「どうした?」
「別に」
髪の毛一本分にも満たない不機嫌を器用に嗅ぎ取った相澤が顔を覗き込んでくる。しかし、この質感が嫌だと言ったところで今更どうにも出来ないから首を振って口を閉ざした。それを不貞腐れていると捉えたのだろう。ご機嫌を取るような優しい口付けが頬や額、こめかみに落ちてくる。音の軽いリップ音に腰が震えた。
「な、せんせ、ちょっと待って」
「どうした」
嫌なわけじゃねえんだけど、と伝わるようにやんわりと胸を押し返す。圧し掛かるようにしてくっ付いていた上肢が離れていく。
爆豪は腹筋だけでゆっくりと起き上がって、
「ん」
そして、ちゃんと「待て」が出来ている男に向かって両手を広げる。
「ご褒美?」
ひと回り以上年下の青年から与えられる子ども扱いされているかのようなご褒美に、むず痒いとでも言ったような表情だ。それでも相澤はしっかりと爆豪を抱き締めて、そして胡坐をかいた自分の太腿の上へと招いた。
「アメがあるほうがいいだろ?」
「お前からなら鞭だっていいよ」
「アンタ痛いこと好きなんか?」
「いや。お前には鞭がよく似合いそうだなって話」
「…………似合うか?」
「今度買いに行く? 実際に持ってみればいい。きっと似合うぞ」
「デートの誘い方としては零点だな、おっさん。最低過ぎんだろ」
安っぽいピンク色の照明に照らされた相澤の顔は随分と機嫌が良い。相変わらず髭が生えっぱなしのザリザリとした両頬を摘まんで引っ張っても怒りはしない。それどころか、いつ行こうかなんて話を進めている。合理的なくせに案外強引な男なのだと好きになってから知った。
「誰が行くか。もうちょっとまともでお洒落な誘い文句言ってみろ」
「お洒落な誘い文句というのはおっさんにはハードルが高いな」
言いながら、相澤の手がシャツの下へと潜り込んできた。鍛え上げた自慢の背筋を確認するように撫でられる。今度は前に回ってきて、脇腹から臍へ。
捕縛布を操るたびに擦れて指先の皮膚が分厚くなるのだろうか。自分のものとはまた違う、凹凸がハッキリとした指先の感触に体が勝手に反応してしまう。爆豪は相澤の首に回した腕に力を籠めた。
開いていた瞼を半分ほど下ろせば、何も言わずとも重なる唇。軽く触れ合わせるものから、段々と濃度を上げていく。顔の角度を変えて、時折水音を響かせて。
シャツの中に入り込んでいた右手はいつの間にか爆豪の後頭部に移動していた。指先だけで頭を撫でられる。心地いい。もっと、もっと、と夢中になっていく。
(すきだ。すき、しょうたさん、すき)
隙間なんてないように密着して、爆豪は相澤の長い髪を纏めていたヘアゴムに人差し指を引っ掛けた。ゆうっくり外せば、はらはらと髪の毛が落ちてくる。用が無くなったヘアゴムはそのままベッドに落とした。そして手入れなど全然されていない髪の毛を両手で撫でて、くしゃりと指を絡める。
長い傷んだ髪と無精髭。二つの感触が爆豪の気分を高揚させていく。
唇はくっつけたまま、
「こっちの方が、アンタとキスしてる感じがして、いいな」
と言えば、一拍置いてから相澤の口が大きく開いた。がぶりと唇を食べられて、そうかと思えば肉厚な舌が侵入してくる。それだけで吐息が漏れる。肌で感じる体温は低いくせに、その舌はやけに熱い。熱を分けてもらうように爆豪も必死に舌を絡め、短く浅く呼吸する。口の中が溶けてしまいそうだ。きもちいい。すき、すき。
「ばくごう」
口付けの合間に自分を呼ぶ声はひどく甘くて。頭の中がクラクラと揺れる。思わず、まだ足りないと強請って、腰に足を絡ませた。
そして。
『――犯人確保。作戦成功。イレイザーヘッド、並びに爆心地、撤収準備をしなさい』
聞き慣れた事務所の所長、ベストジーニストの声に恋人ごっこの終わりを告げられた。
