先生の恋人について

※モブ生徒視点


「今日は雄英の卒業生であるプロヒーロー爆心地が特別指導に来てくれることになっている。みんないつも以上に気を引き締めて演習に当たるように」
ホームルームは以上だ、と言って相澤が出て行くと、クラス全員が詰まっていた息を吐き出して肩の力を抜いた。そしてそれぞれに好き勝手に文句を言う。言葉は違えど中身は同じ。
「相澤先生、機嫌悪過ぎ!」


***


雄英の卒業生が特別指導に来てくれるときは、いつもの倍以上の時間が実習に当てられる。今日は四時間目が短縮授業となり、早めのお昼休み。そして午後をめいっぱい使っての演習となっている。コスチュームに着替えたクラスメイトは浮足立つ者もいたし、明からさまに爆心地を怖がり嫌がる者もいた。特に女子からの反応は顕著だ。格好いいじゃん、と呑気に笑っているのは二人だけ。
(……まぁ怖くないのかなんて聞かれたら、怖いって答えちまうよなぁ)
だってあの爆心地である。敵に立ち向かっている時も、誰かを助けるときも、記者に囲まれてインタビューを受けている時も、愛想笑いの一つもしない。何だったら怒鳴り飛ばしてくる。目をこれでもかと吊り上げて、眉間に深い皺を刻み込んでいる姿は、本当にヒーローなのかと問いたくなるほど。暴言だらけで丸々カットされていることもしばしば。
(こりゃあ機嫌の悪い相澤先生との相乗効果でとんでもない演習になるかもしれないなぁ)
地獄絵図を想像して、もういやだ怖いよ帰りたいなんてヒーロー志望らしからぬことを考えた。


「よし、全員揃ってるな」
出欠を確認する視線は鋭く厳しい。昼を過ぎても相澤の機嫌は悪いままだった。せめて昼休みに好きな猫とでも戯れてもらって機嫌が直っていれば、という淡い期待は打ち砕かれてしまった。それに、隣に立っている爆心地も負けず劣らず目つきが悪い。心なしか空気が冷たくて腕を擦る。
相澤からの注意事項を全員黙ったままで聞き、質問はなかったので早速演習を始めることになった。最近の演習は専ら、仮免取得に向けての必殺技の開発。元々技を持っていた者はそれに磨きをかけるように言われている。取り敢えずいつも通りに個性を使いながら動いていれば、爆心地がアドバイスをくれるという段取りらしい。人に迷惑がかからないようにそれぞれがTDLの中で距離を取って個性を使い始めた。
相澤と爆心地は周囲をざっと見渡しながら、時々生徒の方を指差して二人で話している。一通りの情報を頭の中に入れたのだろう。爆心地がゆっくりと動き出す。眼光鋭いその瞳でしっかりと観察して、一番近くにいた生徒に声を掛けて指導が始まった。


