所長の恋人について

※モブSK視点


「今日の午後、所長の知り合いが来るから通してね」
「はい!」
隣の席の、先輩サイドキックに耳元でこっそりと話しかけられたのに、思わず普通のトーンで返事をしてしまって軽いゲンコツが振ってきた。
「すみません」
「所長の機嫌悪いんだから、そういうところ気を付けろよ」
「はい……」
所長の機嫌が悪いことは、嫌というほどに重々承知しているので今度は小声で返事をした。ちょうど資料室から出てきたところの所長をこっそりと見たが、こちらを気にする様子はない。よかったと胸を撫で下ろす。
なにせ今朝の現場は殺伐としていた。あそこまで所長――爆心地が機嫌の悪さを露呈させているのは自分がサイドキックになって初めてのこと。一般市民や、あまり関わり合いのないヒーローや警察官なら爆心地が怒鳴っていても「いつものことか」と思うだろうが、一歩彼に近付いたものからすればただの凶暴者ではないことを理解しているので怒りのバロメーターが見えている。今朝のそのバロメーターは真っ赤。限界値まで色濃く染まっていて、なんだったらいつ暴発しても可笑しくないくらいに膨れ上がっていた。つられるようにして爆破の威力は凄まじく、凄まじいからこそ勢い余って狙いの隣のビルの外壁をほんの少しだけ焦がしてしまった。
寸分の狂いなく、あの強固性を使いこなしている爆心地にあるまじき失態。怪我人がいなかったのが不幸中の幸い。しかしマスコミはそれを誇張して騒ぎ立て更に機嫌は急降下。
今でこそ大人しく決裁処理に当たっているが、数十分前まで専用のトレーニングルームで暴れ回っていた。今頃物質修復系の個性を持ったサイドキックが泣きながら直していることだろう。
「ところで来客って誰ですか?」
こんな機嫌の悪い日に。いくら暴れ回って怒りのバロメーターにほんの少し余裕が出来たとはいえ、相手によってまた暴発するかもしれない。
「ん? あぁそうか、お前は初めて会うんだったか。……覚えておくといいよ。所長の機嫌と体調とメンタルの状態がよろしくない時にやって来る、とあるヒーローの名前を」


