『せんせぇ、大変。個性事故』
もうそろそろ日付が変わろうかとしている時間帯の生徒からの電話。
それは想像通り、碌なものではなかった。
***
説明するより見た方が早いと言われたので電話を掛けてきた生徒、爆豪勝己の外出を許可した。
時間も時間なので自分がそちらへと向かうと言えば、借りたいものもあるから行くと言われた。じゃあそれも持っていくと返そうと口を開いた時には通話は切れていた。なんともまぁ勝手な。寮外とは言え雄英の敷地内なので特に危険はないかと考えて部屋で仕事をしながら待っていれば、十分もしない内にインターフォンが鳴る。
「そのまま入っていいぞ。鍵は開けてある。部屋の場所は、」
『分かる』
爆豪は相澤の言葉を遮るようにしてそう言って、すぐさまモニターから姿を消したと思ったらノックされるドア。相澤はドアを開けて、目に入った違和感に首を傾げた。
「……お前、そんなに背が高かったか?」
「やるじゃねぇか、先生。ちゃんと見分けつくんだな」
「見分け? 分裂でもしたか?」
「分裂じゃねぇんだわ。とにかく中に入れてくれや」
「あ、あぁ……」
あまり荷物のない簡素な部屋に迎え入れれば、爆豪は「懐かしいな」と呟いた。相澤は再び首を傾げる。確かこの生徒をこの部屋に招いたのは初めてだったはず。教員寮には用事で何度かやって来たことはあったが、いつも共有スペースで話をして帰していた。
それによくよく見れば身長以外にも違う点が目につく。髪の毛は短くなってさっぱりしているし、顔からは幼さが抜け落ちている。その代り精悍さが増し、こちらを見てニヤリと笑う石榴色はいっそう鋭い。筋肉量も随分違うらしく、着用しているTシャツが窮屈そうだ。履いているジャージのズボンは丈が足りないのだろう。誤魔化すように捲りあげている。段々と増えていく違和感に相澤の頭の中で一つ答えが浮かぶ。
「爆豪」
「なぁに」
爆豪であって、相澤の知る爆豪とは違うであろう男は勝手にベッドに腰を掛けて、挑発するような視線を投げてくる。きっと相澤が気付いていることにも気付いている。
「お前、俺が知ってる爆豪とは別人か」
相澤が言えば、わざとらしく考えるふりをして、それからちょっと違うと首を振る。
「別人っつうわけじゃねえ」
「じゃあなんだ。さっさと言え」
「この時代の先生は短気だな」
「無駄な会話は非合理的だろうが」
「……よく言うぜ」
「なんだ」
「いんや、こっちの話」
気にするなと笑う顔は、相澤の知っている爆豪からはかけ離れている。彼を思い浮かべるときはいつも眉間に皺を寄せて、目をつり上げて怒っている顔だ。もしくは実践訓練などで嬉々として敵役を攻撃しているあの顔。
「俺ァこの時代の俺より十歳年上の二十六歳。別次元、パラレルワールドからやって来たわけじゃねぇから別人っつうのはちょっと違うってわけだ。十六の俺も二十六の俺も、俺は俺」
ちなみに十六の俺は未来で今頃大パニックだぜ。
以前自分が味わった大パニックとやらを思い返しているのか、また笑った。十年経つとあの子どもはこんなに笑うようになるのかと感心すらしてしまう。
「パニックというだけで、身の安全は保障されてんだろうな」
「敵に襲われる心配はねぇよ。……まぁ完全に安全かって言われたら、微妙なところだけどな」
「は?」
「命の心配、は、ねぇってこと」
やたらと「は」と強調するのが気にはなったが、こうして二十六歳の爆豪が五体満足で元気に笑っているのだから、深く心配はしなくていいのかと考える。未来に小旅行に出てしまった彼を今の自分がどうこう出来る術はなさそうなので、ここは二十六歳の爆豪を信じる他ない。