どれくらい時間が経っただろう。集中して個性を使って暴れ回って、切れた息を整えながら頬を伝う汗を手の甲で拭う。ふう、と一息。
「無駄撃ちする前にもうちょっと体を鍛えろ」
後ろから唐突に聞こえた声に「うわぁ!」と情けない声が出た。慌てて振り返ると爆心地が岩場に腰を掛けてこちらを見ていた。
(い、いつから……っ!?)
全く気が付かなかった。どちらかと言えば気配に聡い自信があったのに。
「クソみてえに体幹が弱ぇんだよ。テメーの電撃はいくらだって応用が利くんだから、攻撃を繰り出すときにブレる癖をどうにかしろや。つうか、ブレる前提で照準を合わせてんじゃねぇよ」
いつから居たんですか、と聞きたかったけれど爆心地はそんなことお構いなくどんどん喋る。思わずボイスレコーダーで録音したくなるほどに流れるように喋るので余計なことなど考えている暇がない。はい、はい、と返事するのも惜しい。
「――――っつうことだ、分かったか?」
「はい! べ、勉強になります! ありがとうございます!」
「何か質問は?」
「あ、えと、あの、」
「はよ喋れ」
ギロリと睨まれて首が竦む。だってその顔はいつもテレビで見ている敵顔だ。媒体越しじゃない分いっそう迫力がある。あの爆心地がこんなにも至近距離で自分を睨んでいる。本物の敵ですら爆心地の表情や怒声に恐れをなす者もいるのに、自分なんかが耐えられるわけがない。
(な、なにか言わないと殺される……!)
しかし、当然ながら殺されることはない。爆心地は気まずそうな顔をして自分の頭をガシガシと掻き、別に怒ってねぇわと小さく漏らした。
「俺ァこれが普通なんだよ。別に怒ってねぇ。いちいちビビるのやめろ」
それに。
「テメーの個性は磨けば磨くほどに強くなる。だからその癖が勿体ねぇんだよ」
つい熱が入ってしまったと。そう言われて恐怖でいっぱいだった心が単純に浮上する。それから、良かったと腹の底から息を吐き出しつつ、思わず余計なことまで喋ってしまった。
「今朝からずっと相澤先生も機嫌悪くて怖かったから、爆心地だけでも怖くないってことが分かって安心しました……」
「イレイザーが?」
「はい。もう朝来た時からずっと怖い顔してて、クラス全員でビビッてました」
とうとうこのクラス初めての除籍者が出るんじゃないかという話にまで発展したくらいだ。それを言えば爆心地は考え込んで、それから岩場の陰から下を覗き込んで相澤を呼んだので驚いた。呼ばれてすぐに、捕縛布で簡単に此処まで登ってきた相澤の姿に固まる。相澤に対しての愚痴を言ってしまったのを告げ口されるのだろうかと肝が冷える。
「あの、ば、爆心地……」
「アンタ今日機嫌悪いんか?」
「は?」
やっぱり告げ口だ!
顔を青くしてオロオロするが、爆心地は知ったこっちゃないという顔をして質問を撤回する気は無さそうだ。もしかして自分が初めての除籍者になる展開では? と気が遠くなっていく。
「いや、機嫌は悪くないが……」
いきなりなんだと訝しげに爆心地とこちらを見てくる相澤に、思わず嘘つき、と言いたくなった。今だって機嫌が悪い顔をしている。ほぼ毎日顔を合わせている生徒を見縊らないでいただきたい。
しかし。
「そーだよなァ」
こちらの心情など知る余地もない爆心地は、まるで鼻歌でも歌いそうなほどに上機嫌にそう言って、グローブを嵌めたままの両手を伸ばした。両手は相澤の両頬に辿り着き、あろうことかグイッと左右に広げるように引っ張った。こちらからすれば機嫌が悪いようにしか見えない仏頂面がなんとも愉快なものになる。
「俺からしてみりゃ、機嫌が良すぎてニヤニヤしねぇように堪えてる顔にしか見えねぇわ」
なぁ、イレイザー?
あの爆心地が小首を傾げて、テレビでは見たことないような顔で笑っている。
「こら、やめなさい」
間抜けな顔で、気が抜けた声で。そうやって怒る相澤も自分が知っている人ではないようだ。
(な、なんだろう、なんか……)
見てはいけないものを見て。巻き込まれてはいけないものに巻き込まれた気分。
「俺が来たのがそんなに嬉しいか、イレイザーヘッドさんよォ」
「うるさい」
「朝から機嫌悪かったって思われてたみたいだぜ? 本当はどうなんだよ」
「うるさい。機嫌なんて悪くない。分かってんだろ」
「おーおー、そうだよなァ。悪くねぇよなァ」
ケケケ、なんて悪戯をしている子どものような顔で笑う爆心地。その言い方はまるで機嫌が悪くなかったことを、随分と前から知っているような口振りで。少しだけ違和感を覚えた。
「こら、か、…………いい加減にしろよ、お前」
「へいへい」
相澤の声がワントーン下がった所で爆心地がパッと手を離す。それから「ちゃんと体幹トレーニングしろよ。あとサポートアイテムも見直せ」と言って、ヒラヒラと手を振って次の生徒のもとへと向かった。怒鳴っているイメージが大きいだけで動きは静か。瞬きひとつで視界から消えた。
取り残されたのは相澤と、自分だけ。
「……あ、その、えっと、先生?」
相澤になんと声をかけるのが正解なのだろう。迷っていれば相澤がズカズカとこちらへとやって来て距離を詰める。顔が寄って来る。あ、頬っぺた赤い。
「今のやり取りは忘れろ。間違っても面白がって言いふらしたりするなよ。分かってるな?」
「はっ、はい……!」
「よろしい。訓練を続けなさい」
「はい!!」
個性どころか命自体を抹消されそうなほどに強い目力に圧倒されて何度も何度も頷いて返事をする。それに納得した相澤は爆心地を追いかけるようにして去っていく。こちらも爆心地と同じように音がなく、体の使い方が似てるなぁなんて直感的に思った。
嵐が去ったことが分かって全身の力を抜く。今年一番深い溜息が口から零れた。
(いったい何だったんだ、今の)
未だに信じられない光景に頭の中を占拠されて、暫く訓練は再開できなかった。


恩師であるイレイザーヘッドと爆心地が長く同棲していたと知るのは一年後のこと。
恋愛とは無縁のように勝手に思っていた合理主義の相澤が、あの爆心地の初スキャンダルを奪うとは、そしてそれが事実だとは誰も想像もしなかった。

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