アイマイ・ユー・マイン

教室に西日が差し込んで手元のプリントを橙色に染める。パチパチ、とホッチキスの音が響く。
「爆豪、お前もう少ししたら誕生日らしいな。切島から聞いた」
「あー……」
「反応薄いな」
「興味ねぇ」
「自分の誕生日だろ」
「アンタだって自分の誕生日気にしないタイプだろうが」
「俺とお前じゃ誕生日を迎えた回数が違う」
まだ十八なんだから誕生日に対して興味を無くすのは早過ぎないか、と苦笑いする相澤。しかし爆豪は気にした様子もなく、ただ本当に興味の無さそうな目で淡々とプリントの山を綴じていく。
「別にいつもと変わんねぇ普通の一日だ」
「休みの日だから寮でお祝いでもしてくれるんじゃないのか?」
「知らね。つうかこれ以上どうでもいい話すんなら俺ァ帰る」
「あ、待て。この量を一人でするのは骨が折れるから、ちょっと待て」
本当に帰ろうとすれば呼び止められて、仕方なく作業再開。
暫く黙々とプリントの山と戦って、終わると、じゃあ今度こそ帰るから、と席を立つ。お礼と、気を付けて帰れよという先生らしい言葉が返って来る。短い返事だけして背中を向けた。
扉を完全に閉めてしまう少し手前。
「――十八になったって、なんも変わんねぇのは分かってっから、どうでもいいだけだ」
それだけ言って返事も待たずに遠ざかっていく。
言うべきではなかったと後悔したが、覆水は盆に返ることはない。


「……迂闊だった」
一人残された教室でポツリと呟く。地雷を踏んでしまった。完全に。
「浮かれすぎだろう、俺」
久しぶりに巡ってきた日直。お誂え向きのプリントの山。
もう一人の日直が帰ったのを確認してからわざわざ教室に戻って声を掛けた。仕方ねぇなァという顔をしながらも嬉しそうに口元を緩めて付いてきた爆豪の姿に、完全に浮かれてしまっていた。
「どうしたものか」
あの子どもに告白されて、そろそろ二年が来ようとしている。
好きだと言われた瞬間。迷惑だとも嫌だとも思わなくて。それどころか自分が今の立場じゃなかったらあっさり頷いていたくらいには嬉しかった。
だが、現実として教師と生徒がどうこうするのは当然ながら御法度なので「爆豪が卒業して、それでも今と同じ気持ちならその時にまた話をしよう」と好きも嫌いも明言を避けた。
分かっている。本当はその気持ちは即刻拒絶するべきだった。
それから今日まで突き放すことはなく、ただただ生殺し状態を続けている日々。あの日以来好きなんて言われていないけれど、今日みたいに嬉しそうな態度を取られるたびに、まだ好いてもらえているのだと実感して浮かれてしまう。
こんな最低な奴なんて早く忘れたほうがいいぞと思うのに口には出せない。爆豪からの甘く柔らかな感情に甘えている。
自覚がある狡い大人は、ひとつ溜め息を吐いて頭を抱えた。


***


十八になればこの国は成人扱いをしてくれるが、高校生だと言うことに変わりはない。
月曜日になれば学校に行くし、卒業だってまだ先。だから誕生日が特別だなんて思えなかった。寧ろ休日だから相澤に会えないから寂しく思うくらい。休みの日なんてなければいいのに。
そこまで考えて、いやでも休みで良かったかもしれないと思い直す。
相澤にあんなことを言ってしまったから、少し気まずい。十八になったってなにも変わらないからどうでもいいなんて、言うべきではなかった。あんなの遠回しに先生を責めているみたいだと、酷く落ち込む。
責めたいわけじゃない。例え告白をもう二年近く宙ぶらりんにされていても、そうしなくてはならない道理は分かっている。どう足掻いたって先生は先生で、自分は生徒だから。
「ほらみろ」
十八になって、成人したって、自分は大人の足を引っ張るだけの子どもなのだ。我慢も出来ない手間のかかる子ども。
やっぱり、何一つ変わり映えのないただの一日だ。