「そうか。……で、個性にかかったのはどっちの爆豪だ?」
「それは俺。今日の昼間、現場で掛けられた個性なんだ。解除方法は時間経過。ちゃんと検査も受けたからそれに関しては信用してくれ。そうだな、……ちょうど日付が変わる瞬間には元に戻る」
時計を見ればあと三十分程度だった。相澤はそれならば時間がくるまでここに居ろと指示すれば、そのつもりだと言う。ただ、と爆豪が続ける。
「借りたいもんがあって」
「あぁ、そうだったな。なんだ?」
「服、貸してくれよ。上下セットで。流石に十年前の服だとキツイ」
「……俺のでいいのか?」
「アンタのが一番都合いいんだよ」
「はぁ?」
どういうことだと聞いたところで答えは返ってこないので、相澤は諦めてクローゼットに向かい、服を取り出した。比較的新しいものを選んで渡せばノーを突きつけられてしまう。
「これはだめ」
仕方ねぇから俺も一緒に選んでやる、なんて爆豪に手を取られた相澤は再びクローゼットに向かう。そして容赦なく中を漁られて、取り出されたのはもう何年も着続けている黒のスウェット。
「いや、流石に、それは……」
二十六歳とは言え教え子に自分が着古した服を渡すのはなんだか申し訳ない。毛玉だって付いているし、色褪せているし、首元もヨレヨレだ。なんだったら昨日着ていた。
「もっと新しいのでもいいんだぞ」
「これがいい。これにする」
「でも」
相澤が渋れば、スウェットを大事そうに抱えた爆豪がこちらを見上げてくる。知らない十年の間に背が伸びているから、そんなに目線は変わらないのだけれど。それでも覗き込むようにして、上目遣いで相澤を見上げる。
そして。
「……どうしても駄目なんか?」
なんだか切なそうな声色で駄々を捏ねるものだから、相澤はうっと言葉に詰まって、それから白旗を上げた。どうぞお好きなように。普段から素直に頼ったり甘えたり、そんなことをしてこない子の我儘には弱いのだ。人質ならぬ物質を差し出せば爆豪は「勝った!」と言わんばかりの顔。
そのスウェットに執着を持っていたというより、相澤を困らせたかっただけに見える。だが、目を煌かせてポイポイと着ている服を脱ぎ始めた爆豪に、まぁいいかと嘆息混じりの息を吐き出した。
露わになった肉体は、やっぱり今の爆豪とは比べ物にならない。今でも他と比べれば十分な筋肉はついているが、それはあくまで同世代と比べたらという話。プロヒーローとしてはまだまだ未成熟だ。今現在の体からここまで仕上げるのは一朝一夕では不可能。ずっと手を抜くことなく鍛錬を続けているのだろう。
(十年経ってもヒーロー一直線で頑張ってくれているのならば何より)
しかし、相澤はスウェットで隠れる前の素肌にあるものを見つけて、思わず眉を寄せた。折角感心していたのに吹き飛んでしまった。
「なに?」
スウェットを着終わって、脱ぎ捨てた服を畳んでいる爆豪。綺麗に畳まれたそれを持ってまたベッドに腰かける。
「……いや。十年経てば人は変わるものだなと思ってな」
「変わった? 俺が?」
相澤は自身のリクライニングチェアに座って、深く頷いた。
「お前の、ヒーローに向かって真っすぐなところは気に入っていたんだが」
言って、自分の腹の部分を指差した。それだけで何のことか分かったのだろう。爆豪は口角を上げて、胸のあたりまでスウェットをたくし上げた。
「これか」
相澤が指差した部分。そこには目を覆いたくなるほどのキスマーク。今のものとデザインが変わっていなければ、彼のコスチュームでは見えない部分ではあるが、少々度が過ぎている。腹だけではなく太腿や脹脛にも二、三個確認できたので、探せばもっとあるのだろう。どれもまだ色濃く、下手をしたら今日つけられたばかりかもしれないなと邪推してしまう。