***
一般人の目に入りにくい場所にある隠れ家的なラブホテルは、潰れないのが不思議なほど人の出入りが少ない。この辺り一帯は治安があまり良くないことから人が寄り付かないのだ。
それでも利用客は少なからずいる。しかもどれもが表沙汰に出来ない後ろめたい関係を持つ者ばかり。例えば親友から奪った秘密の恋人との逢瀬。もしくは結婚している者同士の爛れたワンナイトラブ。この寂れたラブホテルのオーナーはそれを盗撮し、脅迫しては現金を巻き上げていたのである。
通報があったのは約一か月前。囮を使ってオーナーの意識をそちらへと向けさせ、その間に突入すると言う作戦が決まったのが半月前。件のオーナーが爆心地の熱狂的な大ファンだと調べがついたのが十日前のこと。
すぐに囮役の一人は爆心地に決まった。相手役は同じ事務所の既婚女性が候補に挙がっていたが、爆心地自身がノーを突きつけた。
『その下衆なオーナーの興味を引きそうな奴がいんだろうが』
そう言って指差したのは、偶々同じチームとして組み込まれていた高校時代の恩師でもあるイレイザーヘッドだった。
超有名名門高校の現役教師且つプロヒーローと、その教え子であり若手実力派プロヒーローとの誰にも言えない禁断の同性愛。しかも若手実力派プロヒーローは愛してやまない爆心地だ。オーナーが食いつかない理由が思いつかなかった。
よって相手役は満場一致でイレイザーヘッドに決定。当の本人は項垂れていたが、爆心地は鼻で笑い飛ばしていた。
そして本日が作戦の決行日。
イレイザーヘッドと爆心地は知らないことだが、ベストジーニスト曰く、オーナーの取り乱しようは狂気を孕んだ凄まじいものだったらしい。お陰で作戦は滞りなく進み、無事逮捕。保管されていたデータも、受け取った現金も、あったものは全て押収。現場がひと段落したところで、二人がひっそりとつけていたインカムに作戦成功の言葉が流れたのだ。
だから寂れたラブホテルで禁断の愛を絡み合わせる恋人ごっこは、これにて終了。お役御免である。
「……だってよ、イレイザーヘッド。お疲れ」
絡めた足で腰を軽く蹴った。先程までの甘ったるさは何処へやら。爆豪は何もなかったかのようにあっさりと離れようとする。
しかし。
「おいこら。イレイザー」
離れるより前に後ろに押し倒されてしまう。ぎゅうぎゅうと遠慮無しに抱きすくめられる。
気に入らないリネンの質感が背中に触れている。あぁやっぱり嫌いだ、気持ち悪い。爆豪は肌馴染みの悪い質感と、なかなか退いてくれない相澤に盛大な溜息をついて、遠慮なく髪の毛を引っ張ってやった。
「いたい」
「痛いのが好きなんだろ?」
「……どうせ痛くされるなら鞭がいい」
「お、とうとう本音が出たか」
ふはっと吹き出すように笑って、引っ張った髪の毛を撫でてやる。大きな子どもがいっそうしがみ付いてくる。爆豪は両足を持ち上げて再び腰あたりに絡めた。
「恋人ごっこの時間は終わりだぜ?」
なぁ、プロヒーローのイレイザーヘッドさん。
なんて意地悪く何度もヒーロー名で呼べば、下唇を突き出して拗ねている。そろそろ四十路が見えてきている大人が拗ねるなよと、突き出した下唇を甘く食む。
「ならここからは恋人の時間だ」
「まだ仕事中だっての」
「お前とラブホテルに来てキスまでしたのにこのまま帰らされるなんて信じられん。しかもお前このあと夜勤だろ? 俺ひとりあの家に帰るなんざ拷問だ」
「公私混同するなっていつもアンタが言ってるくせに」
「先に公私混同したのはお前だ。全員の前で指名しやがって。ベストジーニストに睨まれたんだぞ」
「ばーか。公私混同したのはアンタが先だ。俺が他の女と組むって話の流れになった途端に不機嫌な面ァしやがって」
