドライアイだと公言している彼の目尻に涙が引っかかっているのが見えて、心臓を氷の手で鷲掴みにされているような気分になった。
代わってあげたい。穏やかに眠れるように、自分がこの人の辛い部分を背負ってあげたい。無理を承知で、信じてもいない神にさえそう縋りつきたい気分だ。
目尻に引っかかっていた涙がゆっくりと流れていく。
「――…せんせい」
思わず、もう何年も呼んでいなかった呼称が口から零れた。
すると相澤の肩が跳ねて、一拍置いてからそろそろと瞼が持ち上がった。その拍子に再び涙が零れる。熱のせいで力のない、随分と幼い瞳がゆっくりと爆豪を捕らえる。
起こしてしまったと、謝ろうとしたら布団の中から手が出てきた。それは必死に重力に抗ってこちらへと伸びてくる。
体の向きが変わって額に乗せていたタオルが落ちて、それでも関係なく相澤は爆豪へと手を伸ばす。
「せんせぇ」
爆豪は慌ててその手を掴んだ。強く掴んで、顔を寄せて、頬へと導いた。傷だらけの指が、爆豪の皮膚を撫でる。
「……ば、くご」
掠れた声に名前を呼ばれて頷く。
「せんせい、先生、先生」
夢と現実を区別できていない瞳はゆらゆら揺れている。
覚醒はしていないから、声は抑え気味で。しかしちゃんと届くようにしっかりと発音して。そうすれば、相澤はホッとしたように息を吐いた。
そして。
「ごめんね、まもってあげられなくて」
泣き出す寸前の声で、ごめんねともう一度。

その瞬間に、爆豪は今日が何月何日かを思い出した。
もう何年も前の今日。茹だるような暑い夏の夜。
――自分が敵連合に拉致された日だ。

「ばくごう、ごめんね」
切なそうなその声に、爆豪は涙を堪えて手を強く握りしめる。
そうか。アンタがずっと辛かったのは、魘されるくらい苦しかったのは、それか。
相澤の謝罪にパズルのピースが綺麗に嵌る。
確かにあの夏の夜、相澤は爆豪を守ることも救うことも、拉致計画を阻止する事も出来なかった。
それどころか救出作戦にも前線には立たず、記者会見に出席して敵を欺くという任務を遂行していた。拉致されてから、初めて相澤と顔を合わせたのは随分と後のこと。
でも、だからと言って。相澤が自分のことを守ってくれなかったと、そんな風に思ったことは一秒だってない。
寧ろ。
「俺は、アンタが守ってくれたから、今もこうやって此処にいる」
これが本心だ。
相澤が、筋金入りのメディア嫌いのこの人が。矢面に立って批判を一手に引き受け、記者からの心無い質問にも冷静に対応してくれたから作戦が上手く回ったのだ。なにも敵と戦って血を流して爆豪の手を取ることだけが守るとは言わない。
それに、あの記者会見の言葉は今でもずっと大事に胸に仕舞っている。母親も言っていたが、嬉しかったのだ、純粋に。信じてもらえていることがこんなにも心強いのだと知った瞬間だった。
だから、謝ることなど何もないと、そうきっぱりとそう言い切って、爆豪は相澤の隣へと身を滑り込ませた。相澤より高い位置に頭を置いて、頭を抱え込むように抱き締める。昔より傷みが軽減された髪の毛を手で梳いて、頭頂部にキスをした。傷だらけの体を、背中を、労わるように撫でてポンポンと叩く。心臓の音にリンクするように。そして大丈夫と繰り返す。
 ――これは高校一年生の時。相澤が自分にしてくれたことだ。
拉致されたことを思い出しては悪夢に魘されて。オールマイトのことを考えては胸が潰されそうになって眠れなくなった自分を、いつも器用に見つけて一緒に眠ってくれた。大丈夫だと、お前はヒーローになれるよと、強くなろうなと。夜が明けるまで声を掛けて抱き締めてくれていた。ゆっくりとした心臓の音に眠気を誘われて、体温が心地良くて。そして何より目覚めてもしっかりと抱えてくれている長い逞しい腕に安心できて。いつの間にか悪夢は見なくなった。
相澤がいてくれたおかげで、自分は大人になれた。
「先生、大丈夫。俺は此処にいる。先生のおかげで此処にいる。ありがとう」
大丈夫、大丈夫。
その言葉の力強さを知っている爆豪は何度だって繰り返す。
しばらくすると、相澤の手がそろそろと背中へと回って、しがみ付く様に服を握られる。もう二度と離さないと、今度はちゃんと掴んでおくからと。そう訴えかけてくるように、強く強く。
「俺はずっと先生の傍にいる」
相澤は穏やかに寝息を立てていた。魘されていたのが嘘のようだった。つられるように体の熱が下がっていっているのを感じた。あぁもう心配ない。爆豪は抱きしめる腕にいっそう力を籠める。
(もう悪夢なんて見なくていい)
一体いつからこの人はこんな夏の夜を一人で越えてきたのだろう。きっと聞いたって答えてくれないし、知る術もない。
知りたくて仕方がないけれど、過去のことはもう何を言ったってどうにもならない。
だから未来のことを考えよう。
(おれはここにいる)
敵連合に拉致されたのはもう何年も前で、今はヒーローとして恋人として相澤の傍にいる。それだけで十分じゃないか。


もしもまた来年も同じように悪夢に魘されて、ごめんねと切ない声を出すのなら、その度に大丈夫だよとありがとうと伝えよう。
いつかこうやって思い悩む日々が過去になって笑い飛ばせるようになるまで。
どこまでも大人で一歩先を行くこの人が、ちゃんと眠れる夏の夜が来るまで。

それまでは、こんな暑い夜だけは。
君のためのヒーローになろう。

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