誕生日のお祝いなんてものはしなくていいと事前に何度も言っていたのだが、これがゆっくりと祝える最後の年だからと寮内でパーティーが開催された。
誰かの誕生日という名目を借りて騒いで遊びたいだけだろうけれど、一人でいるには気が滅入っていた爆豪にはちょうどいいタイミングだった。
結局昼過ぎから消灯時間までを共有スペースで過ごす。
「じゃあそろそろお開きにするか」
誰かが言ったその言葉で、解散。爆豪は抱えきれないプレゼントを台車に乗せて運ぶ。
静かな部屋に戻ってきてベッドに倒れ込んだ。流石に少し疲れた、なんてうとうとする。体力には自信があるが、ああいう騒がしい場に何時間も滞在するのは普段と違う体力を使うから、明日がもう一日休みで良かったなんて考えた。
すると窓の方からコンコンと音がした。何かが当たったと言うより、誰かが叩いているような音。
こんなことをして部屋に侵入してこようとするのは、切島か瀬呂か上鳴か。
「んだよ、もうこれ以上騒ぐ気はねぇぞ」
俺ァ眠いんだ、と文句言いながらもカーテンを開けて、目の前の人物を見て目を点にした。
「……は? 先生?」
ラフな私服に捕縛布を持った相澤がいたのだ。開けてくれと窓を指で小突かれる。
中に入ってきた相澤は捕縛布を適当に床に放り、それから台車にこれでもかと乗ったプレゼントを見て、
「楽しい誕生日になったようだな。良かった」
と言って頭を撫でてきた。
「別に、なんともねぇわ。こんなん」
「卒業しちまってる来年からは難しくなるぞ、こういうのは」
「……何の用だよ」
そんなことを言いに来たのかと、睨む。
相澤は「あー」とか「うん、いや、あの」とか煮え切らない言葉を吐き出すばかりで、苛々が募っていく。
「ハッキリ言えや」
言われなくても分かっているけど。早く終わらせたくて何度も促す。
どうせ誕生日おめでとうと言いに来ただけだろう。自分が不貞腐れてあんな風に責めたような言い方をしたから。ご機嫌を取るためか、面倒事を潰しておきたいだけか。知らないけれどそんなもんだろう。
だからやっと先生が口にした、
「オ、オ誕生日オメデトウ、ゴザイマス」
という片言めいた言葉には軽く返事をしただけ。
想定内の言葉に何の感動も得られず、溜め息を吐いてベッドの縁に座る。
「じゃあ俺もう寝っから」
「あ、いや、もう少し起きててくれ」
言外に帰れと仄めかしたのに、相澤は帰るどころか小さな箱を差し出してきた。可愛らしくラッピングされたそれに、嫌な予感が脳裏を過る。
「……んだよ」
「いいから」
さっさと受け取ってくれ、と言う相澤は顔を背けていて、長い髪で顔がよく見えない。言われた通りに受け取って、開ける。
中には細いゴールドのチェーンのアンクレット。一つだけ黒い宝石が付いているだけのシンプルなもの。
見た瞬間なにを思うより前にボロボロ涙とが出てくる。嗚咽を堪えるように奥歯を噛み締める。
そして、箱を閉じて相澤に投げつけた。こんな風に癇癪を起こしてしまうから子どもなんだと、分かっていても止められなかった。
「こんな……ッ!」
自分があんなことを言ってしまったから気を遣わせた。責めるようなとこをいったから責任を取るべきなんだと思わせてしまった。好きになってしまって、告白してしまったから、変な負い目を負わせてしまった。
この人はただ毎日教師であるだけなのに。厄介な自分なんかに惚れられてしまったから。好きでもないのにご機嫌を取らなくてはならなくて。仕事を増やされて。無理やり、教師であるこの人にこんなことをさせてしまった。
こんなことしてほしいんじゃない。自分が。自分のせいで。
最悪だ。
「…ッ!」
――ああでも。
一つだけ。たった一つだけ今すぐにでも大人になれる方法がある。気付いてしまった。
「要らねぇんだよ…! 俺ァ、アンタなんか」
あの告白を撤回して、嫌いだと言って、この恋を終わらせれば全て丸く収まる。
もっと早く気付くべきだった。