***


「十三時から爆心地との面会をお願いしていたイレイザーヘッドです」
あ、これみなさんでどうぞ。そう言って菓子折とともにやって来た件の来客はボサボサの長い髪と無精髭、それから首元に巻かれた布で顔の殆どが隠れているせいで年齢層がよく分からない。この事務所内で一番の若手である自分からすれば間違いなく年上で大先輩にあたる人なのだろうというのは分かるが、二回り離れていると聞いても驚かないし、実は若くても頷ける。所謂年齢不詳というやつだ。更に声に覇気はなく、本当にヒーローなのかも怪しいほどにやる気も見受けられない。自分が憧れている爆心地とは真逆の雰囲気。全身真っ黒で覆われているせいか体格は逞しくないように思えるし、不意を突けば自分でも勝てそうだ。
そう言った失礼な文言は心の奥底に仕舞って、有難く菓子折は受け取る。そのまま事務所内へ通し、所長のデスクへ案内しようとすればイレイザーヘッドが一歩前へ出た。
「ここで結構」
そのまま、すっと歩いていく一歩が大きい。明らかな拒否。
どうしていいか分からず近くの先輩に視線を送れば「もう放っておいて大丈夫」と頷かれたので大人しく自分のデスクに戻って報告書の続きを書くことにした。
イレイザーヘッドはノックをして所長室へと入っていく。壁も扉も分厚いのできっちりと閉められてしまえば中で何が起こっていて、どんな話が繰り広げられているかどうかも分からない。
堪らず隣の先輩に声をかけると、
「シッ。また後でな」
それだけしか言われない。
また後で、と言ってくれたのでこちらの疑問もわかってくれているのだろう。仕方なく報告書に向き合っていれば、三十分もしない間に内線が鳴った。
「……はい、はい、わかりました」
受話器を置くと、黙々と仕事をしていたサイドキックが手を止めて所長室へと向かう。先頭の者がお座なりにノックをして分厚い扉を開けて入っていく。
「気になるんだろ? 一緒に行こうぜ。絶対に怒られないから」
何が起きているか付いていけずにそわそわしていれば隣の席の先輩に声を掛けられ、頷いてついていくことにした。
所長室の扉は開きっぱなしで、もう誰もノックも一礼もしていない。そんなことをすれば厳しい所長に怒鳴られるのに一向に怒鳴り声は聞こえてこない。初めての事態に気になって歩みを早めてサイドキックが群がる所長室のソファへ。
「わ」
思わず声が溢れた。
ローテーブルを挟んで、向かい合わせにソファが二つ並んでいるにも関わらず、イレイザーと爆心地は並んで座っている。いや、座っているというよりも、爆心地はイレイザーに凭れ掛かっていた。自分からすれば厚みなど分からないイレイザーの肩に顔を預けて、ついさっきまで不機嫌に歪められていた顔を穏やかにして、ぐっすりと眠っていたのだ。足元やローテーブルには爆心地が持っていたのであろう書類が散らばっている。
驚いた。こんな短時間で爆心地が眠っていることにも、周りでサイドキックが騒いでいても起きる気配がないことにも。
爆心地は例え仮眠をとっていても騒がしければすぐに起きてしまうのだ。プライベートではどうかは知らないが、仕事モードに頭が切り替わってしまっているとどうにも熟睡が出来ないらしい。だからこそ所長室の壁や扉は分厚く、出来るだけ音が入らないようになっている。そして一分でも長く休めるようにとサイドキックは静かに動いて仕事をする癖がついている。
なのに。
「やっぱり所長の熟睡してる時の顔は可愛いですね。イレイザーさんいつもありがとうございます」
普段と変わらない声のトーンで誰かが話していても爆心地は寝息を立てるだけ。
「いや、余計な手間を取らせてしまって申し訳ない」
「何を言いますか。これ以上に普段から所長にはフォローしてもらってますから」
長年爆心地の元でサイドキックをしているヒーローが明るく「何も問題ないです」と加えて言えば、イレイザーヘッドが少しだけ目を細めた。前髪の奥で目尻の皺がぐっと深くなり、そこでようやっと随分と年上なのだと気付く。それこそ爆心地よりも、自分が先輩と呼んでいるサイドキックたちよりも、もっとずっと大人。
「フォローしてもらっているのは爆心地でしょう。あなたたちが的確に事後処理に当たってくれているからこそ、この子が無茶を出来る」
「所長の目がいいんです」
「それこそ能力があってこその話だ」
いつもありがとう、と。これからも宜しく頼みます、と。眠っている爆心地からは聞いたことがないような感謝の言葉を躊躇なくイレイザーヘッドは口にする。
付いていきたいと願った唯一無二の所長でも、直接の上司でも先輩ないのに、なぜかイレイザーヘッドの言葉はすっと心に入ってきて、気付けば大きく頷いていた。不思議な声色だ。初めて会ったはずなのに、昔から知っているかのような空気感。身を預けられるような安心感。そして胸の奥から湧き出てくる嬉しさ。警戒心が強い爆心地がうっかり眠ってしまう気持ちがよく分かる。
「ところでイレイザーさん」
一頻り話が終わったところで他のサイドキックが後ろから声を掛ける。
「本日のご予定は?」
「緊急要請が無ければ特には」
「では……!」
「はい。このままもう暫くお邪魔します」