「余計なお世話かもしれんが、あまり女遊びに走り過ぎるなよ」
女に溺れてヒーロー業が疎かになる阿呆なら何人も見てきた。そしてそんな阿呆共が気を緩めているところを敵に襲われ大怪我を負い、引退してしまったのも何度も何度も見てきた。だからこそ相澤は忠告しておく。せめて自分の目が届き、声が伝わる相手くらいは。そして大事な教え子くらいはそんな目に遭わないように。それにその数のキスマークを残すくらいだ。相当な執着心があるのだろう。見ていて心地の良いものではない。
「恋愛に嵌り過ぎると碌なことにならんぞ」
ヒーローとして申し分ない強個性と精神力。向上心だって誰よりもあって、努力を怠らない。ナンバーワンヒーローだって夢じゃないような子どもなのだ。道を踏み外すには惜しい。相澤は教師として、一人の大人として。鬱陶しがられるかもしれないがそう釘を刺した。
しかし。
「…………プッ」
爆豪は暫しこちらを熱心に見つめてきたと思ったら、堪えきれないと言ったように吹き出して、ベッドに寝転がって腹を抱えて笑った。ひいひいと浅く呼吸して、涙を目尻に引っ掛けて笑う姿に相澤は目を丸くした。
「あは! はははっ! わり、わりぃ、せんせ、……っく、くく……っ」
「おまえね……人が真剣に……」
「いや、分かってる。分かってるって! でもアンタが言うと、なんか、……ぷっ、くく……!」
頑張って堪えようとしているのだけれど、全く我慢できていない。人の言葉を聞く耳持たない爆豪の反応に、少々苛ついた相澤はそれを隠す事なくわざとらしく溜息をついた。
怒りが伝わったのだろう。爆豪の笑い声がピタリと収まって、そして立ち上がってこちらに来た。なんだ、という間も無く太腿の上に乗っかってくる。手慣れた様子で首に腕が回される。まさかそんなことをされると思っていなかったので、相澤は怒りも忘れて瞠目。
「ばく」
「なぁ、せんせぇ」
スッと目が細められて、声のトーンが下がる。子どものように口を開けて笑っていた唇はほんのりと口角を上げるだけ。目線が逆転した爆豪を見上げれば、ふわりと漂い始めた甘い色気。
「これ、女に付けられたと、本気で思ってんの?」
ちゃんと見て。そう言って爆豪に手を取られた。迷うことなく服の中へと誘い込まれ、綺麗な凹凸が並ぶ腹筋へと導かれる。爆豪の言葉にどう返事を返すべきか、相澤は逡巡する。
色素の薄い肌に咲き乱れるキスマーク。それだけなら女性につけられたのだと思うのだが所々にある噛み跡は女性にしては形が大き過ぎる。気付いていたが、あえてスルーしていた。そこには触れてはいけないと、そう直感したからだ。
「どうなんだよ」
爆豪は相澤の手を好き勝手に動かしていく。肌の感触を手に覚えさせるかのようにじっくりと移動させる。肋骨、脇腹、臍周り、下腹部。そうかと思えば上へ。そしてとうとう胸部までやってきたところで、相澤は「いい加減にしなさい」と低く唸った。
「大人を揶揄うんじゃない」
「残念。俺だって大人だぜ。とっくに成人してるし、今のアンタと四つしか変わらねぇ」
「それでも俺の方が年上だろう」
「ま、そりゃあそうなんだけど」
「……なぁ、爆豪。もしお前が自分を」
誰かに安売りしているのなら今すぐに止めなさい。そう言いかけて口を噤む。こんなことは言いたくなかった。他の生徒や卒業生になら言えたのかもしれないが、この子には、爆豪相手には安売りだなんて言葉を使いたくはない。
(俺が知ってる限り、爆豪に一番似合わない言葉だ)
