出勤しようとバイクのエンジンを掛けたところでパンクに気付き、急いで最寄りの駅から電車に飛び乗れば通勤ラッシュで揉みくちゃにされて、パトロール中に捕まえた敵には個性を使って逃げられた挙句他のヒーローの手柄になってしまった。事務所に帰ってきてからも所長の小言を延々と聞かされて、便乗した事務員に「有給の消化率が悪い」と注意され、所長の「明日ゆっくり休みなさい」という一言で何の予定も入っていない気乗りしない休日まで作らされる始末。
ついでに「今日も早く帰るように」とさっさと事務所を追い出されてしまったので、渋々早い時間に帰路に着き、最寄りの駅に着いたところで雨が降っていることに気付いた。傘なんて持っていない。売店で買おうとすれば売り切れ。
雨足は見る見る間に強くなっていく。視界が白っぽい。
「チッ!」
舌打ちのひとつくらい許してほしいものだ。
仕方ないから濡れて帰ろうと、スマートフォンなどの機器類は鞄の奥底に詰め込んで決心を決めていれば。
「おお、ばくごー」
などと、折角決めた決心が揺らぎそうなくらいにえらく間延びした声に呼ばれる。
爆豪が飛び込もうとしていた雨の中。黒い傘を差して、ふらふらしながら歩いている相澤を見つけて口をあんぐりと開けた。
「何やっとんだ、アンタ。何でここに。仕事……じゃねえよな、その恰好は」
「ん、かえってきた」
「関わってた事件やっと終わったんか」
「ん」
左右にふらふら揺れながら、いつも以上に目が開いてない。髪の毛もボサボサだし、着ているスウェットは寝る時用のもの。辛うじてジーンズは履いていた。外に出ると言う意識はちゃんと持っていたらしい。でもサンダルが左右で違うのは、なんでだ。なんでそうなる。
「で、またどっか行くんか?」
そんな今にも寝てしまいそうな顔で。ふらふらしてる足取りで。訳の分からぬ恰好で。
なんか急用でも出来たんか、と続けて聞けば呆けている目が少しだけ開く。
そして。
「あめがふってきたから、むかえにきたよ?」
相澤は、さも当たり前だと言うように、小首を傾げてそう言う。
――長かった仕事が終わって久しぶりに家に帰ってきて眠っていたら雨が降ってきたから。そう言えば今朝は降ってなかったから。きっと傘を持ってないあの子は濡れてしまうだろう。風邪でも引いたら可哀想だ。だから、迎えに来たんだよ。
「かえろうか」
一緒に、二人の家に。
へらりと笑って右手を差し出されて、しかしそれは取らずに両手で自分の顔を覆った。持っていた鞄は重たい音を立てて地面に落ちる。
「ばくごう?」
恋人であるこの男と連絡を取ったのなんてもう思い出せないくらい前である。
最後のメッセージからは、忙しすぎて眠る時間もないというのがひしひしと伝わってきていた。だからこの担当している事件が終わったら盛大に甘やかしてやろうと企んでいたのに、──…悔しいことに先に甘やかされてしまった。
(……やっぱり今日はツイてねえ)
でも今日一日の出来事が全部覆るくらいに嬉しくて仕方ない。壊れたバイクも仕事のミスも所長の小言も一旦全部忘れよう。だって徹夜明けの体に鞭打ってまで迎えに来てくれた年上の恋人が可愛くて仕方ない。心の中はそれで埋め尽くされてしまった。
爆豪は、むずむずとニヤける唇をどうにかこうにか押さえ付けて、落とした鞄を持ち直す。相澤が持っている傘を奪った。
「さっさと帰んぞ、消太さん」
「んん」
「まだ寝んじゃねぇぞ!」
「んんん」
反対の手で今にも寝そうな相澤の手首を掴んで、降りしきる雨の中を早歩きで家に向かう。
合理主義者で、冷静で、判断力に長けているこの男が、迎えに来たと言いながらも自分の傘しか持っていないとこから体力気力ともに限界突破していることはよく分かる。寧ろよくここまで頑張れたなと感心しかない。
早く帰って濡れそぼった年上の恋人をお風呂に入れてやろう。今日は頭も体もフルコースで洗ってやってもいい。タオルドライもドライヤーもセットでつけてやる。途中で寝落ちしても文句も言わない。重い体を引き摺ってでもベッドまで運んであげる。
明日は、相澤は休みだろうか。もしそうならこれもして、あれもして。
気乗りしなかった早帰りと休日は着々と予定が埋まっていく。
「消太さん、……その、ありがとう」
雨足は弱まらないし、視界不良。それでももやもやとしていた心の中はすっかり晴れた。
「いつでもむかえにくるよ」
任せて、と少し得意げな表情に、そう言えば相澤は昔からお迎えが上手だったと思い出す。
眠れなくて寮の外をフラついていた時も、一人になりたくて空き教室で深呼吸していた時も。それから、自立出来るまで先生と恋人にはならないなんて我儘言った時だって。
いつだってこの男は爆豪が欲しいタイミングで迎えに来てくれる。
だから。
「いつか、俺も」
くれたものを返せていけるように。いつか相澤が迷子になったら迎えにいけるように。
「なに?」
「なんでもねぇわ」
秘密の決意は雨の音に隠して、そうして二人の家へと一緒に帰る。