「ありがとうございます‼ よし、今のうちに仕事だ‼」
者どもかかれぇ! とひと昔前の時代劇みたいな号令がかかったと思えば所長のデスクや引き出しから遠慮なく書類を抜き取っていく。
「えっ、わ、え、ええぇっ⁉」
バタバタと一気に慌ただしくなった所長室。全員手慣れた様子で所長が隠していたであろうものを奪っては自分のデスクへと戻っていく。何が起こっているか分からず、先輩からどんどん渡される書類を落とさないように気を付けるだけしか出来ない。なんだ、これは。なんのイベントなんだ。
「こ、これ所長の、勝手に取っていいんですか⁉」
「いいのいいの! あの人放っておいたら全部自分でやっちゃおうとするからこういう時に取り上げておかないとね!」
ニカッと笑う顔は最早常習犯のそれ。どうやらまだ自分が知らなかった爆心地事務所の恒例行事らしい。確かに所長のデスクをひっくり返せばとんでもない量の書類やら資料が出てきて、普段何気ない顔でこれだけの処理を一人でやっているのかと知ってまた驚いた。見れば、新人にでもやらせておけばいいような資料の整理まで手を出している。
「所長は頭もいいし器用で要領もいい。私たちがするより断然早い。けど、だからって全部やらなくてもいいのにね。……まぁ言っても治らないから強制的に奪い取ることにしたの」
特に今日みたいに、らしくないミスをするような日はね。
そのうちすっかり空っぽになってしまったデスクにサイドキックたちは満足げに頷き、集中して処理に当たり始めた。
「ついでにここ直近で爆心地が関わってる事件の資料も見せてもらえますか?」
「はいはい」
クルクルと走り回るサイドキックにイレイザーヘッドが声をかけ、渡された書類に目を通している。先輩に命じられてお茶や菓子をローテーブルに置けば「ありがとうね」と微笑まれた。それに会釈で答えて、足元に散らばっている書類を拾っていく。
「他にも色々事件は抱えてますけど、所長の機嫌を損ね、メンタルを抉ってきたのはそれかと」
「関東広域における男子高校生連続誘拐事件、か。嫌な響きだ」
「誘拐されているのは今のところ全部で五人。接点はなし。防犯カメラにも有力な手掛かりは残っておらず、目撃者もゼロ。犯人からの接触もなし」
「と、いうのが警察発表」
「そうです。それ以上の情報は何も与えてもらえず、何なら捜査に対するやる気が見られません。何も進展していないんですよ、五人も誘拐されているのに」
「本当に情報がなく動きようがないか、進展されては不味いことがあるか」
「所長は後者だと踏んでいるようです」
「これ、県を跨いでいるようですが、本部は何処に?」
「それならここですね」
二人の会話を聞きながら最後の一枚を拾い終わって纏めてローテーブルに置く。仕事の邪魔をしないようにと、立ち去ることにした。その事件の概要は知っているけれど残念ながら担当外なのだ。
「あぁ、ここならちょっとした貸しがある。俺から声をかけてみます」
「是非、宜しくお願いします」
自分のデスクに戻って既に山盛りに置かれている書類に手を伸ばしながら、先輩に声を掛けた。
「イレイザーヘッドって実は凄い人ですか?」
「なんだよ、そのざっくりとした質問」
「いや、こう、なんて言って良いか分からなくて」
言って、さっき聞いたばかりの会話を先輩に説明する。各県を跨ぐ事件を纏める捜査本部から情報を貰えるだけの貸しを作っているイレイザーヘッドの全貌が掴めないと零す。
「コネとか貸しだとか、そういうものだけで人の凄さというのは語れないけれど、でもその一点で凄さを測れというならお前が考えている何千倍も凄い人だよ」
メディア嫌いで表には出ず、秘密裏に事件を解決してばかりなのでランキングにも載らず。しかし何か厄介な事件があれば警察が率先して名を上げるテクニックSクラスのアングラヒーロー。
「ついでに今を時めくヒーローデクやショート、それから我らが爆心地の恩師」
「おっ、おんし、ってことは……っ!?」
「かの有名な雄英高校ヒーロー科の現役教師」
「ひ…っ、お、おれ、さっき初めて見た時不意打ちなら勝てそうって思っちゃいました……」
「やめとけ」
素直に白状すれば先輩はケタケタと腹を抱えて笑う。聞けば、不意打ちはイレイザーヘッドが得意とするものらしい。危なかった。おふざけでも手を出せば自分がどうなっていたかも分からない。下手をすれば、こんな若造が考えていたことなどお見通しだったのかもしれない。
それに、現役の教師だと知って納得できた部分もある。初めて会ったはずなのに昔から知っているような空気感と安心感。それはきっと教師としての一面を感じ取ったのだろう。優しい先生だったのだろうなと勝手に推測する。
「所長も恩師と話していれば気が抜けて寝ちゃうくらい可愛いところもあるんですね」
ぴったりとイレイザーの方に寄りかかって安心して眠っていた爆心地の顔を思い出しながら言えば、そろそろ手を動かせよと促されてしまって慌ててキーボードを叩いていく。
「――……ま、恩師だからってだけじゃないんだけど」
集中すると周りが見えなくなってしまうのが自分の悪癖で、先輩がボソリと零した言葉は残念ながら耳に入ってこなかった。