今までどれほどストイックに自分を律して努力を積み重ねてきたか、何百人という生徒を見てきた自分からすれば手に取るように分かる。ずば抜けた戦闘センスは天賦の才だけではない。それに相澤は知っている。素行が悪いと言われようと授業も演習も一度だって手を抜いたことはない。誰よりも真剣。常にギャンギャンと喧しく吼えて、人の意見など斬り捨てるように思われているが、真っ当なアドバイスは静かに受け取って咀嚼して飲み込んでくれる。その上で自分の信念と考えを照らし合わせて、相澤が思っている何倍も成長していく。
(そんな人間に、そんな言葉は)
例え比喩でも使いたくはなかった。
「――……いや、やっぱり、」
なんでもない、と。そう言う前に爆豪がしがみついて来た。足を腰あたりに絡ませて、肩口に顔を埋めて。それこそぎゅうぎゅうと音が鳴りそうなほどに力いっぱい。思わず、ぐえっと声が出た。
そして。
「あー…………やっぱりこの時代の消太さんっていいな」
なんて言うものだから思考回路がピタリと止まって機能しなくなる。
「………は? 爆豪、いま、おまえ」
聞き間違いでなければ下の名前で呼ばれなかっただろうか。キスマークも噛み跡も説教も忘れて相澤はしがみついてくる背中を叩く。爆豪はいっそうしがみついてくるだけで何も答えてくれない。
「おい、こら、くるしい」
流石に鍛え上げられた筋肉で締め付けられると圧迫感で息が出来ない。それを訴えると、渋々といった感じで体が離れる。それでも最初より随分と近い。そのままの距離で目が真っ直ぐに合う。ゆっくりと唇が動く。
「俺のこと、心配してくれてんの?」
「当たり前だろう。十年経とうとお前は俺の大事な生徒だ」
「そっか」
爆豪の右手が首から離れる。皮の厚い指先が左頬の傷痕に触れた。
「じゃあさ、先生。この時代の俺のことちゃんと見ててくれよ」
「見てるだろ、今でも」
「だめ。もっと。アンタの信念を邪魔しない程度でいい。もう少しだけ、見て」
お願い、と視線で強請られて。相澤は少し考えてから頷いた。
「約束」
「あぁ、約束する」
自分がもう少し気にかけて見るだけでこの子が道を踏み外すことがないのであれば、これくらいの約束はしても構わない。
「じゃああとは頼んだぜ」
そして置時計が零時ちょうどに変わった瞬間、音もなく二十六歳の爆豪は姿を消し、十六歳の爆豪が現れた。それも霜焼けでもしているのかと心配になるほど真っ赤な顔で、目を潤ませて。
「ば、爆豪……?」
どうしたのかと慌てて名前を呼ぶが、爆豪は辺りをキョロキョロ見渡して、自分が何処にいるかも確認して、プルプル震えるほどに更に顔を赤くした。顔や首だけでなく、見えている全部赤い。
慌てて相澤の太腿の上から飛び降りた。一目散にドアに向かって走り、ドアノブを掴んでいつでも外に出られる状態でようやっとこちらを振り返る。その顔は警戒心最大レベルで尻尾を逆立てている猫によく似ている。
そして、相澤がよく知っている爆豪はひとつ爆弾を落として部屋を出て行った。
「先生の変態!」
残された相澤はなんとも間抜けな顔で爆豪の言葉を反芻しては、増えた悩み事に頭を抱えた。
「……俺が何したって言うんだよ」
上に乗っかってきたのも、首に手を回してきたのも未来のお前で、俺は触っていなかったじゃないか。それなのに変態って……。
がっくりと肩を落とす。もう今日は仕事になりそうにない。
暫くセクハラで訴えられるんじゃないかと相澤は気が気ではない日々を送ることになるのだが、実は今の自分に向けられた言葉ではないのだと後に知る。
答え合わせは十年後。
十六歳の爆豪に出会うその日までお預けである。