「何回目だよ、それ聞くの」
いいからさっさとしろや、と数センチ先の充血した目を睨み付けても距離が縮まることはない。
「ここまで許して無理でしたなんて言うわけねぇだろうが」
睨むことに効果がないのならば、と優しく諭すように背中を押してみても、やっぱり距離は変わらない。 爆豪は深々と溜め息を吐きそうになるのを必死で堪える。ここでそんなことをしたら相澤はいっそう離れて行ってしまうだろう。折角家まで入り込んだのにもう帰れとか言われそうだ。
ここで帰るわけにはいかない。何年もかけて恋心を育てて、卒業しても小まめに連絡を取り、胸倉を掴むように告白をしたのだ。
そして付き合って初めてのデートは念願の相澤のプライベートルーム。同期だって、今の相澤の教え子だって、誰も知らない場所。二人が、ありのままの二人で居られる場所。
(ここまで許してもらえたんだ、がっつく必要はねぇ)
何も付き合って早々にセックスをしようと言っているわけではない。ただ、一回いいからキスをして欲しいと強請っているだけなのだ。
なのに。
(俺がキスしてくれって言ってから何十分経ったと思っとるんだ、このおっさん)
相澤の肩越しに見えるデジタル時計は二十二時ちょうどを表示している。記憶違い、計算違いでなければ二十六分経過したことになる。程よく冷房が聞いているというのに、ずっと持たれている両肩から相澤の熱が篭って暑いくらいだ。
「爆豪、よく考えろよ? 本当にいいのか?」
「だから、」
さっさとしろっつってんだろうが! 童貞じゃあるまいしチュッて簡単に出来んだろ!
焦れったさから怒鳴りそうになるのを何とかゴクリと飲み込めた自分を今年一番褒め称える。
内心では好き勝手に怒鳴り散らしながら、悟られないように出来る限り可愛らしくお願いする。
「消太さんとキスしたい、早く、なぁお願い」
言えば目の前の眉間に皺が寄って、むずむずと口角が緩んで、うっすらと赤くなっている。とても面白い顔になっているが、これは照れているのだろう。こんな顔もするのかと少し感動。
(……そういう反応するっつうことは別に嫌々付き合ってるわけじゃねぇってことだ)
ならば、ただただ勇気が足りないだけ。
「消太さん、俺とキスするの嫌なんか?」
「いやじゃない」
「キスしたくない?」
「したい」
「じゃあ、」
それ以上は何も言わずに爆豪からそっと顔を近付けていく。きっと自分が家にやって来るからと整えてくれたのであろう髭を愛おしく思いつつ、ゆっくりと瞼を下ろしていく。徐々に詰まっていく距離に、最初からこうやってすれば良かったと思いながら。
しかし。
「いや、待て、爆豪」
ようやっとキスが出来ると安堵した瞬間に相澤のストップがかかる。気付けば先程と変わらないくらいに距離が開いていた。なんで、など考える事はない。相澤が後ろに体を引いた。ただそれだけである。
その瞬間に、ブツリと堪忍袋の緒が切れた。
デジタル時計は二十二時四分。三十分我慢したのだからもう待たない。言い訳も聞かない。可愛らしくなんていてやるもんか。
「いい加減にしろや、アンタ」
大人しくしていた手で相澤の手を払って、一気に詰め寄った。鍛えられた胸を力いっぱい押して、ソファの上に倒れた体の上に乗っかった。これでもう逃げられまい、と鼻息を荒くする。相澤は驚いたように目を丸くして口を開けている。散らばった黒髪を踏んづけてしまわないように気を付けながら手をついて、その顔を真上から堪能。この男が自分の担任であった間では見られなかった顔だ。しっかりと網膜に焼き付ける。
「アンタ、一つ大事なこと忘れちゃいねぇか?」
「……大事なこと?」
相澤の呼びかけに被せるように言葉を紡いで、ニィと口角を上げた。
「俺だって男なんだぜ」
グル、と獣のように喉の奥が鳴る。随分と年下で、元教え子で、まだまだ成人していなくて。大人の相澤からすれば子どもにしか見えないだろう。しかし残念ながら子どもとは言え男なのだ。目の前でずっと好きだった相手がキスの一つに躊躇していたら、だったらこっちから食ってしまうぞと大口を開けてしまうほどに男なのだ。
「消太さん」
三十分の猶予はあげた。それを生かさなかったアンタが悪い。
「もう逃がさねぇ」
かぱり、と口を開けて。これ以上逃げられないように右手を頬に添えて。狼狽える視線も全部絡め取る。そのまま動けなくなった唇に一直線。慌てた相澤の言葉にすら牙を立てて、爆豪はようやっとその唇を味わった、――はずが。
「逃げられないのはお前だよ、爆豪」
パチ、と瞬き一つで形勢逆転。
「――……あ?」
下にいたはずの相澤がいつの間にか上にいて。狼狽えていたはずの視線がしっかりと力強い意志を持っていて。意地悪に微笑んでいる顔は、ついさっきまでの相澤とは別人のようだ。
「折角猶予をくれてやったのに、その間に逃げ出さなかったお前が悪い」
「は? 消太さん、なにを」
頭が付いていかなくて瞬きが多くなる。違うだろう。猶予は自分が相澤にあげたのだ。三十分も。それなのにキスの一つもしない相澤が悪かった、はず、なのに。
(なんで、せんせいの手が、服ん中に……)
ゴツゴツとした大きな男の手が腹筋の形を確認するように撫でてきて、思わず変な声が出た。慌てて口を覆えば、機嫌が良さそうに相澤の目が細まる。
「お前も大事なことを忘れているようだから、教えてやるよ」
先生の特別授業だ、と覆った手の上から簡単にキスをされる。
「男の家に簡単に入っちゃダメだろう」
それから手は奪われて頭の上で一纏め。肉弾戦を得意とする男に力で敵うはずがなく、はくはくと声の出ない口を震わせる。まさかこんな展開になるなどと欠片も思っていなかった爆豪の心臓は壊れたように忙しく動き、音が煩い。
「安心しろ。最後まではしないよ」
でも。
「俺も男だってこと、ちゃんと分かってもらわないとな」
それから爆豪は不用意に相澤を煽ることは止めたという。