***


「テメェら、やりやがったな……ッ!」
二時間半にも及ぶ睡眠から目覚めた爆心地が発した第一声がこれである。
ギギギと音が鳴るほどに目を吊り上げて、そして一拍置いてからガオ! と吠えた。そんな怒りなどとうに慣れているサイドキックたちは呑気に「あ、おはようございます〜。よく眠れましたか?」などと挨拶をしている。
最初にも言った通り彼の近くにいる者たちは怒りのバロメーターが見えている。朝は真っ赤に染まって膨れ上がっていたそれは、熟睡できたからかすっかり余裕が出来ている。もしかしたら眠る前にイレイザーヘッドと話して心の整理をしたのかもしれない。何にせよ今の爆心地は怖くない。
「アンタもアンタだ! 忙しいくせに毎度毎度寝かしつけに来るんじゃねぇ!」
「お前もいい年なんだから熟睡したら涎垂らす癖どうにかしたらどうだ」
「うるっせぇええ!! 今はそんな話してんじゃねぇわ!!」
まだ付いているぞと言われて慌てて口元を拭う爆心地の顔は今まで見たことがないくらいに真っ赤だった。なるほど、こういった反応は今まで見たことがない。どうやら恩師の前では高校生時代に戻ってしまうらしい。それだけ懐いていたのだろう、イレイザーヘッドに。
未だ吠え続けている爆心地を恐れることなく、なんだったら頭を撫でて宥めているイレイザーとのやり取りをどこか微笑ましい気持ちで眺めていたら事務所内にサイレンが鳴り響く。出動だ。
「遅ぇ!」
反応が一番早かったのはやっぱり所長である。
あっという間にフル装備して外に出たと思ったら、窓ガラス越しに爆破音が聞こえる。現場まで文字通り飛んでいくのだ。次いで、本日の外回り組が飛び出していく。サポートメンバーは情報を精査しながら爆心地のインカムへと流し込んでいく。
騒がしくなった事務所内はすぐに静かになり、落ち着いたところでイレイザーヘッドが「そろそろ帰ります」と声を掛けた。
「誘拐事件の件、俺が首突っ込むのは内緒でお願いします」
「分かってますよ。いつも通りの処理をしておきます」
「……あと、」
「それも分かってます。写真はスマホに、例のチケットは雄英高校に郵送しておきます」
ぱち、とサイドキックがウインクをしながら答えれば、僅かに口元を緩めたイレイザーヘッドがそれを隠すように首元の布を引き上げた。


「先輩、写真とチケットってなんですか」
「写真はイレイザーさんが好きそうな猫の写真。チケットは猫カフェの優待チケット」
「ね、ねこ……」
「あの人生粋の猫好きなんだよ。だから今日みたいに爆心地のお世話をお願いした時はお礼として渡してる。お前もいい感じの猫見つけたら写真撮っとけよ」
「…………ねこ」
「本当はさ、ちゃんと依頼っていう形をとったほうがいいんだろうけど。そうすると拒否されるし、今後もう来ないなんてことになっちまうとこっちが困っちまうしさぁ」
「イレイザーと、猫……」
「あ、ちなみに猫と戯れてるときは超デレデレしてる」
「超デレデレ!?」
 今日見る限り殆ど表情が変わらなかったイレイザーのデレデレ顔がどうにも想像できずに頭を抱えた。人は見かけによらない、というレベルではない気がする。
 知れば知るほどイレイザーヘッドという男の謎は深まるばかりである。

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