「……」
「都合悪くなったら黙んな」
相澤は返事をしない代わりにキスを仕掛けてくる。都合が悪くなったらいつもコレだ、と呆れながらも受け止めて、自分から舌を差し出した。じゅる、と音を立てて吸われて、絡みつくように相澤の舌が入り込んでくる。唇を開けば容赦なく口腔内を犯される。
仕事中にも関わらずしっかりとキスを堪能していれば、インカムから再び声が聞こえてきた。どうやらこちらの部屋にプロヒーローが捜査のために数名やって来るらしい。そろそろ本気で打ち止めだ。内緒の関係性を見られたら大問題。ベストジーニストに睨まれるだけでは済まない。
「いれ、ざ、も、やめろって」
「いやだ」
「こら、ァ、ほかのやつら、来る、から…っ」
相澤の耳にもベストジーニストの声が流れているはず。だから分かっているはずなのに全くやめる気がない。それどころか、いつの間にかシャツの下に潜り込んでいた手に悪戯されて。思ってもいなかった刺激に艶めいた声が漏れる。
「み、られたらどうすんだよ、ばか」
「いっそ見せ付けてやるか」
「っ、ンなこと…!」
「演技じゃなくて本気でキスしてたんだと、いつもこうやってくっ付いているんだと、教えてやればいい」
長い前髪の隙間から覗く瞳の色があまりに真剣で。本気でスイッチ入りやがったと頬をヒクつかせた。こうなったら質感が嫌だのなんだの言っていられない。男の下から抜け出すために暴れる。
「テメッ、いい加減にしろって…!」
心なしか扉の向こうが慌ただしくなってきている気がする。インカムからはなにも反応がないので、誰がどこをどう動いているか分からない。もしかしたら十秒後にはあの扉が開くかもしれない。考えただけで心臓が痛い。駄目だ、早く離れないと。
「せんせい…っ」
もういっそ胸を押し返しているこの両手で爆破してやろうかと奥歯を噛み締めれば、ふと相澤の体から力が抜けた。どれだけ力を込めても退けることが出来なかった体が離れていく。安堵に、少しだけ驚きが混じる。
「――……冗談だ」
すまない、なんて言いながら腕を取られた。二人してベッドから降りて乱れた衣服を直す。
「爆心地」
「……ンだよ」
急に呼ばれたヒーロー名に、返答がワンテンポ遅れてしまった。
相澤の手が伸びてきて、頭を撫でられる。先程と違って性的な匂いなど一切ない、どちらかと言えば教師としてのそれ。
「お前、作戦が失敗してもいいように俺の顔が監視カメラに映らないように体勢変えただろ」
髪を解いたのも名前を呼ばないのも同じ理由からか、と言われて、気まずくなって目を逸らす。
この男相手に隠し事なんて出来ないのは重々承知しているが、素直に認めるのは嫌だった。違う、シーツの感触が気持ち悪かっただけだと半分真実の言葉を返しても相澤は礼を言ってくる。
そして。
「でもこれだけは覚えていてくれ。もしこの関係が公になったとして、世間から何を言われたとして、俺はお前をひとりにしない」
自分だけバッシングから逃れるなんて、責任を取らずに消えるなんて、そんなことは絶対にしないと。真摯に訴えてくる相澤に、爆豪は心の中で知ってると答える。
(だからこそ、守りたいんだ)
この男が誇りを持っているヒーローと教師という職も、この男が育てる未来のヒーローも。自分が愛してやまないたった一人の男も。ぜんぶ。ぜんぶだ。
(それこそ絶対に言わねえけど)
爆豪は、分かったかと念を押してくる相澤に小さく頷いて、それから少しの時間だけ抱きついた。恋人の体温を覚えて、そっと離れる。
恋人の時間ももう終わり。ここからはヒーローの時間。
二人が距離を取ったところで勢いよく開いた扉。
騒々しく入り込んでくる見知ったヒーロー達の姿に、二人は恋人の顔を隠して対応した。