***


「アンタなんか」
その言葉の続きなんて容易に想像できた。
だからその言葉が声になるより先に、相澤は爆豪の口へと手を伸ばす。大きな手の平で覆って、そのままの勢いでベッドに押し倒してしまう。今誰かが部屋に入って来たら一発アウト。言い訳なんて出来ない。
それでも今は言葉を阻止するほうが重要だった。
「ごめんね、爆豪。それだけは聞きたくない」
狡くて酷くて弱い大人の懇願。なんと情けない愛情だろうと嫌になる。
自分への想いが勘違いだったことに気付き可愛らしい彼女の一人でも作ったと言うなら、手は離してあげられる。しかし、そんな風に悲しい嘘で固めた嫌いだけは受け取るわけにはいかなかった。それもこれも、自分があの告白をずっと中途半端にしているせいなのだけど。分かっているけど我儘は止められない。
手の平に押し付けられて、飲み込むしかなかった言葉に爆豪はいっそう泣く。
そうだよな、つらいな、ごめんね。嫌いと言って終わらせる事が出来れば、それが一番楽なのに。ごめんね。
「お前が十八になったって、確かに何も変わらないよ。何も答えてあげられない。手も取ってあげられない」
俺も好きだよと返せたなら。キスの一つでも出来たなら。指を絡めることが出来たなら。きっと安心させてあげられるのに。
「けど今日だけは祝いたかったんだ。ごめんね、勝手で。……でもまた俺は間違えたんだな」
浮かれないよう律していたけど、好きな子が大人になった初めての誕生日という雰囲気に酔ってしまっていたみたいだ。悉く情けない。
どうにか祝いたくて、似合わないプレゼントなんて用意して忍び込んで。結果泣かせてしまったのなら意味がない。やっぱりこんな大人と到底言えないただのおっさんはやめておいた方がいいかもしれんぞと心の中で苦笑い。
「昔からこういう色恋沙汰は得意じゃないんだ。すまない」
対照的に色恋沙汰が得意分野であるプレゼント・マイクが、頭の中でこちらを指指して腹がよじれるほどに笑っている。
腹が立つので後で殴ろうなんて八つ当たりしながら考えていると、手の中の口がもごもごと動く。
苦しいのか、とやっと気付いて離せば、なぜか爆豪はパチパチ大きく瞬きしてる。虚を突かれたような、そんな顔。
「ん?」
何にせよ泣き止んでくれてよかったと呑気に思っていたが、
「……いろこい、ざた…?」
そう聞き返されて心臓が止まるかと思った。しまったと頬をヒクつかせても遅い。
「色恋、なんか、アンタの中で俺は」
大きいツリ目が見上げてくる。元より水分量が多く綺麗に揺れることが多い石榴色が乱反射して煌めく。きっと舐めると甘いのだろうと、現状を忘れて考える。
「ちゃんと、そんなふうに、見てくれてんのか…?」
聞きたい、知りたい、言って、お願いと訴えられるが、これ以上喋ろうものなら一線を越えてしまう自信がある。
だから、また狡いと泣かれるかもしれないけれど。
「さっきのプレゼント、受け取ってくれないか」
言って、ベッドから降りて床に落ちた箱を拾うしかできない。床に腰を下ろし、ベッドの縁に座り直した爆豪の左足首を捕まえる。日に焼けにくいのか白いそこはキュッと引き締まっていて、ゴクリと喉を鳴らす。アンクレットをつける指が微かに震える。
「爆豪、これをつけるのはこっちだけにしてくれ」
「……なんで」
「秘密」
「ずりぃんだよ、アンタは」
「うん。ごめんね」
やっぱり狡いと怒られてしまった。でももう泣きそうな顔はしなかった。アンクレットを外されることもない。
今はプレゼントの意味に気付かなくたって、少し調べればすぐに分かる。それを知ったとき、この子はどんな顔をするのだろう。隣で見ていたい気もするが、残念ながら出来ない。まだ教師と生徒だから。
もしこの子の気が変わっていなければ、来年の誕生日に。調べなくたって、聞かなくたってすぐに意味が分かる、分かりやすいプレゼントを用意しよう。
「せんせ」
爆豪の手が先生の袖を掴む。
「……あ、りがとう」
それから、ごめん。一人で暴走して、癇癪を起こして、プレゼントを投げつけて。
顔も耳も真っ赤にして、それでも申し訳なさそうに眉を下げ。しかし逃げることなく真っ直ぐ見つめてくるのが眩しくて仕方ない。
「どういたしまして」
お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。好きになってくれて、本当は嬉しくて堪らないんだよ。だからもう少し一緒に我慢しよう。

次の春は、どうか二人で――…。


***


来た時と同じように窓から帰っていく相澤を、爆豪はいつまでも見送った。
結局何も言葉をくれていないし、先だって分からない。まったく不安がないといえば嘘になる。明日からまた一人で我慢を重ねる日々だ。
それでも。
「お揃いかよ」
捕縛布を使って空を駆けるその左足首に紅い宝石が見えて、思わず笑顔が溢れてしまう。一人でしていたと思い込んでいた我慢は、実は二人分だったのかと期待してしまう。

キラリと光るそれは流れ星のようにスッと消えていく。
どの星よりも目を惹く紅を忘れないように、瞼の裏に焼き付けた。

「    」

紅く小さな流れ星に願いを。
狡い大人の真似をして、秘密の願い事をそっと呟いた。

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